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最後の言葉

 ミナトヒメがいなくなって、それから少し経った頃、武は、教室でヒロユキの説得を試みていた。


「もういい! もう何もしなくていいんだよ、ヒロユキ君! 僕はもう十分償ってもらったから!」


 武がそうヒロユキに訴えても、彼の表情は変わらなかった。


「ははっ……武さん、今回は新しい感じでテストを仕掛けてこられましたね……」


「ち、違う! テストじゃないんだ! 本当なんだ! 僕は……って言うか、僕の体は、今まで操られていたんだって!」


 そう言ってヒロユキの肩を揺さぶる武に、ヒロユキは穏やかに微笑んだ。その微笑みは、かつてタケルがしていた微笑みにも似ているように、横で見ていた絵里には感じられた。


 ヒロユキは、武が自分の肩を掴んでいるその手に、優しく自分の手を乗せると、静かに答えた。


「武さん……。我々にはまだまだテストが必要であると……そう思っておられるのですね。それは全く、ごもっともです……。俺はあれだけ悪い事を、武さんにやってしまったのですから……」


 ヒロユキは、武の手を両手で握った。


「武さん……。どうぞこれからも、存分に俺達をお試し下さい……。武さんの気が済むように……。俺達は、武さんの忠実な手下である事を、いつか証明できますように……そのために、テストを謹んでこれからも受けていきたいと思っています」


「うっ……ううっ……ち、違うんだ……違うんだよ、本当なんだよ……」


 タケルのその言葉を聞くと、ヒロユキはまた静かに微笑み、まるで家来が王に対してするかのように、恭しく礼をした。


「武さん……。あなたは俺達にとって、神の如き君主です」


「そ、そんな……」


 武はそんなヒロユキを前に、呆然とする他は無かった。


――


「駄目だったね……」


 校舎の裏で二人だけになった絵里は、武にそう切り出した。


「……駄目だった……。完全に……完全に、もう……みんな……おかしくなってしまった……っ」


 そう言った武は、他にもうどうしようもなく、両手をぐっと握りしめた。


『あなたが心の中で望んでいた事よ?』


 ミナトヒメが、ついさっき武に向かって言った言葉が、武の頭の中をぐるぐると回っていた。


(僕は……僕は、そんな事を心の奥底で思っていたとでも言うのか……)


 武は、自分で自分の事が分からなくなってきていた。


「ね、ねえ……武、大丈夫?」


 いつまでも武がうつむいているので、心配して声をかけてきた絵里に、武は顔を起こすと、少し悲しそうな顔で答えた。


「うん……僕は大丈夫……。大丈夫だよ……」


 そこで、武は急に思い出したように絵里に言った。


「大丈夫と言えば……。そうだ、絵里さんも、もう僕と一緒にいなくでも大丈夫だよ? 側にいてずっと僕を見続けるようになんて、僕はもう命令してる訳じゃないんだから……」


「うん……。分かってる。さっきからもうそれは分かってるんだ……。分かってるんだけどね……」


 絵里の声は、少し震えていた。


「何かね……変なの。何だか私、武のそばを出来るだけ離れたらいけないような気がするの……。理由は分からないけど……。でも、タケルの側を離れて行ってしまったら、私……何だか殺されてしまうような気がするの……」


「え、絵里さん……」


 絵里の目からは、涙が何故かこぼれていた。


「変よね……。だって、学校が休みの時は普通に別々に休みを過ごしたりもしてたし、夜だって別に一緒じゃなかった……。なのにね……今ここで分かれるのは駄目なの……。一緒にいないといけないような気がしてしまうの……。あははっ、何か……私もいつの間にか、洗脳されたみたいな事になっちゃってるのかな……?」


 言い終わると、絵里は顔を両手で覆って、その場にしゃがみこんでしまった。


「……大丈夫?」


 武のその問いに、絵里はしばらく顔を覆ったままで全く動かなかったが、やがて少し顔を上げ、武を見て答えた。


「うん……大丈夫。もう落ち着いた……ごめん武、もうしばらくの間、武の側にいさせてくれる? 時間が経てば、多分そんな気持ちになってしまうのも治ってくると思うから……」


「うん……分かった。絵里さんが治るまで、僕の近くにいたら良いよ」


 武がそう言いながら差し出した手を、しゃがみ込んでいた絵里は遠慮がちに掴み、「ごめんね……」と言いながら立ち上がったのであった。


――


 ミナトヒメが武の体を返してから、三ヶ月が過ぎ去った。夏の終わりから季節は秋に移り、そして冬が訪れようとしていた。


 とある日の昼休み、武は学校の屋上で、絵里と二人で話していた。


 この三ヶ月の間も、ヒロユキ達は結局武をあがめ続け、賠償金を振り込み続けた。武がやめるよう言っても全く聞く様子が無いので、しばらくして武は説得を諦め、彼らが自分から金を支払うのをやめるまで、のんびり待つ事にした。


「じゃあ、お金は貯まる一方なんだ……」


 絵里がそう言うのに、武は「そうなんだよ……」と、苦笑いしながら話し出した。


「まあ、お金は全然使ってないから、いつか彼らが元に戻ったらいくらか返そうかなとも思うけど……でもまあ、慰謝料として貰っても良いかなと最近は思うようになってきたよ。何しろ、ちゃんと査定してある金額だから、ね」


 武は、少し笑いながらため息をついた。


「とりあえず、これで大学に行く費用は心配無いかな。貯金、もうすぐ二千万になるからね」


「そんなに貯まったんだ……お金」


 呆れたのか、感心したのか分からない微妙な表情でそう言う絵里に、武は笑顔でうなずいた。


「それにね、ミナトヒメが僕の体に長いこと居たせいだと思うけど、体がなんか凄く速く動けるし、強いんだ。で、人の考えや感情なんかもある程度読み取れるし、過去の出来事を頭の中に思い浮かべたりする事も出来るようなんだよ。彼女ほどではないけど、ある程度の事が今の僕にも出来るみたいだ」


「へえ……だったら、武にとってはいい事ずくめじゃない」


 絵里からそう言われてしまい、武は笑顔のまま、首をすくめた。


「そうなんだよね……何か、結局そうなっちゃったよ」


 武のその様子は、以前のおどおどしていた優しい、しかし気弱なあの昔の武とは、まるで違っていた。優しさに加え強さ、賢さが増し加わり、自信が武から溢れているのが絵里には感じられた。


「……凄いわね……」


 絵里は、ぽつりと武を見ながらつぶやいた。


 高校三年生になり、以前よりまた少し背が伸びた武は、今はもう170センチ後半、もうすぐ180に届こうかという背丈にまでなっていた。


「ねえ、武……。武はこれから、どうするの?」


 絵里がそう尋ねるのに、武はもう考えは決まっていたかの様子で絵里の質問に答えた。


「うん、実は僕、大学に行って、そこで心理学を学ぼうと思ってるんだ……自分の奥底にある気持ちと向き合いたいし、ヒロユキ君達や絵里さんの心が少しでも治っていくように、と思ってね」


 武の話は、さらに続く。


「地元の国公立大学で、行動心理学を学べる事を調べてみて分かったから、そこに行こうと思う。で、卒業した後は、心理学の研究者になって、警察に協力するような仕事でもしようかなと思ってるんだ。影山さんから『少しでも人の考えを読めるんなら、是非協力してくれ』って、前からずっと頼まれちゃってて……ミナトヒメ程には出来ないよって伝えてるのにね」


 そこまで一息に言い終え、武は絵里をじっと見た。


「だから、絵里さん。僕は遠くには行ったりしないから、安心していいよ。そして、絵里さんの心も、ヒロユキ君たちの心も、きっと治してみせる。そして……」


 何かを決意したかのように、武は言葉を続けた。


「絵里さん……絵里さんの精神状態が治って、僕の近くに居なくても大丈夫になって、そしてそれでも僕の近くに居てくれたら……僕は嬉しいんだけど……」


「えっ……?」


 絵里が武を改めて見てみると、武の顔は少し赤くなっていた。


「ど……どうかな……?」


 武は、改めて絵里に聞いた。


「……あははっ……何それ。武って私を治したいの? 治したくないの? 面白いね。そんな言い方……でさ、だったら私がどう考えているか……読めるんでしょ?」


絵里のその言葉に、武は首を横に振った。


「読もうと思えば出来ると思うけど……読んでない」


「ぷっ……なにそれ、変なの」


 絵里は、ふっと少し笑って言った。


「じゃあ、分かった。返事は私を治してくれた後に言う事にするね。だから頑張って、私が治るのに協力してね!」


「う……うん、わかったよ! 絵里さん!」


 そう言いながら喜びの表情を見せる武を見て、絵里は、武には聞こえない程の小さな声でつぶやいた。


「……ありがとう、武……。いじめられてても何もしてあげられなかった私を、許してくれて……」


 武はふと、ミナトヒメがいなくなったあの時と同じような、晴れた空を見上げた。


 彼女の姿を思い出しながら、武は空に向かって独り言を言った。


「まったく……色々と文句は言いたいけど……まあ……結局は良かった……のかな?」


――もっと感謝してもらってもいいと思うんだけどなあ……


 そんなタケルの耳に、かつてのミナトヒメの言葉が、また聞こえたような気がした。


「分かったよ……。まったく……」


 武は、ふっと少し笑った。


「ありがと……皆捕姫みなとひめ


 武のその言葉は、まるで届くべき相手を探すかのように空を舞って、そして消えていった。

おしまいです。最後まで読んでくれてありがとうございました

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