あのときの出来事
一年前、夏休みの終盤、あの廃神社の時に、話はさかのぼる。
武は、暗い参道を、裸で泣きながら歩いていた。
灯りは一切無く、唯一周りの景色をかろうじて見る事が出来ているのは、右手に構えている携帯用のビデオカメラから漏れる、再生ランプの光だけであった。
「うっ……ひぐっ……」
小さく泣き声を上げる武の姿を見る者は誰もおらず、そして武の泣き声を聞くものもいない……はずであった。
右手でビデオカメラを持ち、左手は体を隠そうとしながらも、武は恐怖と恥ずかしさで泣きながら、神社の奥を目指した。
神社の一番奥まで行って、そこの画像を撮ってこなければ、またヒロユキ達に何をされるか分からない。暗闇の中で怖くても、裸で恥ずかしくても、武は前に進むしか無かった。
参道は、やがて階段になった。武は、震えながらもその階段を一段、また一段と裸足で登っていった。
真っ暗な中、何とかビデオカメラから出ている光で、武は周りの様子がおぼろげながらも分かった。
暗さに慣れた目でも、何とか足元の石段が見えるか見えないか、そのような状況で武は階段を登っていた。
階段の両側は、木々が生い茂っているのが武にも分かった。
「ううっ……こ、怖いよう……」
自然に、涙が武の目からこぼれ落ちた。
その涙は、恐怖からなのか、情けないこの状況からなのか、それともそれ以外の何かが原因なのか……それは、武にも分からなかった。
ふと武は、横を何かが通り過ぎた気がした。
びくっと体を震わせ、一歩後ずさりしたその時、武は階段を踏み外してしまった。
「あっ!」
小さくそう叫んだ武であったが、当然誰もそれに反応してくれる事もなく、武は階段を転げ落ち……そして、階段の一番下、登り口の所まで落ちてしまった。
倒れ伏す武は、ピクリとも動かなかった。タケルの頭部の辺りの地面に、武の頭から流れ出る血がゆっくりと広がっていった。
そんな武の足元に、いつの間にか何者かが立ち、武の顔を覗き込んで、ポツリと喋った。
「ふうむ……驚かれてしまったわい……」
その何者かが武を見つめると、武の体はふわりと宙に浮き、そしてその何者かは、ふわふわと浮く武と共に、神社の奥へと飛んで行ったのである。
武が気が付くと、そこは見知らぬ建物の中であった。
武は、その建物の中に立っていたのである。そして、何故か光も無いのに、武には周りの様子がはっきりと分かった。
部屋はそれほど広くはなく、四畳半程の大きさで、床も壁も板張りであった。そして、武の後ろに扉がある他は、窓も何もない部屋であった。
武は、目の前に何者かが立っているのが見えた。そして、その足元に、また別の何者かが横たわっているのも見えた。
立っていたのは、仙人のような衣を着た、ひげの長い老人の男性であった。そして、その足元に横たわっていたのは……武自身であった。
「ふむ……意識がはっきりとしてきたようじゃな」
武が目の前に横たわっている自分自身に驚いていると、その老人は武に話しかけてきた。
「こ……これは、一体……?」
武が事態を把握できないでいると、その老人は、そんな武に静かな声で答えた。
「うむ……。お主は、先程階段から足を踏み外して頭を打ち、死んでしまったのじゃ……。どうやら、様子を見に来たわしの気配に感づいたようでな。それで驚いたお主は、足を踏み外した……と言うところじゃな」
「ぼ、僕は……死んだ?」
その老人の説明を聞いても、武には何が何だか、さっぱり訳が分からなかった。
「そうじゃ……。 そして今、お主の前にあるのは、お主自身の死体じゃ……。わしが先程、ここまで運んで来た。そして、それを見ているお主は、体から出てしまった、魂ということじゃ……。だんだんと分かってきたかの?」
「ぼ……僕は、魂……。死んで、魂になった……」
ようやくそこまで理解出来た武は、目の前の老人に向かって疑問をぶつけてみた。
「あ、あなたは……誰なんですか? 神様ですか?」
その質問に、老人はゆっくり首を横に振った。
「お主の言っている神……とは、違う者じゃ。まあ、神とは知り合いみたいなもの……とだけ、言っておこうかの」
そう言った老人は、武を優しく見つめた。
「神の……知り合い?」
「うむ……まあ、そんなものじゃ。わしの名前は、名乗るほどでも無い……。ここで静かに、時が来るのを待っておるのじゃ。お前の言う、神が知らせてくれるまでな」
そこまで言うと、その老人は一息つき、武を見た。
「……で、静かに過ごしておるところ、お主がやって来て、ここで死んでしまったという訳じゃな。まあ、わしが驚かせてしまったのも悪かったので、生き返らせて無事に返してやろうとは思うが……その前に、一つ聞きたい。……お主、なんで裸で、しかも夜だというのに、こんな所にやって来たんじゃ?」
そうだった。自分は裸だった。
そう思った武が、はっとして自分の体を見ると、何故かは分からないが、自分が浴衣のような白い服を着ているのに気が付いた。
「良かった……。ははっ、裸じゃなくて……」
そこで一瞬安心した武であったが、その直後には、彼は再び悲しそうな顔になり、その老人に答えた。
「おじいさん……。もう僕、死んでいた方が良いと思います……。生き返っても多分、良い事なんか無いと思うから……」
「む……。死んでいた方がましだと言うか……。それは、お主が裸でいた事と関係が有るのかの……?」
ひげをなでながらそう問いかけてくる老人に、武は首を縦に振って答えた。
武は、その老人に話した。
自分が、今いじめを受けている事。
ここに裸でいるのも、そのせいである事。
死んでいた方が、却って心が休まるという事を。
「……それに、もし僕がここで死ねば、あいつらも少しは罪悪感を感じるかも知れない……。ははっ、ささやかな仕返しですけどね……」
「ふむ……」
武の話を聞き、その老人は少しの間ひげをなでながら下を向いて考えていたが、不意に顔を上げると、何かに気がついたようにつぶやいた。
「む……。来おったか……。今日遊びに来るとは確かに言っとったが……今来たのか……」
「あら? どうしたのこの子。何かあったの?」
急に後ろから声が聞こえたので、驚いた武が振り向くと、そこにはいつの間にか、一人の女性が立っていた。
「あらあら、ちょうど今さっき死んだみたいね。そこに死体が……。って、なんで死体は裸なのかしら?」
「あ、あなたは……?」
急に現れたその女性は、昔の着物のような、変わった衣服を身にまとっていた。着物のような、とは言ったが、実際には着物とも違う……まるで、昔の中国かどこかの服装にも、或いは七夕の絵本で見た、織姫のような羽衣にも、武には見えた。
髪を優雅に後ろで結わえ、ふわりと佇むその女性は、年の頃は二十代前半といったところであろうか。少し細い目で微笑みながらタケルを見つめるその視線に、武は吸い込まれるような錯覚を覚えた。
(な、なんて綺麗な人だ……)
部屋は暗いはずであったが、武は、何故かその女性の周りだけ、少し明るいような気がした。
武がそう思っていると、その美しい女性はニコッと笑って武に向かって言った。
「あらら、綺麗だなんて、かわいい事言ってくれるのね……。で、さっき少し聞こえたけど、もう死んでた方が良いって言ってなかった? もし良かったら、このお姉さんにも少し話を聞かせてくれない?」
その女性は、部屋の中をふわりと飛ぶと、先ほどからいた老人の隣に降り立った。
「私は、このおじいちゃんのお友達……。ミナトヒメって言うの。で、あなたは……ふうん、武くんって言うんだ。強そうな名前ね、うふふっ……ちょっと名前負けしてるかな?」
そう言って、ミナトヒメと名乗ったその女性は、武の顔を興味深そうに見つめたのであった。




