降伏
不意に、組長の携帯電話の呼び出し音が、静かな事務所内に鳴り響いた。
思いの外メルヘンな設定の呼び出し音が、間抜けな雰囲気を醸し出しながらけたたましく鳴る中、組長は携帯電話を手に取り、その画面を見た。
着信は、タケルの家族をさらいにいっていたはずの、ヤスからであった。
「……どうしたの? ケータイ、鳴ってるよ? 取れば?」
ソファにゆったりと座るタケルからそう言われ、組長はためらいがちに携帯電話のボタンを押し、ヤスからの着信に出た。
「……何だ? 何してる?」
マサとヤスに任せた作戦が上手く行っていないのか? という予感を感じつつ、苛立つ気持ちを抑えながら電話に出た組長であったが、返ってきたヤスからの返事は、組長を困惑させる事になった。
「お……オヤジ! 手が! 手が勝手に! マサを、マサをやっちまった!」
「お、おい?! 何言っとんや! 意味が分からんぞ!」
組長の携帯電話の向こうからは、何やら重い物――ちょうど人の死体くらいの重さの――を落としたかのような、ドスっという音がかすかに聞こえてくる。そして……
「うっ、ううっ、また手が、手が勝手に、うわっ、うわああっ、な、ナイフを! ナイフを!」
完全にパニックになっており、意味の分からない言葉を叫んでいるヤスに、組長は知らず知らずのうちに声を荒らげていた。
「落ち着け! 何が起こっとんじゃ! 分かるように話せ! おい!」
そう叫ぶ組長の言葉は、ヤスには届いていなかった。
「い、いやだあぁ! 死にたくない! うわああぁっ! ああっ! がフッ……。ブッ……」
それっきり、向こうからは何も聞こえてこなくなった。
「……その二人……僕の家族に危害を加えようとしたから……消したよ」
その声に、ハッと我に返った組長は顔を上げ、声のした方を向いた。
そこでは、タケルが無表情でソファに座り、組長の方を見ていた。組長とタケルの視線が、互いに重なった。
「な、何を……一体何を……?」
組長が何とか口から出すことが出来た言葉に、タケルは静かに答えた。
「僕の母をさらおうとしたね? 残念だけど、僕に見抜かれていたよ。そしてね、そういうやり方をするような奴は、僕は好きじゃないんだ。だから……」
そう言いながら、タケルは組長と、ヒロユキの兄を順に指差した。
「あなた達二人も、もう要らない」
「な……? ど、どういう事だ?」
そう言いながら立ち上がろうとしたヒロユキの兄は、自分の体が動かない事に気が付いた。そして、体に起こっている、もう一つの事も。
二人の体から、砂のようなものがサラサラと落ち始めていた。
手から、顔から、何やら砂のようなものが落ちていく。その様子を見ていた二人が、その砂のようなものは自分の体が崩れて落ちていっているのだという事に気付くのには、それほど時間はかからなかった。
「ヒッ、ヒイイイッ! か、体が! 体が崩れていくっ!」
「い、嫌だぁっ! た、助けて! 親をさらおうとしてすまなかった! 謝る! だ、だから頼む! と、止めてくれっ!」
指が、耳が、崩れ落ちていきながら叫ぶ二人の言葉を聞き、タケルは残念そうな顔をして首を横に降った。
「だめだなぁ……。二人とも、本心は全然謝ってないもの……。二人がやってる事は、ただ死にたくないだけで謝ってるだけ、取引してるのと同じだよ……。謝るから殺さないで、ってね……。本当に心から自分の悪を謝罪しようとする人は、こう言うべきだよ、『今まで悪かった、受けるべき罰を甘んじて受け、そして償いをしたい。貴方が許しても許さなくても……』って、あ……もう聞いてないか……」
タケルの前には、砂の小さな塊が二つ、ただ残っているだけであった。
「ああ、もうちょっとゆっくりと砂化させれば良かったか……まあいいや。さて、と」
タケルは、今度は生き残っている残りの者達に目を向けた。
「組長は死んだ。だからもうこの組……えっと、鮫肌組だったね。もうそれは消滅した。そして、ここにいるあなた達は、僕の支配下に入る……。あなた達もそれなりに今まで悪い事をしてきてるからね、それが当然の扱いだよ。今まで力で人に言う事を聞かせてきたんだ。これからは僕の力の前に屈服して生きていく……それで良いかい? 反対の意見のある者は?」
「ひっ……あ、ありません!」
「おっ、俺も文句ないです!」
「す、すいません! 従います! なので、どうか命だけは!」
そう叫びながらタケルに答える組員たちから、タケルは次にヒロユキに目を向けた。
「ヒロユキ君……。君もお兄さんの後を追って死ぬかい? それとも完全に、心から僕に従うかい? さあどうする?」
タケルは、お気に入りのおもちゃを優しく取り扱うかのように、ヒロユキに問いかけた。
「うっ……。も、もう、無理だ……。」
ヒロユキの流す涙と鼻水は、兄の死を思っての事ではなく、タケルへの恐怖からであった。
「うっ……ひぐっ……も、もう逆らいません! すびばせんでしたっ……」
ヒロユキは、涙と鼻水を垂れ流しながら、タケルに心から謝った。
そして……この時が、反抗してきたヒロユキの心が、完全に折れてしまった瞬間となったのであった。




