お前、もう終わりだ
新学期が始まって三日目になる、この日。
朝、タケルが教室に入ってくると、それまでざわついていたクラス中は、一斉に静まり返った。クラスメートの視線がタケルに集まるのが、はっきりとタケル自身にも感じられる。
しかしながら、その視線の中には、怯えるような視線に混じって、期待と羨望の眼差しも幾分か混じっていた。
「……おはよう、アヤカさん」
この雰囲気で話しかけたら、どんな反応をするのかと興味が出てきたタケルは、席に座りながら、隣の席に座る女子生徒……アヤカに、試しに話しかけてみた。
このアヤカというのは、先日ノートの件で話しかけた時、"私に話しかけるな" や、"キモい" 等と言っていた、あの女子生徒である。
アヤカは、タケルが自分の方を向いた時からずっと目を逸らして下を向いていたが、タケルから話しかけられ、少し体をビクッと震わせると、おどおどした表情でタケルの方を見た。
昨日のケンカで、タケルにヒロユキと取り巻きの連中たちが手も足も出ず負けた話は、既に皆は知っているのだろう。当然、彼女も。
「……」
アヤカが、タケルの方を見ながらもなんと言って良いか分からず、返事を出来ないでいると、タケルは静かに笑って言った。
「ふうん……相変わらず、無視するんだね……」
「あ……いや、そうじゃなくて……」
慌ててタケルの言葉を否定しようとしたアヤカであったが、タケルに話しかけて来たもう一人の人物……義雄によって、その言葉は遮られた。
「タケル……凄いな君。昨日の話、聞いたよ」
タケルは、話が途中であったが、アヤカの方はもう無視して、話しかけて来た義雄の方に顔を向けた。彼は、最初に謝ってきたメンバーのうちの一人である。
「あ……」
アヤカは、義雄の声に自分の話を遮られ、その時点でタケルも既に話を聞いていない事を察したようで、もう沈黙せざるを得なかった。
話しかけて来た義雄の横には、絵里もいつの間にか来ている。
義雄と絵里にも、タケルは静かに微笑み、挨拶をした。
「ああ、おはよう義雄君。絵里さんもね。その様子だと、昨日の話はもうみんな知ってるんだろうね」
「まあ、義雄には私が話したからね。他の皆も、誰かに話は聞いてると思うよ。それよりも……」
昨日のケンカを直接見ていた絵里は、義雄の横に立ったまま、タケルに心配そうな顔を向けた。
「あんたがすごく強いのは、もう分かってる。何でそんなに強くなったのかは分からないけど、それはもういいとして……ねえ、タケル、あんた大丈夫? ヒロユキをブチのめしたけど、大変なのは多分……これからだよ?」
絵里は、心配そうな顔のままで声のトーンを少し落とすと、タケルに話を続けた。
「ヒロユキのバックに何がいるか……タケルは知ってるでしょ? 必ず出てくるわよ、ヒロユキのお兄さん」
「えっ……? 絵里さん、何? その話」
横で絵里の話を一緒に聞いていた義雄が、何も分かってない様子で尋ねるので、絵里はため息をつきながら返答する。
「義雄は知らないのね……。ヒロユキのお兄さんがヤクザっていう話、結構みんな知ってると思ったけどね……ヒロユキって、ケンカが強いだけじゃなくて、そのお兄さんがいるから、あれだけ偉そうにしてられるのよ?」
「えっ、そ、そうだったのか……? じゃあタケル、いくら何でもヤクザが出てきたら……やばいのでは?」
絵里の話を聞いた義雄の顔は、みるみる青ざめていく。
その二人のやり取りを座って聞いていたタケルは、相変わらず笑顔を崩さず、絵里の方を向いて答えた。
「ふふ……そうだね、これから少し大変かもね……」
そんなタケルの様子を見て、絵里は少し苛ついたような表情を見せた。
「あのねえ……。 タケル一人だけなら、そりゃあ何とかなるかも知れないよ? あんたはケンカ強いし。でも、あんたの家族とかどうすんの? 目を付けられたらさ……やばいよ? そこの所、ちゃんと分かってんの?」
何故か説教モードに入ろうとしている絵里に、タケルは相変わらず笑顔のままでいる。
「うん、大丈夫。心配ないよ絵里さん……」
と、タケルがそう言い終わるか終わらないかの時、教室のドアがうるさい音と共に荒々しく開き、誰かが教室に入って来た。
そっちを見たクラスの一同に、一様に緊張が走る。
入って来たのは、今、最も話題になっている二人のうちの一人……ヒロユキであった。
ヒロユキの目元や口元には、先日のケンカでタケルに付けられたのであろう傷跡やアザが、痛々しく残っていた。
膝を少し痛めているのか、片足を少し気遣いながら教室に入り、ゆっくりと歩いて来たヒロユキは、タケルの前に来ると立ち止まってタケルを睨みつけた。
「ふふ……よく学校を休まずに来たね。おはよう、ヒロユキ君」
笑顔で挨拶するタケルに、ヒロユキは低い小さな声で答えた。
「お前……終わりだ。もう許さねえ。こうなったら手段は選ばねえよ、俺も」
そんなヒロユキにも、タケルの態度は変わることはない。
「そうなんだ……。なら、今日は楽しい、長い一日になりそうだね」
そんなヒロユキに、タケルは静かに微笑むのであった。




