04.セラと僕との『約束』
次に僕が目覚めたのは、医務室のベッドの上だった。
「シオン、良かった……目が覚めて」
傍らには、心配そうな顔で付き添ってくれているお母さんの姿。その温かな両手が、僕の右手をぎゅうっと握りしめていた。
ひどい眠気はすっかりなくなっている。それは多分、お母さんが魔力を分けてくれたから。人に魔力を分け与える事ができるのは、お母さんみたいなごく一部の、魔力容量が桁外れに大きい魔法使いだけだ。
「お母さんの書斎に、勝手に入ったのね?」
まだ重いまぶたをぱちぱちさせる僕に、お母さんは言った。
「入ったら駄目って、言っていたでしょう?」
「……ごめんなさい」
ちょっと鋭い目つきと、少し低い声。それが怖くて、僕はぎゅっと首をすくめる。
だけどお母さんは、僕が思っているほどは怒ってないようだった。
「……部屋にあるものには、もう触らないでね」
「……はい」
それからふっと表情を和らげながらそう言われたので、僕はこくりとうなずいた。
『もう書斎に入らないで』とは言われなかった。その事に、少しだけ安心していた。
室内を見回せば、ドアのそばにセラが立っていた。
いつも通り口元を小さく吊り上げて、無感情な空色の瞳で、僕をじっと見つめている。破れたドレスの上には、お母さんの上着を着せられていた。
怪物と戦って、魔力を使い過ぎたせいで倒れたセラも、すっかり回復したらしい。
彼女もお母さんに、魔力を分けてもらったのかと思ったけれど。
「あの子の髪飾りに、魔力を注入しておいたから」
お母さんが急に変な事を言ったので、僕はかくりと首をかしげた。
見ればセラの髪飾りの宝石が、ぼんやりと光を放っている。それはそこに、たくさんの魔力が充填されている証拠だった。
けれど、人間に魔力を分け与えるなら、そんな回りくどい事をしなくてもいいはずなのに。
「セラは……お母さんのお弟子さんじゃないの?」
思わずそう問い返すと、今度はお母さんが不思議そうな顔をする。
「あの子は……セラフィーナは、お母さんが作った自動人形の試作品よ?」
そして返ってきたのは、にわかには信じられない答えだった。
『新型魔導人形試作〇一号「セラフィーナ」』。
それがセラの、本当の名前だった。
雑用や研究助手、主人の警護を目的として、人間そっくりに作られた動くお人形。
ただし彼女は試作品。実用化にはほど遠い欠点だらけの存在だ、とお母さんは言った。
「まず、起動方法が簡単すぎるのが問題ね。フルネームを呼ぶだけじゃなくて、もう少し難しくしなくちゃ」
お母さんのため息交じりの言葉を聞きながら、僕はまじまじとセラの姿を見る。
確かに、あの感情のない笑い方と話し方、へんてこな受け答えは、人形っぽいと言われればそうかもしれない。けれどそれ以外に人形らしい部分を、彼女の外見に見つける事はできなかった。
「じゃあ、話が全然噛み合わなかったのも、試作品だから?」
次に頭に浮かんだ疑問を、僕はお母さんに投げかける。
「僕の言う事を、あんまり聞いてくれなかったのも?」
だけどお母さんはその質問に「半分だけ正解ね」と苦笑を返してきた。
「会話が成立しないのは、言語機能に欠陥があるからなんだけど。指示に従わなかったのは多分、命令の方法を間違えていたからよ」
「命令の方法?」
「そう。あなた、あの子を『セラ』って呼んでいたでしょう? 命令する時は、『セラフィーナ』って呼ばないと駄目なのよ」
確かに僕は、起動した時を除いて、彼女の事をずっと『セラ』と呼んでいた。まさかそれが命令できない原因だったなんて、思ってもみなかった。
「主人に付き従う時と、食事なんかの魔力補給と、それから主人の身を守らなきゃいけない時だけは、自主的に行動するんだけど。それ以外は基本的に、主人が命令しないと何もしないようになってるの」
ここも改良が必要かしらね、と続けて、お母さんはまたため息を漏らす。
「他にも、自分を起動した相手を誰でも主人として認識してしまうとか、主人以外の人間の言葉には一切反応しないとか、色々問題はあるけど」
それからお母さんはちらりとセラの方を見やってから、言葉を続けた。
「一番の問題はね……セラは主人の魔力を動力源にしてるんだけど、その消費がかなり激しいのよ」
「……僕の、魔力を?」
それで僕は、どうしてこんなに魔力を消耗していたのか、その理由に気がついた。
その後お母さんが説明してくれた事を、簡単にまとめると。
セラがエネルギーとして使うのは、自分を起動した主人から吸い取った魔力。常に魔力を吸収するために、彼女は主人から離れられないのだという。
一応、髪飾りに嵌められている魔法石に魔力を充填し、それを吸収して活動する事もできるらしいけれど。セラは能力が高いために魔力消費もかなり激しく、石に溜めた魔力ではあまり長く保たない、という事だった。
「起動したのが、まだ魔力の高いあなたで良かったわ」
説明を終えたお母さんが、僕とセラを交互に見比べながら、少し疲れたように言った。
「でも、気づくのがもう少し遅れていたら……」
そこで途切れたお母さんの言葉の続き。それを想像して、僕は思わずぞっとしてしまう。
完全に魔力を使い果たした魔法使いに待っているのは、永遠の眠り。死んでしまうわけではない。寿命が尽きるまで、ずうっと眠り続けるのだ。
そしてお母さんは、僕の手を握る両手に、一度ぎゅうっと力を込めて。
それから「とにかく」と、また話し始めた。
「この子は……セラは、あなたには扱いきれないわ。主従契約を一旦解除しましょう」
「解除って」
僕はなぜだか急に不安になって、お母さんに聞き返す。
「そうしたら、セラはどうなるの?」
「最初の予定通り、弟子の誰かに主従契約を結んでもらうわ。それで色々、実用化に必要な実験をするの」
「そんな……」
その答えに、僕は思わず呻き声を上げた。感情なくこちらを見つめるセラの顔に、思わず視線を向けてしまう。
お母さんが忙しくて、友達もいなくて、いつも独りぼっちで過ごしている僕と、一日中一緒にいてくれたセラ。
一緒にご飯を食べて、授業を受けて、へんてこな話をして。そしてもの凄い力を発揮して、僕を守ってくれたセラ。
そんなセラが、僕のそばからいなくなってしまう。そうしたら僕はまた、独りぼっちに戻ってしまう。
そう考えた途端、いてもたってもいられなくなって――気づけば僕はベッドから跳ね起きて、お母さんにしがみついていた。
「……やだ」
「え?」
「やだ! お母さん、セラを連れていかないで!」
叫んだ拍子に、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
大きな声でわがままを言ってお母さんを困らせるなんて、赤ちゃんみたいで最低だ。だけどそう分かっていても、僕は叫ぶ事をやめられなかった。
セラがいなくなっても、僕はまたいつもの暮らしに戻るだけ。
お母さんがいない家で起きて、ご飯を食べて、一人で学舎で過ごして、夜はエレンさんが帰ってしまった家で、独りぼっちで眠る。
それは僕が、ずっと続けてきた日常。だからその寂しさには、すっかり慣れてしまった――そう、思っていたのに。
それなのに僕は今、セラがいなくなってしまう事が、自分でも信じられないくらいに悲しくて。
そして同時に、心を押し潰しそうな寂しさが、僕の胸を満たしていた。
「実験なら僕が頑張る! 僕がちゃんと、セラのご主人様になるから!」
「無理よシオン、あなたじゃ絶対に耐えられないわ!」
「頑張るから! 沢山勉強して、魔力だって大きくして、セラを支えられるようになるから!」
「シオン……」
「だからお願い、セラを連れていかないで! お願い!」
どう言えばお母さんを説得できるか分からないから、僕はただ大声で叫び続けた。後から後からこぼれた涙が、頬を伝って布団の上に落ちていく。
そんな僕を抱き締めて、お母さんは途方に暮れた様子で、ただ言葉を失っていた。
ドアのそばに立ったままのセラは、相変わらず無感情な微笑みを浮かべたまま。
その薄い青色の瞳で、言い合う僕らをじいっと見つめていたのだった。
***
結局お母さんは、僕の願いを叶えてくれた。
セラのいくつかの欠点を改善して、僕と一緒にいられるようにしてくれたのだ。
まず、最大の欠点である魔力消費の問題。
これは、髪飾りの魔法石の数を増やして、お母さんが毎朝そこに魔力を充填してくれる事で、とりあえず解決した。
そのせいで、毎日とんでもない量の魔力を消費しているというのに、お母さんは『この程度なら大丈夫よ』と笑うばかり。やっぱり規格外の天才なのだと、僕は驚くしかなかった。
そしてお母さんの魔力のおかげで、セラは僕と離れる事ができるようになった。
さらに僕が『エレンさんの命令は聞いてもいい』と指示したおかげで、セラはエレンさんとも会話ができるようになって。
だから今、セラは僕の家で、エレンさんと一緒に掃除や洗濯、お料理をして毎日を過ごしている。
セラと離れて学舎に行くのは少し寂しいけれど、そもそも学生でもない彼女が授業を受ける資格はない。だから僕も、これ以上わがままは言えなかった。
それに、セラが家の手伝いをする事を、エレンさんはとても喜んでくれた。なんでも最近、腰がちょっぴり痛くて、力仕事をするのがとても大変だったらしい。
『セラ様のおかげで、最近身体の調子がいいんです』とにこにこ言うエレンさんと『セラはこれからも、エレン様のお手伝いをいたします』と淡々と答えるセラ。
そんな二人の姿を見て、これで良かったんだと思えて、僕はちょっとだけ嬉しかった。
それから僕は、なんとなく受けていてもそれなりの成績が取れていた学舎の授業に、真剣に取り組むようになった。
お母さんは平気と笑っているけれど、それでも負担をかけていることには変わりない。それに、わがままを言って魔導人形の研究の邪魔をしてしまったのも申し訳なかった。
早く僕一人だけの力で、セラを支えられるようになりたい。お母さんの研究の役に立ちたい。そう思ったら、さぼってなんかいられなくなったのだ。
そうしたら不思議な事に、僕の周りには同級生が集まるようになった。勉強で分からないところを教えてくれたり、「一緒に勉強しよう」と誘ってくれるようになったり。そうして僕は急に、独りぼっちでなくなってしまったのだ。
まさかこんな事になるとは思わなくて、最初はびっくりしたけれど。
友達と『おはよう』『またね』と挨拶を交わしたり、授業中に隣同士座ったり、食堂で一緒にご飯を食べたりするのは、少しむず痒くて、でもなんだか嬉しくて。
最近僕は、学舎に通うのがとても楽しくなっている。
***
セラの話す事は、最近ちょっとだけ、へんてこじゃなくなった。
お母さんは『言語機能を修正したし、何よりセラには主人の嗜好や研究内容を覚える機能が備わっているから。それを応用して、人間らしい振る舞いを覚えようとしているのよ』なんて事を言っていたけれど。
だけど僕は、それは違うんじゃないかと少しだけ思っている。
なぜなら、セラは話す事が変わっただけじゃなくて、笑い方や喋り方、何かをするときの仕草の一つ一つまで、ちょっとだけ雰囲気が柔らかくなったから。
ひょっとしたらセラの中には、人間の心が芽生えつつあるのではないか。
根拠は何もないけれど、僕は密かに、そう信じている。
――セラが人形だと知って、お母さんが彼女への命令のしかたを教えてくれたあの日。
僕はいい事を思いついて、セラと命令じゃなくて『約束』をした。
その時彼女は『かしこまりました』と、はっきりうなずいてくれて。そして今も、僕と交わした『約束』を、ちゃんと守ってくれている。
***
学舎での勉強が終わり、夕暮れの街の中、僕は駆け足で家路を急ぐ。
いつもお母さんがいなくて、エレンさんも仕事が済めば帰ってしまって、夜はいつも独りぼっちになってしまう自分の家。そんな場所に帰るのが、昔は少しだけ憂鬱だった。
だけどもう、家で独りぼっちになる事はない。そう思うと、僕の足取りは自然と軽くなるのだ。
「ただいま!」
玄関を開けて、僕は大きな声で挨拶する。すぐに家の奥から、コツコツと規則的な足音が近づいてきた。
やがて彼女が、僕の前に姿を見せる。
お母さんが仕立て屋さんに注文した濃紺のドレスを着て、結い上げた銀色の髪に魔法石の輝く髪飾りをつけて。
そんなセラが僕を見て、唇の端を柔らかく吊り上げる。そして晴天のような薄い青色の瞳をほんの少しだけ細め、穏やかに微笑んだ。
「お帰りなさい、シオン」
そうして、以前より少しだけ優しくなった声で、そう挨拶すると。
彼女はぺこりと、僕にお辞儀をするのだった。
シオンとセラのお話はこれでおしまいです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。




