07.ライマン家の図書館
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その日、ニコラはとても緊張していた。なんたって初めて友人であり婚約者、となると当然男性の家に行くのだ。ベージュのドレスは見慣れたものだが、問題は自分では目に見えない部分。いつもにちょっと手を加えただけだが、普段のニコラなら絶対にしないそのひと手間の、両サイドの3つ編みをくるりと丸めた、おしゃれな髪型が妙に恥ずかしい。
「最低限の身だしなみをと思っただけなのに、張り切ったように見えないといいけど……」
自分自身に言い訳をしながら馬車に揺られる。そわそわしながら眺める窓の外、学校近くの閑静な住宅地にはニコラの家より数段大きなお屋敷が建ち並んでいた。
ドキドキしながら馬車を降りると、自宅よりほんの少し大きいライマン家の本邸が目に入る。思わずほっとする。目が出る程の豪邸だったりしたら、それこそ夜会並みの支度をしても地味な自分の存在がおじゃまする、それだけで失礼に当たるかもしれないと、心配になってきていたからだ。
玄関アプローチの中ほどにいた赤い毛玉が駆け寄ってくる。エルマーだ。この伯爵家のアプローチは綺麗に緑でまとめてあるので、艶のないエルマーの髪はまさしくブロッコリーかケイトウかという感じである。
「いらっしゃい、ニコラ」
「おじゃまするわ」
学校の外で会うのは2度目。見慣れた顔に安心したその背中を押すように、エルマーの服は前回と似たもので、2人で並べば問題なく地味だった。何か言われるかと思っていたニコラの予想に反し、今日のエルマーは何も言わず、敷地内の説明をしながら本邸へと案内した。
エルマーの両親とは見合いの席で会っている。おじゃましますと告げ、手土産に件の店の紅茶を渡す。この家は婚約の経緯を全員が知っているのでやりやすい。両親の隣の、エルマーとよく似た男性が柔和な笑みで挨拶をする。
「初めまして、タウベルト嬢。エルマーの兄のオスカーです。本の虫の弟だけど、仲良くしてくれると嬉しいよ」
「こちらこそ」
髪型はこちらの方が落ち着いているものの、ニコラはよく似た兄弟だなと思う。黙っていれば雰囲気が全く違うように思えるが、表情の作り方がそっくりだ。どちらも遠慮がち。ただ、エルマーにはこの柔和さが不足している。
――前髪と目つきのせいもあるわね。どうも腹黒く見えるの。
「あとでみんなでお茶を」という誘いをありがたく受け、2人は図書館へ向かった。
中庭を割る渡り廊下を進むと、本邸より幾分か古い建物が見えてくる。
「図書館は建て直しをしないんだけど、本邸は何度か大規模な修繕をして、部屋数を減らしたりしてる。いつの間にかこの辺じゃ1番小さい家になっちゃった」
けれど、図書館も加えれば伯爵家として見劣りはしないし、何より風情のあるこの図書館の貫禄は中々他にはないものがあった。
図書館の重厚な扉を開けると、ニコラは息を大きく吸い込んだ。
「うわぁ……素敵!」
その感嘆の声は本棚に吸い込まれていく。図書館の雰囲気は中も外も、ニコラの好みだった。
2階建ての上から下までびっしりと整頓された本が棚を埋め尽くし、10箇所ある丸天井の中心に開いた明り取りの窓から穏やかな光が差し込む。天井に施された金泥細工は柱に向かうにつれ輝きを控えめにし、次第にそのオーク材に馴染んでいく。柱にも続きで蔦が巻き付いた彫刻が施され、同じくオーク材の本棚には蔦に加えて鳥や花の模様も彫られている。壁には精巧な寄木細工。足元にはふかふかの深緑のじゅうたん。夜間の灯りのランプはスズランかホタルブクロを模している。どの装飾も控えめで少女趣味のロマンチックさはないが、まるで森の中にいるようだ。
「気に入った?」
エルマーも嬉しそうだ。
「ええ! 本がたくさんあるのもだけど、建物も天井の飾りもランプも本棚も、絨毯も全部素敵!」
シックなデザインでまとめてあるのは大分前の当主の趣味で、エルマー自身も気に入っていた。
「気に入ってもらえて嬉しいよ。簡単に案内しよう。右の棚から……」
エルマーが分野別に分かれた棚の位置を紹介して歩く。ニコラは目を輝かせてしきりに頷いた。
「……で、2階の1番端が僕の部屋」
その言葉にニコラの目が大きくなる。レンズの向こうの小さな目は、見開かれてやっと普通の人の目の大きさ位になった。
「えっ?! エルマー、あなたここに住んでいるの?」
「そう。えーと……もう10年位ここにいるよ」
なんでもないことのように答えるエルマーをしげしげと見てから、ニコラは本の棚をぐるりと見まわし、ため息を洩らす。
「うらやましいわ……」
そんな様子にふふっと口の端を上げて笑いながら、エルマーは彼女を促した。
「早く本を選んでおいで。ソファで待ってるから」
ニコラは本の森の中をくるくる歩いた。読みたい本は決めていたが、こんなにたくさんあると、色々見て回りたくなる。
「本当にたくさんの本があるわ……素敵……」
国立図書館には敵わないが、読みたい本の中には閉架図書になっている本もあり、それがそのまま並んでいるここはニコラにとって夢の図書館であった。
十数分後、5冊もの本を抱えてソファに戻ると、エルマーは長椅子に寝そべって本を読んでいた。
「お行儀が悪いわ」
向かいのソファに座ったニコラが注意をすると、エルマーは慌てて体を起こした。
ニコラの手元の5冊の本を目に留める。
「今、お茶を用意させているから、良かったら分厚いのから読み始めなよ」
「え?」
「分厚いのは持って帰るの大変だろ。薄いのなら持って帰りやすい。何冊持って行っても構わないし、それはうちに通って読めばいい」
さらっと告げてからエルマーは赤くなった。
「あ……いや、だって重いから……」
自分の口から誘い文句がスムーズに出たのが恥ずかしかったのだ。そこに気遣い以上の他意はなかったが、相手がニコラという自分の婚約者であり、なんだか調子に乗って似合わないことを口走ったようで胸がどきどきした。
ニコラが吹き出して笑う。
「大丈夫よ、妙な意味がないのはわかっているから。ありがとう。お言葉に甘えるわ」
そう言うなり、分厚い本を開く。間もなく使用人がお茶の用意をしてくれ、2人の間には良い香りが漂った。




