05.恋とは
そんな日々が続き、2人は周囲からがり勉カップルと呼ばれていることに気付いた。そんなふざけた言い方は勿論嫌がらせだ。でも事実でもある。
リーンハルトではないが、貴族階級を鼻にかける家柄の中には、自分達より下位の貴族が優秀なことを妬む者もおり、これまでだってがり勉と言われたことがある。やっかみであり、意に介さずにいればそれもまた気に入らないらしい。そんな2人が揃って行動を共にしていれば、例え恋人ではなくてもそうからかわれて不思議はないだろう。おまけに恋仲かどうかの真実は別にしても今は『相思相愛の婚約者』という立場なのだから、周りからはカップルと認識されて当然。
そんな呼び方をも利用しようと、2人は昼休み以外も放課後の時間がある日に一緒に勉強をしたり図書館に通ったりした。これが次第に楽しくなっており、噂がどう変化しようと気にならなかった。
放課後の時間は短く、ニコラの迎えの馬車が来るとお別れだ。子爵家のニコラは学校からは少し離れた位置に住んでおり、毎日決まった時間に迎えの馬車がやってくる。
王都は治安がいいが、通学中に何かあれば学校の責任にもなり得るため、学校は馬車通学を薦めている。だがたくさんの馬車が同時に迎えに来ては渋滞になるため、それぞれに時間が定められていた。極めて近隣で男子生徒なら徒歩通学も可だ。ニコラの時間は終業後から丁度半時後。すっかり御者とも顔なじみになったエルマーは、いつも馬車までニコラを送る。その様子もまた、噂になっていた。
今日もニコラの馬車を見送ってから、エルマーは帰路に着いた。
エルマーの家は貴族の家が立ち並ぶ閑静な住宅街にある。学校や国立図書館も割と近く治安がいい。この距離でも馬車に乗る貴族が多い中、エルマーは許可を得て歩いて通学していた。
一度私室に帰り、カバンを置くとそのままニコラから返された本を戻しに向かう。
ライマン家は文官を多く輩出した家系で、現当主の母親含め、歴代の勉強家が集めた本が大量にある。
年子の兄が少し病弱で、それ故に幼い頃から放置されがちだった彼はこの図書館にこもり、片っ端から本を読み漁った。成長した兄が落ち着いた頃にはすっかり本の虫になっており、家族は仰天した。放置の詫びに望みを聞くと言われたエルマーは、図書館の中に私室を設けることを望んだ。家族は悲しみながらもエルマーの希望を叶え、本人は飛び上がって喜んだ。食事の為に本邸を訪れる以外は図書館で過ごす生活を送る。その結果、彼もまた文官の道を進むことになったのである。
立ち並ぶ本棚にニコラに貸した本を戻しながら、ふと気が付く。
「兄さん?」
読書スペースとして設けているソファに兄の気配があったのだ。
「やあ、おかえり、エルマー」
1つ上の兄はエルマーと同じ赤毛だ。癖があるのも同じ。艶が少ないのも。ただ比べるとうねりが弱く、短く綺麗にそろえているため、エルマーのようなもっさりした垢抜けない雰囲気はない。身体の線も細いため、シャープな印象を与える。少し頼りないが優しくて良い兄だ。卒業してからは当主教育と配偶者探しの毎日である。
「ただいま。珍しいね。図書館にいるなんて」
「うん。少し暇つぶしに。お前、婚約者と出掛けず毎日真っ直ぐ帰ってきていいのか?」
「平日は放課後、少し会うことにしてるよ。そういえばこの前、国立図書館にデートに行った」
「デート!」
兄が驚いた表情をするので、ちょっと恥ずかしくなりながら訂正しておく。
「別に立場上デートになるだけで、普通に本読んでお茶して帰ってきただけだよ」
それでも兄はそわそわしている。嬉しそうだ。
この兄が、自分をとても心配してくれていることをエルマーは知っている。離れに部屋を作ってもらった時も、家族に呆れて出ていくのではないか、全て自分のせいだと泣きながら謝ってきたのは記憶に新しい。当然そういうことではなく、単純に本の側にいていつでも読みたかったからだ。
事情は説明して和解していると思っているが、それでもやはり引け目があるのか、常々気遣われている。事情はさておき、見た目も地味な弟の婚約を出来る限り祝福しようとしてくれている。過保護とは思うがありがたい。
「行先は地味だが、学生らしくていいじゃないか。彼女も成績優秀で文官になると聞いたが、本が好きなのか?」
「そうだね。好奇心が強いみたいで、気になったらすぐに調べたいみたい」
へえ、と兄が面白そうな顔をする。
「最近は星が気になってるみたいで、今うちにある本を少し貸している」
「ああ、それで少し抜けていたのか」
手元を見れば兄も星の本を読んでいた。とはいっても兄が読むのは星座の表などが付いていて誰でも星座を楽しめる入門書。
「星の話題、今盛り上がっているの?」
気になったので聞いてみる。
「いや、ふらふらしていたら空いている本棚が目に入ってね。気になってつい手を伸ばしてみただけだよ。久々に読むと面白いね。子どもの頃と違う気持ちになる」
そこで兄がアッと小さく声を上げて、立ち上がるとエルマーに向き直る。
「エルマー、今度、彼女をこの図書館にご招待してはどうだい?」
突然の提案に驚いて言葉を失っていると、興奮気味の兄が話を続けてしまう。
「本が好きなら絶対喜ぶと思うんだよね」
家に女性が来るなんてことは、幼い頃の家庭教師の先生以来だ。それも家庭教師はおばあちゃん。若い女の人なんて使用人くらいしかいない。
「む……無理だよ。まだ日も浅いのに家に呼ぶのって、押しつけがましくて気まずくないかな。それになんて誘うのさ」
兄だって恋人などいない。この国では男女共に病弱な者は避けられる傾向にある。子どもを望めない可能性があるからだ。残念ながら幼少期兄が病弱だったことはこの辺りでは有名。兄は婚約者探しが難航している。ロマンス小説を読んではため息をついているような彼は、歯の浮くようなセリフは知っていても、実際に臨機応変な言葉を使うことは知らない。
つまり、兄がそんな高等な誘い文句を知っている訳がないのだ。
ところがどうして。ちょっと右上に視線をそらした兄はポンと手を打ち楽しそうに答えた。
「彼女に本を貸しているのなら簡単じゃないか。『今度うちの図書館に、本を探しに来ないか』とかなんとか言えばいいんだ。彼女だって目当ての本をお前に伝えて持ってきてもらうより、自分で探せたら早いし楽しいだろ」
全く以って正論、そして友好的。エルマーは言い返せずに妙な顔になった。
「……わかったよ。上手く言えるかわからないけど、誘えそうなら誘ってみる」
「うん。その日はお菓子を用意しておくから、図書館の後は本邸においで」
読みかけだった本をエルマーにはいと渡して、兄は意気揚々と本邸へ戻って行った。
エルマーだって別にそれくらいのことは言える。ニコラと楽しく話せる自信も一応ある。デートだって出来た。だが、友達すら自宅に招いたことのない自分が、女の子を誘うのは些か勇気がいる行動だ。平常心で挑まないと妙な誤解をされかねない。構えてしまって、思い付きもしなかった。
「……悩むだけ気にしてるってことか。うーん……」
兄の背中が本邸の扉に消えていくのを眺めながら、思わず頭を掻いた。




