06.いつかの
ライマン家の客間にはゆったりとした時間が流れている。
2人の手元にはすぐに紅茶とお菓子が整えられた。今日の紅茶はいつぞやパティが教えてくれた茶葉。爽やかな良い香りに2人であれこれとテーブルの上のお菓子を選ぶ。オスカーもお菓子を用意していたが、パティの手土産もジャムとお菓子だったので、日保ちしない物は使用人が並べてくれた。
オスカーの紅茶コレクションを話題に楽しい時間を過ごしながら、パティはつい食べ過ぎる。手土産のお菓子は全て選りすぐりだし、用意されたお菓子も美味しい。オスカーは時折お菓子をつまみながら、そんなパティをにこにこ優しく見守った。
何度目かのお茶が注がれ、パティは我に返る。結構な量を食べた自覚はあった。
「すみません。私ってばまた……」
頬を赤らめるパティに対し、オスカーは笑顔を崩さない。
「気にしないで。最後に会ったのがお茶会のパティだから、元気なパティに会えて嬉しい。持ってきてくれたお菓子、どれも美味しいよ」
益々赤くなるパティが慌てて話し始める。
「オスカー様のお菓子もとっても美味しくて……あまり量を召し上がらないから、その分美味しい物をと思っていたのに、あんな量になってしまったの……」
もじもじするパティを前に、オスカーは僅かに目を見開いた。『少量だからこそ美味しいものを』というのはいつか母が言ってくれた言葉だ。少食であることを家族以外の人に、男らしくないと笑われず気遣ってもらえるのは本当に嬉しい。
「パティは優しいね」
ついに真っ赤になるパティに微笑み、オスカーは言葉を続けた。
「今日、本当は君に迷惑だろうかとか、断られたらどうしようとか少し不安だったんだ」
最後に会ったお茶会から数回、オスカーはパティに会えなかった。どんどん人が多くなる会でそっとその姿を探し続けた。
何回目かの会で、久々に現れた例の姦しいご令嬢につかまってしまった。周りの囁きの限り、お見合いが上手くいかなかったらしい。荒れ気味な彼女の耳にもパティとの事が届いたのか、しつこく聞かれた。当たり障りなくかわしていると、口角を片方だけ上げた彼女の口から衝撃的な言葉が飛び出た。
「あの方、いつもこそこそ最後の方にいらっしゃるし、どなたかとお話した次は必ず欠席なさるのよ。何度も話し掛けられると思っているのか知らないけれど、どなたも声は掛けないし、同じ方と2回お話しているのを見たことがないわ」
その言葉でオスカーは察した。お互いに参加歴が長いのに遭遇する事が少なかったその理由。自分が疲れて会半ばで帰る事が多かったからだと思っていたが、それ以外にも原因はあったのだ。全てはパティが参加を調整していたから。後半に来るのは紛れ込みやすく帰りやすいため。欠席の理由は、相手に噂が付かないように間隔をあけようとしていたから。しばらく来ていないのはこの前隣に座ってしまったから――きっと色々な事を考えてくれたのだろう。
申し訳なさと同時に息を飲んだ。会えない間に縁談が見つかったり就職を決めてしまうかもしれない。胸に冷たい風が吹いたオスカーの行動は早かった。
「――大事な事を教えてくれてありがとう。重要な用事が出来たから、今日は失礼するよ」
ぽかんとする彼女をそのままに、礼儀正しく礼をして会場を後にした。
「急に手紙を寄越して、お茶会の件を謝罪しながら、ハンカチ1枚の返却要求で家に呼びつけるなんて嫌な男だと思うだろうか、とか色々考えた。けれどそれしか理由が思いつかなくて……そちらに伺ったら大事だろうと思ったものだから」
返されたハンカチを手に遊ばせる。
「でもハンカチはただの口実。本当は会いたかっただけ。パティの気遣いを無駄にしないためにも個人的に会えればと思って」
赤い顔のままパティが固まる。
「手紙にも書いたけれど気が回らずすまなかった。君を困らせていたなら、なんとお詫びしていいかわからない」
パティはそれを否定し、嬉しかったと伝えたい。だが胸がつかえて言葉が出ない。首を僅かに横に振るのが精一杯だった。
「だから気にしないでと返事をもらった時は安心したし、今日来てくれて本当に嬉しいよ。僕ね、パティが好きだから、これから話す事情が嫌でなければお見合いを申し込ませてほしい」
笑顔のオスカーだが内心は緊張している。相手に安心してほしくて必死なだけだ。いつもみたいな気取った言葉もでてこない。
少しの間の後、ぱちぱちと瞬きしながらまだ真っ赤なパティが口を開く。
「我が家はお金がなくて、とても伯爵家に嫁げるとは……」
「問題ない。僕の家は僕の結婚は望んでいるけれど、お金にはこだわらない」
「こんなに太っていて力持ちで令嬢らしくないし」
「体型はパティの中身に関係ないし、力持ちで助かるよ。恥ずかしながら僕は力が弱い。ジャムの瓶を開けてもらえる」
「変な噂も」
「この家は誰も気にしない」
さっきの2人の言葉が頭を過って「本当に本当なんだ」とパティの心に温かいものが広がる。初めから彼の態度は柔らかいけれど貴族の家には不安が残っていた。
「僕の方こそ問題がある。幼少期の身体の弱さで『病弱伯爵と引きこもりの弟』と噂もあった。今は元気だけど相変わらず体力も力もない。加えて伯爵家とはいえ政治に関わることもまずないと思う。おまけに王都の屋敷はこの本邸だけ。さっき会った弟夫婦は2人とも文官で、ここが仕事に便利だろうからと離れと図書館を売ったんだ。敷地内同居は一般的には微妙な条件だと思う」
真っ直ぐ見つめる笑顔のその人の手の震えにパティは気付く。緊張しているのだ。
「僕自身には何もない。だから、これがパティにとって良い縁談である自信がない。当然、気に入らなければ断ってくれて構わない。ただ、パティの問題であるお金は心配しないでほしい。『もし妙な病で僕が儚くなっても、嫁いできてくれた人に一切の苦労を掛けない』、家族と決めた約束だ。ライマン家は死別後のパティに相当額の財産分与を約束するよ」
秘密ではないが、誰もがこの話に進む前にオスカーから離れるため、誰にも話した事がない。人をお金や条件で釣りたくないと思いつつ、出来る限り長く一緒に居たい人の不安を除くために、これを提案しないといけない事が悲しい。
「……良いと言える条件はこれだけ。情けない次期伯爵で申し訳ないけれど、本当にパティが好きなんだ。僕は君を素敵だと思う。美味しそうに食べるのも可愛いし、素直で優しくて、パティが一緒にいてくれると楽しくて元気が湧いてくる。こういう気持ちが初めてで上手に言葉も見つけられないけれど……一緒に居たいんだ」
誰と話しても同じような貴族の日常で、たった1人だけこんな気持ちになった相手がパティだった。
胸に灯った蝋燭の火が恋かどうか理屈をこね回した日もあったが、気が付けば温かくて明るいそれをずっと見つめていた。穏やかに温かい火。それが消える可能性を知った時、オスカーは冷たい風から火を必死で守った。答えは明白だった。
もっと話してもっと笑顔が見たい、叶わなくてもこの気持ちを伝えたい。どうせ失うなら言葉にしてからがいい。その贈る言葉すら綺麗に飾れず、貴族失格だとしてもそれどころではなかった。
オスカーを見つめるパティの瞳から涙が零れる。パティも胸がいっぱいで、勇気を出してくれたオスカーに伝えたいことがたくさんあって、どう伝えていいかわからない。慌てて席を立ったオスカーが跪いてハンカチを差し出す。
「……すみません……あの……ありがとうございます。嬉しくて……」
滲む視界に赤毛が揺れる。
「私も今日お会いできるのが楽しみだったの。話し掛けて下さるのも本当に嬉しかった。以前、上手にお伝えできなかったけれど、オスカー様には優しいという取り柄があります。噂多い貴族社会で、それを抜きに相手に接する穏やかさ。あの時からずっと私はそれに救われています。……お別れのお話なんて寂しいこと仰らないで……。こんな変な私で皆様にご迷惑でないなら、畏れ多くも喜んでお受けします……」
溢れる彼女の涙をハンカチで押さえながら、ありがとう、とオスカーも涙を滲ませた。
こうして2人はお茶会を卒業した。一部には『病弱伯爵と頑丈妻』と笑われたが、頼れる妻だよと惚気た上で、凸凹で丁度いいという褒め言葉かなと笑顔のオスカーが一蹴した。どんな時も誰に対しても穏やかだったオスカーが微笑めば、もう誰も何も言えなかった。
見合いまでの間、オスカーはパティからあの日弟夫婦が珍しく手をつないでいたことを聞いて茶化して、エスコートを茶化し返されたりして、穏やかな日々を過ごした。弟夫婦は勿論、両親もパティを大歓迎し、パティも気取らないライマン家にすぐに馴染んだ。
見合い当日のパティはそれは豪華だった。ブルネットの巻き髪も見事だったが、一番はドレスのフリルだ。本人はふんだんにあしらわれた飾りの奥で恥ずかしそうに縮こまっていた。
クレンク伯爵夫妻は念願の見合いに緊張してか、夫人など始まってすぐに感極まって泣き出す始末だった。始終恐縮していたパティはオスカーと2人きりになった途端、大きなため息をついた。
「申し訳ありません……」
「気にしないで。ご両親は本当に君を大事に思っているんだね」
「ええ……恥ずかしいくらいに。ドレスも目一杯可愛く見えるようにって……」
目を細めて笑うオスカーに、パティは遠慮がちに確認する。
「……本当に宜しいの?」
「勿論。例えば仮に君から申し込まれた話だとして、僕には断る理由がないんだ。受ける利点は大きい。条件だけでもパティは充分過ぎる。身体は丈夫で可愛くて、明るくはつらつとしていて優しくて。僕の方が金銭面を除けば決していい条件じゃないけど、どうかな?」
どこか似ていて似てない兄弟が時を変えて同じような言葉を話している事を誰も知らない。
まじまじと見つめる間もなく、彼女は満面の笑みで了承の意を示した。
※ルビ・傍点が表示されない方へ
以下のように ○○には△△ というルビ・傍点がふられます
でもハンカチはただの口実→「ハンカチ」に これ
番外編もこれにて終了です。お付き合いありがとうございました!




