03.似た者同士
翌日、ニコラのクラスをエルマーが訪れた。
「昼を一緒にと思うんだがどうかな」
ニコラは昼は図書館に行く予定だと断ろうとして、誰かの視線に気づく。
「ええ、良いわ。中庭でどうかしら」
教室を後にする2人の背中を見送りながら、赤毛の毛玉同士の噂は本当だったのだと教室中の全員が内緒話をしている。
「聞こえてるわ」
「それにすごく見てたね」
ニコラを見ていたのはアンゼルマだ。観察しているのだろう。
昨日あの後、2人は熱心に作戦を話し合い、お互いの両親にこの婚約を受け、最短日で結婚すると報告した。最短日は卒業式の1週間後、成人の儀の翌日だ。あまりの早さにそれぞれの両親――特にエルマーの――は面食らったが、お互い地味な見た目で文官の道へ進む者同士、気が合ったのだろうと納得して、結婚式の日も含めた全てを、婚約を預かる貴族院へ提出した。こうなると他人がこの婚約に横やりを入れるのは難しい。きちんとした理由がない限り、自分の評判を落とすだけだ。
2人の狙いは『噂の通り仲睦まじい』ところを見せつけること。嵌めてやったと思っているであろうあの2人が、どんなに悔しがっても婚約を破棄できない状況を作り上げて、そのまま逃げ切ることだ。幸いなことにお互い結婚に幻想を抱いてはいない。すり合わせた条件は問題なく、あいつらの思い通りになるのが嫌だということも共通していた。共同戦線として、婚約と結婚を決めたのである。
勿論、2人は本当の恋人同士ではないのだから、いつか小さな齟齬で意見が合わなくなっても当然。この婚約を第三者が崩すことは極めて難しいが、とある例外で当事者の2人が壊すことは可能。それには傷を伴うが、最悪の場合はエルマーだけが責を負うように仕向けられる。そこまで調べた上でエルマーはニコラに作戦を持ちかけていた。
幸いにも2人とも弁当派だったので、中庭に着くとすぐに昼食が始まる。更に奇遇なことに2人ともロールパンのサンドイッチだ。
「奇遇だね。手が汚れにくいからかい?」
パラフィン紙に包まれたパンはロールだがバターが少なく油染みはほとんどない。
「ええ。それに早く食べ終わるから……あなたも?」
「僕はいつもここで本を読みながら食べるから」
「やだ。お行儀が悪いわ」
そう言って呆れたようにニコラは笑った。おかしなことに具材まで似ていた。本にこぼさないように、とエルマーがいうとニコラも頷く。本当に似た者同士なのかもしれない。
「食べ終わったら図書館に行きたいのだけれど、失礼しても?」
残り少ないサンドイッチを一気に食べて、エルマーが返事をする。
「勿論。一緒にお昼を食べていただけで充分だろう。でも一緒に行こうか。図書館には何を?」
「ええ、天文学の本を見に行こうと思っていたの。最近気候が変化して、星座の見え方が変わったの。それで少し気になることがあって」
「天文学の本なら学校の図書館よりたくさん持っているから、足りなければ今度貸そうか。大判の図録もある」
ニコラは驚いた。図書館よりたくさんの本があるお家だなんて、ニコラには想像もつかなかったからだ。
ニコラの家は普通の子爵家だ。ニコラ自身は勉強が好きだが、兄も妹も普通、両親も普通。3人兄弟では思ったように本も買えず、ニコラは図書館に助けられてここまで学習していた。
「……いいの? 大事な本なんじゃないの?」
「別に。兄ももう読み終えているし、僕も天文はもういい。星座の位置も役割も現象も理解した。君が気にしてる現象の正体も、なんとなくわかっている。お探しのことが学べる本は家にあるよ」
ますますニコラは驚いた。成績だけで言えばニコラの方が上だ。エルマーに抜かされたことは、熱を出してテストに挑んだ1度しかない。それなのにエルマーはニコラより詳しいようだ。
「あなたって……変な人ね。昨日から驚きっぱなしだわ。その本、貸してくれるなら、今日は図書館に行くのを止めるわ。私とじゃ楽しくないかもしれないけど、少し話さない?」
目の前の赤毛のブロッコリーにニコラは興味を抱き始めていた。
その次の日の昼も2人は中庭のベンチに並んで腰かけ、似たような昼食を広げていた。
「この本、昨日読みたがっていた天文学の本だよ。ゆっくり読んでいい」
「ありがとう」
受け取った本は随分な厚みで、パラパラとめくると細かい字が流れていく。ニコラは読むのが早い方だが、これはやはり時間がかかる。察しての気遣いがありがたい。
「途中に図解が入っている。それだけで充分なんだけど、図解に興味があったら図解中心のおすすめ本も持ってくるから、声をかけてくれ」
目を輝かせるニコラを余所にエルマーはもう食べ始めている。
「本当にたくさんあるのね。やっぱり伯爵家は凄いわ。うちなんて小さな図書室に実用的な本が詰まっているだけよ」
「実用的な本?」
「ええ。簿記や経理や法律の本、土壌、植物、金属や宝石……全て領地の経営に関係があるものばかりなの」
そこの本を読めば学校でもそこそこの成績が取れる程度には揃っているが、ニコラの知識欲には全然足りない。エルマーの家がうらやましくなる。
「そうか。うちは母が本が好きでね。僕と君が結婚したら図書館はくれるっていうから、僕に本がついていくことになる。良かったね」
人の気配を察してか、エルマーが急に恥ずかしいことをいう。
「それじゃ私が本目当てで結婚するみたいじゃない。嫌よ」
「別にいいさ、それでも」
ニコラが「止めてよね」と笑うと近くを猫が走って行った。人間ではなかった。暫くはエルマーも猫の姿を目で追っていたが、お互い猫を見ていることに気が付きにやりと笑う。
「余計なことするとあれだから、普通にいこうか」
「そうね。私たちに甘い空気を出せとか、無理なことだもの。第一、地味で有名な私たちが棒読みでお互いに愛を囁いていたら軽くじんましんだわ」
エルマーは少し吹き出した。
「だってそうでしょ。先生に降霊術とか怪しい薬の心配されたらたまらないし、あんまり不審な態度は余計怪しまれるわ」
そうだね、とエルマーは頷く。ニコラは安心した。演技は苦手だ。
「ところで、食べ終わったら次のテストの件で相談があるんだけど、いいかしら?」
「僕に負けてくれるって話?」
「ばかね」
そう言って2人同時に残りのパンを口に放り込む。
心が弾むようなことはないが、1人の時よりほんの少し有意義な昼食の時間があっという間に流れて行った。




