03.紅茶
オスカーはお茶会の会場を見渡す。今日も例の喧しいご令嬢は不参加のようだ。婚約でもまとまってくれていれば安心なのだが。そう思いながら挨拶をして回り、数人のご令嬢と歓談する。
顔見知りのご令嬢は皆『友人』。オスカー自身も彼女たちの判断を尊重し、気楽な関係でいてくれることに感謝している。
和やかな時間が流れるがどこか集中できない。会話の合間に目をやる会場に、探し人の影はなかった。
結局適当な時間に会場を後にした。家路につくも落ち着かず、前回のお茶会で飲んだ紅茶を求めて、茶葉の取り扱いが多い店に向かった。ニコラに教えてもらった店は、いつも良い香りが満ちている。
棚の前でサンプルを見ていると、パトリツィアにばったり出会った。
「やあ。こんにちは」
「あ、こんにちは……」
驚いた彼女がすぐに笑顔になる。今日もまた1人で、さっぱりしたワンピースを着ていた。この前よりおしゃれだが伯爵家のご令嬢には見えない。
「オスカー様もお買い物を?」
「ええ、先日一緒にいただいたお茶を探していて」
「あれは……こちら。美味しかったもので、ご夫人にうかがって私も買いましたの」
「助かりました。ありがとう」
と、別れそうになってオスカーはふと思いついて彼女をお茶に誘った。「茶葉を教えてくれたお礼」だというと恐縮しながらも応えてくれた。好都合なことに、この店にはカフェが併設されている。
お茶を片手に、2人はすっかり打ち解けて会話が弾んだ。パトリツィアは少し恥ずかしそうにワッフルも頼み、嬉しそうに紅茶やジャムの話をする。はきはきした口調も明るい笑顔もお茶会の時より大分華やかに思えた。
ワッフルが届くと同時に、どこかのご令嬢が席に案内されるのが視界の隅に入る。その途端、ワッフルに満面の笑みを浮かべていた彼女の顔がすっと控えめに変わる。
どうしたのかと見つめる先のパトリツィアが口を開いた時、口調はお茶会のそれに戻っていた。
「失礼を。浮かれてしまいました……。先日のお茶会も、周りも気にせず目立つような振る舞いをして申し訳ありません……」
思わず眉を寄せかけるオスカーだが、誤解を含む表情をするのは失礼だ。「大丈夫」と伝えると、彼女は言葉を続けた。
「お恥ずかしいのですが、私にはあまり良くない事情があるのです。オスカー様より歳は1つ上で、働いてもおりません。力持ちでよく食べ、令嬢らしいところが何もなくて……」
縮こまる様子を気の毒に思うが、彼女の事情は例の噂以外ほとんど知らず、正しい慰めがわからない。悩んだ末、オスカーは素直な気持ちを口にした。
「事情はそれぞれだろうから、とりあえず僕のことは気にしないで。僕こそいい話はない。貧弱で男らしいことは不得手。取り得は寝込んだ間に練習した字が少し綺麗なことくらい。優秀な弟とも似ているのはみっともないと言われる赤毛だけ」
にこにこ笑う先の相手の瞳が見開かれて揺れる。
タイミングよくワッフルの良い香りがふわりとただよった。彼女は何か言いたげにオスカーを見つめていたが、オスカーは冷めないうちに、とワッフルを勧めた。
切り分けたワッフルを口に運ぶ前にパトリツィアの震える唇が言葉を漏らす。
「……私は、綺麗だと思うわ」
「なに?」
カップを下ろして聞き取れなかった言葉を訊ねると、彼女は泣きそうな顔で笑う。
「髪の色、紅茶みたいで綺麗だと思うわ」
今度はオスカーが目を見張る番だった。弟と2人、ぼんやりふわふわした髪が嫌いだった。憂鬱に思っていた色をそんな綺麗に例えてもらったのは初めてだ。弟の妻も似たような色だが、彼女は菫色の瞳と知的な雰囲気が相まって凛として見える。弟がニコラは図書館の魔女だよなんて冗談を言うのも納得である。
「そんな風に褒めてくれたのはパトリツィア嬢が初めてだ」
「……私、紅茶が好きでたくさん集めているの。オスカー様の髪色によく似たお茶もあるわ」
「黄色? 緑?」
「緑……」
「奇遇だね、僕もだ」
メーカーのパッケージカラーの話だが、これで通じたのも初めてだ。
オスカーの笑顔にパトリツィアも安心したように笑ってワッフルを食べ始めた。
令嬢らしいところがないと言っても、育ちが良いのは明らか。仕草も食べ方も綺麗、おまけに美味しそうに食べる。健康的な彼女の様子は見ていて微笑ましい。型破りという意味では令嬢らしくないかもしれないが、オスカーは気にならない。構えず気取らず、他の誰より彼女と話すのが楽しく心が弾んだ。
楽しい時間はあっという間で外はもう夕方だった。先の会話で行きも帰りも歩きだと聞いていたオスカーが馬車で送ると提案すると、真っ青になって慌てながら断られた。とはいえオスカーだって夕暮れの中を女性1人で帰すわけにはいかない。しかし無理に送っても困らせるようなので、門の前までという条件で馬車を貸すことにした。
「今日はありがとう。遅くまですまない。……あなたが僕の髪色を綺麗だと言ってくれたように、あなたを素敵だと思う人がいる。だからあまり気にしないで」
「ありがとう」
「また会えるのを楽しみにしてるよ」
彼女の笑顔を確認してから、オスカーは御者に声を掛けた。馬車はゆっくりとクレンク邸へ向かった。
馬車を見送る背中に声がかかる。振り向くと路肩に停めた弟の馬車からニコラが顔を出していた。夫婦で出掛けたはずだが1人だ。
「エルマーは?」
「本屋よ」
2人は読書家だ。お似合いではあるが、弟がそうなった原因が自分にある兄は些か申し訳なく思う。
「何と言うべきか……マイペースで済まない」
「いいの。私の本も頼んだから。良かったらいかが?」
辻馬車でも歩きでもと思っていたが、ありがたく同乗させてもらうことにした。
馬車が走り出すと同時に、ニコラはオスカーに声を掛けた。
「お茶会はどう?」
「うん、いつも通り……女性同士の問題が少しややこしくて……」
二コラは眉をしかめ、眼鏡の奥の細い瞳を更に細める。
「巻き込まれているの?」
「そこまでは。けど状況は厳しいかな……どうしたらいいか考えないと」
実はニコラはオスカーが誰かに貸した馬車を見送るのを見ていた。そして先日夫から聞いた件かと察する。付き合いは浅いが、夫と全く違ってどこか似ている義兄の優しさはわかる。馬車を貸した相手へ、彼の中で答えが出ている事も。
真面目な顔でニコラは口を開いた。
「義兄さんが攫っちゃうつもりなら、そんなの相手にしなくていいと思うわ」
驚くオスカーを相手にせずに続ける。
「妹の付き添いでお茶会に出たけれど、お茶会ってマナーの影に隠れて汚いから嫌なのよね」
――そういえばニコラの妹の縁談をまとめたのはニコラだと聞いた。結婚式に参列した彼女の兄は眼鏡をかけた彼女に似ていて、妹は眼鏡を外した彼女をもっと華やかにした明るい子だった。きっと人気でやっかみも多かっただろう。
「面倒なそれらが全く介入できず、何にも聞こえない、2人の世界を作っちゃうのはどう」
ニコラは真顔だ。ロマンスには縁遠いと夫婦で自嘲し合っていた義妹の口から、理想的かつ積極的な言葉が出て、オスカーは心底驚いた。
「君がそんな挑戦的な事を言うなんて少し意外だ……」
あら、と魔女は笑う。
「エルマー譲りよ」
※お茶のパッケージ情報は架空です。販促の意図はありません。




