01.お茶会
オスカー・ライマンは庭を眺めて小さく微笑んだ。
身体が弱かった幼少期の自分のせいで、1つ下の弟のエルマーには寂しい思いをさせたと思っている。大きくなってからも変わらず図書館に引きこもりがちなのも、自分のせいだと。
いずれ家を出る弟に、出来ることをしてやりたいが本人は本以外のものを欲しがらない。結婚まで自分が先にしては、と思って消極的だったお茶会への参加。家を継ぐのは自分だから大事なのだが、弟の良縁が決まり次第とのらりくらりしていた。
そんな大切な弟が結婚したのは半年前。弟の妻のニコラは弟と同じく賢く、弟よりしっかりしたお嬢さんだ。たまに一緒にお茶を楽しむが夫婦仲は良好らしい。婚約が決まった頃、誘い文句ひとつで悩んでいた弟が急に髪型を変えた時は驚き喜び、一気に大人びたと寂しくも思ったが、結婚式の日にそれまで淡々としていた新郎新婦が誓いのキスで急に真っ赤になって固まったのを見て、ちょっと安心してしまった。2人が上手くいっているなら何よりだ。
オスカー自身もそろそろと思ってはいる。しかし、母親から尻を叩かれ、お茶会をやたらと増やされて早数ヶ月。オスカーは『お茶会』に疲れていた。疲れやすいオスカーは会半ばで切り上げる事が多かったが最近はそうもいかない。早帰りすれば母親から小言が降ってくる。間もなく学生の婚約ラッシュと新しい子たちの参加の時期でもあり、少しばかり目をぎらつかせた女性が増えてきた。伯爵家であればいずれ議会に首を突っ込む機会もあるだろうと、ここしばらくはどこに行っても囲まれ、きゃあきゃあと話をされ、些か食傷気味だ。
本人がのらりくらりしていたのもあるが、かつて病弱であったオスカーの婚約者探しは、現実問題として難航している。
オスカーは秋波を送ってくるご令嬢には必ず、病弱であったという話をする。噂を知る人でも必ず自分の口から伝えた。現在のオスカーはほぼ健康体だが体力には自信がない。未知の病に侵された時の抵抗力は常々健康な人より弱いかもしれない。早死にする夫など気の毒でならないと思うからこそだ。気になる家はそこで離れていく。
加えて最近は伝える事が増えた。実家の敷地内には弟夫婦が住んでいる。揃って文官の彼らは貴族の仕事には興味がなく、今住んでいる離れと母が与えた図書館も、分与ではなくきちんと金を払うと言ってくれている。律儀な2人でオスカーは大歓迎だが、弟夫婦により敷地は狭くなる。世間一般の貴族のご令嬢方の考える『貴族の嫁入り』とは異なるこの状況を受け入れてくれる人ではないと厳しい。
こうした事情、あまり華やかではない見た目、本人が積極的に口説く様子がないことから、話は縁談には進まない。多くのご令嬢はオスカーの事は友人として認識するだけ。
結婚すべき立場なのは理解しているが、オスカーにとって大事なのは家族だ。血のつながりがある家族も、新しく家族になってくれる女性も、幸せにしたいからこその考えである。それだけは譲れない。
視線の先には仲良く連れ立って図書館へ向かう弟夫婦の姿があった。2人とも幸せそうで良かった、心からそう思う。
今日もまたお茶会に参加して女性に囲まれる。今日はここしばらく喧しかったご令嬢がおらずにほっとした。
お茶会の参加者は特に模範的な紳士淑女である必要がある。誰もが主催者と家の名を背負って婚約者を探しているのだ。常に礼儀正しくしていないと評判に関わる。とはいえ水面下の多少のやり合いはある。いざこざは静かに火花を散らすのが普通だ。
件のご令嬢はルールに触れるような言動が多く相手が難しい。上手にあしらえずオスカーは辟易していた。
オスカーは彼女のようなタイプが苦手だ。贅沢を言える立場にはないが、そもそもこれまで散々値踏みされた事もあり、攻撃的で打算的な女性はあまり好きではない。難航しているとはいえ、何回かその手の女性に迫られた事もある。その度に複雑な気持ちは募っていた。結婚という責務のために、条件や利害や妥協点を見つけてただ間を取る、そんな将来が虚しく思えて仕方がなかった。
彼女がいない分、多くの人との交流が叶い、あっという間に会は後半だ。今度上映される新しい電気灯の学習プログラムの話を楽しんでから、新しいお茶を求めて席を立つ。
紅茶好きと名高い夫人が主催の今日の会はテーブルごとに異なる茶葉、それに合うお菓子が用意されている。参加者は好きな席に移動できた。
あっさりしたものを求めてテーブルに向かうと、人の少ないそのテーブルの反対側に女性がいることに気が付いた。
ボリュームのあるフリルのドレスに毛先を緩く巻いたストレートのダークブロンド。あまり見かけないが、少しふくよかな彼女はいつも1人で、ご令嬢方から陰口を囁かれているその人だ。お菓子を熱心に口に運んでいる。
なんとなく声を掛けた。
「こんにちは」
一瞬びくりとした空色の瞳がそっとこちらを見る。
「……こんにちは」
食べているところを見られた気まずさか、目を逸らされる。
「そのお菓子はこの紅茶によく合いますか?」
「え、ええ。夫人のご趣味は素晴らしいと思います」
手に持っていたケーキとビスケットの乗る小皿を下ろしながら、彼女はうつむいた。お茶会には珍しい消極的な雰囲気にオスカーは少し興味を持つ。
「お隣に座っても宜しいですか?」
「……どうぞ」
許可はあるが、すぐ隣に座るのも気が引けたオスカーは椅子1つ分空けて腰かけた。宜しければ、とビスケットの大皿を差し出してくれる。
「ありがとうございます」
1つつまむとミルクの香りが口中に広がる。美味しいと思って頷くと彼女が淡く微笑んだ。
「紅茶が控えめだから、シンプルなお菓子を揃えていらっしゃるみたい……シフォンケーキは爽やかなレモンピール入りで……」
「へぇ」
ぽそぽそと恥ずかしそうにお菓子を紹介してくれた。
「それでは、シフォンケーキを取っていただけますか?」
こくこくと頷いて、彼女はオスカーから遠い位置のシフォンケーキを一切れ取り分けてくれる。
「ありがとうございます。自己紹介がまだでしたね。僕はオスカー・ライマン。ライマン伯爵家の長男です」
淡い色のシフォンケーキはふわふわとフォークを飲み込んでいく。
「あ……私……パトリツィア・クレンクと申します。家はあなたと同じ伯爵家。勝手にお菓子を紹介してごめんなさい。私、美味しそうなものに弱くて……」
真っ赤になる様子にかつての自分が重なる。妙な見舞いや慰めは、相手の委縮を招く事がある。おまけに彼女にも嫌な噂はある。だからオスカーは穏やかににこにこと笑うだけにした。
シフォンケーキは爽やかな風味を残してしゅわりと口に溶ける。
「うん、美味しい」
居住まいの悪そうだったパトリツィアの顔が安心したようにぱあっと明るくなる。オスカーが紹介に礼を言うと、柔らかくはにかんだ。レモンの風味や添えてあるクリームのことを話しながら、あっという間に一切れ食べてしまう。
「……ババロアもありますけれど、いかが?」
「ありがとうございます、でも今は結構です。僕、元々病弱なもので情けないことに1度にあまり食べられなくて。……なので、先程のビスケットをいただいても?」
誘いを断るのも残すのも失礼だ。だから調整のきくビスケットを選んだ。彼女も意図を理解して笑顔でお皿を取ってくれた。それをつまみながらしばらく話し、紅茶が空になったところでオスカーは席を立った。
「今日はありがとう。おかげで楽しかったです。是非また」
ほんの少し頬を赤らめてぺこりと頭を下げるパトリツィアはとても可愛かった。
それから3日後。オスカーが街を歩いていると、呼び止める小さな声が聞こえてくる。振り返ると、そこには小瓶をたくさん入れた紙袋を抱えたパトリツィアがいた。先日は気が付かなかったが立つと随分と背が小さい。髪も巻かず、簡素なワンピースだからか小柄にも見えた。
「ああ、こんにちは。すぐに気が付かなくて失礼を……」
「いいえ、あの――」
もじもじした様子のパトリツィアの頬はほんのりと赤い。
「先日はありがとうございました! ……あの日きちんとお礼も言えずに大変失礼致しました……その……あのあと大変ではありませんでしたか?」
“大変”というのは彼女の噂関係だろうか。1人でいたからまさかとは思ったが、やはりあの噂は本人の耳にも入っているのだとオスカーは確信する。
「何も。今日はお買い物ですか?」
「ええ、ジャムを……」
恥ずかしそうな顔で彼女は笑う。話し方の雰囲気もお茶会とは少し異なる。その印象に興味を持つと同時に、ジャムの瓶が重くないのかと気になった。
「お手伝いしましょうか?」
「えっ。大丈夫です。小さな瓶なので……」
でも量が結構ある、と言葉を続ける前に彼女は包みをぎゅっと抱きしめる。
「私、力持ちなのでこれくらいなら。お引き留めして失礼致しました。それでは」
呼び止める前に、案外足の速い彼女はどんどん遠ざかって行ってしまう。ぼんやりとその背を見送って、少し残念な気持ちで家路についた。




