24.お終いと始まりと続き
リーンハルトは唇を噛む。
いつぞや妖精のように可憐な少女を妻にと望んだが叶わぬ願いだった。正論で堂々と断った妖精の姉、学校始まって以来の才女と謳われた地味な女ニコラ。それからずっと好ましく思っていなかった彼女を、同様に目障りなエルマーと婚約させて苦しめたと思ったのに。結果的に苦しみ、愚かさを実感したのは自分だった。
視線の先にいる彼女はあの妖精に少し似ている。姉妹だから不思議はないことだが、先日までのニコラからは想像もできない変身に目を見張り、その隣に立つエルマーとの空気に言葉を失う。周りも皆同じだった。
同時に自分自身を情けなく思う。頼まれ事に子どもじみた私情を挟んで得意気になったことが恥ずかしい。人2人の人生を変えた、とんでもない行動だったのだ。疑念を振り払わずに省みて、気が付き詫びるべきだった。今の今まで気が付かない愚かさに眉が寄る。
「いいや、僕ではないよ。文官の成績が1番だったことは公表されているけれど、今年の新成人には優秀且つ身分が高い彼がいる」
エルマーがすっと動かした視線の先にいたのは、気まずそうなリーンハルトだった。
目が合ってすぐ、つかつかと2人の前に進んだリーンハルトが腰を折って詫びた。
「すまなかった」
何を、とは聞かずにエルマーが薄く笑う。
「いいえ、あなたが女性に優しいことは皆が知っていることですから」
その回答の意味を察し、リーンハルトの眉が下がる。
「やはり君は食えない男だな。言外に笑われている気になった」
「ええ」
珍しくエルマーが本音を隠さなかった。ニコラがそっと突くも表情は変わらず、細めた目には僅かな怒りが揺れていた。
「タウベルト嬢も、いつぞやの妹君への求婚の件から失礼した……君と妹君の幸せを祈ろう」
「ありがとうございます」
ニコラはこれを素直に嬉しく思う。自分の幸せを祈られても腹立たしいが、妹を本気で諦めてくれるこの言葉は何よりだ。諦めずに愛人だなんだと言われても困ると思っていた。
「何にせよ、あなたのおかげで私たちは幸せなので、こちらからもお礼を?」
エルマーの嫌味にリーンハルトはゆるく首を横に振る。
「いや、いい。本当にすまない。君たちには敵わないどころか、そもそも僕が愚かだった。何かあれば公爵家に手紙をくれ。出来る限りのことをしよう」
エルマーとニコラは同じタイミングで同じような笑顔を浮かべた。目的は達成された。リーンハルトの誠意はその証明だ。これ以上彼を責める気もない。
「ありがとうございます。お手紙を出さなくて済むように努めます」
ここまで来ても勝てない、美男子は何とも言えない情けない表情を浮かべた。
だがこれを聞いて収まらなかったのはアンゼルマだ。折角の嫌がらせが無駄に終わったことも、リーンハルトがそれを受け入れたことも、リーンハルトが子爵家の妹に懸想したというのも、あの程度の容姿で注目を浴びることも、全てが許せない。
人にうらやましがられる幸せな婚約も、仲睦まじい婚約者も、身分違いの美男子に求められる誉も、自分にはないものばかりがそこにあった。
このまま見ていることは平和で簡単だ。だがそれも負けたような気になる。アンゼルマのケチを知る人達がこちらを窺っているのだから。最後のプライドでわざとらしく祝いの言葉でも投げつけて、少しでも優位に立ってやろうと余裕の笑みを貼り付けて勇んで向かって行く。
「どなたかと思えば、エルマー・ライマン。お久しぶりね」
ニコラとエルマーは目を合わせ、リーンハルトは彼女の発言を予想しため息を飲んだ。この2人が大人で救われた自分が窮地に立たされるかもしれない。覚悟は出来ているが、目を覚まさなかった彼女が気の毒に思えた。
「レーガー嬢、成人おめでとうございます」
あなたとは関わりがない、その意思表示にアンゼルマのプライドにひびが入る。
「……随分と仲が良さそうですけれど、良いご縁があったようで何よりですわ」
「ええ。ラングハイム氏のおかげで」
エルマーの声はどこまでも冷たい。
「ニコラさん、あなた派手に――」
何と言うべきか、アンゼルマは言葉を継げない。
「派手かしら? この場にはこれくらい適切ではない?」
ニコラの声も冷たいが熱を持っている。
「ま、まぁそうね。あの地味な外見からお変わりになって……」
「そうね。在学中は校則に従っていたけれど、卒業したからおしゃれをしようと思って。もう大人だもの」
変わらない熱量の正論にアンゼルマの腹立たしい気持ちがせり上がる。
「でもそのドレス、流行遅れではなくて?」
「レーガーさん。あなたの好みじゃなくても、恥ずかしい格好で歩いているつもりはないわ。自分に似合うものを探す。流行でも似合わないものは選ばないわ。これを着た私を褒めてくれた言葉が嘘だと言うなら、それは侮辱よ」
いつかの仕返しにアンゼルマのプライドが大きくひび割れる。ニコラの真意を理解できた者は息を呑む。
ニコラは真っ直ぐにアンゼルマを見る。
「あなたにお礼を言わないといけないわ。私、負けず嫌いなの、とっても」
穏やかさの裏の迫力に気圧されてアンゼルマが息を詰まらせた。
「どうもありがとう」
微笑むニコラの強さがアンゼルマのプライドを折った。ニコラが手に入れられないものを持っていた自分は、ニコラと違って何も手に入れられなかったのだ。
震えるアンゼルマの背をリーンハルトが押した。ぎゅっと唇を噛んだ彼女はそれ以上何も言わず、友人たちの輪へ戻って行った。
子爵家にニコラを送る最後の馬車。2人は計画の成功を祝って大いに喜んだ。
「やるね、ニコラ」
何を示しているか、ニコラにもわかる。
「ありがとう。嫌ね、段々あなたに似てきたわ」
顔を見合わせて笑う。ひとしきりはしゃいだあと、満足気にため息をついた。
「あとは明日か」
エルマーがぽつりとつぶやく。
「明日?」
「結婚式だよ」
ああ、とニコラが大きく腕を伸ばす。お行儀が悪い、とエルマーが腕を下げさせる。
「どうする? ニコラ。今ならまだ逃げられる」
「どこへよ」
呆れたようにニコラが笑うとエルマーも笑った。
「『結婚前日に大喧嘩』って作戦。まだ出来るよ。さっきのあれも材料になる。僕が頼りないってことにすればいい」
ニコラはゆるゆる首を振る。
「遠慮するわ。私はあなたと一緒が良いの」
「そう? それはありがたいね。図書館以上の価値を僕に見出してくれたのは本当だったか」
冗談めいた言い方に、顔を歪めた彼女がぷいとそっぽを向く。
「ごめんごめん」
お詫びに僕の初めの給料で好きな本を贈るよ、というとニコラはにやりと振り向いた。
「敵わないな」
困ったように優しく笑い、エルマーは遠慮がちに確かめる。
「本当に、こんな婚約でいいの?」
「こんな婚約でもなければ、あなたのこと知らないままだったし、良いんじゃない? こんな婚約だからこそ」
微笑むニコラの先の瞳にはわずかに涙が光る。
「あの時の言葉を撤回はしないけれど、あなたのおかげで楽しいし、これからも大丈夫だって思うのよ、こんな婚約で」
きっかけは癪だが今更どうでもいいと思えるのはエルマーのおかげだ。
「それに、私あなたに負けていられない。人生の最期にどっちが好きになってるか、勝負よ、エルマー」
華やかなロマンチックは縁遠くても仕方がない。何しろこんな2人だ。だからこそ楽しい。
改めてプロポーズでもと懸命に脳内で引いていた世辞句の辞書を明日に放り投げ、エルマーが笑った。
「望むところだよ、ニコラ」
これにて終了です。地味ップルにお付き合いありがとうございました。
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