23.卒業式から
今日はついに卒業式。首席のニコラは卒業生代表の挨拶を任されている。在学中、1度も変えなかった太い3つ編みが背中で重く揺れる。堂々とした挨拶が読み上げられ、卒業式は無事に幕を下ろした。
別れを惜しむ相手がいる同級生たちの間を通り抜け、エルマーとニコラはさっさと学校を引き上げる。途中、仕立て屋でドレスを受け取って向かう先はニコラの家だ。来週の成人の儀までの間にやることがたくさんある。
応接室に形だけのお茶を用意し、侍女と妹のハンナを呼ぶ。喜び勇んでやってきた2人の手には化粧道具やらなにやらがたくさん抱えられていた。
「お2人とも! ご卒業おめでとうございます!」
「早速ですがお支度を!」
「ドレスはどちらです?」
鼻の穴を広げて興奮する2人に対し、ドレスを広げてみせる。エルマーからニコラへの初めての贈り物は夜空のような濃紺のドレス。
本当はもっと可愛いものが良かったような気もするが、何しろ本人の希望でこうなった。
「大人になる儀式なんだもの。今後着ない可愛いドレスを仕立てたって無駄だわ」
逆に可愛いドレスの着納めの人もいる。考え方はそれぞれ。
そんなニコラを横目に、エルマーは結婚したら家の中で着る用の可愛い服を贈ろうと決心したのだが、本人には内緒だ。オーソドックスなスタイルも、レースを豪華にするだけで印象が変わることを今回のことで学んだ。レースを外して長く着られるデザインにすれば受け取ってくれるだろう。
このドレスもシンプルな形だ。地味にならないように襟元から胸元にかけては繊細なレース、スカートには星のようにビーズ刺繍をちりばめた。ドレープの艶はオーロラのよう。少しシフォン生地を重ねたかったがニコラが渋くなるのでやめた。
色を見てちょっと不満そうだったハンナだが全体を見て目を輝かせた。
「大人っぽくて素敵!」
「お嬢様、きっとお似合いになりますわ」
きゃあきゃあ騒ぐ女性陣の横でエルマーはさっさと本を広げ、読書を始める。間もなくその横で、侍女とハンナがああでもないこうでもないとニコラをいじくりまわし始めた。時折エルマーに意見を求め、それを参考にまたニコラをいじくりまわす。エルマーが微笑むか、頬を染めるかすれば完成だ。
小1時間後、ニコラとエルマーが交代する。既に髪型は変わっているが、長く残している部分をあれこれいじって新しい髪型を考案していく侍女とハンナ。
その様子を余所に、ニコラは先日手に入れた物の医学的な説明書と検品書を睨み続ける。
「お姉様、いかが?」
満面の笑みのハンナの横ですっかり見違えたエルマーを見てもニコラは頬を染めたりしない。家では冷静なのだ。
「ううん、そうね。上の方、少し量が多いから切ってしまったらどうかしら」
そう言われて妹と侍女は考える。
「少し潰してみましょうか」
もう1度いじくりまわされるエルマーは、ふわふわの髪を撫でつけられながらニコラを見つめていた。
ニコラが手に持って睨んでいるのはコンタクトレンズの説明書だ。つい先日発明された視力を矯正するもの。
頑なに妹に似ていないと主張していたニコラの誤認の原因は視力だ。目の悪い彼女はメガネを外すとほとんどの物の輪郭がぼやけ、視界は全て色の洪水になる。自分の素顔を把握しようにも、目を細めながら鏡に顔を近づけないと何も見えない。だから自分の目の大きさを把握出来ていなかった。
説得に説得し、エルマーが頑張ってレンズの屈折率やら何やを説明し、ニコラのメガネをかけてみせて、キスできる距離まで顔を近づけて、やっと「そんなに言うならドレスの時はメガネ止める。最近出来た目の中に入れるレンズとやらを試してみるわ」と決断してくれた。
自信になればと思っただけでメガネを止めてほしい訳ではないと慌てるエルマーに、「だって出来る限りのことはしたいわ。あなたが格好良くなるなら、私だって綺麗になって隣に立ちたい」、そう口を尖らせたニコラがとても可愛くて、エルマーが思わずぎゅっと抱きしめてしまったのはまだ2人だけの秘密だ。
四苦八苦しながらレンズを入れたニコラの顔はハンナに似ている。比べてしまえばやはり地味だが、眼鏡を掛けていた時よりバランスの取れた顔になり、化粧の効果もあってとても可愛らしい様子だった。
「当日はお化粧の前に入れることにするわ」
鏡を見るニコラの声はいつも通り。だけど初めて見る自分に耳が赤い。
エルマーは満足気に微笑んでいた。
因みにこの変身の礼として、これから先ハンナが勉強で困ることがあったら、2人が交代で教えることを約束している。ハンナの協力なくしてこの計画の成功はなかったし、教えるのも嫌ではない。2人は妹に大いに感謝しながら、妹の将来の役に立てることを嬉しく思った。
妹はいつも真面目な姉が地味にでも喜ぶのが嬉しかったし、義兄が姉想いで安心していた。なんの取り柄もない自分にいつも優しくしてくれる姉が幸せになるのが本当に何よりだった。
そして勝負の日。エルマーはニコラを迎えにタウベルト家を訪れた。着飾ったお互いの姿を見て、にやりと頷く。
ニコラは赤毛の髪を頭の高い位置でまとめ、回りをツイストやフィッシュボーンでくるりと飾った。長らくハーフアップの巻き髪が人気だったが、ニコラの髪は最近の流行だ。ふわふわの赤毛をきっちり処理するために選んだ髪型だが、そのふわふわ感は残っているのできつくなりすぎない。効果はあり、襟元がすっきりしてニコラの顔を益々小さく見せた。
元々外出と露出の少ない肌は白くて綺麗だ。顔に散らばったそばかすも化粧で隠れる。地味な顔は化粧で飾り、コンタクトレンズを入れた菫色の瞳は優しく美しく輝いた。
それらを引き立てるのは濃紺のドレス。サテンは滑らかに輝き、繊細なレースで露出も控えめ、これから先数年は着られるつつましやかなデザインだ。子どもらしくない滑らかなハイウエストで腰回りを強調しないラインは少し太めの腰を隠した。
エルマーは既に整えてあったが、仕立ての良いスーツを身に着け、髪型を更にきっちり整えたことで一気に大人びた雰囲気をまとった。美男子とは言い難いが、賢そうな顔は凛々しくも見える。当然、ハンカチは2枚持った。
馬車を降り、入り口でそれぞれ受付を済ませる。男女に別れた受付の女性側が急に賑やかになる。
「ニコラ・タウベルト!? 嘘でしょう?! 別人じゃない!」
驚く受付の女性にニコラは笑いかけた。
「いいえ、正真正銘、私がニコラよ」
呆然とする女性に軽く礼をして挨拶をすると、列に並んでいた同級生たちから怯えのような悲鳴のような声が上がる。
そのざわめきを無視して、受付を後にする。エルマーの差し出した腕に手を添えて共に会場入りを果たすと、ここでも静かな囁きと共に視線が集まる。
受付の列は進まず、まだ会場に真相は広まっていない。
見覚えのある赤毛の片割れは最近小綺麗になったエルマーだが、もう1人の赤毛は誰だ、と声が波になる。
「ちょっと……あの赤毛の2人、いつもの2人?」
「片方は間違いなくエルマー・ライマンだし……」
「ということは隣の赤毛はニコラ?」
「本当にあのニコラなの?」
「でも隣がエルマーなら間違いないんじゃないかな?」
ひそひそと囁かれた疑問の声が確信に変わったのは次の瞬間。
「エルマー、今日の代表挨拶ってあなた?」
見慣れない可愛らしい少女の声は間違いなく、ニコラ・タウベルトの真面目な声だった。
初期のコンタクトレンズは乱視用ではないですがフィクションということでご容赦下さい。




