22.手を取り合って
その翌日、2人はエルマーの図書館で和やかな時間を過ごしていた。
「ニコラ、こういうこと言われたい?」
唐突に寄越した本には甘い言葉が列を連ねている。お世辞からそれを超えた情熱的な言葉まで。
「何これ?」
ぼろぼろの手触りからも最近流行りのロマンス小説ではないことはわかる。慌ててタイトルを見ると少し前の世辞句の指南書らしい。
「何、この本、どこから」
「そこの、社交マナーコーナーにあるんだよ」
指差したのは図書館の2階、2人が普段近寄らない棚の方だった。
「……いえ、別に言われたくはないけど……第一、これ言えるの?」
「ん、まあ。心に蓋をしてそういうものだと思えば言えるよ。代表挨拶みたいなもので、来客対応とかそういう観点なら。ただの社交辞令だからね。例えば全然興味ない人をこの文句で口説いてきてとか言われても、絶対無理だな……」
「それは私も無理ね。そうなったらもう演技だもの。いつぞやのケンカじゃないけれど、心にもないことって言い淀むわ。口にする時に一瞬別の自分になる気がするのよね」
2人で頷き合う。
「だけど少しは言えた方がいいのかなって思って、読んでみたんだ」
まぁ予想通り、と笑って紅茶を一口。
ニコラに気持ちを伝えて以来、関係は緩やかに変わりつつある。ニコラも一緒にいるのは好きだと言ってくれた。安心して親しく接することは出来るが、甘い言葉を囁いたりはしていない。というか、出来ない。ドレスの時もそうだったように、率直な感想しか出てこないのだ。
「例えば、ニコラを『好き』とか、いいところを『いい』と思うのは簡単だし、言える。でもそれにその本みたいな世辞をつけて口にするのは恥ずかしいんだ。心にもないセリフというわけではなくて、仰々しいのがちょっと……」
さらっと好きって言った、と内心ドキドキするニコラを余所に話は続く。
「正直ね、ただ伝えるのは『事実』だし、手を取るとかそういうのは『作業』として割と簡単に出来るんだよ。けど言葉を飾って伝えるのは『思考』だろ。だから言葉を探して褒めるのが恥ずかしい。特に、詩的に愛を囁くとか好意的に褒めちぎるとか苦手。貴族社会でいう、さらっと相手を褒める行為は難儀だ」
肩を竦めるエルマー。
ちょっと考えたあと、ニコラは真面目な顔になる。
「私も言葉を探して、見つけたら恥ずかしくて言えなかったことあるわ」
――かっこいいって。
ニコラの思いに気付かないエルマーはうんうんと相槌を打った。
「だろ。例えば単純に『似合う』で済む話を、『可愛い』とか『綺麗』とか『魅力的』とかそういうのの違いを脳内辞書でちまちま引き比べて探すのが無駄な気がする。それにもっとひどくなると、『可愛い』で済む話を『僕の小鳥』とか『薔薇の乙女』とかね。そんなの、どうせ見つけたって恥ずかしくて言えないよ。言えない言葉を探すくらいなら、語彙力がない時はそのままいえば良いかなって」
だめでしょと思うが、エルマーは“こう”だ。貴族の男性なら言葉を尽くして愛を語れというのが普通だが、難儀という言葉の通りで、そんなことをエルマーにさせたら相当に胡散臭くなるだけ。残念なほどに圧倒的な経験不足。
一応本人は情けないと思っている。だが性分だ。ニコラが『形にこだわるタイプ』ではないことで救われていると理解はしている。
「本当に、頭が良いはずなのに、あなたって残念よね」
くすくす笑うとエルマーが恥ずかしそうに眉を下げた。
「でも私、そんなエルマーのこと好きよ。色々な意味で」
二コラの口からあの日言えなかった言葉がするりと出ていった。あら、と驚く思考とは裏腹に口は言葉を繋げた。
「あなたって性格が悪くて頭が良くて、鈍くて優しくて面白くて飽きないもの」
なんだろうな、と言いたそうな微妙な表情の後、エルマーはにやりと笑う。
「ありがとう」
口の片端だけで笑ったエルマーがニコラの隣に移る。ニコラはまだ世辞句の本を手に持ったままだ。
何よ、とニコラが隣を見ると、相手は澄ました顔で口を開いた。
「ねえニコラ、この婚約が嫌だって言っていたけれど、君は自分の結婚についてどう考えていたの?」
「あの時も伝えたけど、別にあなたが嫌な訳じゃなくて、あいつらの思い通りになるのが嫌だっただけよ。この前にも縁談はあったの。私は絶対文官として働くつもりだったから、親が持ってくる『家に入る縁談』はあまり乗り気じゃなくて。まぁ、向こうも私の容姿を見て鼻で笑って断るみたいな状況だったけど。文官として働くことを認めてくれる、家柄の釣り合う人と結婚したいなって思ってた」
「それだけ?」
「そう。それだけ」
相手の容姿も資産も、関係ない。ニコラにとって大事なのは自分を生かしてくれる相手だった。
「じゃあ、僕は条件にはぴったりだね」
「……まぁそう」
「図書館もあるし」
「……そうね」
「残念なくらいロマンチックはないけれど、計画に乗って良かったと思ってる?」
「……まぁ」
「じゃあ、ちょっと手を」
差し出された手にニコラがおずおずと手を重ねる。
ふかふかしている手を弄びながら、エルマーがしみじみといった体で呟く。
「いつかニコラを好きになったら、ぎくしゃくして手も握れないんじゃないかって思ったことがあったけど、そんなことなくてよかった」
ほんの少し震える声は安堵の色を含んでいる。
「ニコラがずっと、義理でこの計画に乗ってくれただけで、僕と居るのが辛かったらどうしようと思ってた。君が嫌なら計画は卒業式で終わりで構わない。だから、今手を預けてくれることが嬉しいよ」
隣に座ったエルマーはじっと手を見ていて表情が読めない。
「ありがとう」
こちらを見たエルマーの表情に二コラは察する。
「……悔しいわ。初めから全部エルマーの計画通りで、まんまとはめられた気分」
「まぁ」
「私が負けず嫌いなのを知ってて計画を振ったんでしょ?」
「まぁ」
「今もそう」
まあね、と言わんばかりにエルマーが笑みを深める。勝ち誇ったような安堵の表情。
ニコラは思う。エルマーは初めから不安の裏で気が付いていたのだ。自分にその気があるのなら、ニコラもきっと好奇心を持つだろうと。『見ていた』ということはそういうことだ。もし適わなければ『最後の手段』がある。
そして初めにエルマーと話した時から、エルマーに好奇心を持ったあの日から、ニコラの心の中にはエルマーがいたのだ。
――“好奇心は猫を殺す”。
入れたのは自分。自ら歩みを進めたのも好奇心を持ち過ぎた自分。恋の形を知りたくてエルマーという人を知りたくて、手に入れたニコラの結論は愛だった。悔しいけれど、把握し始めて尚面白いと思えるこの男が、本当にどうなっているのか、最後まで知りたいと思ってしまったこの心は止まらない。
じわじわ熱い頬も向こうからはしっかり色づいて見えているだろう。口をついた『好き』の真意もきっと正確に伝わっている。
ふふっと小さく笑い合う。
「完敗だわ。エルマーの勝ちね」
「どうも。最後まで宜しく頼むよ」
「上手くいくかしら」
「いくよ、絶対。あの2人はプライドが高い。もし計画を見破っても、口を挟む時が自らの罪を認める時だ。レーガー嬢は意識しているだろうし、リーンハルトはそこまで馬鹿じゃない。今更どうにもできないことには気付いているはずだ」
ニコラは首をかしげるが、エルマーは満足気に続ける。
「大丈夫。それに何か言われても引き下がるものか」
ぎゅっと握られた手は妙に熱かった。
地味に告白してあと2話です。最後まで地味ですがお付き合い下さると嬉しいです。




