21.おしゃれは専門外
「エルマー、今日すごく注目されてたわね」
「本当にね。正直、いつもと違う慣れない視線ばっかりでちょっと疲れた」
テスト翌日の放課後、馬車を待つニコラがくすくす笑う。昼に迎えに来たエルマーへの注目もざわめきも相当なもので、放課後も無遠慮な視線は収まらない。悪意のある視線に慣れ過ぎているというのもおかしな話だが、ここ数ヶ月の自分たちの行動を思い返すと、そんな視線の中でばかり生活していた。思い返すと色々と面白い。
「髪型1つでこんなに変わるってのもなんだかな。早く見慣れてほしいよ」
「2、3日の辛抱よ」
「だといいけど」
2人のことには興味津々な周りだ。テスト少し前にやっと落ち着いた噂が、今度はエルマーの浮気だなんだと妙な方向に変わらないといいけどと、エルマーは心の中で祈る。
そんな思いは知らず、ニコラはまじまじとエルマーを見る。
「けど、やっぱりこうしてみると、お兄さんそっくりね」
「……まぁ……今は信じるよ」
困ったような笑顔のエルマーが続ける。
「小さい頃は同じだったんだ。年子で兄が病弱だから体の大きさがほとんど変わらなくて、服も髪型もお揃いだった。だけど僕らは雰囲気が全然違う。周りからの気を使う視線が苦しくてね。両親はとっても可愛がってくれたけれど、僕自身も違うなって思ってた。だから君に言われた時、何を言ってるんだろうと本気で思ったよ」
エルマーは髪型がこうなるまでニコラの言葉を信じていなかった。昨日、テストが終わった後、タウベルト家に招待された。客間に通されるや否や、ハサミとバリカンとブラシを構えたハンナと侍女に捕まって、脇でお茶を飲むニコラの指示通りに髪型を変えられたのだ。
完成した姿を鏡で見て驚いた。思いっきり刈られた耳周りも、長さを切られた襟足も、後ろに流した前髪も大胆過ぎる気がして恥ずかしい。しかしそれよりも、髪型は違うものの、そこに映る姿はお茶会に出かける時の兄のようで、ぎょっとしたのだ。
無言でニコラを見ると、彼女は目を細めてブツブツともう少し短くしようか、とかなんとかハンナに話しかけている。これ以上急に変身させられてはたまらない。慌ててこれ以上はと止めて、必死の説得の結果、成人の儀までの間にもう1度切ると言う条件で勘弁してもらえた。
自分が変わることは当初の計画にはない。こんなことになるなんてと思う。今だって兄に似ていると自分の口からは言葉に出来ない。だけどライマン家の家族はすっきりさっぱりしたエルマーを喜んで、ニコラのことを褒めてくれた。
だからこれもいいかな、と思っている。
よく見れば兄とは違う。兄は人好きのする優しい雰囲気だ。それに比べると変わって尚自分はきつい。目尻の上がり方が原因だがこればかりは仕方ない。調べてみると化粧でごまかせることがわかるが、別に兄になりたいわけではないので構わないことだ。
大事なのは良い方向に自分が変わること。
ため息をついて頭の後ろのふわふわの毛を触る。耳周りのジョリジョリした手触りは慣れない。目元だけでニヤニヤ笑うニコラがこっちを見てくるのも、なんだか恥ずかしくて仕方がない。
そんな日から数日。今日は2人で仕立て屋に出かける。ニコラにドレスを贈るのだ。ニコラは遠慮すると言い張ったが、成人の儀ではそれなりに着飾ることが必要になるし、これも計画の1つだ。言い出したエルマーがニコラを解き伏せ、今日にこぎつけた。
「ねえ、やっぱりドレスは大袈裟じゃない?」
「ただの恋人なら大袈裟だけど、婚約者だから、それくらいいいかなって」
元々は母のドレスを着る予定だったニコラだが、少しサイズが合わない。説得されるにつれ、このエルマーの発案をありがたく嬉しく思った。それでもやはり気は引ける。そわそわと落ち着きなく馬車の中でも遠慮がちな態度をみせた。
デザイナーの提案するドレスはどれも美しい。目立つことが目的ではない二人にとっては流行は関係なく、形にも生地にも特にこだわりはない。ともかく場に相応しく、ニコラに似合うものが作れればいい。日頃からコルセットを締め上げる生活を送らず、ニコラはスタイルが良いわけではない。こうなると体型で勝負するタイプのドレスも野暮ったく見えるだけだ。とはいえウエストラインが目立たないふわふわした少女趣味な形も似合わない。簡単な話だがシンプルであれば多少の野暮ったさは平凡に変わり、あまり平凡では地味になる。地味では折角のドレスがもったいない。
今後も長く着られるデザインということでお願いした2人に、あれこれ挙げられる提案はエルマーにはよく理解できない。ここに来る前に意欲的に裁縫の本に目を通したものの、目の前のデザイナーがすらすらと口にするタックやきせなどが、その僅かな誤差でどう作用するのか、実物の想像が出来ないでいる。
「3㎝たたむことで脇のラインがふっくら綺麗になります」
「袖もレースにしますと美しくなりますが、最近は袖山がボリュームがあるのが流行ですので、それには少し日数がかかります」
「それから、コルセットよりはウエストラインまでのタックをこう……」
ふむふむと真面目に聞いているニコラの脇で、知識不足を反省する。こんなことならもう少ししっかりとデザインや裁縫を学んでくるべきだった。おしゃれに関心がないのも宜しくないと反省する。
選んだ布をニコラの身体に当て、初めてイメージがわくようなありさまだった。好みの色の中からいくつかを取り上げ、それぞれデザイナーおすすめのデザインに合わせて布を折って当てていく。いくつめかのデザインで、満場一致で意見がまとまった。仮縫いの日も一緒に行くと言ったエルマーだが、仮縫いは実際に着ながら修正する作業だ。男子禁制と言われ本当に残念そうな顔を示した。
帰りの馬車でエルマーはニコラに仮縫いの時にどの技法がどのような効果をもたらすのかしっかり見て教えてくれるように頼んだ。
「興味を持ったの? あなたって本当に変わってるわね……」
「折角作るんだよ。知りたいじゃないか」
エルマーが妙な知識を増やすと、体型をごまかすドレスを見破られて気まずい思いをすることになりそうだな、と思うが放っておいてもこの人は勉強してしまう。ニコラは大人しく頷いておいた。
馬車の中でも洋裁とドレスの話は続く。街を歩く大人の落ち着いたドレスが目に入ったニコラは少し不安そうにエルマーに訊ねる。
「今更だけど、あれ、私には派手じゃないかしら。あんまり華やかに肌を見せるドレスを着てこなかったから、レースがあるといっても不安だわ……」
「似合ってたよ」
それは今日エルマーが何度も繰り返した言葉だった。勿論エルマーからしたら本心であり、きちんと褒めているつもりだ。
ニコラもそれは当然わかっている。だが、似合っているしか繰り返さない、頭のいいはずで残念な婚約者の残念過ぎる語彙力にちょっとばかり呆れる気持ちが芽生えていた。
「エルマー、あなた今日ずっと『似合う』しか口にしてないけれど、さすがに数が過ぎるわ。もっと言葉を選べないの?」
うーんと考えたエルマーはひょいっと眉を上げて「綺麗だったよ」と告げた。
ニコラはため息と同時に肩を落とした。




