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こんな婚約で  作者: 餅屋まる
本編
18/30

18.告白

 放課後、何事もなかったかのようにエルマーは迎えにきた。図書館に向かう足は重い。



 午後の授業の間、ニコラの胸にあったのはエルマーの真剣な瞳だ。ぐるぐる思い返しては苦しくなる。


 ニコラはエルマーを好きだと自覚したことはなかった。性格が良いとはいえないけれど優しくて、ニコラからすればかっこいいエルマー。話していると誰よりも勉強の話で盛り上がれる相手。他人から見たら冴えない赤毛のがり勉もニコラにとっては素敵な婚約者だ。そしてこの計画の共犯者。

 ニコラは人に嫌われることを恐れたりしない。進んで嫌われに行く気はないが、相手が嫌いなものは仕方がないと思う。だからあの時まで誰の悪口も相手にしていなかった。

 こうなっている今エルマーが自分を嫌いでも仕方がない。「自分を好き」というエルマーの発言も作戦かと思う裏側で、自分の発言がエルマーを傷つけ嫌われていると感じさせてしまった結果ではないのか、そう思う程心配になる。

 嫌っていると思われるのは嫌だ。それに出来るならエルマーには嫌われたくないとも思う。「嫌っていると思われたかもしれない」ということにこんなに不安になって焦る理由はただ1つ。



 長い渡り廊下にはほとんど人がいない。ニコラは足を止めて、エルマーの服の裾を引っ張って呼び止めた。

「さっきはひどいこと言ってごめんなさい」

怪訝な顔で振り向くエルマーは、何の話かと昼の会話を反芻する。解説すればそれもまた失礼になることを理解しているニコラは、どの発言か言えずに別の言葉をつなげていく。

「私、あなたのこと、そんな風に思ってないわ」

エルマーは片眉を上げて考え込む。まだつながらない。

「がり勉で地味でつまらないのは私だけよ」

「ん? 何の話……?」

エルマーは周囲に気を配る。まばらとはいえこの廊下に人はいる。2人からかなり距離があっても用心するに越したことはない。エルマーはそっとニコラの手を引いて、廊下脇の扉から裏庭に出る。


 むわっとした夏の夕方の熱気がつないだ手の温度をわからなくさせる。裏庭は高い木も植え込みもなくとても狭いので、見える範囲に人がいなければ誰もいない。廊下の窓も閉まっている。

「はい、これでいい。それ、何の話?」

「お昼の中庭での話よ。私あなたにひどいこと言ったでしょう」

「え? なんだかわからないけど、そんな話した? がり勉だなんだって……僕は理解してないから気にしないでよ。てっきり、ニコラが僕のこと嫌いだって訂正されるのかと思った」

「えっ……あの、それは……!」

「本当は嫌い、とか言われたら割とショックだからね」


 安心と同時にもたらされた衝撃にニコラの頭が真っ白になる。

「違うわ! そんなことない、お兄さんのことが好きな訳でもない! 私、あなたのこと、素敵だと思ってるわ!」

思わず口から出た割と大きな声が、裏庭に響く。

 聞こえるわけはないが、廊下を歩いている生徒にこちらを見られた気がして、ニコラは思わずぱっと下を向いた。正面のエルマーのきょとんとした顔に見つめられるのも、恥ずかしかった。


 ややあってエルマーがぼそっと言う。

「……それは、ありがとう」

盗み見たその顔は結構赤くなっており、ニコラは目を見張る。

「……エルマー、あなた、さっきの本気で?」

「僕、もう結構前からニコラのことを好きだけど」

ニコラの息が止まる。


 わしわしとエルマーが頭を掻くと、ふわふわの赤毛が揺れる。

「こういうの、どう言うのがいいのかわからない。さっきも勢い余ってごめん。本当にロマンがなくて……。僕はね、初めからこの話の相手が君でラッキーだと思ってた。君の名前を聞いた時、計画の実行を決めた。君となら確実に出来ると思ったから」

いつものエルマーが話していれば「ハイハイ計画ね」となるが今のエルマーは少し違う。ちょっと拗ねたような雰囲気は照れているから。

「何故か。それは君も僕も興味関心や意欲を持てばそれをやり遂げるタイプだとわかっていたから。僕はニコラ・タウベルトという追い越せない学年首席の頑張り屋の女の子をずっと見てきた」

当然、ライバルとして。だけどそれ以上にニコラをおもしろくも思っていた。

「婚約時にお互いに恋愛感情はなくても、結婚するのは9割確実だったろ。だったら少しでもお互いに良い人生であった方がいい。残り1割が現実になっても、君を知って損はしない。僕はこの作戦が『嘘である』と思いながら、『そうなったらいいな』とは考えていたと思う」

つまりニコラを好きになる()があった。

 ニコラの小さな目が大きくなる。

「僕の中でただ勉強熱心で親近感と憧れの好奇心の対象だった君は、実際にはすごく可愛い女の子だった。ちょっとしたしぐさが可愛い、普通の女の子だったんだよ。地味な僕に文句も言わず、古い図書館も気に入ってくれた。嬉しかったよ。上手くいけばこうやって穏やかに本を読む日常がやって来るんだと浮かれたりもした。だから僕が巻き込んで嫌な思いをしてしまった君に、いつも僕の計画に乗ってくれる君に、言いたいことを言ってほしくてケンカしようって……」

伝えたいことはたくさんあるけれど、今のエルマーに全てを告げる余裕はなくて、ただただずっと思い浮かぶ本心をつらつらと口から追い出すだけだ。

「この計画も、今はもう、君の名誉が回復できるならそれでいいと思ってる」

最後の一言は凛としていて、だからか妙な寂しさを醸した。


 息を殺して聞いていたニコラは、ぎゅっと口を結んで、すぐにここ最近で一番大きなため息をついた。

「……何言ってるの、だめよ。この計画はあなたの名誉回復でもある必要があるの。私たちは絶対にこの計画を完遂する。私だけじゃだめ。絶対にあいつら2人ともに後悔させてやるわ」

真っ直ぐ見つめるエルマーの瞳に映る自分は修道院の厳しいシスターのようなしかめ面だ。

「エルマーはずっと私にとってのライバルだったわ。抜かれないように必死だった。あいつらのせいであなたと話すようになって、驚くけど楽しいことばっかりよ。恋とかに縁はないと思ってたから、どうしたらいいのかわからなかった。でも私もあなたと一緒。いつかあの本みたいになれたらいいなって思うようになった。それで手をつないでみたり、いろいろしたけど上手くいかなくて」

在りし日の勢いを思い出す。あれにそんな裏があるとは、今更ながらに少し嬉しくてエルマーが眉を下げる。

「お昼休みのあなたの質問の答えだけど……あなたのことを知るのは楽しいし、一緒にいるのも好き。嫌われたくない。あなたといたいの。それじゃだめかしら」

 ニコラにはどうしても「エルマーが好き」の一言が言えない。やっと自覚したそれをこのタイミングで口にしたら、目の前の男の作戦に本当に乗ってしまう気がして、なんだか無性に悔しかったから。意地を張るところがおかしいと自分でもそう思うけれど、どうしても、言えない。



 エルマーはちょっと考えて、ひょいとニコラの手を取った。恭しさのかけらもなく、ただひょいと持ち上げただけ。

「……ちょっと。もっとロマンチックにならないの?」

「ごめん」

「やっぱり甘い雰囲気には縁遠いわね」

揃って苦笑いになる。

「ちなみに今はこれでキスすれば完璧だなと思ったけど、なんとなく学校でそこまでしたらあれだなって思ってやめた」

ニコラが顔をしかめて、いっと食いしばった歯を見せて牽制した。


 その手をそのままに2人は門へ向かう。ニコラの迎えはもうすぐだ。



※ルビ・傍点が表示されない方へ 

以下のように ○○には△△ というルビ・傍点がふられます

好きになる気があった→「気」に け

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