15.不愉快な話
時は遡り少し前。プラネタリウムの翌日。ニコラは不愉快な思いをしていた。
昼前の教室で、アンゼルマがやや大きな声で話をしていた。
「昨日、どうしてもと誘われて、先日から上映されているプラネタリウムのプログラムを見に参りましたの」
「あら、いかがでした?」
華やかな友人達がきゃあきゃあと歓声を上げる。
「ええ、まあ、それなりですけれど、子どもだましでしたわ」
プログラムの内容はそんなに問題がなく、ニコラたちの様に偏屈でなければ大人でも楽しめるものだったし、装置による投映も綺麗だった。なまじ学習プログラムなのが宜しくない。世間の評判がわからない以上、見栄っ張りのアンゼルマは「良かった」という高評価を出すのが怖い。世間の評価が低かった場合、アンゼルマは「つまらないものに高評価を出した学のないご令嬢」扱いされかねないからだ。
「そんなことよりね、そこに面白いお客様がいましたの」
口の端を上げただけの笑顔で視線をニコラに移せば、周りの友人も皆察する。
「随分楽しそうに笑って上映後もはしゃいでいらしたけれど、頭の良い方っていうのは随分子どもじみたものが好きなのね。頭に知識を詰め込み過ぎて感情面が未発達なのかしら」
いやですわ、という嘲笑の囁きが起こる。笑っているのはアンゼルマの周りだけだが、クラス中が皆、アンゼルマの発言を面白く聞いているのは明らかだ。
ニコラはため息をつきたくなる気持ちを抑える。
――一体どちらが未発達よ。阿呆くさい……
いくらかは観たかった人たちもいるだろうに、これで随分観に行きづらくなってしまっただろう。
――営業妨害だわ。あのプログラムがきっかけで天体に興味を持つ人だって、ホールに興味を持つ人だっているでしょうに。
この国の学習の機会を、そんな下らない私情で評価されることも腹立たしいが、まあこの学校の中だけだ。ニコラに直接不利益が生じるわけではないし、そんなに腹を立てることでもない。ただ、あの手のプログラムの成績が学生から評判になれば、次もまた面白いものが企画されるだろうと予測したので迷惑だなと思ったのである。
エルマーから借りた本をぺらりとめくる。相手にする必要はない。
ところがその次にアンゼルマの口から出た言葉が、本当にニコラを不愉快にさせた。
「あんな妙な見た目同士で連れ立って歩くのも理解できませんわ。貴族だというのに恥ずかしくないのかしら」
『妙な見た目』。きり、と目が細まる。
ニコラだってわかっている。自分たちが地味でどうしようもないことは重々承知している。だけど初めから持ち揃えている美人の他人に恥ずかしいとまで言われる筋合いはない。汚い服を着たわけでもドレスコードを間違えたわけでもない。
「色気付いたのか知りませんけど、ちょっと髪をいじったからって、なんにも変わりませんわね」
どんな髪型でしたの? いつもと同じ3つ編みを……という説明に周囲が耳を澄ませている。
ニコラはぎゅうと奥歯を噛みしめる。妹が上映の邪魔にならずにそれでもいつもとは違うおしゃれにしましょう、と一生懸命に編んでくれた髪型だ。できたわ、と笑った妹の笑顔。そっと感心してくれたエルマー。うきうきした気持ち。
全部がひっかかれて台無しになる気がする。
だが事実だ。確かに不足はない格好だが、自分は地味なのだ。
おしゃれをするのは大人になってからでいいと思っている。学校で校則を破ってまでおしゃれする気はない。校則を破るそれが普通だと言われても。領主の娘が決まりを破ってまで、税金で誇示する容姿など、領民にとってはなんの意味もないはずだからだ。
しかしそれと彼女が話している街でのことは少し別だ。余計なお世話だが、容姿を美徳とする人たちは一定数いるし、そのために校則だって平気で破られている。
それに「貴族の務め」、そう言われれば何も言い返せない。
ニコラだってある程度の正式な場ではそれなりに着飾っている。華やかかどうかは別として。そう反論してやり合うのは簡単だが、どこにも証拠がなく、例え証人が居るとしても着飾って尚見劣りする自分の容姿を主張しても仕方がない。
ただ自分のせいでエルマーも悪く言われているのは明らかだ。ニコラはそれが一番癪だった。
「連れて歩く方も恥ずかしくないのかしらね」
いつも小さな目をさらに小さく細めながらエルマーの本を睨んだ。
そんなことを思い出しながらニコラはマフィンの生地を混ぜていた。
視線の先には初対面から数十分で打ち解け合い、粉を篩うエルマーとハンナがいる。
今日はマフィン作りの日。元々は作ったものをエルマーに渡す予定だったのだが、ハンナの提案でエルマーを家に招くことになった。客人を台所になんて、とニコラは驚いたが、何故かこうなった。ハンナは姉によく似たエルマーに親近感を持ったし、エルマーはニコラから聞いていたハンナの性格の良さと人好きする雰囲気に心を許した。調理場の雰囲気はとても和やかだ。
そして現在に至る。
ハンナの口から出る言葉は全て自分の話題。
「お姉様にはもう少し明るい色のドレスをといつもお勧めするんですけど、聞き入れてもらえませんの」
「だろうね」
先程まで2人は髪型の話をしていた。
それをきっかけに思い出した不愉快さに思わず目が細くなっていたのか、目が合ったエルマーに驚かれた。
「どうしたの、ニコラ」
「えっ?」
「いや、微妙な顔してたから……」
「……『だろうね』ってどういうことかしらって」
思い出した件は誰にも話していない。ごまかすようにじとっと見てもエルマーは気にした様子はない。
「残念だけど、色のことはお互いあれだなってわかってるからだよ」
ああ、と思うと、篩った粉を運びながら妹が近寄ってくる。
「もう! エルマーさんまでそんな! 私だって似てるじゃないですか!」
ハンナに悪気がないのはわかる。けれど2人は顔を見合わせて困ったように目を細めた。確かにハンナも赤毛ではある。ただその赤毛は金が混ざって、2人よりも大分明るいもので、似合う色もたくさんある。2人の様にきつい赤ではないのだ。慰めたい気持ちは嬉しいが現実は残酷だ。
「お2人だって別にそんな気になさらなくても……でもね、お姉様は最近変わりましたのよ!」
「ちょっと、ハンナ!」
「最近お姉様、髪の手入れをとっても熱心になさってますの!」
「へぇ」
思わず見たニコラが真っ赤で渋い顔だったので、エルマーは慌ててしゃがんでオーブンの温度を見た。
「広がってしまう髪をどうしたらいいかってお悩みで、ヘアオイルを買いに行かれたりヘアブラシを変えられたり……ハンナは嬉しいですわ」
姉の努力を語り出した妹の興奮は止まらない。
「ハンナ、もういいから……」
「それに、今日のこの髪型! お姉様がご自分でリクエストされましたの! 最近流行りの髪を上にまとめ上げるスタイル!」
「ハンナ! 髪が散らないようにしてるだけだってば! いいから早く粉を入れてちょうだい」
悲鳴に近い声を上げたニコラは耳まで真っ赤だった。
頭の高いところでお団子を作り、そのまわりを3つ編みで巻く。リボンなどの飾りはないけれど綺麗にまとまった髪は、それだけで十分綺麗に見える。そう言えば最近、前髪のふわふわも大分落ち着いて、ニコラの髪は以前と違う艶があった。
「オーブン温まってるよ」
立ち上がったエルマーの視線の先には、真っ赤な顔でもくもくと生地を混ぜるニコラと、それを楽しそうに見つめるハンナの姿があった。




