13.思えば
休日のライマン家の本邸。ニコラとエルマーに挟まれた応接室のテーブルには、壁紙とソファの生地のサンプルがところ狭しと並んでいた。
先程離れに行き、床材や壁材、張り替える予定のソファを見て来た。それとのバランスを思い浮かべながら、2人であれこれ選んで決めていく。
壁紙は話が早かった。この前話したのに似たいい壁紙があった。2人ともシンプルなものが好きなので部屋ごとに大袈裟に雰囲気を変えることは望まず、生活空間の大半を同じ壁紙でまとめ、特別な部屋だけをおしゃれに決めた。
時間がかかるのはソファだ。普通のビロードにするか紋ビロードにするか、紋ビロードならばどの様な模様にするか。流行は金糸や銀糸の豪華な金華山織りの紋ビロードだ。人付き合いのない学生のうちは流行など気にしなくてもいいが、文官になると多少なりとも付き合いが生じるだろう。来客があるかもしれない。その事情も考慮して、2人はあれこれ話し合う。
ニコラにとって都合が悪いことに、ソファの中にはカウチソファもあった。こんなものがあれば確実にエルマーの昼寝確定である。注意してもどうせ寝てしまうだろうから少しでも優しい生地を、と思ってこっそりと生地を撫でていると、赤毛の奥の細い目に笑われる。
「カウチソファの生地、心配?」
ドキリとする。
「さっきから特に手触りの良い生地だけ選んで触ってたでしょう」
動揺するものの、悟られないように平静を装う。
「別にそういう訳じゃ……」
「金糸と銀糸がない毛足が長めの紋ビロードばかり選んでいるよね?」
「……」
気まずさにすっと目を細めると笑われる。
「大丈夫だよ。さすがにお客様用のカウチで寝転がって本を読んだりしない。カウチが傷むし」
「ちょっと! 心配の方向性が悔しいくらいのズレだわ」
諦めた様な笑いに、慌てて遮る。何とも言えない空気にため息が出る。
「エルマーって……いつもは優しいのに、たまーに捻くれてるわよね」
ニコラの言葉にエルマーは気まずそうに目を逸らす。
「……別に優しくはない。……手触りの良い生地を選んでくれてるから、実はちょっとばかり、ここで寝落ちすることを想定されてるのかなって申し訳なくなったんだよ」
「それもまたズレてる。けど、まぁそう。近いわ。あなたがもしここで寝ちゃったとき、身体を痛めたら大変でしょ。少しでも柔らかい方がいいと思っただけ」
つんと唇を尖らせて、選んだ生地をエルマーの方にずいっと押す。
「好きなのを選んで。私、この中のならどれでも異存ないわ」
「……え……」
小さく聞こえた戸惑いの声に目を上げれば、真っ赤な顔で目を見開き、サンプルを見つめるエルマーがいた。
何よ、と思いながらニコラは思い出す。これまでエルマーは自分に優しくしてくれていたけれど、自分がエルマーに優しくしたことはない。自分がそうだったように、きっとエルマーは異性に優しくされたことがない。
だからニコラの本意を見抜けなかったし、今のニコラの心配がエルマーにとって意味を持ったのだろう。多分、いい方向で。
「……ありがとう」
小さな声のお礼も、いつものエルマーの感じではない。
「……でも寝ないようにする……」
エルマーらしくない子どものような話し方に、ニコラも急に恥ずかしくなって、2人でぽそぽそ話しながら、選んだサンプルをちまちま除けていった。
全て選び終わる頃にはすっかりいつも通りの2人だったが、こうなった途端に問題が起こった。選び終わったそれを前に、支払いの話題になったのだ。こうして世話してもらう以上、ニコラは就職した後の給与で返すつもりでいたのだが、エルマーはそれを断固拒否した。
似た者同士の話し合いは平行線をたどる。
数十分に渡る言い争いの結果、支払いの話は全部片付いてから、という話にまとまった。
支払いの話の傍にエルマーはずっと幸せな気持ちを抱えていた。まさか、ニコラがあの悪癖をそんな風に優しく心配してくれているとは思わなかったから。いつもの注意の仕方も別に厳しいものではなかったけれど、身体の心配をされているとは思わなかった。
――嫌われていないとは思っていたけれど、優しくしてもらえると嬉しい。
エルマーはニコラの気持ちが嬉しい。女の子に親切にされたことがないわけではないが、記憶の限りではほぼない。最後の手段も使わず、このまま本当に結婚してくれそうな彼女に優しくしてもらえたことが、このうえなく胸に温かく響いた。
目の前の少女はとても賢く、合理的。真面目で堅実。同年代の女の子たちに比べて、恋愛にうつつを抜かしたり、はしゃぐタイプではないと思っていた。
だからあの本を持ち出した時は何事かと思った。すぐに「それらしい行動のための参考書」だと言われて納得したが。デートの時のおしゃれな髪型も意外だと思った。妹の助言があったにせよ、不要だと断ることだってできるのだから。
ほんの少しでも、自分に好意を持ってもらえているのではと思う度、勘違いする自分が痛々しいと思いながらも、どこかで喜んでいた。
まさかと思うが手をつなごうといったあれも、何か感情面での変化だろうか。これ以上自惚れる気はないが、もし彼女が自分の気持ちで「エルマー・ライマン」に歩み寄ろうとしてくれているならこんなに嬉しいことはない。
エルマーはわかっていた。自分がニコラに対し、初めから特別な感情を抱いていたこと。そしてそれを再認識した。ついでに今は、それがもっと違う形の感情を伴っていることは今実感した。
他人に殆ど関心のないエルマーにとって、唯一興味のあった追い付きたい背中の持ち主は、今は隣に立って歩きたい女の子になっていた。ニコラの思考の構造以外の感性についても興味がある。
「知りたい」という気持ちは知っている。それはただ情報を集めるという行動の1つで、前のエルマーにとって学問とさして変わらなかったその感覚は、今は違った。
2人とも勉強は好きだ。興味があれば勿論学ぶし、必要であればそれも意欲的に学ぶ。作戦に必要であれば、その知識だって。
と、エルマーはニコラに例の本のことを訊ねる。
「突然だけどあの参考書の小説ってニコラが買ったの?」
妹から借りたものという可能性もある。
「そうだけど? 言わなかったかしら」
「エルマー、私たちに足りないのは知識と経験。経験は仕方ないから参考書を手に入れたわ!」とずいっと本を出された記憶はあるが、入手経路を聞いた記憶はない。自分たちがいつも読む学術の本よりも少し小さくて装丁も気軽な本。薔薇の花の模様が豪華に書きこまれ、流れるようなカッパープレート体に更に装飾を加えた可憐なタイトルが表紙を飾る。文字が生み出す甘さにわくわくしながら本を手に取るご令嬢が大半であろう中、いつも通りの真面目な顔で何のときめきもなく支払いを済ませるニコラを想像してちょっと吹き出した。
「あなた、今すごく失礼な事を考えてたでしょ?」
「あー、うん。ごめん。君があれを選んで買ったんだなって思うと」
そこで初めてニコラは気が付いたのか顔を赤くした。
「だって書店で一番目立つように置いてあったの! それに、どれをめくっても正直同じだったんだもの。効率が良さそうなのを選んだだけ」
なんやかんや言い訳をするニコラを見て、エルマーは微笑む。手をつなぎたいって言ってくれたのがポーズじゃなかったらいいな、と思う。
今日決めたものを予定通り使う未来がやってくるよう、そっと祈った。




