12.いろ
季節は初夏。もうすぐ最後のテストで学校は卒業。迫る結婚式に向けて、ライマン家では離れの修繕が進められていた。傷んでいる屋根や床板、窓枠を直し、壁紙を貼り直す。そのあとは家具類の管理を決めればおしまいだ。
いつも通りの中庭で、エルマーは思い出したように話を振った。
「ニコラ、何色が好き?」
しばらく考えてから、ニコラが困ったような顔で質問を返す。
「それは何の色かしら。単純に好きなのはネイビーだけど、物によるわ」
はて、と思うが確かに質問の仕方が悪かった。それに言われてみれば女性は割とこだわって小物ごとに色を分ける。
「ごめん、質問が悪かった。部屋の壁紙だよ」
「壁紙……実家はクリームに小花柄だけど別に気に入っている訳じゃないし……エルマーのお部屋は?」
「本邸の自室は覚えていない。図書館の部屋は元々書庫だったから、そのままで深緑」
「深緑、お部屋が暗くない?」
絨毯の色とよく似た深緑の部屋は落ち着くが、かなり深い緑のため、言われてみれば明かりを吸収していて少し暗いような気もする。いつも最低限の照明で手元を照らしているから不自由がなく、気にしたことがなかった。
「うーん、少し?」
「暗い色は落ち着くけれど……壁紙は明るい方がいいかも。クリームイエローとピーグリーンのストライプとかどうかしら?」
「いいね、決まり」
「いいの?」
さらっと決めてしまったエルマーにニコラは驚く。案の1つのつもりだったのに、なんたって即決だ。
「勿論。それに近い色で探しておくよ。あ、来週うちに来るときにサンプル見せられるようにしようか」
鉛筆で手帳にメモを取るエルマー。結婚に関することは必ずメモを取るようにしていた。曖昧にならず、精算に便利だから。
「壁紙が決まったら家具も見に行こう。元々離れにあったものもほとんど使えるけど、好みかどうかわからないから。ああ、そうだ、ソファ類は張り替えだから、それの生地も来週選ぼう。希望の真ん中が取れることを祈るよ」
先日好みのものを教え合う約束をしてから2人は色々な話をした。食べ物、服、音楽、本、休日の過ごし方。結果としてすごく気が合うというわけでもない2人は、好みではないことで問題が生じる場合はお互い公平に譲るか、必ず間を取ることに決めていた。
「ありがとう。落ち着く色が良いわね」
「そうだね。僕、図書館の色合いが好きだな。こげ茶と緑。見慣れているからか安心する」
「わかるわ。私、服は暗っぽい色が落ち着くし、皮製品はキャメルが好き」
「わかるよ」
身に着ける物の色の話になった時、エルマーはニコラに同意した。
なんたって2人とも強い赤毛だ。パステルカラーやふわふわした曖昧な色は似合わないことが多い。顔も薄いものだから、髪だけがきつく見えてしまう。逆に暗すぎる色を着ても、やはり髪が目立って仕方がない。どこかで締めて、どこかに似たような色を持ってきてごまかすことを心掛けていた。
勿論赤毛の人でもおしゃれな人はたくさんいる。だが2人は顔立ちが平凡中の平凡で地味なのだ。どうしようもなく。2人は自分たちの容姿に関してなんとなく諦めもついていたから、これ以上悪くならなければそれでいいと思っていた。
それでもニコラは菫色の目が柔らかいので、髪型次第では似合うような気もする。そう思うエルマーはそれを伝える適切な単語を脳内辞書で引けていない。
思い出したようにニコラが質問を投げかける。
「そういえばエルマーは甘いものは好き?」
「嫌いじゃないよ。どうして?」
「お茶をするとき、いつもお菓子を食べないから好きじゃないのかしらって」
この質問は初めてだ。同じお茶の席に着いてニコラはいつもお菓子を食べ、エルマーは食べない。ニコラの好みを知ってからエルマーはお菓子の話を口にすることがないからニコラもすっかり忘れていた。
「ああ、習慣じゃないんだ。いつも図書館だったから」
あ、とニコラも納得する。
そういえば図書館でお茶をする時にはお菓子の類は用意されない。かけらがこぼれて虫が来るのや本のシミを防ぐためだろう。あと単純にお行儀が悪い。エルマーにはお昼を食べながら本を読む悪癖がある。おまけに読書中に寝そべっているようなエルマーにお菓子を渡したら怠惰の極み、とんでもない無作法な人物が出来上がりそうである。
心中でライマン家のしつけに拍手を送りながらニコラは誘う。
「今度、妹とマフィンを焼くんだけど、いかが?」
「いいの?」
「お口に合うかわからないけれど」
元々貴族の女性は料理の類をしないのだが、人手不足の時代を経て、家に入る女性が増えた最近では、それでもどうにか働きたいと願った女性主催の料理教室や製菓教室などが密かに流行している。当然そこにはメイドの力添えがあるのだが、貴族のご令嬢方は先生が誰であろうと構わない。退屈な生活に入るくらいならとこぞって習いに通った。これが結構な賑わい。主催側も小銭稼ぎには十分だ。おまけに目に見えて参加者が笑顔になるのだからやりがいもあるというもの。
ニコラの妹ハンナは後期学校を卒業してすぐに嫁ぐことが決まっている。相手の家はハンナが働くことを禁止はしないが、ハンナ自身、頭が良くない自分が一人前に働けるとは思っていなかった。せめて何か能力を身に着けようと考えた結果、こうした手習い事に通い始めたというわけだ。
教室で習ったものは全て、家でも練習して家族に味見を求めた。
「たまにもっと甘いのが良いってお砂糖を増やしたりするんだけど、お砂糖で水分が増えることを理解していないからか、失敗したりするの。頼まれて付き添うようになって大分上手になったのだけれど、今度1番得意なマフィンを作るから一緒に作ろうって言われていて……」
エルマーは内心飛び上がって喜んだ。あまりはしゃぐのは恥ずかしかったので、ニコラには薄く笑ったつもりだ。傍目には普段と変わらないのだが、僅かにぱっと明るくなった表情の無邪気さが、素直な喜びを隠せていない。
二コラがこの変化に気が付くようになったのは最近、エルマーが好きなものの話をする時に前髪の奥の目が輝くのに気が付いてからだ。
「口に合わなくても食べるさ。楽しみにしてるよ」
エルマーの瞳がいつもの涼しさだけではなく、キラキラ輝いていることにニコラの胸が温かくなる。
――この人、本当に面白い人だわ。
いつだって気だるげで平坦、好意的に言えば穏やかな話し方のエルマー。それはいつも冷静にあろうとする彼の研究心。でも穏やかなそこにも感情はきちんとある。ニコラは知っている。ほんの少し浮かれる時の言葉の語尾の軽さ。
なんだかんだニコラに対してはいつだって優しい。悪巧みをしている時は別だが、そうでない時のエルマーはただの頭のいい青年だ。 勉強の話をすれば楽しく盛り上がり、個人的な話をするのは愉快で面白い。ニコラはエルマーと過ごす時間が好きだ。
知れば知るほどエルマーは面白い。答えより過程に興味がある。1つの答えに至るための無数の過程を面白がっていた。そんなことを考えて難しい数学の本を読むかと思えば、1番好きな本はこども向けの冒険小説だ。意外な好みに驚いたら茶目っ気のある笑顔を向けられた。
ハンナに誘われたから作るのだが、「作ったマフィンをエルマーに」というのはニコラの気持ちだ。喜んでくれるだろうか。上手に作れなかったらなんて言うだろうか。いつものようににやりと笑って。それも楽しみだ。




