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こんな婚約で  作者: 餅屋まる
本編
11/30

11.好奇心は猫を

 共同戦線を張り、婚約者としてある程度つつがなく過ごすための関係作りにも励む2人の日々は穏やかに過ぎていく。周りはいまだにあれこれ囁いてくるものの、最近では具体的に口を出すようなことは少ない。

 毎日の放課後や図書館での勉強、学校で本の貸し借りを目撃している生徒たちの一部は、2人の真面目な付き合いの様子に、からかうことの幼稚さを感じ始めていたのだ。


 当然2人は彼らの心情など知りもしないが、口を出されないのはありがたい。聞こえるように「地味」「がり勉」「また2人でいる」と言われるより、「キスしたのか」「デートは何処か」と嘲笑気味に囁かれる方が不愉快度は断然に高い。そもそも然程気にしておらず、計画に支障がなければ真面目に相手にすることもないと思っていたが、1度経験して思う。やはり他人から何か言われないのは気が楽だ。




 2人にとって当然になった昼の時間。

「エルマー、手をつないでみましょう」

またも唐突過ぎるニコラの提案に、エルマーはパンにかじりつこうとした口をそのままにそちらを向く。

「手?」

またも間抜けな声が出てしまった。

「そうよ、手。私、個人的にではあるけれど、あなたとはだいぶ仲良くなれたと思っているの。それで、これよ!」

差し出された本はいつぞやの「こういうことをすればそれらしいわ!」の文句と共に読まされた小説で、そこには恋人手前の2人が手をつなぐシーンが書かれていた。ただ、シチュエーションは大分異なる。本の中はロマンチックな夜会のダンスの申し込み。ニコラも別に恋にきらめく訳でなく、いつもの真面目な顔。

「手ぐらいなら繋いでも良さそうじゃない? 勿論、あなたが不愉快だって言うならやめるわ」

 エルマーは表情こそ笑顔だが、渋めの返事をする。

「うーん……いいけど、結果は想像できるよ」

「それでもよ。やってみるわよ」

言うなり、ニコラは差し出されたエルマーの手をわしっと掴んだ。


――絶対に違う。


2人揃って同じことを考えたのか、どうしようもない沈黙がその場を支配する。


「……ねえ、ニコラ。想像通りだから止めない?」

「そうね……」

エルマーは片手で持ったままのパンを口に運ぶ。ニコラも大人しく今日の昼食のサンドイッチを手に取る。

「甘かったわね。そろそろこの本みたいにどきどきする可能性がちょっとはあるんじゃないかと思ったのに」

ブツブツと小声で文句を言うニコラの様子はちょっと恥ずかしそうだ。



 ニコラは考えていたのだ。この前エルマーの図書館にお邪魔した時、エルマーとの未来を意識してあんなに嬉しかったのだから、恋心が1mmくらい芽生えたに違いないと、きっと手をつなげばドキドキするだろうと。プラネタリウムの後も仲良く腕を組んだ。あの時はドキドキはなかったけれど、その後の書店でのやりとりも含めて、エルマーという人物にワクワクはした。最初に話して興味を持った時から変な人だ、もっと知りたいとも思っている。

 けれどどうやら違うようだ。ブツクサ自分に文句を言いながら、内心しょんぼりとサンドイッチをかじる。


 エルマーはエルマーでニコラの本当の気持ちなど理解していない。発言に加えてこの本を持っている以上、今の目的は想像がついたが、自分達では絶対にそこに着地しないことを自覚していた。それはこの前のプラネタリウムで思いついたあれこれも、腕を組むのも、お互いにそこにときめきはなかったからだ。手だって結果は同じだろう。まだこの本に至る道のりは遠い気がしてならない。



 隣の呟きは耳に届かない。ニコラが脇に除けた小説を手に取り、ぱらぱらとめくる。前に渡された時は完全に他人事で、そういう参考書程度として読み進めた文字群だが、今見ると、かなり本気で参考書めいてみえる。冷静に立ち止まって、自分のことだけを考えれば、その変化だけでも十分な気がする。

――ニコラの気持ちを伴えないほど、魅力がない自分がいけないのはわかってるけど、難しすぎるよ……。

 この前の家の話題の温度差。妙に意識した自分に引いたりもした。



 ふと、一説が目に留まり隣に話しかける。

「ニコラ、この……」

言いかけた時、何某かの気配を感じる。以前猫だったことがあったが、人の可能性もある以上、聞かれたくない話を続けるのは厳しい。

 本をパタリと閉じ、そっとニコラの膝の上に置く。身体を寄せて耳元でヒソヒソと何かを話すと、茂みから猫が出て来た。

「なんだ、猫か」

人騒がせだな、と思いながらニコラから身体を離して残りのパンに手を伸ばす。

 むしゃむしゃと食べ始めてから、思い出したように急に静かになった隣を見ると、固まったニコラがそこにいた。



 ニコラ・タウベルトは戸惑っていた。

 男性にあんなに近寄られたことがなかったのもあるが、それだけではない。親し気に膝の上に本を置かれたことがなかったのもあるが、当然それだけでもない。いきなり好意的な言葉を囁かれた、ということは少し関係しているが、勿論、それだけな訳がない。

 この地味な男、エルマー・ライマン。冴えない見た目に口が減らず性格が悪い。だけど気が付いてしまった。ニコラにとって魅力的な図書館を背負った男はいつも優しい。そして囁く声が普段より一段低くて穏やかで素敵だった。本を朗読してほしいような心地よさ。そしてそんな声で紡がれた、言われたことのない言葉。



 目の前をひらひらとエルマーの掌が移動する。

「ニコラ?」

――今意識したら赤くなりそうだわ。

「なんでもないわ。それより、よく聞こえなかったからもう1度いい?」

嘘だ。言われたことは聞こえていた。だけど思い出そうとするとさっきの声で再生される。真っ赤になるのが嫌だったので、さっさと新しい記憶で上書きするつもりでいた。

――まさかこんなことでドキッとするなんて。

「サンドイッチ詰まった?」

からかうような言い方をされ、気まずさでむっとする。

「そんなに卑しく食べてないわ! いいから、もう1度」

怪訝に思うエルマーも、むっとした彼女をからかう趣味はない。

「ああ、この本にある『好きな花を贈る』っていうのが自分たち向きじゃないかなって話。好みを把握してるって仲良さそうじゃない? 前にカフェで食べ物の好き嫌いの話をしただろ。けどそれだけ。僕らお互いの好みをあんまり、というかほとんど知らないなと思って」

冷静な説明にニコラも落ち着き始める。耳元で囁かれた「君のことを知りたいし、好きなものを教え合うのはどう?」という言葉は完全には消えないけれど、真っ当な意見を支持する心はある。

「確かにそうね。あなたのお昼の好みが『便利なもの』としか知らないわ」

2人はいつだって同じような、手が汚れなくて、具材がこぼれなくて、早く食べ終わるものを食べているから。それだけはわかる。

「それに加えて、僕は君がワッフルを好きだってことしか知らない。君の手を握るドキドキはまだちょっと遠そうだけど、婚約者として君のことを知りたいって気持ちはある。どうかな?」


 ニコラにとって世界は興味のあることだらけ。知りたいことが溢れている。

 だけど自分自身にだけは自分ですら興味がない。そんな自分に形だけでも、誰かが興味を持ってくれたことがこんなにも恥ずかしくてそわそわして、ちょっと嬉しいなんて思わなかった。

 それもその誰かが、自分より不思議で脳内を覗いてみたい男、エルマー。


 いいわ、と頷くとエルマーが安心したように笑った。

ブックマーク、評価ありがとうございます。全23話くらいになりそうです。

直しつつなので確約はできないのですが、毎日1話更新予定です。宜しくお願い致します。

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