第19話 嘆くもの 黒木灯真
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夢を見ていた。
母さんと最後に会った日の夢。
病院のベッドで、母さんは眠っているようだった。
寂しくないように、手を握った。
母さんの手は少し冷たかった。
寒いかもと思って、両手で握って温めた。
いつもなら握り返してくれるけど
疲れてるのか、母さんの手は動かなかった。
ピーって機械の音がずっとしていて
おじいちゃんたちが後ろで泣いてた。
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「んん……」
灯真が目を覚ますと、目の前にはフォウセの里で何度も見た木の天井があった。視界がぼやけているせいか、どこか違うような気もする。窓から入っているであろう光は、閉められたカーテンに遮られ隙間からわずかに漏れているのみ。部屋の中はとても暗い。
「あれ、主様に会いに行ったんじゃ……」
ぼーっとする頭の中で朧げな記憶が少しずつはっきりしてくる。槍を持った男に捕まり、槍の先で胸を刺された。刺されたところに触れてみるが、痛みは感じない。カサブタも出来ていない。
突然、バッと部屋の扉が開き外からの眩しい光が部屋の中を照らす。あまりの眩しさに灯真は目を細めた。
『トーマ! ディエクアワンェド(目を覚ましたんだな)!』
逆光で姿をはっきりとは見えなかったが、灯真は声の主がフェルディフだとすぐに理解できた。何を言っているのかはわからなかったが……。
「フェルディフ?……僕……」
『トーマ……アッ!』
トーマに近づきながら、フェルディフは慌てて腰につけたポーチに手を伸ばす。出したのは、言葉を理解させるための魔道具。フェルディフの魔力が革紐に繋がれた石の中に注がれると、彼の指から灯真の額に向けて細い糸が伸びる。
『全然目を覚まさないから心配しだぞ』
「ごめん……」
『別に謝ることじゃねぇよ。あんなことが起きたんじゃ仕方ないし』
「あんなこと?」
『覚えてないのか?』
フェルディフの質問に、灯真は首を縦にふる。
『起きたばかりで記憶が混濁してるの。無理させちゃダメ』
フェルディフの後ろから聞こえた女性の声。アーネスではない。ようやく外の光に慣れた灯真の目に映ったのは、膝まである長い銀髪、艶かしい体のラインとそれを隠そうとしていないボディースーツ、そして自分のことを見つめるグレーの桃花眼。
『気分は悪くない?』
「えっと……」
女性は灯真に近寄るとその場に片膝をつき、動揺している灯真に顔を近づけていく。フワッと甘い花の香りが灯真の鼻腔に届く。初対面の、しかも誰が見ても美しいと口に出してしまうだろう美女を前に、灯真は出すべき言葉が浮かんでこない。
『テクデンクワの後遺症はないみたいね』
女性は何かを確認する様に灯真の顔や体を触りほっとした様子を見せる。その表情もまた色っぽく感じられ、恥ずかしさからか思わず灯真は視線を逸らした。
『もうトーマは大丈夫ってこと?』
『今のところは』
『みっ、みんなに教えてくる!』
部屋を飛び出したフェルディフが外で叫ぶ声は、灯真の耳にも届く。部屋の中は正体不明の女性と2人きり。女性は入り口の方を見て微笑んでいるが、灯真はずっと緊張したまま落ち着くことができない。
『トーマ君……って呼んでも良い?』
「えっ……はい……」
『緊張してる?』
「えっと……その……」
『怖がらなくても大丈夫よ。アタシね。トーマ君に、教えて欲しいことがあるの』
女性は視線を合わせようとしない灯真の頭を優しく撫でながら、顔を再び近づける。吐息まじりの声は灯真にさらなる緊張を生む。
『アタシが教えて欲しいのは……』
『クオル!』
護でもジノリトでも、フェルディフでもない男の声が部屋の中に響き渡る。
『オルゼ……』
『起きたばかりなんだから、困らせる様なことしちゃダメだよ』
『でも……』
『自己紹介はしたの?』
『まだ』
『話をするなら、ちゃんと挨拶してからだよ』
『はーい』
先ほどまでの色香が嘘の様に、女性はオルゼという青年を前にして急に子供のような表情へと変わる。肩を竦めながら、青年は女性の隣に腰を下ろす。
『急にごめんなさい。ボクはオルゼで、彼女は』
『メヒー・クオルよ。メヒーって呼んで』
「はじめ……まして……」
前髪の一部だけが黒く染まった紺色の髪の青年は、オルゼと名乗るとスッと右手を差し出してきた。灯真がダルさの残る上半身を起こそうとすると、オルゼは慌てて彼の体を支えに入る。見た目は灯真とさほど変わらない年齢のようだが、その腕は細いながらも灯真の体を支えられるほどに力強い。
『むっ、無理に起きなくてもいいですよ。2日も寝てたんだから』
「2日……そんなに?」
『テクデンクワで限界まで魔力を消費したんだから、無理もないわ』
「テクデン……クワ?」
フェルディフの魔道具が聞いているにもかかわらず、彼女の言葉の意味が灯真にはわからない。
『キミは魔法の力に目覚めたの。テクデンクワは何かをきっかけに偶然魔法の力に覚醒する事象のことよ』
「ま……ほう……」
クオルの説明を聞いて、灯真はようやく思い出す。あの時、自分の中にあった力の存在に気付いたことを。
「灯真君、大丈夫かい?」
「護……さん!」
部屋に入ってきた護の姿を捉えると、灯真は無理やり体を起こす。ふらつきながら足を必死に動かし、護の体にしがみつく。
「護さん、魔法は1つしか覚えられないって」
「そう、だね。前にも教えた通り、人が覚えられる魔法は1つだけだ。灯真君はテクデンクワっていう」
「こんなの……僕が欲しいのはこんな力じゃない。護さん、言ったじゃないですか! 魔法はその人が一番欲しいと思った力だって」
「その通りだよ。だから灯真君は」
「僕が欲しいのは、母さんを生き返らせる魔法だ! 向こうの世界にいたらたくさん苦労しなきゃいけないから、母さんを生き返らせてこっちの世界で幸せになってもらうんだ! 今度こそ幸せになってもらうんだ! だから!」
それまで感情を出すことの少なかった灯真が、自分の思いを強く吐き出す姿に護は戸惑う。後からきたフェルディフやアーネスも同じだ。彼に伝えなければならない言葉は決まっている。しかし、護の服を掴む力は強く、必死の形相と相まって護たちの喉を締め付け発声を妨げる。
『それは無理よ』
部屋の中で表情ひとつ変えず、みんなの言葉を代弁するかの如く口を開いたのはクオルであった。緊張が走る中、彼女の口を塞ごうと動いたオルゼの右手を、左手が押さえつけた。彼女が言おうとしていることはわかっている。そして、それは誰かが彼に言わなければならない。みんなの視線が、クオルに集中する。
「えっ……?」
『キミの言った通り、魔法とは人が最も欲した力。どんな状況であったとしても、心の底にある願いが魔法の力として現れる。ただ、キミが亡くなったお母さんを生き返らせる魔法に目覚めなかったのは、それとは無関係』
「じゃあ……どうして……」
護の服から灯真の手が離れていく。そして、後ろを振り返ると灯真の大きく開いた目がクオルを見据える。
『キミは理解してるのよ。お母さんがもう、この世にはいないってことを。魔法の力を否定すると魔法を使えなくなるっていう病気があるけれど、それと同じ』
「だから魔法で母さんを!」
『キミのようにそんな魔法を望んだ人は今までもたくさんいたわ。でも、生きているものにとって死は必ず訪れる。死ねば魂は肉体を離れ、肉体は土へと還る。そして、それは記憶に深く刻まれ消えることはない。だからこの世界には、病気や怪我を治す魔法はいくつもあるけれど、居なくなった人を蘇らせる魔法は存在しない』
声は決して強くはない。しかし、彼女の言葉は灯真の心に深く突き刺さり、彼は膝から崩れ落ちた。あの日、ベッドで横になって居た母の手が冷たかった理由も、祖父母が黒い服を来て両手で抱えていた壺のことも、大きな額縁に入れられた母の写真や墓に火をつけた線香を供えた意味も、幼かったあの時にはわからなかった全てを今の灯真は理解している。彼女のいう通り、母親はもうこの世にいないということを。
魔法という存在に出会い灯真は一縷の希望を抱いていた。この地で母と暮らす夢を描いていた。しかし皮肉にも、彼が母親の死を理解したことが母親を生き返らせることを不可能にしてしまった。ヴィルデムでも地球でも、この認識を覆す方法はないといわれている。
「僕がいなかったら……母さんはあんなに苦労せずに済んだんだ……美味しいものを食べたり好きなことが出来たんだ……僕が小さかったから何も手伝ってあげれなかったから……だから身体を壊して……でも……今なら母さんを手伝ってあげれるから……ここなら邪魔する人もいないから……だから……」
徐々に目から零れ出す涙。そして彼の喉から溢れ出す声にならない悲鳴。それは彼がいた小屋の外、森の中に隠れている多くの動物たちの耳にも届いた。
『あれはきっと、あん子自身の壁やったんね』
『壁……ですか』
悲しい顔で灯真のいる小屋を見つめる森の主。陽の光を浴びながら身体を休めていたノガルダたちも、灯真の悲鳴を聞いて小屋へと近づいていく。
ジノリトは灯真との間には壁の様なものを感じていたが、それは人見知りな彼の性格によって生み出されたものだと思っていた。だから自分から灯真に話しかけ、会話を重ね、少しずつ距離を縮めるよう努めてきたつもりだった。しかし、彼が目覚めた魔法を見た時、ジノリトはその壁がもっと複雑なものであると、認識を改ざるを得なかった。
『あん子は自分のことを否定してたんえ』
『魔法で自分を閉じ込めていたのは、そういうことですか……』
『閉じ込めるというよりもあれは、あん子とこの世界との断絶。そう感じるんね。母親と何があったかはわからんけれど』
『アタシでもあればっかりは治せないわ』
ため息を吐きながら小屋から出てきたクオルは、ひどく沈んだ表情をしている。小屋の中では泣き叫ぶ灯真のことを護が優しく抱きしめていた。護と共に近くまで歩み寄ったフェルディフはどう声をかけていいのかわからず佇んだまま。
『仕方ないんね。心の傷はどれだけ尽くしても必ず傷跡は残るんえ』
『どんな怪我でも治せる自信があるけど、ああいう子を見るたびに自分の無力さを痛感させられる』
『なんでも1人で出来たら人が群れを成す必要はないんね』
『それに、貴女がいてくれたおかげでレクイースたちは危険な状態を脱した。我々だけでは重傷だった彼は命を落としてもおかしくはなかったんだ。どこが無力だと?』
『ゼフィー……ジノリト……』
彼女、メヒー・クオルはこの世界の歴史を探究する考古学者にして冒険家。太古の遺物 《ロド》が開かれたことを知り、学者としての血が騒いだ彼女は相棒であるオルゼを無理矢理連れてこの森へやって来た。森の主やジノリトとは、森にある歴史的建造物の調査をしたいと直談判しに訪れて以来交流がある。だが、勝手に調査するのは良くないとオルゼに説得され、真っ先に森の主の寝所へと向かった彼女らと護たちが合流したのは昨日のこと。
出血量が多く危険な状態だったラーゼアは運が良かった。考古学者として有名な彼女だが、治癒の魔法の使い手としてもその名を知られている。「非常に強力な魔法だが気まぐれな性格で治療してもらえるかは時の運」などと噂されているが、状況を理解した彼女は躊躇うことなく自身の魔法 《エルハ・オークスラエルテ(治癒の桜樹)》を使いラーゼアの命を繋ぎ止めた。灯真の胸の傷を治したのも彼女である。
クオルは目を閉じると、主たちから受けた言葉を頭の中で何度も反芻する。
『心の傷は自分でどうにかするしかないんえ。でも、手を差し伸べてあげる誰かも必要やんね。メヒやジノや、ジノの娘たちも。これまで多くの命を見て来たけど、あん子みたいなんは見ていて心苦しいんえ。それはきっとノダちゃんも一緒やんね』
3匹のノガルダは喉から途切れ途切れな高い音を鳴らし、その顔には悲しみの色を滲ませる。そんな3匹にアーネスが近寄り頭を撫でて落ち着かせようとするが、3匹の鳴き声は止まらない。
『フォウセの里にあるロドの確認もしたいし、アタシもしばらく同行するわ。何をしてあげられるかわからないけど、オルゼならきっとそうすると思う』
『そうしてあげてほしいんね』
『主様……今ちょっと、いいっすか?』
話途中だった2人と1匹のところにやってきたのはアディージェだった。右手には包帯を巻かれ首から吊り下げられている。意を決したような面持ちの彼を見て、クオルは眉間に皺を寄せる。
『治療はしたけど、まだ森の外に出るのは勧めないよ。アタシの魔法は傷の治りは早くても定着には時間がかかる。せっかく繋がった指の神経をまた切るつもり?』
『わかってます。ただ、ラーゼアもようやく意識が戻ったんで主様にちゃんと話をしてぇと思って。それと、ラーゼアが治してもらった礼もいいてぇって』
『そういうことなら、私も一緒に良いかな?』
『もちろんだ。フォウセとの約束を破っちまったことも、ちゃんと謝りてぇ』
『なら、場所を移すえ』
灯真のいる小屋を後にし、3人と1匹は少し離れた別の小屋の方へと移動する。ここは森の主の寝所から10メートルほど離れた位置にあるフォウセの隠れ家。森の主への用事で来た際に宿泊するために用意された施設。彼らの向かった先にはベッドで横になったまま手に持った指輪を見つめるラーゼアと、その傍らで彼の様子を見守るヴァイリオの姿があった。
自身の認識で魔法の力は大きく変わる……魔法の存在を否定すれば魔法の力は使えない……。
何とも悲しい話ですね、亡くなった(いなくなった)という認識が逆に人を生き返らせる方法を奪うというのは。
誰だこんな設定を作ったのは!?
灯真がフォウセの里での生活に馴染もうとしていたのは、きっと母親との生活を夢見たからなんでしょう。
そう思うと、胸が痛いですね。お母様を生き返らせてあげたかったですね。
灯真は立ち直れるんでしょうか……護は彼に何をしてやれるんでしょうか……
そして、アディージェたちは森の主やジノリトに何を語るのでしょうか……。




