第18話 襲うもの アウストゥーツ
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「これは……グランセイズ守護隊の……」
わずかに擦った跡は見られるが、真新しい鉛色の鎧。その肩にペイントされているのは、セルキール大陸4大国の1つ《オーツフ》のもの。また、鎧を身にまとった男はすでに息絶えていたが、首から下げている水晶のような石で出来た六角形のペンダントはオーツフの首都 《グランセイズ》の守護隊章であった。
「どうして守護隊が」
「さぁな、俺に聞かないでくれ。撤退途中だったこいつを捕まえて白状させようとしたらこのザマよ」
息絶えた男に外傷は見当たらず、体から血を流している様子もない。ただ、開いたままの口の端に白い泡の様なものが付着していた。
「その槍……」
アディージェの目に映ったのは水色の髪の男が持っている1本の槍。それは、アディージェが発見し、今はラーゼアの前で仰向けに寝かされている女性の体を貫いていたものと酷似していた。
「あ〜、こいつか? この野郎が持ってた武器だよ。そこら中に残ってるぜ」
「わけわかんねぇ……俺らが何したってんだよ……」
「なんだお前ら、知らねえのか? オーツフの王様が魔道具の独占に動いてるって話。反発する奴を町ごと襲ってるらしいじゃねぇの」
「バカなこといってんじゃねえ!? ハクナディール陛下は、魔道具の安定供給のために動いてたんだぞ!」
オーツフはこのセルキール大陸で唯一、魔道具に必要な石 《ネイストレン》の鉱脈を領土に持つ。生活必需品となっている魔道具を、セルキール大陸全土に広められるようにと流通に関して様々な取り決めを行い、不法売買の取り締まりまで行なっている。
天然魔道具を取り扱うレクイースたちの仕事にも理解があり、限りある資源の有効活用のためにとオーツフ王 《グルゥ・セイズ・ハクナーディル》は話し合いのために自ら町を訪れていた。アディージェはその姿勢に感銘を受け、人の上に立つものとして彼を目標に掲げている。
「だけどよ、このレクイースの町を襲ったとなっと、いよいよその噂も真実味が出てきてんじゃねえか? 昔から天然魔道具は商売敵みたいなもんだろ」
レクイースたちのいる町は、オーツフに属しながらも国から嫌がらせを受けてきた過去がある。魔道具により生活を豊かにしていこうとする国が、レクイースたちの研究している天然魔道具の流通を妨げたのだ。天然魔道具の採取は生態系に悪影響を及ぼす……それが彼らの言い分だった。研究のために遠征に出て、オーツフ軍に力づくで町に返されるなんてことも日常茶飯事だった。他国でも話題に上がっていたが、魔道具の流通停止を恐れ批判の声が上げることはなかった。
そんな状況を変えたのが、現国王である。彼が町に来て最初に行ったのは、レクイースたちへの謝罪だった。その時の様子は、当時幼かったアディージェとヴァイリオも覚えている。
2人は返す言葉が浮かばない。目の前の瓦礫の山が、道に転がる住民たちの遺体が、そして後ろで最愛の人の手を握り続けるラーゼアの姿が視界に入り、男の話の真偽を問う冷静さを奪っていく。王を信じたい気持ちはある。だが、この現実を受け入れなければならない。
「なぁ、俺と手を組まねぇか?」
思い悩む2人を前に、水色の髪の男は近くにあった瓦礫に腰掛けると妖しい笑みを浮かべる。
「まずは名前を名乗るべきだ」
「悪い悪い、フードの兄ちゃんの言う通りだな。俺の名前はアウストゥーツ。グランセイズにいる王様に喧嘩売ろうとしてる馬鹿野郎よ」
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『テメェ!』
護に向いていた体を反転させ怒りの形相で接近するアディージェには目もくれず、もう1本の槍を強く握ったアウストゥーツは勢いよく前進する。その先にいるのはラーゼアに近づこうとするノガルダと灯真、そして彼らを止めようとする護である。
『お前はいらねぇよ』
長い槍の横薙ぎが護に襲いかかる。受け止めることも出来た。ギリギリで回避することも出来た。しかし護はそれを躊躇った。踵を地面に刺すようにして速度を落とし、槍の範囲の外に後退する。ただの槍ではないと、あの槍に近づくべきではないと、護の本能がそう叫ぶ。
『なんだよ、来ねェのかよ』
アウストゥーツはつまらなそうな顔をしながら、突進して来たノガルダの頭を踏みつける。スピードに乗ったノガルダの体を苦もなく受け止めると、引きづられて来た灯真の首を手で掴み、槍の穂先を彼の胸に向ける。
「灯真君!」
『おっと、動くなよ。動いたらこのガキがどうなるか、見りゃわかんだろ?』
護はナイフを構えたまま、その場を動けない。動けば槍を持った男を倒すことはできる。だが、灯真は助からない。ひと昔であれば躊躇なくやっていた。護の記憶にある過去の映像が、目の前の現実と重なる。ターゲットを始末すること以外に関心を抱かなかったあの時とは違う。そう自分自身に言い聞かせてるほどに、失ってきた者たちの姿がフラッシュバックする。
『ラーゼア、今抜いてやるからな』
『大丈夫っす……ちょっと……痛いだけっす……』
『待て、アディージェ!』
ラーゼアを心配したアディージェが槍に手をかけたその時、柄の部分から突然短い刃が勢いよく飛び出した。ギミックの類ではない。柄から刃が生えてきたと言う表現が正しいだろう。小さな返しのついた刃は彼の手にいくつも穴を開け、槍から離れなくさせる。
『あああああああっ!』
『そんないい声を出してくれんなよ。興奮しちまうだろう』
アウストゥーツの浮かべる笑みに誰もが慄然とする。人の悲鳴に酔いしれるこの男の恐ろしさをひしひしと感じ、フェルディフの足が震えだす。
『さっさとこの寒いのも解除しろ。アンタだろ? フォウセの』
『その子を離せ』
『おいおい、命令できるのはどっちだと思ってんだよ』
槍の先端が灯真の肌にわずかに刺さり、胸の真ん中でチクッと痛みが走る。だが、灯真はその顔に恐怖を色を浮かべつつも声を上げない。首を掴まれているが、息ができないわけではない。しかし、声を出せばもっと刺される。ちらちらと脳裏に浮かぶ女性の姿が、灯真に嫌でもそう感じさせていた。
その様子を見て、ジノリトは表情を変えぬまま再び両手を力強く組む。すると、肌に当たる微かな風は温かさを取り戻し、寒さによる手足の震えも落ち着いていく。
『もう少し悔しそうな顔してくれてもいいんだぜ?』
『言う通りにしたぞ。早くその子を離せ』
『だからよぉ、なんでそっちのいうことを聞かなきゃいけねぇのさ』
また同じだ。灯真の心の中にはその言葉しか出てこない。状況に流されるまま何も出来ない。誰かの役に立つどころか、迷惑をかける。母親が辛い思いをしていた時も、病に倒れた時も、祖父母が悲しみに暮れていた時も。
(やっぱり僕はいてもしょうがないんだ。誰の役にも立てない僕なんかがいたら他のみんなが困るだけだから。どこの世界に行ってもそれは同じなんだ。僕が居てもいい場所なんかないんだ)
『良いぜ、この世の全てに絶望したその表情。最っ高だ』
男が恍惚として見入る灯真の目から光が消える。どこまでも続く夜の闇のように。灯真の顔から表情が消える。恐怖で引きつることも、涙を流すこともなく、顔の筋肉は力を失い口が閉じることもない。
(僕は……独りでいなきゃいけないんだ……)
その答えを導き出した時、灯真の胸の奥で何かが開くのを感じる。それは、アーネスに教えてもらった魔力を生み出す根源、魂と呼ばれる場所の奥深く。
そして灯真は何かを思い出す。これまでそんなものを使ったことはない。教えられたことも、練習したこともない。だがそれは、間違いなくずっと灯真の中にあった。彼にはそう思えた。何も考えることなく、灯真は魔力を体の外に放出する。ただ独りになるために。
『ん?』
その異変に最初に気付いたのは、アウストゥーツだった。灯真に軽く刺した槍が押し返されている。そう感じたのだ。
『目覚めたんかえ?』
灯真に起きた変化に森の主は覚えがあった。それは人が自分の最も望むものを確信した時、そして己の中にある力を知った時に起きた現象。
主の予想通り、灯真の体から現れた何かがアウストゥーツの槍を押し返していく。それは次第に広がっていき、灯真の体は地面から浮かび上がる。
『このガキの魔法か!?』
相手が隙を見せたところを護とジノリトは見逃さない。ジノリトは地面に刺していた槍を手に取り、護は足元の小石を拾い上げ、それぞれアウストゥーツに接近する。
自分の槍は灯真の生み出したものを貫けない。それがわかったのか、アウストゥーツの槍は足元にいたノガルダに向けられる。
(させない!)
護の指が拾った小石を弾く。狙うのはノガルダに向かう槍ではない。それを持ったアウストゥーツの右腕。当たった瞬間の音はとても軽かった。痛みなど決して感じることはないだろう。共に接近していたジノリトにはそう感じられた。しかし、アウストゥーツの顔は苦痛に歪み、持っていた槍が手から離れる。男の装備していた鱗模様のガントレットは銃弾でも当てられたかのように深くめり込み腕に食い込んでいた。
『ふん!』
『なめんな!』
ジノリトの渾身の突きが空を切る。アウストゥーツは体を反らしてそれを避けると、無事だった左手で右の前腕に付けていたショートソードを抜き取りノガルダの角の先端を切り落とす。
「ギャッ!」
『こいつさえ手に入りゃ、お前らに用はねぇよ』
ノガルダから離れていく角を痛む右手でキャッチすると、アウストゥーツの体から白銀の鎖が伸び、森の中に向かって引っ張られていった。
「追います!」
『止めるんだ。逃げた先に仲間がいるかもしれん。それよりも』
護を止めジノリトが向かったのは、槍に刺されたラーゼアのところだった。アディージェが持っていたナイフを奪い、ヴァイリオは刃先をジノリトに向ける。
『……逃げろ、ヴァイリオ。お前だけでも』
『愚問』
町を襲われ、たくさんの仲間を失った。これ以上誰かを失うことなど耐えられない。口には出さないものの、普段は冷静なヴァイリオの震える肩が彼の心の内をアディージョに理解させる。
意識が朦朧とするラーゼアの視界の端に、ジノリトの足が見える。
『オイラはどうなっても良いっす……だからこの2人は……見逃して欲しいっす』
『バカ! 何いって』
『オイラたちは騙されてたっす……でも……だからってこの森に入ったこと……とか……ノガルダの角を取ろうとしたのは……許されないっす……だから……』
ラーゼアの話が続く中、ジノリトは一歩踏み込み握っていた槍を勢いよく振る。相対していたヴァイリオが感じたのは風だけ。いつのまにかジノリトは彼の後ろ、ラーゼアの正面に立っていた。突然近くに現れた彼の姿に驚いたアディージェが、手の痛みに耐えながら構えようとする。そして気づいた。無数の刃に貫かれたままの彼の手が、ラーゼアの体から離れていることに。切られた際の反動の少なさと柄の部分に残る恐ろしく滑らかな切り口は、アディージェにジノリト腕前と彼の持つ槍の切れ味の凄さを思い知らせる。
『まずは治療をしなければ。話はその後だ』
『どうして……』
アディージェはジノリトの行動が理解できなかった。フォウセとの約束を破り、この森の主にまで危害を加えた。ここで命を奪われてもおかしくない。それだけの罪を犯したと思っていた。
『気になっていたのだ。お前たちを見るノガルダの目が』
ジノリトは再び槍を構えると、姿勢を低くしてラーゼアの腹から突き出ている柄に槍を突き刺す。地面との繋がりが途絶え倒れそうになるラーゼアの体を、無傷だったアディージェの左手が支えた。
『ノガルダは角の力を使わずとも、他者の感情に敏感なのだ。その彼らがお前たちを恐れるでなく、心配するような目をしていた。何か理由があるのだろうということはすぐにわかったさ』
ヴァイリオが先ほどまで感じていた圧はいつの間にか消え去り、ジノリトは穏やかな表情を見せた。優しさが滲み出るその顔は、アディージェらがかつて町で見かけた時と同じだった。
『アーネス!』
『はっ、はい!』
『急いで彼の治療を始める。準備を!』
言われるがまま、アーネスは運んできた荷物の中から瓶に入った薬品と道具袋を持ってジノリトの下に駆け寄った。
「これは……」
ジノリトがアーネスと協力してラーゼアの処置を始める中、護は急に魔法が発現した灯真の様子を伺っていた。球体状の不思議な壁に囲まれ宙に浮いている彼は、意識がないのか目を瞑ったまま一言も発しない。フェルディフがぐるりと壁を一周するが、壁は完全に灯真を閉じ込めている。
『これ、トーマの魔法?』
「おそらくは。話には聞いたことがあったけど、これは」
『《テクデンクワ》やんね。わちも目にするのは久しぶりえ』
何者なんだ、アウストゥーツ。
強いし、アディージェたち騙してたし、目的は何なのか。
あの感じだと、アディージェたちに言ったこともきっと嘘なんでしょうね。
逃げられたおかげで助かった護たちですが、
灯真君よ、君は本当に灯真君か?
魔法違うんじゃないかい??
ノガルダの角の力もわからんし、主様のいう「テクデンクワ」って何ですか!?
と、謎を残したまま次回に続きます。




