第1話 疑うもの 朝比奈 護
「勇人……怒ってるだろうな……」
5月1日……立夏を前に近年稀に見る猛暑となったその日、世間がゴールデンウィーク真っ只中にも関わらず、湿気によって縦横無尽に広がった癖っ毛のこの男は神奈川の自宅から900キロも離れた宮崎まで来ていた。大事な約束がありながら処理待ちの仕事を大量に抱えていた部下の代わりに。「人が良すぎる」と注意する友人の顔が目に浮かぶ。
「帰りに美味しいものを買って帰らないと」
妻には急な仕事が入ったと一言伝えただけ。出発の時にまだ寝ていた幼い息子には何も言わずに出てきた。遊びに行く約束をしていただけに、帰ったら丁重な謝罪と手土産は必須である。
依頼自体は『先祖代々の土地に入ってくる輩の調査』であったが、緊急度の高いものではなかった。なぜならその輩は法執行機関の職員を名乗り、事件の捜査のため来ているのだという。魔法使い登録の証明書も提示してきたので偽物ではない。しかし、何があったのか聞いても捜査情報は教えられないの一点張り。心配になった地主が調査機関で働く友人に、自分達や周辺住民に危険が及ばないかどうかの確認を依頼してきたのだ。
『向こうに確認のお願いはしたんですが、全然返事が来ないんですよ……もう1週間も経つのに。まぁ、いつものことですけど』
そう言って、依頼を請け負った調査員は肩を落としていた。他の調査も立て込んでいて返事の催促を忘れていたというのもある。しかし内容を見た時、この男、朝比奈 護調査機関日本支部長は何か引っかかるものを感じ現地に直接赴くことに決めた。
以前から法執行機関が単独で捜査を行い、調査機関に情報が届かないなんてことはよくある。魔法が使われたことを示す魔力残渣は時間の経過によって発見できないことも多く、そのせいで証拠集めが難航したことは数知れず。思い出すだけで護は頭を抱える。しかし今回はそれとは違うと、護の勘がそう告げていた。
「モッさんに繋がればここまで来ることなかったのに……」
法執行機関といえど、組織全体が同じ対応をしてくるわけではない。次期日本支部長と噂されている日之宮 一大 北欧支部主任は、調査機関と同時並行で行動してくれる数少ない理解者の1人である。そんな彼に何度も連絡を試みている護だったが、電源が入っていないというアナウンスが流れるのみ。深いため息を零しながら護は携帯をポケットにしまう。日は傾いてきているというのに、夏到来と言わんばかりの異常な暑さと湿気。歩いて目的の場所に向かう護の服は肌に吸い付き彼を不快にさせる。
「魔道具……使いたい……」
冷たい水や涼しい風を渇望しながら、額から汗を垂らす護は道の先に見えた大きな門を目指して足を速める。前髪が滲み出た汗を吸い、額にべったりとくっついてくる。
「こんな遠くまですまんねぇ。まさか支部長さんが来てくれるとは思わんかったよ」
門の中から杖をつきながら現れた1人の高齢男性。目元の深い皺から生きた年月の長さを感じさせるその人は、息を切らす護に右足を引きずる様な足取りで歩み寄る。
「ご無沙汰してます、清さん。ちょっと……みんな立て込んでまして」
「いやいや、そちらさんに無理言って調べてもらってんだ。文句なんか言わんよ」
関守 清……この周辺一帯の土地の持ち主であり、今回の依頼主である。豊かな白髪やピンと伸びた背筋、そして袖口から見える逞しい腕は、とても今年で80歳を過ぎたとは思えない風貌である。
「ただ……どうも嫌な予感がなぁ……」
そういって清は顎先を指で撫でる。額の汗をハンカチで拭っていた護は彼の目線がスッと左上に動くのを見逃さなかった。
「似たような感じを以前にも?」
「ん?……ああ、昔でかい地震があった時にな。でもどうして?」
「話をしてるときに左上を見るのは、昔見たことを思い出してる時だと教わったことがありまして」
「さすがだねぇ。息子に爪の垢を飲ませてやりてぇよ」
「私なんて、まだまだですよ」
「そういうところもだよ。さっ、立ち話もなんだ。こっちへ来てくれ」
清に案内され門を潜ると、目の前に現れたのは広大な庭……ではなく、畑であった。キャベツにほうれん草、その他にもたくさん植えられている。奥には小さなビニールハウスも見える。ここだけでも都心なら、駐車場と庭付きの戸建が10棟は建つだろう。
「今もこんなに育ててるんですね」
「新しい野菜の実験も兼ねてんだ。息子は興味ないみたいだが、孫と一緒にな」
「お孫さんですか?」
「ああ。小さい頃は体が丈夫じゃなかったんで、うちで預かってることが多かったんだ。そんで一緒に野菜の収穫したりして、こういうのに興味を持ってくれたらしい。今はうちの畑をいくつか任せてる。儂の孫とは思えんくらい有能だよ」
嬉しそうにそう語る清を見て、護はいつか来るかもしれない息子の結婚や孫の誕生を想像する。
「いいですねぇ……僕もいつか、清さんみたいに孫と一緒に何かやりたいです」
「気が早いんじゃないかい? お前さんのところはまだ5歳にもなってねぇだろう?」
「いろいろ覚えたせいか、わがままばかり言って妻共々困ってます」
「ガッハッハッ! 歳とりゃ、それもいい思い出になるってもんよ!」
豪快に笑う清に案内され護は関守家の屋敷にたどり着く。土地の広さの割にそう大きくない平家の戸建。手入れの行き届いた綺麗な外装ではあるが、護の目の前にいるこの男性は日本を代表する大企業「関守産業」の会長。そんな人物が住んでいるとは思えない質素な家。設立に向けて準備が進められている、未成年魔法犯罪者収容施設の方がよっぽど大きいし立派である。
「どこ行ってたんだよ、親父!」
怒鳴り声と共に不機嫌そうな顔の男が玄関から出てくる。清は眉間に皺を寄せて男を睨みつけた。目元は清に似ているが、弛んだ二重顎やよく膨らんだ腹部は彼が運動とは無縁の生活をしているだろうと感じさせる。
「ここは儂の家で、儂の庭だ。どこに行こうが儂の勝手だろうが!?」
「法執行機関の人たちが捜査してる最中だから、勝手に外を彷徨くなって言っといただろ!?」
「テメェが勝手に話進めたんだろうが、康夫。儂は許した覚えはねぇ!」
清の言葉の圧は、隣で聞いていた護であっても慄くほど強烈なものだった。目に悔しさを滲ませながら、康夫と呼ばれた男は口を閉ざす。
「関守 康夫さんですね? その法執行機関の捜査について少しお聞きしたいのですが……」
「誰だあんたは?」
「私は調査機関日本支部の朝比奈 護と申します。こちらに事件の情報が届いていなかったので、清さんも心配されてましてね。確認に伺った次第です」
護が名乗ると康夫は明らかに驚いた様子を見せる。そんな彼に何かを言おうとする清の前を護の手が遮る。
「その捜査しているという事件の概要について、康夫さんは伝えられているのでしょうか?」
「いや……俺も教えられては……」
「では、捜査員の方々は今どちらに?」
「……さぁ」
右手で頭を掻きながら、康夫の目線は右上に動き護と目を合わそうとはしない。
「そうですか……ではこちらで探してみます。清さん、山にはどこから入ったらいいのか案内してもらえますか?」
「ああ、構わねぇよ」
「なっ!? 勝手なことされたら怒られるのはこっちなんだ。家で待ってりゃいいだろう?」
止めようとする康夫に、護の冷たい視線が刺さる。足は地面に繋がれたかのように全く動かず、背筋に震えが走った。
「勝手なことをされているのはこっちなんですよ。だから、黙っていてください」
先ほどの清とは違う静かな声色だというのに、伝わってくるものは全くの別物。耳から入ってきた護の言葉で、心臓を強く握られたような苦しさを覚える。
(なんだこいつは……たかが調査員のくせに……)
康夫は何も言い返さず、逃げるように家の中へと戻っていった。その様子を見ていた清がニヤリと笑みを浮かべる。
「お〜、怖い怖い。あのバカも、誰に喧嘩売ってんだか」
「……清さん……今回の調査、少し急ぐ必要がありそうです」
家の後方に広がる山を、護は険しい表情で見つめる。それまでとは全く異なる空気を出す護を見て、清の顔から笑みが消えた。
「どうしたってぇのさ?」
「もしかしたら、事件なんて起こってないのかもしれません」
「じゃあ、法執行機関の連中は何をしに……?」
「それはまだわかりません。ただ、康夫さんはおそらく嘘をついています」
「康夫が嘘ついてるとしてもだ。来た連中の登録証は儂も確認した。間違いなく本物だった」
「では、その捜査員たちに直接聞いてみるしかありませんね」
舞台は第1、第2章の15年前。西暦2000年くらい……まだスマホもSNSもない時代です。
プロローグでは最重要指名手配犯として名前が上がっていた朝比奈 護……
灯真や蛍司たちは亡くなったと口にしていましたが、彼は一体何をしたのか……
ようやく今まで語れなかった過去のことを書けるのでちょっとワクワクしてる自分がいます。




