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神の業(わざ)を背負うもの  作者: ノイカ・G
第3章 帰らぬ善者が残したものは
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第33話 出会ったもの 国生蛍司

「」は日本語、『』はそれ以外の言語での会話を表しています。

会話が成り立っている場合は魔道具を使っています。

基本的に異世界の人はみんな、日本語を喋ってはくれません……。

「トイレまでの明かり、もっと増やせんのかい」


 グランセイズ城内居住区画。ロドを通ってきてしまった子供たちのため、敷地内に増設されたここにはトイレが無く、隣接する守護隊寮にあるものを利用しなければならなかった。壁に設置している明かり代わりの発光石(ティノッツ)はどれも光量が弱く、天井が高く広い廊下を照らすには不十分では無いかと思える。

 しかしそれは彼が、国生 蛍司がここでの生活に慣れていないせいでもある。守護隊の兵士たちは暗い中での戦闘訓練も行っているので、この程度の光量でも問題なく行動できる。必要があれば自分の魔力を僅かに放出し、発光石(ティノッツ)の反応を強くして光を強くすることもできる。


「これで寒かったらホンマにお化け屋敷できんで」


 兵士たちがそんな使い方をしているとは露知らず、蛍司は暗い廊下を壁伝いに歩いていく。少しずつ目が慣れてきたのと、ちょうど雲に隠れていた月が姿を現し光が窓から入り込んできたのもあって、次第に壁を触れていなくても問題なく歩けるようになっていった。


「月って、こんなに明るいんやな……」


 窓の外を覗けば、大きな満月が夜空に浮かんでおり、蛍司が後ろを振り向くとそこには自分の影ができている。

 再び窓の方に向き直し視線を下げれば、見回りをしている人や、夜遅くなのに剣の素振りをしている人が見えた。どちらも守護隊の人だということは、着ている服ですぐにわかった。


「見回りの人は仕方ないにしても、夜は寝ないとあかんて。睡眠不足は成長の天敵って父ちゃん言うとったで……って俺もか」


 ふと、ここに来る前のことが蛍司の脳裏を過ぎる。あの日蛍司は、突然両親に連れられて、京都にある祖父の家に遊びに行った。いつもなら正月の挨拶の時しか行かないのに、ゴールデンウィークだからと急に。理由はわからなかったが、京都に遊びに行けると蛍司はワクワクした。


「父ちゃんたち……最初からこうするつもりだったんか」


 蛍司は昔から人の気配を察することに長けていた。クラスの中で誰が何をしているのか何となく把握していたし、先生が教室に近づいていることに気付けば友人らにそれを告げ、席に座ることを促し先生を驚かせたりもした。

 京都に行くと言われた時、父親から深刻な様子は感じず、単に京都に用事が出来たのだろうと蛍司は思っていた。祖父の家に向かう間も京都に着いたら今回はどこに行こうかと話していた。急に来た蛍司らに祖父は驚いていたが、父親は高齢になったから様子を見にくる機会を少し増やそうと思ってと話した。間違いなく、いつもと変わらない優しい父親だった。最初は疑うような顔をしていた祖父も、蛍司に見せるのとは違う笑みを浮かべていた。

 しかし、立ち入りを禁じられていた山で出会った父親の、無表情のまま自分の手掴んだ父親の姿が、蛍司には他人のように感じられた。母親は光の柱に放り込まれる蛍司を見ることなく、父親と向き合って頷いているだけだった。


「なんか俺……悪いことしたんか……」


 灯真やガートラムの前では気丈に振る舞っていても、蛍司はまだ中学3年生。15歳に満たない彼の心の中でそれは小さく、しかし深い傷を作っていた。


「あっ……」


 誰もいないはずの廊下で、女性の声が蛍司の耳に届く。深く考え込みすぎて、人の気配に気付けなかった。ハッとしてすぐに袖で目の周りを雑に拭い、声のした方に目を向けると、別の窓から入る月光に一人の少女が照らされていた。胸まである長い黒髪に、月の光でより白さが際立つ肌。目元は髪で隠れているが、白いワンピース姿の少女の視線を蛍司はすぐに感じ取った。


「えーっと……そのぉ……」


 恥ずかしいという気持ちが蛍司の頭の中をぐるぐると周り、いつもならいくらでも出てくるはずの言葉が何一つ浮かんでこない。視線を合わせることもできず困っていると、少女は窓とは反対側の壁を伝って恐る恐る蛍司の後ろを歩いていく。廊下の先にあるのは増設された居住区画のみ。彼女が自分と同じように、こちらに来てしまった人間であると気付くのに時間はかからなかった。


「おっ俺、国生 蛍司っていうや。君もようわからん光の柱でこっちの世界に飛ばされてきたんやろ?」


 蛍司が何とか絞り出した言葉だったが、少女は彼の声に体をびくつかせるだけで歩みを止めようとはしない。少しずつ平常心を取り戻した蛍司が彼女から感じ取ったのは恐れ。一体何に怯えているのかはわからない。この暗い空間になのか、人になのか、蛍司自身になのか。

 蛍司はそれ以上話しかけることはせず、彼女に背を向けて再び月を眺めた。彼女の足音が聞こえなくなるまで。




「なあ、兄貴。俺と同じようにこっちの世界にきた女の子で、黒くて長い髪の子、知らん?」

『女の話をするまでに手ぇ動かさんかい!』

「手はちゃんと動かしとるって」


 翌日のグランセイズ城地下、ネイストレン鉱脈。その日も鉱夫たちは巨大鉱脈の大きさを図り、出荷するネイストレンの切り出し作業を行っている。

 洞窟内に(のみ)をハンマーで打つ音がいくつも響く中、作業許可が出ていない蛍司は、先輩であるガートラムの切り出したネイストレンをサイズごとに分けている。おかしなことを聞かれたガートラムが作業を止めて後ろを向けば、顔を上げたまま手の感触だけでサイズを図り箱に収めている蛍司の姿がそこにあった。


『……ケージ』

「何や?」

『集中せんと親方のゲンコツくらうで』

「ちゃんとやっとるやろ!?」

『どこがじゃ!』

「いっ!」


 厚めの手袋をしたガートラムのゲンコツが、蛍司の頭に振り下ろされる。柔らかい布越しとはいえ鈍い衝撃が蛍司の頭の内部にまで届く。脳が揺さぶられ意識がぼんやりとしている中で蛍司が下を向くと、そこにあったのは籠の中に入った大きさのバラバラな鉱石。


『仕事に集中しとらんからじゃ』

「……すんません」


 蛍司がしょんぼりした顔で鉱石を大きさごとに別の籠へ入れ直していると、ガートラムは肩を竦めその場に座り込む。ここで働かせるようになってから、蛍司が真面目に仕事に取り組んできたのは監視役であるガートラムが一番よく知っている。時折視線が別のところに向いていても、この作業で間違えたことは一度もない。


『ケージのいう女子(おなご)っちゅうんは、多分あの子じゃな』

「兄貴、知っとるんか?」

『ちーとばかし話題になっとったんじゃ。今んところ、保護されてきた子供ん中では一番きつい生活だったはずじゃ』

「きつい……生活……?」

『その子はエイツオ(北の国)にあるロドから迷い込んだ子じゃが、最初に発見したのがタチの悪い商人でな。とっ捕まって随分とこき使われとったみたいじゃ。そのせいでかのぉ、男に対して過敏に反応しとるらしいんじゃ。居住区でも別部屋にされとるじゃろ』

「そういや、一人だけ違う部屋におるって……」

『命が助かったのは、一緒に働かされてた女子(おなご)たちのおかげだったらしくてな。エイツオ軍が保護活動に動き出した時も、その人らが協力してくれたから無事保護されたっちゅう話じゃ』

「まさか……襲われたりとか……」

『詳しい事情まではわからん。けど、服で隠せるところにばっかり怪我した跡があるっちゅう話じゃ』

「そっか……だから俺が話しかけても……」

『そういうわけじゃから、ケージには望みはないっちゅうことじゃ。諦めて仕事に集中するんじゃよ』

「そうかぁ……望みはな……って別にそういう話とちゃうわ!」

『おお、そんな顔するんは初めてじゃな』

「兄貴ぃ……」


 父親を亡くし、女手一つで育てられたガートラム・アーザヌ。必死に働く母親を心配させまいと、彼は人の心情を察する能力を自然と身につけていった。そんな彼だからこそ感じとれた、蛍司の振る舞いへの違和感。その心の奥底に眠る何らかの傷跡。

 ガートラムがそれに関して口を出すことはない。上司であるビヌイゴにも話していない。それは無理に聞き出すものではなく、彼が話せるようになったとき耳を傾けるものだと思ったからである。ビヌイゴにそれを伝えたら、酒に酔った勢いで聞き出そうとしてしまうのは目に見えていた。それで苦労したのは、ガートラムにとっても苦い思い出である。


『いい出会いかもしれん。大事にするんじゃ、ケージ』

「いや、だからそういうんやないって」


 表層しか本心を見せようとしない蛍司が初めて見せた顔に、ガートラムは悪戯っぽい笑みで返した。少しだけ心を開いてくれたことに喜びを感じながら。




「ヒッ!」


 うわずった声が居住区へと続く廊下に響く。みんなが寝静まった深夜、少女は数日前に出会した蛍司を再び見つけ思わず声をあげた。


「おう、また会うたな」


 蛍司は少女の方を向くことはなく、ただ窓の外を眺めている。窓の下枠に肘を乗せ、視線は空の方を向いている。そこには初めて会った時と同じように彼を照らす月があった。

 少女は恐る恐る壁の方に寄ると、足音を立てないよう、月の光を浴びている蛍司の邪魔にならないよう、静かに通り過ぎようと足を動かす。それでも素人の足運び。音を完全に消せるわけがなかった。


「この前はごめんな。急に話しかけて」


 蛍司の言葉の直後、少女の足音が止まる。この静かな廊下では、少女が必死に息を殺している様子が見ていなくてもわかる。

 蛍司は振り向かない。きっとここで顔を見せれば彼女はまた逃げてしまうと、そう感じた。


「何かしよ思うて来たんとちゃうんや。ここ、月がめっちゃ綺麗でな。ちょっとだけ京都のじっちゃん家を思い出すんや」

「京……都……」


 それは確かに少女の声だった。弱々しいが、透き通った綺麗な声だ。


「住んでんのは東京やけど、向こうは外が明るすぎてこんなに綺麗な月は見れへん。けど、じっちゃん家は裏が山だからめっちゃ綺麗に見えんねん」

「北海道……も……月……綺麗……」


 辿々しいけれど、少女から言葉が返ってきた。普段の蛍司ならすぐにでも振り向いただろう。しかし、そこをじっと堪えて話を続けた。


「北海道かぁ。小3とき函館に行ったことがあるわ。イクラ丼がめっちゃ美味かったなぁ」

「京……都……の……お料理も……美味しい……です……」

「せやな。俺、じっちゃん家に行くと漬物が美味すぎて何杯もご飯食べてしまうねん。母ちゃんが引くくらい」


 クスクスと笑う少女の声が蛍司の耳をくすぐる。


「さて、もう遅いしトイレいって寝るとするかな」


 少女と顔を合わさぬよう気を付けながら、蛍司は居住区画の方ではなく守護隊領の方へ足を動かす。そうしなければ、彼女が部屋に戻れないから。


「あの……」


 少女の小さな声が蛍司の足を止める。だが振り向かない。動きそうになった上半身を、蛍司は無理やり押さえ込む。


「ありが……とう……お話……して……くれて」

「ええねん。話し相手くらい、いつでもなったる。またここでな」


 それからというもの、毎日この時間この場所で、二人はほんの僅かな時間を一緒に過ごした。決して顔は合わさず、距離も詰めず、言葉を交わし合うだけ。住んでいたところ、美味しかったお菓子や料理、知らない地方のチェーン店名など、些細なことばかり。だが、次第に彼女の声が明るくなっていったのはわかった。彼女の名が『宇陽 瑠佳(うよう るか)』であることも聞き出すことができた。


「蛍司の名はね、頑張ってる人をいい方向に導いてやれる男になれって意味で父さんが付けたの」


 母から教えられたその話が、蛍司に頭の中に何度も浮かび上がっていた。


10月以降、あまりの忙しさに更新が滞っておりましたが、ようやく1話分書き終えました。

といっても、本筋ではなくちょっとだけ蛍司にスポットを当ててのお話。

瑠佳ちゃんは2章でも名前が出ていますし、プロローグでも登場していたのでね。


主人公の話に戻したいところですが、もう1話だけ別の場面を挟む予定です(過去編はやることが多いですわぁ)。


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