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君と俺が、生きるわけ。  作者: 蒼原悠
第一章 隣の君との“Connection”
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Karte-01 病室の扉






 遥か先の景色が、澄み渡った空のスクリーンにぼんやりと浮かび上がっている。

 俺が『七〇五病室』に収容された二月二十八日の午後は、それほどに気持ちのいい快晴が、どこまでも冬の街を覆い尽くしていた。




 床面積の大きなエレベーターに乗って、一階から七階へ。廊下に出て右手を見ると、吹き抜けの先に『スタッフステーション』と書かれた部屋があって、白い服に身を包んだ人々がおおぜい待機していた。ほのかな薬品の香りのする廊下の右手には、飾り気のない病室の入り口が整然と並んでいる。

「こちらになります」

 俺たちを案内してきてくれた看護師さんは、『七〇五』と書かれた看板のあるドアの前に立って、後ろに控えていた俺と母さんに微笑んだ。

「確か、四人部屋でしたよね」

 母さんが看板を見ながら尋ねた。四人分の名札用の枠がそこには用意されていて、俺の名前が今、その空いている部分に看護師さんの手ではめ込まれたところだった。

「ええ。今は、友慈(ゆうじ)くんともう一人だけなんですけどね」

 言いながらドアをノックした看護師さんは、入るわ、と中に向かって声をかけた。

 もう一人って誰だろう。名札をよく見ようとしたのに、母さんに急かされて失敗した。

「ほら、友慈。突っ立ってないで入ってよ」

「……ごめん」

 仕方ないや。後で見に行くか、もしくは本人に聞こうっと。

 俺たちは看護師さんの後に従って、真っ白な壁の病室に足を踏み入れた。


竹丘(たけおか)友慈(ゆうじ)

 ──枠の中に嵌められたばかりの、俺の名前が書かれた名札プレートは、なんだか少し窮屈そうに見えた。




   ◆




 俺は、友慈。名札の通り、苗字は竹丘。東京の田舎の方に住む、十四歳の中学生だ。

 近所の市立中学に通いはじめてから、もう二年近くになる。家族は両親だけ。友達はいるけど、彼女はいない。学校の女子は、ちょっと苦手だった。

 部活は陸上をやっている。中一の時に何となく惹かれて入部して、以来ずっと短距離チームに属して練習を重ねてきた。自慢じゃないけど、今では部のエースって言われるくらいには速いんだ。勉強は嫌いでも、部活に熱心に取り組む俺を父さんと母さんは二人して応援してくれている。

 そんな俺が、どうして入院することになったのか。その話をするのには、時間を二週間ほどさかのぼらなきゃならないんだ。


 ここ二週間、毎朝起きるときに、ひどい頭痛がするようになった。

 妙なのは、思い当たる原因が何一つないことだ。内科に行って診てもらっても、特に悪いところは見当たらない。そうこうしているうちに、ちょっとした吐き気まで催すようになった。

 うちの母さんは心配性だから、「病院で検査するわよ」ってうるさかった。だから仕方なく、嫌々ながらも近所の病院に検査を受けにいった。

 確かに変ではある。けど、何だかんだ言って風邪ってことで落ち着くだろうな。当事者でありながらそれくらいの認識でいた俺に、検査に当たった白髪のじいちゃん医者は蒼白な顔で結果を突き付けてきた。それがもう、一週間前のことになるのかな。


 ……脳腫瘍の疑いが、あるというんだ。


 ここは小さいところだから、詳しいことは分からない。きちんと調べて対処するには、それなりの規模の病院に検査入院しなきゃいけない。

 そう説明したじいちゃん医者が薦めたのが、この病院への入院だった。

 国立病院機構東都病院。俺たちの住む東京都北部のエリアでは、指折りの巨大病院なんだそうだった。

 いかにも都心にでんと構えていそうな名前をしているけれど、立地しているのは清瀬っていう小さな市だ。周りには緑も多い。療養にはもってこいだろうからねぇ、なんてじいちゃん医者は言っていたっけ。早々と脳腫瘍と決めつけられているみたいで気分はよくなかったけれど、俺と母さんは承知せざるを得なかった。そんなことよりも、呆気なく突きつけられた病名に戸惑う気持ちの方が大きかったから。


 俺が今こうして入院することになったのには、そういう経緯があるんだ。




   ◆




 看護師さんは松山(まつやま)由実子(ゆみこ)と名乗った。順繰りに他の患者のところを廻る普通の看護師さんと違って、松山さんは『プライマリーナース』──云わば俺専属の看護師さんなんだそうだ。

 ポニーテールで長い黒髪をまとめていて、化粧のせいか眼力が強い。俺、内心ちょっとびびったかもしれない。喧嘩しようとしても迫力の時点で負けそうだな、俺……。

「こちらの病室で今後、順番に各種検査を受けながら滞在していただくこととなります。入院費用につきましては、先日ご相談をいただいた折の説明通りです」

「あの……息子はいったいどんな検査を受けるんですか?」

 って母さん、それここで聞くことじゃないだろ。スマホや財布を貴重品保管箱に入れながら、俺は心の中でなだめる。こういう心配性なところがよくないんだよなぁ、母さんは。

 松山さんも俺と同じ気持ちだったのか、くすりと微笑んだ。眼力が、ちょっと落ちたかもしれない。

「そうですね。脳腫瘍というのは分かりやすく言い換えれば、脳細胞に生じるガンのことです。ガンが生じているのか、そうであればどこにどのように存在するのか、そういったことを突き止めることになります。ですのでCTスキャンやMRI、それから脳血管造影検査などが行われることになりますね」

 へえ、知らない名前ばっかりだ……。

 ぼんやりとよそ見をしていた俺の頭を、不意に母さんがガッと掴んだ。「こらあんた、ちゃんと聞いときなさいよ。受けるのは私じゃなくて、あんたなんだからね?」

「大丈夫ですよ。後ほど改めて、主治医の方から説明がなされることになると思いますので」

 ほら、だから言ったじゃん。

 松山さんと俺は、顔を見合わせて苦笑した。すぐにその笑みを消し去った松山さんは、今度は入院生活についての説明をし始める。母さんも相変わらず、熱心に聞き入っている。

 また手持ち無沙汰になった俺は、広い広い病室の中をぐるりと見渡した。


 部屋の大きさはどのくらいだろう。一辺が五メートル以上はあるから、だいたい五十平方メートルくらいなんだろうか。

 床と同じだけの面積のある天井にはLED蛍光灯が並んで光を放ち、そしてその下にカーテンレールが張り巡らされている。四つのベッドはすべて仕切れるようになっているようだ。って、当たり前か。プライバシーも何もなかったら、つらいよな。

 俺のベッドは窓際で、そこからは清瀬市や隣の東久留米市の街並みの向こうに、都心のビル群を望むことができた。枕のそばにはテレビ台や棚、それから貴重品保管箱なんかが一つの木製家具に収まったものが置いてあって、その向こうに今、横たわる別の人の姿を見ることができる。

 あれが、俺じゃないもう一人の患者なのか?

 俺はその背中を観察した。だらりと頭から下がっている髪が長いのを見ると、女性みたいだ。かすかに寝息を立てながら、その人はぐっすり眠っている。そのわりにカーテンも開けっ放しで不用心なのは、昨日まで隣人がいなかったからか。

 なーんだ、これじゃ挨拶もできやしないよ。

 ふう、と息をついた俺は、ベッドに腰を下ろした。


 殺風景な部屋。隣の奴は昼間っから眠っているばかりで、他に同じ部屋の仲間はなし。窓からの景色は確かに綺麗で癒されるかもしれないけど、どうせ三日もすれば飽きがくるに決まってる。

 つまんないの。

「……こんなとこ、すぐに出てやるんだからな」

 俺は自分にしか聞こえないように、口の中で小さくつぶやいた。

 だいたい思い返せば、入院そのものが不本意だったんだよ。あと数日もすれば、俺たちの部の出場する春の大会がやって来るんだ。エースの俺が抜けちまったら、穴を埋めるのは大変なんだからな。地区大会は突破できたとしても、本選のある一ヶ月後までには絶対に戦線に復帰しなきゃいけない。いや、復帰したい。

 脳腫瘍だか何だか知らないけど、そんなの俺が気合いで治してやるんだ!


 一人で黙って闘志を燃やしていた俺を、母さんと松山さんが呼んだ。いつの間にか病室の入り口に向かっている。

「行くわよ、友慈。主治医の伏見先生が呼んでるんですって」

「はーい」

 俺はベッドを下りて、母さんの後ろに付き従った。


 ──隣のベッドの前を通り過ぎる時、目を閉じてすやすやと眠る隣の奴の顔が見えた。

 ゆっくり眺めている暇は与えられなくて、すぐにドアを抜けてしまった。俺のひとつ上の枠にはまっていた名札を、今度こそは確認することができた。

 『野塩愛』─そう書いてあった。のしお? やえん? あの苗字、何て読むんだろう?






 昼間っからぐっすりと眠る、風変わりな苗字の子。

 彼女の第一印象は、そんなものだった。






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