第21話
後ろから強く抱きしめていた大輝君の腕が緩んで、振り向いた途端に今度は腕を掴まれた。
「痛っ……」
強く掴まれたままの腕を引っ張られて、アパートの2階にある私の部屋に向かう。
部屋の前まで来ても腕を掴んだままの大輝君の顔は、今まで見たこともないほど強張っていた。
とりあえずバックから鍵を出してドアを開ける。
中に入ってドアが閉まった途端、玄関の壁に押し付けられて、すぐに唇が塞がれた。
「んんっ!」
キスはどんどん深く、激しくなっていき、息をするのもやっとで頭がぼ~っとしてくる。
暴走気味になっている大輝君になんとか話をしようと思うけど、押し付けられた身体はビクともしないし、頭を動かしてキスをやめさせようとしても、後頭部をがっちりホールドされてそれも出来なくなった。
いよいよ息苦しくなってきたところで、ようやく唇が離れ、そのままギュッと抱きしめられた。
大輝君とこうして抱き合っているのも、キスをするのも、本当はすごく幸せなんだけど、今みたいな状況ではそうも言っていられない。
早く、ちゃんと主任との誤解を解かないとと焦って、大輝君の腕から逃れようと身をよじった。
「だ……大輝君。あの、ちょっと、離して? 私、大輝君に話さないといけないことが……」
その時、何か違和感を感じた。
大輝君の身体が、時折小刻みに震えているような……?
「――っ……うぅ……くっ!」
え……?なに?今の……声?
ハッとして少し緩んだ大輝君の腕からすり抜け、その顔を見上げると……
「えっ? 大輝君!?」
上を向いてとっさに自分の腕で顔を隠そうとしたが、そもそもそんな程度じゃ隠せないほど、かすかに嗚咽が漏れる口元まで涙で濡れている。
な……泣いてる!?
大きな身体を震わせて、必死に声も涙も止めようとしてるようだけど、全くそれが出来ないほど泣いている姿にしばし驚いて呆然としていたけど、急にドキドキが止まらなくなり自分でもビックリ。
こんな姿にキュンとくるなんて、やっぱり私ってSなの? そうなの!?
イヤ、そんなことより――
とにかく落ち着いてもらわないと話も出来ないと思い、手を握ってそのまま部屋の中へ引っ張って行った。
まだ涙が止まらない大輝君をとりあえずベッドに座らせて、エアコンを付けて電気ポットでお湯を沸かす。
コーヒーを持って部屋へ戻る頃には大輝君の涙も落ち着いていて、気まずそうに赤い顔をしてうつむいていた。
テーブルにコーヒーを置くと、ベッドからこっちへ来て大輝君が隣に座った。
「……ごめん。呆れてるよね? いい年した大の男が……こんな、泣くなんて……」
「ううん。ビックリしたけど、呆れてなんかいないよ。……それで、私、大輝君にちゃんと言わないとと思って――」
「――ちょ……ちょっと待って! その前に俺の話を聞いて!」
「え……? でも――」
今は一刻も早く、誤解を解きたいんだけど……。
「たのむから……!」
必死な顔の大輝君にそれ以上は何も言えず、コクンと頷いた。
大輝君はコーヒーを一口飲むと、深呼吸をしてから思いつめた顔で話し始めた。
「まずは……本当にごめん。 俺がプロ野球の選手だって事、言ってなくて。でも! 隠してたわけじゃないんだ。加奈ちゃんに知られたくなかったわけでもなくて、ただ、そんな事はどうでもいい事だったんだ」
「――どうでもいいって……。それって、私とのことは今だけだって思ってたからじゃないの?」
「なっ……! 違うよ! そういうどうでもいいじゃないよ! 最初から加奈ちゃんに惹かれてたけど、それと同時に全く俺のことを知らない様子の加奈ちゃんが新鮮だった。野球選手じゃない俺自身を見てくれているのが、本当に嬉しかった。想いが通じて付き合うようになって、一緒にいるのが幸せで仕方なくて、そういうことのすべてが、俺が野球選手だって事とは関係なくて……。加奈ちゃんのことが俺にとっては一番大事で、それ以外のことは本当にどうだってよかったんだ。 でももちろん、オフが終わって自主トレが始まるまでには、ちゃんと話すつもりだったよ。俺も忙しくなって、そんなに毎日会えるわけじゃなくなるのはわかってたし。……ただ、不安だった。俺の仕事はやっぱり特殊で、将来が約束されてるわけでもない。安定とは無縁な実力だけの世界だし、今が良くても3年後、5年後はどうなるかわからない。怪我でもしたら、とたんに無職になる可能性だってある。そうならないためには日々の努力が必要不可欠で、そうなるとどうしても野球を優先してしまうことも多いと思う。でも加奈ちゃんは野球のことは全く知らないようだったし、そういう事情を説明しても、理解してもらえるかどうかわからない。……あんまり会えなくなってしまったら、俺なんか愛想つかされていつでも側にいてくれる男に加奈ちゃんの気持ちが移ってしまうんじゃないかと、怖かった」
「そんなこと……!」
大輝君が考えていた事を初めて知って、どうして!と思う。
だって私の気持ち、言わなくてもあんなにわかってくれてたじゃない!
「加奈ちゃんの気持ちを疑ってたわけじゃないんだ。……ただ、加奈ちゃんが実はすごく甘えたでさみしがりだってこともわかってたから、あんまり会えなくなったらどうなるのか……って怖かった。さみしい思いをさせても、それでも想い続けてもらえる自信なんて、これっぽっちもなかったんだ」
私を見つめる大輝君の顔が、辛そうに歪んでいく。
「――だから、加奈ちゃんが門倉さんに惹かれたのも、わからないわけでもないんだ……」
「えっ?……だからそれは――!」
「でもっ! お願いだから、もう一度俺にチャンスをくれないか?……あれからずっと考えてた。加奈ちゃんに会えなかった年末年始の間、本当にずっと考えて、やっぱり俺には加奈ちゃんしかいないって思ったよ。……どうしても、君じゃなきゃダメだ。 どうしても、諦められない。 加奈ちゃんは今日俺と別れるつもりだったんだろうけど、もう一度だけ、考え直してみてくれないか……! 頼むから……」
そう言って、大輝君は私に向かって頭を下げた。
ちょっ……ちょっと待って~!
これって、どこから説明すればいいの?
大体、なんでここまで違う方向に思考が迷走しちゃってるのか……。
だから、先に私に話をさせてくれたら良かったのに!
大きな身体を折り曲げるようにして、頭を下げたままのその後頭部をそっと抱きしめた。
とたんにガバっと顔を上げて、必死な目をしてこっちを見る。
期待半分、不安半分の気持ちがそのまま表れてるその目を見てると、どうしても大きいワンコにしか見えなくなる。
あ~、やっぱりかわいい。
安心したら途端にそんな気持ちになるから不思議だ。
大輝君の気持ちがもう離れてしまったのかもしれないって考えてる時は、そんなこと思う余裕もなかったくせに。
「あのね……?」
そして私は、目の前のかわいい恋人にすべてを説明した。




