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第16話

どれくらいの時間が経ったんだろう。

ふと我に返ると、駐車場に停まった門倉主任の車の中にいて、心配そうに顔を覗き込まれていた。


「……えっ? 主任?」

「はぁ……。ようやく戻ってきてくれたか。どうだ?気分は。大丈夫か?」

本当にホっとしたというその表情に、本気で心配をかけてしまったんだと気付いた。


「あ……あのっ! すみません、私。でも、どうやってここまで来たのか……その、ぼんやりしてて……」

「――本当にね、珍しいものを見せてもらったよ。 いつも冷静でクールな佐倉さんが、蒼白な顔つきで明らかに動揺を隠せてなくて、何を聞いても話しかけても反応がないから、とりあえずあの場から連れ出して車に乗せたんだ。……誰にもこういう自分を見られたくないんじゃないかと思ってね」

「……っ! 本当に、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。……あの、私、何か言ってました……?」


心の内を見せたくなくて、何気なく言ったつもりだったけど、きっと目が泳いでしまっていただろう。

「何か……ねぇ。……イヤ、何も言ってはなかったけど、さすがに何となくわかるさ」

「わかるって、どうして……」

「そりゃ、こんな状態になってたの、君だけじゃなかったしな。――高橋。あいつが原因だろう? 知り合いだっていうのはわかったけど、どういう関係なんだ? あそこまでお互い動揺するなんて、よっぽどだろう。」


あぁ……。そうだった。

まるで現実感がないけど、なかったことには出来ない。

大輝君にとって私は……あんな大事な事さえ話してはもらえない存在だったってこと。


「――高橋君……大輝君は、私の彼氏、です」

「……は?? 彼氏? 付き合ってるヤツって、まさかあいつ?」

「は……い。というか、付き合ってる、つもりだったんですけど……今はもうよくわかりません」

「……どういうことだ?」

「私、知らなかったんです。バカみたいだけど、大輝君が野球選手だなんて、本当に知らなかったんです」

「……はぁ……?」


驚きとも、呆れとも取れる主任の声。

そりゃそうよね。

世の中の大半の人が知ってる彼の職業を、彼女である私だけが知らなかったなんて。


「だから、本当にビックリどころじゃなく驚いてしまって。そして色々わかってしまったんです。 彼が私と本気で付き合ってるわけじゃないんだって事とか、色々……。そこから、なんだか頭が真っ白になってしまって。……本当にすみませんでした。ここまで連れてきてくれて、ありがとうございます」


主任はしきりに頭を下げる私を、ジッと見つめている。

「そう、か。あいつが、彼氏か。――元彼かも……とは考えたんだが。あいつの動揺も酷かったからな。 僕が佐倉さんを連れ出すのに気付いた時なんて、ものすごい勢いで肩を掴まれたからね。 監督たちがヤツを止めている間に、僕たちはここまで来たんだけど」


大輝君が……?

それって、少しは私の事を気にしてくれてるってこと?

でも! それならこんな大事なことを、私に黙っているはずがない。

だけど、ひとつだけ気になるのは……。


「主任。えっと、大輝君はそんなに動揺してたんですか? イベントのお仕事は、大丈夫だったんでしょうか?」

彼が私の知ってる大輝君である限り、仕事はきちんとやらないと気が済まないはずだ。


「あぁ、僕も気になってさっき山野辺さんに電話してみたんだ。そしたら、いつもより多少元気はないけど、イベントはきちんとこなしてるらしい。若いのにプロ根性はさすがだな」

それを聞いて、少しホッとした。


「さてと。どうしようか?これから。 もうイベントには行きたくないだろうから、帰ろうか?」

「……はい。そうして頂けると助かります。 本当に今日は色々と――」


「ストップ! もうこれ以上謝るのはなしだ。 僕だって今日は君に色々無理を押し付けた。それがわからないほど、自分勝手な男じゃないつもりだよ。 ただ……僕の場合は、そうすることで少しでも君に男として意識して欲しかったっていうのがあるから、悪いとは思ってないけどな」

「主任……?」


「今の君にこんな事を言うのはどうかと思うけど、僕はからかってるわけじゃなくて、本気で君を気に入ってるんだ。 君がバイトで入ってきた当初から、それは態度で示してきたつもりだったんだけど、どうも君には全然通じていないみたいだったからな。 今日のイベントはチャンスだと思って、実は最初から君しか誘っていない」

「え……?」


「――8つも年下の女の子に、まさかこんな気持ちを抱くことになるなんて、自分でも驚いているんだ。今日、彼氏がいるって聞いた時は信じられないくらいショックだった。……それでやっぱりこの気持ちは本物だと確信したっていうのもあるんだが」

「…………」

「もちろん、今こんな事を言っても、すぐには君に受け入れてもらえないのはわかっている。でも、こんなに弱ってる君を見ていられないんだ。だから、君を本気で想っている男が他にいることを、知って欲しかった。そして……彼が君に本当の事を黙っていた理由は僕にはわからないけど、その事で彼とはもう付き合えないんだったら……いずれ、僕のことも少しは考えてくれないか?」


主任が何を言ってるのか、ちゃんと聞こえてはいるんだけど、全く理解が出来ない。

だって、ありえない。


主任の本当の立場を知る前でも、大人で社員さんでモテモテの主任が学生バイトを相手にするなんて考えてもいなかったのに、実際はとんでもない御曹司だった。

そんなの、もっとありえない。


いくら本気だとか言われても、到底信じられるわけがない。

それに、正直今は、頭の中は大輝君のことでいっぱいで、他の人のことを考える余裕なんて全くない。


「……あの。主任が言ってること、頭ではわかるんですけど、でもやっぱり考えられなくて。……すみません。私、やっぱり大輝君のことが――」

「あ――。今はそこまでにしてくれないか。 君の口からこれ以上他の男の名前を聞きたくないんだ。……いつか、必ず君の気持ちを僕の方に向かせてみせるから。 今はそれだけ、覚悟しておいてくれればいい。」

「……主任。でも――」

「いいから。この話しは今日はこれで終わりだ。 じゃあ帰ろうか。途中で軽く食事でもしよう。パスタがおいしい店を知ってるんだ。」


にこやかに明るく誘ってくれる主任には申し訳ないけど、今の精神状態では何も喉を通りそうにない。


「……いえ、すみませんが、今日はこのまま帰りたいです。……お腹もすいてないので……」

「そう、か。うん、わかった。 だけど、次に食事に誘った時にはいい返事をしてもらうからな?」

それには何も答えることが出来なくて、曖昧なままスルーすると苦笑いを浮かべる横顔が目に入った。








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