第13話
――コンコン
ノックの音がしてからドアが開き、スーツを着た中年の男性が現れた。
「失礼します。……これは門倉のご子息、わざわざおいで頂きありがとうございます」
「山野辺さん。お久しぶりです。 いつも言ってますけど、その「ご子息」っていうのは勘弁してください。今は一社員に過ぎませんし、今日は特にそういうつもりで来たわけじゃないんです。できれば、一般の方と同じようにしてもらいたいんですが」
「お気持ちはわからなくもないですが、ご存知のとおり、球団関係者の中には門倉家の方にぜひともご挨拶をしたいという者が少なくありません。普段東京にいらっしゃる社長や会長には、なかなかお目通り出来ませんので、せっかくご子息がいらっしゃったのであれば、せめてご挨拶だけでも。お時間は取らせませんので、どうかよろしくお願いします」
そう言って頭を下げられてしまうと、流石に主任も断れないようだ。
「すまない、佐倉さん。 なんだか面倒なことになったけど、少しだけ付き合ってもらえるかな?」
「あ……はい。それは構わないんですが……。でも、こうなると私がいない方が良さそうなので、ここから別行動にしてもらえれば――」
「いや、それはだめだ」
「え?……でも」
そこで主任は私にだけ聞こえるように、耳元で声をひそめて話しだした。
「頼むよ。ここで僕だけにされたら、トコトン、それこそ、この後の飲み会まで付き合わされるに決まってる。 連れがいるからっていうのが、一番角が立たない口実になるんだよ」
「そう、なんですか? だったら……わかりました」
「ありがとう。この埋め合わせはあとで必ずするから」
「いえ、そんな――」
私の返事を聞く間もなく、山野辺さんに促されて部屋を出る主任に、なぜか手を握られた。
「主任……?」
「悪い。こうしてた方がみんな空気読んで、君のこと色々聞かれないと思うから。な?」
それはどんな空気なんだと思っていると、山野辺さんが振り返ってニヤっと笑った。
「プライベートなデートの邪魔をしてしまったようですね。 ご子息にこんな可愛らしい方がいるとは知りませんでしたよ。どんな美女にアプローチされても興味を示されないのはこういう事だったんですね?」
「……山野辺さん」
「あぁ! 失礼しました。 さっきのように顔を近付けて囁きあう様子も、こうやって手を繋いでいる様子もこれまで目にしたことがなかったので、新鮮だし私も嬉しいんですよ。仕事にしか興味がなさそうなご子息を、勝手に心配していたものですから」
―――つまりこれは、私が門倉主任の恋人だと勘違いされてるってことだよね?
イヤ、そういう風に思わせるために、主任がわざと親密に見える態度をとったっていう方が正しいかも。
でも……なんで?
山野辺さんに付いて歩いていくと、前方にきれいなグリーンが見えてきた。
「あぁ、ほら、あれがドームの芝生だ。きれいだろ?」
「すごいですね……。ほとんど眩しいくらいです」
初めて見るその芝生のグリーンはとてもきれいだった。
その中にいくつかブースが作られ、それがイベントを行う場所らしかった。
一番遠いところには、大きなステージも作られている。
イベント会場にはまだお客さんは入っていなかったけど、観客席にはもうたくさんの人がいて、時折現れる選手に歓声を送っているようだった。
「もうすぐ今日2回目のイベントが始まるんですが、その前に選手や関係者がこちらにまいりますので、すみませんが挨拶を受けてやってください」
山野辺さんはそう言ってその場所を離れた。
「ここって、一般の人は入れない場所なんですか?」
ネットの向こうにグラウンドがあり、すごくよく見えるけど、周りには誰もいなかった。
「そうだね。関係者の中でもごく一部しか入れないんじゃないかな」
そんなところに私がいていいんだろうか……。
でも、主任に手を握られたままではどうしようもない。
「そういえばこの手、もう離していいですよね?」
その言葉を言い終わるか終わらないかのうちに、さらにギュッと強く握られてしまった。
「……主任?」
「君には悪いけど、ここにいる間はこうしててくれないか?」
「え――……」
「そんな、イヤそうに言わなくてもいいだろ」
だって、イヤだもん。
いくら大輝君が見てなくても、やっぱり後ろめたいことはしたくない。
同じことを大輝君が他の女の子としてたとしたら、どんな理由があっても絶対イヤだから。
「彼氏に悪いんで、やっぱり離してください」
そう言って手を引き抜こうとするんだけど、どうやっても離してくれない。
「主任……」
「頼むよ。もう少しだけ。 今から来る関係者の中に多分球団オーナーの娘もいると思うんだけど、見つかるといつも纏わりつかれて大変なんだよ。立場上邪険にするわけにもいかなくて、本当に困るんだ。だからここにはずっと来てなかったんだけど、今日は一般客として入れると思ってたから、なんの対策も考えてなくてね。・・君とこうしてるところを見れば、さすがに今日はあからさまな事はしないだろうから」
それは、私を女避けに使おうという事ですね……?
それも、私の意思は全く無視で。
門倉主任にオレ様なところがあるのは知っていたけど。
仕事の上ではそのオレ様ぶりも、リーダーシップとか、決断力なんてものに置き換えられるからなぁ。
こういうところが、御曹司そのものって気はする。
で、大抵の女性はこの人に惹かれるらしいけど、私はゴメンだ。
あぁ……。早く大輝君に会いたい。
あの笑顔に癒されたいよ……。
「じゃあせめてその人が来てからにして下さい。 言っておきますけど、これってセクハラとかパワハラ一歩手前ですからね?」
主任がこんなに強引な事をするんなら、こっちも遠慮なく言うことは言わせてもらう。
だってこんなの仕事とは無関係だし、そもそも私は社員でもないただのバイトなんだし。
「セクハラ、パワハラって……。やっぱり佐倉さんは面白いなぁ。――まぁでも、わかったよ。じゃあ、彼女が来たら恋人のフリ、よろしくな」
やっと右手が自由になってホっとしたのもつかの間、向こう側からガヤガヤと複数の人の足音や声が聞こえてきた。
とりあえず、主任の影に隠れるような位置に立って、なるべく目立たないようにしてみる。




