合流とか事件とかハプニングとか
あれからさらに一時間後、おれと御影はようやく入ってきたやじりと牙からの電話を受け、宿にほど近い海辺の公園へやってきた。
「おい、お前ら、たかが着替えに一体何時間かけてんだよ!」
と、おれは待ちぼうけをくらった分のお説教をしてやろうと、イライラしながら公園へ足を踏み入れた。
バシャッ!
「あれ・・・何だこの・・・水たまり?」
ふいに水を跳ねさせた足元におれが目をやると、なんと公園の白砂の地面全体が、どっぷりと水に使って浅くさざ波をたてている。
「うわ。なんだこれー。水道管でも破裂しちゃったのかな。何だってこんなところに呼び出されたんだ?」
おれが不思議に思ってきょろきょろしはじめると、御影は静かに合掌して心底気の毒そうに囁いた。
「そうだね・・・破裂しちゃったんだね・・・心と身体と涙腺的なものが耐えきれなくなっちゃったんだろうね・・・」
「・・・? 」
ますます訳が分からない。
だが御影はすっと歩き出すと、ビーチサンダルに白い沐浴着のままバシャバシャと水たまり、もといもはや池の中を進み出した。
「お、おい」
慌てておれもその後を追いかける。
公園の中はどこもかしこも水浸しで、砂場は淀みに、滑り台は浮島に、ジャングルジムはなんか浮かび上がってきたアトランティスの一部、みたいな違和感満点なものになっていた。
公園自体はそんなに大きな面積はない。小さな遊具コーナーがおれたちが入ってきた入り口の近くにあって、それを越えると花壇やベンチがちらほらある広場のようになっていて、潮風が吹き込むこの場所は爽やかな日差しにも恵まれている。普段はきっと気持ちのいい公園なんだろうな。
その広場のあたりのさらにちょっと水かさの深くなったあたりをザブザブしていると、御影がすっと手をあげておれを制した。
「しっ。歪」
「な、なんだ。どうした?」
「あそこ」
声のトーンを格段に落として、御影が静かに公園の先を指差す。水道管が飛び出しているのでも見つけたのか、とおれもその指の先を追って目を走らる・・・と・・・。
テーブルつきのベンチに突っ伏して、死んだように動かなくなっている人影が目に入った。それも、二人!?
一人は淡いパステルブルーのワンピースを着て、それによく映える薄もも色の髪留めで髪をサイドでくくっている。もう一人はかなり短い金髪で、赤いリング状のイヤリングをかけているみたいだ。
何か突っ伏して見えない顔の部分から滝のように水が迸り、ざばざばと地面に注いでいる。どうやらこの公園の浸水事件の水源はここらしい。
「なっ!なんだありゃ! 大丈夫なのか?」
「さあ・・・どっちかっていう」
「水が流れ出してる・・・? それに身体はぐったりして、まさか動けないのか? 何かの呪いの類か・・・?」
「あー・・ううん、たぶんちが」
「・・・生命力を無理やり水分に変換でもしてんのか。 簡単といえば簡単な呪詛だけど、それでもかなりやばい状況だぞ。あの二人、もう相当生命力を垂れ流ししちまってることになる!」
「いや、ひず」
「逆転術式・・・駄目だな・・・。おれじゃそういうのちんぷんかんぷんだから、下手すりゃもっと酷いことになる。呪い返しするには術者の情報が全くないし、そんなもん調べてたら先にあの子たちがくたばっちまう」
「うん、歪、ちょっとぼくの話も聞いてみよっか」
「見ず知らずの人間だけど、ちょっとこのまま放っといて死なれても寝覚め悪いしな。仕方ねえな。術者にどんなリバウンドがくるかは分かんねえけど、この際魔法そのものをぶっ壊すか」
「いじけるよ!? ねえそれもしワザとやってるんだったらぼくいじけちゃうよ!?」
なにやら御影は珍しく空気を読めてないらしい。なんか関係ないことを騒いでいる。状況を理解しているおれがしっかりしないといけないな。おれはすっとベルトに手を伸ばし、魔力を通しやすい金属、アルミニウムでできた儀式針を一本引き抜いた。
「ひずむううう。聞けっていってるんだよおお。ぼくの話をおおおおう。」
もう自棄になって御影はおれの背中をぽかぽか叩いている。くそ、やっぱり高等魔法使いの御影といえど、あんな呪いの現場を見ちまったら錯乱もするか。可哀想に。
おれは御影の方に向き直り、喚き立てる御影の頭に手を置いて、ぎこちなくそっと抱き寄せた。
「もふっ!? ッッッッッッッ!?」
「大丈夫、すぐに終わらせてやる」
ぽんぽん、と御影の頭を優しく叩き、にっこりと笑いかけておれは立ち上がった。水かさは増える一方。あの二人の命が燃え尽きる前に助けてやらないと、見ず知らずの二人も、御影の心も危うい。
おれがさっと背中を向けると、御影は少し正気に戻ったのか、それともまだ混乱しているのか、ぼそぼそとなんだかよく分からないことを呟きながら顔を真っ赤にして目を回していた。
「はう・・・だからちが・・・うあ・・あ、あたま・・・ぽんぽん・・・ちが・・あの二人は・・・はうう」
うん、なんかよく分かんないけど御影が危ない。
おれはさっき引き抜いた長い針を、自分の口元に持っていって、唇に思い切り突き刺した。
ツプッと血の雫が浮かび上がって滴る。
そのままズルリと突き刺した針を引っこ抜いて、おれはその血雫を唇に紅のように薄く塗った。おれの血を全体に塗ると、その途端鋭い光とともに、唇に小さな魔方陣が浮かび上がってきた
「これでよし。あんまり気は進まない方法なんだけど、あんたらを助けたい一心なんだ。勘弁しろよ」
おれは謝罪を告げながらもベンチに歩み寄り、ワンピースの女の子の方を抱き起こした。
ツヤのある黒髪は水でぐしゃぐしゃに濡れて、顔に張り付いてしまって表情は見えない。抱き起こしても抵抗はないし、首もぐらりと力なく垂れた。生命力はもう極限まで枯渇しているのかもしれない。
「しっかりしろ。今、助けてやるからな」
励ますように声をかけて抱き起こす腕に力をこめると、微かに女の子の肩が震えた。まだ息がある。大丈夫、助かる!
おれは首をひねり、髪の張り付いてお化けのようになった冷たい少女の唇に、そっと魔法を込めた唇を重ねた。
「!!!!!」
後ろの方で御影が奇声をあげた気配。大丈夫、この子は助けられるぞ。
人の魔力に干渉する才能に乏しいおれでは、通常すでにかけられた魔法を解除することができない。やじりのトラップスペルのように、強力な魔法を一時的に爆発させる場合は、そこにある程度の魔力を塊にして残しておくものだから、それさえ破壊すればいい。
でも今回のような普通にかけられた魔法では、魔力はかける時に消費されておしまいだ。そして術者の精神とリンクして、術者が解除するまで魔法が解けることはない。
そんな時に無理やりリンクを剥がす方法が、一つだけある。新たにおれとのリンクを上書きしてやればいいんだ。一つのものにかけられる魔法は同時にいくつまで、っていう上限はない。でも、そういう不特定多数のリンクをぶっちぎっておれとのリンクだけを定着させてやるしか、方法はない。
それがこの魔法、「仮初めの契り」だ。本来は魔法使い同士の義兄弟の契り? みたいなもんなんだ。
実力を認め合った魔法使い同士が行うもので、これは男女、男同士、女同士も関係ない。自分の特性、家系の特徴、契約魔族の個性。それらは他の誰も持っていない自分だけの強みなんだ。それを認め合った魔法使い同士は「仮初めの契り」をする場合がある。
簡単に説明すると、お互いの特性、特徴、個性の一部を、相手にコピーし合うっていう儀式だ。互いのつながり、互いの信頼があってはじめてできる儀式だけど、マイナス面は何もない。「仮初めの契り」を沢山した魔法使いは、更なる高みへ登ることができるので魔法使いの強い望みのほとんどは好敵手の存在だったりする。
それをおれは、この子に施したわけだ。一旦それまでのリンクを全部引っぺがして、おれとのリンクに集中させることができるのは、おれが知る限りこれしかなかった。
もちろん、この子におれみたいな魔族に追い回される生活を強要したくはないから、魔族に好かれる性質はカットしてる。そのための魔方陣だ。
「・・・・ん」
魔力のリンクが上書きされていく感覚が、おれの全身を駆け巡る。痛くはないが、違和感のある感覚。頭がぼうっとして顔が上気してくる。
その瞬間、ビキリ、と何かが砕けたような音が頭の中に響いた。今までのリンクがすべて消去され、おれとのリンクの置き換わったカチリという感覚が続いてやってくる。
「・・・・・っぷはあ!」
くっそ、口づけなんかしたことないから呼吸できねえ!
一回口を離しておれはぜいぜいと深呼吸すると、もう一度おれは口をつけた。失った分の生命力を、おれからいくらか補填してやらなくては。
おれがゆっくりと魔力を練ると、ぼおっとおれの身体を紅いオーラを包みだした。女の子の身体からも青い揺らめくオーラが呼応するように溢れ出す。意識を集中するようにおれが目を閉じると、おれのその膨大な紅いオーラが女の子のオーラの中にじんわりと溶け込んでいくのが分かった。
おれの生命力、すなわち魔族に好まれるもともとの魔力は、規格外に多くて純度が高い。魔族が我を忘れて求愛してきて、それを契約のときに分けてやると、想像を絶した快感だったらしく、ルヴィアノーラなんかは失神した。おい、神族・・・。
おれの魔力だったら、だいたいの人間にそのまま流し込んでも輸血みたいに生命力を補うことができるはずだ。
「・・・・・ッッッ!」
ドクンドクンと唇越しに脈が早くなるのが分かる。他人のエネルギーを流し込まれているからか、肩が時折震える。
ある程度の魔力を思い切り注ぎ込んで、もう命に別状はなくなるだろう、と思うくらいにはおれも疲れてきた頃、おれは漲らせた魔力の流れをほどいて、唇をゆっくりと離した。
「ふー・・・」
唾液がなんか糸になって光ったから、おれは無言でそれを指で払った。助けるためとはいえ、見ず知らずの女の子とこんなことをしてるのがやじりや牙にばれたら、おれ殺されるだろうな。
額に滲んだ汗を拭いながら、おれはなんとなく思った。クラスの女子にプリントを渡してもらっただけで、「不純異性交遊!」つってメガトンパンチ飛んでくるくらいだ。これは確実に死刑判定間違いない。
女の子を仰向けに寝かせると、目からとめどなく溢れていた水はぴたりと止み、頬には朱が差して生気が戻っている。
「良かった・・・間に合った。よし、もうひとがんば」
り、とおれがもう一人の方に向き直ろうと首をひねったその瞬間、突如現れたホットパンツからえぐるように突き出された膝頭が、おれの顔面を脅威の速度で撃ち抜いた。
「ごぼほああっ!?」
おれが激痛とともにもんどりうって宙にぶっ飛ばされると、突然の襲撃者は手をあげておれに向かって止まれ、というように手を伸ばした。そこでおれの身体は何かに磔にされたように大の字に静止した。
「うあっ!? くそ、何者だ!」
おれは渾身の力を込めて、ベルトの針に手を伸ばそうと力を込めるが、全くぴくりとも動かせない。しまった、不意を突かれた。この魔法は・・重力魔法か、はたまた宗教魔法系の処刑に特化した磔の魔法か、はたまた牙クラスの念動力の持ち主か。厄介だな。
かすむ目を細めて、日光を背負って立つその襲撃者をおれはぎんと睨みつける。短い金髪に赤いイヤリング。ゆったりとした袖なしのシャツの白によく合う紺のホットパンツ。うつむいているから顔は見えないが、でも、この子は・・・・?
「君は、さっきまでそこで倒れていたはずじゃ!?」
おれは我が目を疑いそうになる。呪いを受けて、死の淵にいるはずの、さっきの女の子のうちのもう一人じゃないか!
おれは訳が分からず、抵抗もできないまま頭が真っ白になっていた。こっちの子が術者・・・?
いや、まさか。この子も同じ状態になってたのを見た。術者がおれに気づいてリンクを切った?
いや、それもない。本当に切ったとしたら、この子が襲いかかってきた意味が分からない。
操られている? だけど・・・この子自身に念動力が備わっていない限り、ここまでの念動力は関節的になんて使えない。
と、なると、残された最後の可能性は・・・・・・。
その可能性に思い当たった瞬間、おれの血の気がさあっと引いていったのが分かった。金髪の女の子がギリリ、と血が滲むほど拳を握りしめたと思ったら、真後ろで尋常ならざる爆発的な魔力が渦巻きだしたのもほぼ同時だった。
・・・・あ・・・この光景は見覚えある。
「ひ・・・・ずむ・・くんは一体なにを」
「ぼくは説明しようとしたのに違うって言ったのに聞けって言ったのに」
「牙!? み、御影!? 」
御影はなんで怒ってんの?
牙はなんでここにいんの?
いや、おれらはもともとやじりたちにこの公園に呼び出されて、御影と一緒に来て、御影はなんか言おうとしてて・・・・。
と、そこまで思い出して、おれはふ、ふふふ、と引きつった笑みを浮かべた。まさか、まさかと半ば祈りにも似た思いで視線をずらし、仰向けに寝かせた少女の方に目を向けると、パステルブルーのワンピースの少女がちょうど寝返りをうって・・・・。
おれは凍りついた。
泣き腫らしたのかうっすらと赤いまぶたにきらめく涙をたたえ、ほんのりと赤くなった頬やおれの血で紅を塗ったみたいになっている唇がこちらを向く。
切れ長のかたちのいい瞳はしっかりと開かれ、潤んだ光の中に恍惚とした何かが浮かんでいる。目鼻立ちが整った、見覚えどころか馴染みの深い顔・・・・。
「嘘だろ・・・・・」
そこには何かものすごくやりきった表情でうっとりしながら、今にも溶けそうな緩みきった無防備さでくてっとこちらを見ているやじりさんの姿があった。
「は・・・・はめられた・・・・」
そっかそうだよそうですよ。こんな真っ昼間の公園で、しかもやじりと牙のいる空間で、魔法事件なんて起こりっこなかったんだよ。
起こるとしたら?
そんなもんおれじゃなくたってわかるだろ。
こいつらの自作自演なんだよ!!!!!
「はあ・・・歪・・・・嬉しい」
「歯ぁ!!食いしばってください!!!」
「ははは・・・あははははは・・あはははははははははは」
あ。死んだかも。今回という今回は死んだかもしんない。だっておれの頭の中を早々に走馬灯が駆け巡りだしたもん。
牙の豪腕パンチが唸り・・・
御影の神剣・闇狩ル天神ノ御剣が閃き・・・
唇についた血をやじりがとろけそうな目で舐め・・・
うん!!違うわ!!
これ走馬灯じゃないわ!!
ちょっと展開について行けなくておれ無意識に現実逃避しようとしてるわ!!
「はあ・・・愛と・・・」
「悲しみと!!」
「ふふ絶望のふふふふ」
「ちょっ・・・待っ・・・」
「「「ずっと私のターン!!」」」
ボゴオオオン、と突如公園から爆煙が立ち上り轟音までもが轟いたのを見て、海を楽しんでいた人たちは不思議そうに眉をひそめましたそうな。
続く。




