種類とか家系とか仲間とか
おれたち魔術を扱う者は、何通りかの種類に分けることができる。
その中でも大きく分けると、まず二つ。
「高等魔法」を使う者と、「低級魔法」を使う者だ。
そもそも魔術を扱う者には、体質と生まれが大きく関係する。高等魔法と低級魔法というのにも、それが関わってくる。
高等魔法というのは、神格を持つ存在、神やそれに近いもの、天使や聖なるもの達から力を受け、行使する魔術のことだ。
誤解のないように言っておくが、おれたち魔術師が教会から迫害を受けたからといって、神の存在を否定したりは決してしない。あいつらは神の教えをどう思っているのか知らないけど、おれたちは象徴としてではなく純粋な創造の力を持つ確かな存在であり、そしてその源泉として理解している。
高等魔法を使える器を持っている者は、生まれながらそういった力のあるものと対話してその力の受け皿になる素質を持っているんだ。逆にそうでない者は、対話する力も無ければ受け皿にもなれない。無理にそのような大いなるエネルギーが流れ込めば、それを留めておくどころか「自分」を構成する物質が、その形を保つことができなくなって弾け飛んでしまう。
しかし当の高等魔法を使う連中に言わせると、限られた人間や選ばれた素質がないと使えないということは決してない、誰もが目覚めさえすれば自身の中の神格に気づけるのだと言う。
しかしおれにはその理屈はよく分からんね。現に後天的に高等魔法の器を手に入れた例は確かにあるが、そいつらはみんな口を揃えてこう言うんだ。「理解しようとしては理解できない。知識としてではなく神格の本質を体現した時に初めて、それはすでに持っていたものなのだと思い出すことができる」のだとさ。
言葉遊びは得意分野じゃないから、おれにはその言葉の指し示すところがなんなのか分からなかった。でもまあ、一部の高等魔法を研究している学者肌の魔術師たちにもイマイチ理解されてないみたいだから、単に謎かけやヒントって訳じゃなくて、奴らにしか分からない事後感想だったのかも知れないな。
そんな訳で、残る魔術師の大半は低級魔法しか使えないってことになる。かく言うおれも低級魔法使いだ。うちの血筋は高等魔法使いを輩出したことはないし、高等魔法使いの家系から必ず高等魔法使いが生まれるって確証も実はない。世にもイレギュラーな存在なんだ。高等魔法の使い手って奴らはさ。
でもだからと言って、高等魔法に比べて低級魔法が、文字通り低俗だということではないんだ。
高等魔法が神格のある存在から貰い受けた力で行う魔法だとすると、低級魔法はその逆。妖精や精霊、悪魔や自然界の元素や大気中の魔力の分子「エーテル」から力を借りたり使役したりして、行う魔法のことを言うんだ。
もちろん、高等魔法はバックにいる存在が存在だから、魔法の出力は桁違いだ。一方低級魔法はそうではないが、力をもらう妖精や悪魔の格によっては、高等魔法も比べものにならない大魔法を展開できる場合もある。
しかし大体において力の強い妖精や精霊、悪魔の類は契約を結ぶ際にとんでもない代価を要求してくる場合があり、しかも相手が自分より格上だったりする場合はもっと最悪だ。
契約時にはなかった条件を、後付けで追加されることもあり得てしまうんだ。
こう聞くと低級魔法はろくでもないと思うだろう?
その通り、事実ろくでもねえとおれも思う。
そんなデメリットを飲み込まないと、低級魔術師としての格も上がらないっていうんだからな。でもほとんどの低級魔術師たちは、元素やエーテルを操るだけで満足してしまっているのが現状かな。それらは自然界に元から存在する成分だから、問題がないんだ。
言ってしまえば、リスクがないからだ。それに反して妖精や精霊は気まぐれだ。おだてたり供物をうまいこと捧げたりしてご機嫌をとって、比較的リスクの少ない契約に持ち込めれば、並の低級魔術師とは比較にならない力を得られる。まあ、そのランクにもよるけどな。
だが最近ではそうもいかない。あいつらもバカじゃないし、それどころかおれたち人間よりもずっと狡猾だ。下手なことを言うと、怒らせて命だってとられかねない。
あともうひとつ、魔術師側にはとっても大切な問題が残ってる。その妖精や精霊の、力の階級だ。
人間とは違い、魔力を持つ別次元の層に住む存在には、「力の階級が存在する。「力の階級」とは文字通りの意味で、妖精や精霊はその個体ごとに持っている性質や力の大きさが極端に異なる。魔術師たるおれたちは、その契約する個体の能力の性質や大きさを、詳しく知ってから契約をしたいと思うのが普通だろう?
だけどあいつらは大抵の場合絶対に教えちゃくれない。それはあいつらなりに理屈の通っていることだし、おれたち人間ごときに咎めることはできないんだけど、要約すると、あいつらは黙秘する方針にしたのさ。ここ何十年か前からな。
その方針の大部分は、階級の低い、実は大した力を持ってない妖精たちのためだ。
おれたち人間は魔力を得るために、妖精や精霊を儀式で呼び出し、契約を申し出るが、その呼び出された妖精の階級が低く、力が弱いことが分かると、下手に出ていた態度から打って変わって、高慢にも契約を取りやめ、一方的に妖精たちを送り返してしまう。それはそうだ、おれたちだって手に入れるならより強い魔力がいいに決まってるじゃないか。だが、妖精たちにはそれが我慢ならなかったんだろうな。そのうちに己の階級を口にするのをやめてしまった。
これによって、おれたち魔術師側には契約を結ぼうとした相手の力量が分からないまま、相手の言うなりに契約に応じるほかなくなってしまったんだ。
それと、妖精たちを呼び出すのに用いる魔法陣は、契約した際のつながりを強めるために自分の血で描くのが普通なんだが、この時の血の匂いを、妖精たちはある時から覚えはじめた。一方的に契約を打ち切るような魔術師がいたら、その匂いがブラックリストに乗り、他の妖精たちもその魔術師を相手にしなくなる。呼び出しにさえ応じてもらえなくなる場合だってあった。
このようなやり取りがあったおかげで、おれたち現代の魔術師は魔力を得るのが非常に難しくなってきている。たとえ力の弱い妖精でも、契約を結ぶからには自分に利益の高い代価を要求してくるようにもなったし、もっと悪いことに力の強い奴らは呼び出しにすら全く応じなくなった。
まあ、それも仕方がないのかも知れないけどな。階級が上の妖精や精霊は求める代価が大きくなりすぎだ。それを払える魔術師がどれくらいいるかって話だ。だから、もとから代価を払える魔術師の呼び出しにしか、応じなくなったってわけだ。
でも、それだって、まだまだいい方なんだぜ。
問題は、第三の存在。高等魔法にも匹敵するだけの魔力を持っているやつら。
そう、悪魔たちだ。
悪魔たちはそもそもの力が強すぎる。下手に自分より力の強い悪魔を呼び出してしまったら、いくら魔法陣に守られていても無駄だ。押さえつける力が足りないから、魂ごととって喰われてしまう。
それでも魔術を扱う者の宿命で、より強い魔力を求めてしまうことから、悪魔はおれたちを相当数減らしてくれやがった。おれたち最大の憧れにして、最大の難関。それが悪魔ってことだ。
もちろん、悪魔にだって階級がある。一見強すぎる悪魔の中でだって、その強さはピンキリなんだよな。
まあ、おれたちの魔力の源はそうやって得ているわけだ。
魔力の源が妖精なのか精霊なのか、はたまた悪魔なのかによって、魔術師自身の魔法の、種類も形も名前も形態もスタイルも方法もまるで違う。だからおれたちは同じ魔術師同士でも、まったく異なる魔法を使うことになる。
でも大体はその魔術師の家系や血筋によって、方向性や得意分野が分かれてるんだけどな。
妖精と相性がいい親の子は妖精に好かれるし、魔法陣を使った儀式魔法に特化した一族に生まれると、その分野は確かに他の魔術師より頭ひとつふたつは抜きん出ているもんなんだ。もちろん、親が治癒魔法が得意だからといって、その子どももそうだとは限らない。
反対に人体を破壊する魔法が得意だという場合だって、普通にある。だがつまるところ、その親子には人体に影響を及ぼす魔法の才能が遺伝しているってことになる。生まれ持ったものは違っても、その方向性は決まってるって意味が、分かってもらえただろうか。
そういう訳で、おれにもウチの家系特有の特性や、代々伝わる魔法とやらも、ちゃんとある。
ただひとつ問題があって、おれの一族は、物凄く特殊なんだ。他の魔術師の家系とも少し違う。おれ自身戸惑うこともあるくらいだ。という訳で、どういう訳か、おれは今困った状況にいたりする。
「曲月くん。いい加減私がいつも言ってるから分かってるとは思うけど、君はその反則気味な魔法以外は使えないわけ? 君があんまり魔力の制御を知らないから、私がこんなに知恵をしぼってトラップスペルを開発してあげてるのに。君ってやつは」
「歪、お前まだ分かってないのか。契約と口約束は違うんだよ。魔法族との契約は魔力の供給が普通なんだ。それ以下でもそれ以上でもないんだよ。なのに何なんだ。お前のやってるそれは。陣なしで魔族を召喚するなんて、自殺願望があってもやらないよ、普通!」
「歪くん、前から言ってますけど、供物用の血液は注射器で採って持っておけばいいんですよ。うあああ、こんな怪我までして。こんな太い針を刺して。跡が残ったらどうするんですかっ」
「・・・・・・・・・・・・ういっす」
『ういっすじゃない!!』
全員にハモり怒鳴られ、完全に萎縮するおれ。
・・・なんでこんなことになってるんだろう。なんで怒られてるんだろう。理不尽だ。あんまりに理不尽じゃありませんか。
だっておれは、殺されかけてたんだぞ?
でも、そんなことを言っても火に油を注ぐだけなのは目に見えているので、おれはぐっと黙ることにする。こいつらの言うことももっともではある。聞く耳は持たんけど。
「魔力を持つ生き物に、無差別にモテる血筋ってなんなの。そんなの私たちの存在を片っ端から全否定してくれてるのと同じだわ。魔力を分け与えられるどころか、その魔法族を完全に骨抜きにしてるんだから。そんなんだから逆に魔力をもらって魔法に変換するのが下手なのよ。トラップスペルの解析は信じられないくらい早いくせに、魔力を練るのは亀並とか、ナメてんの? だから私が命がけのお勉強会を企画してあげてるのに、全部毎回魔法族になんとかしてもらって、プライドはないの。プライドは!」
「す、すんません」
おれはとりあえず謝っておく。
このやたら上から口調でものを言うお方は、何を隠そう我がカオス部の部長その人、白羽 やじり、本人だ。
家柄は日本魔法界屈指の名門、白羽族の族長の跡取り娘で、我らがカオス部の部長にして、生徒会長でもあるスーパーガール。白羽家はウチとは犬猿の仲で、親たちは互いの家を毛嫌いしているらしい。おれとやじりはこう見えて幼稚園の頃からの顔なじみだが一年歳が上だ。でも親の洗脳がいかほどであったかは知らないが、やじり自身はその頃から変わらぬ態度でおれと接している。不思議なやつだ。
昔はいい奴だった、ような気がする。うろ覚えだが。
魔術師は七歳になると始めての魔力を得る儀式をするのだが、思えばその頃からこいつも変わったのかな。
あの頃から世話焼きの姉みたいな性格してたけど、おれが七歳になってルルゴンドルンと契約(本当は契約とは言えないのだが)を結んだあたりから、今に至るまで死に至る嫌がらせをしてくるようになった。
それも口を開けばおれのためだなんだ、鍛えてやるだなんだと言ってだ。そんなこと頼んだ覚えはないのだが、あいつはそう言うとえらくしょげて可哀想なほど落ち込むので、今では仕方なく甘んじているといったところか。
余談だが、先ほどもやじりが言ったとおり、ウチの血筋には妙な特性が遺伝する。それというのも、魔力をもった生き物に無差別に好かれるというものだ。
これが本当に困りものなんだ。妖精にも精霊にも、あろうことか悪魔にさえ、契約対象としてではなく異性、好意の対象、恋愛対象として見られてしまうんだからな。
意味が分かるか?
おれには分からないね。少なくとも分かりたくない。
魔法族どもはこぞって現れては言う。ああ、あいつらはおれが呼び出さなくても勝手に現れるんだが。そして現れては真っ赤な薔薇を持つように献身的かつ美味すぎる契約条件をもって、おれに寄り添いたいと言ってくるんだ。
な? 契約だなんて呼べないだろう?
あいつらにはあいつらなりに理由があるらしい。おれに惚れる理由ってやつがな。おれには全く理解できんけど。魔法族はよその世界を覗く魔法を持っているから、自分を呼び出そうとしている魔術師のことやその他の人間界の情勢なんかを、マメにチェックしてるらしいんだ。その時に見つけたという俺を一目見て、あいつらはおれに目をつけたのだと言う。
だから「一目惚れです」って言葉が、おれは一番嫌いだ。
妖精たちは言う。
「素敵な顔立ち、美しいライン、深淵なる夜のにおい」
精霊たちは言う。
「立ち上るオーラ、居心地のいい魔力、あたたかい気の流れ」
・・・・悪魔たちは言う。
「とろけそうな血のにおい、甘そうな肌、生意気な口ぶり・・・」
だ、そうだ。おれの魅力・・・・・。
訳のわからん魔法族に行く先々に待ち伏せされて、おれは一時期ノイローゼになりかけたこともあったくらいだ。おれの迷惑している様子が、想像してもらえるだろうか。
困り果てて親父に聞いたら、親父もそうだったらしい。だったというか、今もだがな。親父も、親父の親父も、そんな暗黒の青春時代を過ごしてきたという。だから慣れろ、だとさ。
慣れられたらこんな愚痴は言わねえよ、とおれは思っていたんだが、七歳の頃からさすがに十年だ。おれを含め、人間って慣れる生き物らしい。慣れって怖い。今では待ち伏せの魔法族は少なくなったし、そいつらのあしらい方も分かってきたくらいだ。
いやはや、成長著しいですな。
「ちょっと聞いてんの!?」心ここにあらずなおれの心中を見抜いてか、鋭い怒号が飛ぶ。
「はいはい。それはもう大変に」
しかしおれとて、そんなのはもう慣れっこだ。ほうら、媚びへつらうのもお手の物だ。
「適当に相槌打ってんじゃないわよ。君はいっつもそう。私の忠告なんか聞かないし、私のトラップスペルなんかものともしないし、私のことなんかなんとも思ってないし!」
ありゃ。「ばれたか」
「・・・・・ッ!」
いけない。生徒会長様の逆鱗に触れたらしい。何故だ。
やじりは鬼のような形相をして、いつの間にか鞄から出したらしいワンドを青筋が浮くほど握りしめている。やべえ。これはマジだ。
おれは右手の甲を顔に近づけ、薬指を立てた。
やじりが本気で怒ったら何をしでかすか分かったもんじゃない。これは保険のようなものだ。
白羽一族直系の跡取り娘の白羽 やじりは、スペルマスター。呪文使いの中でも五指に入る階級の高い術者。言霊の支配者である。
言の葉を操り、言葉に意味と力を与える。それがやじりの魔法だ。手っ取り早く言えば、やじりが黒といえば白でも黒になるし、やじりが真実だと言うなら嘘でも真実になる。世にも厄介な女だ。
「・・・もーうキレた。もういい。そんなに私の言うことが聞けないなら聞かせるまでよ・・覚悟なさい・・君が・・君が悪いのよ・・・私の思い通りにならない君が・・・」
「なんでお前の思い通りになんなきゃいけねんだよ」
「うるさい馬鹿殺す!」
やじりが手にしたぶっといワンドの先にはめ込まれた紫水晶から、怪しげな光が浮かぶ。鈍い金色に光りだしたワンドをペンのように持ち、やじりは空中に文字を書き出した。
「アー・アルア・アルア・レルア。ロルナ・ロー・ナ・・・」
何文字かを縦に、途中から十字に、次第に円を文字が描いてゆく。はて。こんな呪文は見たことが・・・
「何やってるんですかっ!」
その時、カっと後ろから物凄い怒声が飛んだ。
ビクッとしておれは飛び上がったが、それと同時にやじりも顔を歪めた。やじりの組みあがりかけた呪文は、その怒声にかき消されるようにして、余韻が消えないほどあっという間にいびつに滲んで破裂してしまった。
金色の鱗片が確かに一瞬だけ飛び散り、やじりの練り上げた魔力とともにやじりの魔法は消滅した。
「何をするのよ!」
覇気もここに極まれり。もはや形容し難い、視線で人を殺せそうなやじりは、怒声の主に掴みかかった。
「何って、それはこっちのセリフなんですよ!」
怒声の主も負けじとやじりを突き飛ばす。やじりはよろめきもせず、拳を握ってそいつと睨み合う。
「あ、あのう。喧嘩はやめようよう・・・」
「うるさい黙ってろ!」
「うるさいから黙っててください!」
「ひいっスミマセン!」
おれはまた縮こまる。何故だ。何故いつもこうなる。
怒声の主は樋熊 牙(ひぐま きば)。
一年下の後輩で、三つあるこの学校の学科のうち食品科に所属している。が、この際学科はどうでもいい。問題はこいつら(樋熊とやじり)は何故だか知らんが無駄に馬が合わないことだ。口を開けば口論、喧嘩に口げんかだ。全くもって厄介極まりない。そして何故いつも俺を間に挟む。余所でやってくれと言ったこともあるが、その時は本気で死にかけたからさすがにおれも学習した。以降正座して大人しくしていることにしている。
おっと、正座しなきゃ正座・・・。
「先輩いつも思ってますけど、あざといんですよね」
「ああ?何がよ」
ああ。やめてくれよう。なんで喧嘩腰なんだよう。楽しくやろうよ。せっかくの部活の時間なのに。
「歪くんに仕掛ける呪文だけ個別の詠唱式にして、別の魔法組み込んでるの知ってるんですよ。それも毎回毎回。今のだって、催眠に心理誘導に精神操作にマインドコントロール術式まで組み込んじゃって。あたし先輩が怖いですよ」
「んなっ・・何で知って・・ま、まさか、今回もその前も呪文が不完全だったのは、あなたが・・・・!」
「そうですよ。そのまさかです。私が呪文の一部を消去したんです。先輩、歪くんにツンデレかましてるのかと見せかけて、とんだヤンデレなんじゃないですか。術式覗いてぞっとしましたよ。あんないちいち細かい効果の魔法見たことないです。第一条、(私のことは「おれのやじり」って呼ぶこと)って何ですか。こう言っちゃ何ですけど気持ち悪いですよ先輩」
なにやら蔑むような目をやじりに向ける樋熊。に対し、思い切りうろたえるやじり。ううむ、やじりって樋熊と相性悪いんだよな、やっぱり。
劣勢かと思われたやじりだが、なにやら苦しげな笑みを浮かべて体勢を立て直す。負けん気の強さと底意地の悪さでは他に類を見ない。それがやじりの良くも悪い長所なのである。
「フ、フン。それくらいしないとこの馬鹿には伝わらないのよ。あなただって分かるでしょう。それに見なさい。こうしてる今だって果たして伝わってるかどうか」
そう言って、ギロリと二人が俺を見る。かたや何かを期待するような鋭い眼光。かたや何かおかしな真似をしたら即座に首をはねられそうな、鈍い眼差し。
・・・うっ。え。なになに。おれは精一杯のスマイルを浮かべて、怒られないように背筋を伸ばしてみる。
「・・・馬鹿ですね。全っ然伝わってないです」
「くっ。ホラ!これくらいしても駄目なの!分かる!? 分かるでしょう。同じ穴のムジナのあなたも!」
「分かりますけど分かりたくないです。キモ部長」
「キーッ!言わせておけばこのガキ!」
聞くにも耐えず見るにも耐えない、どこまでも低レベルな争いが繰り広げられる中、おれはだんだんに痺れてきた足の感覚と戦っていた。
でもそんなことを言ったらおれ、死んじゃうかもしれないし。とりあえず先ほどの事象についての補足説明でもしながら今しばらく耐えるとしようか。と、おれは自分に言い訳をしながら台風が通り過ぎるのをひたすらに待つことにする。
樋熊家は白羽家ほど大きくも知られてもいない、少数部族の生き残りだ。牙も一族の遺伝体質から、精霊に好かれる体質を持ち、優秀な精霊術師でもある。それとはまた別に、牙は少し珍しい固有能力を有しているらしい。
普通の人間の中にも、(超能力)と呼ばれる異能力をもつ個体がいるだろ。それをおれたち魔術師の見解から言わせてもらうと、魔術師の血族には生まれなかったが、生まれながらにして自身の持つ微量な魔力を操る才を持つ者がいて、そいつらはそういった能力を直感で使うことを覚えた人間なんだ。
通常おれたち魔術師も普通の人間も、体内に幾分かの魔力をつくりだす機関が備わっている。
目には見えない内臓というか、超常的機関というのか。まあ難しいことはよく分からんが、お腹の奥のあたりに、魔力生成をする部分を大体の人は持っているもんなんだ。
だが、分かってはいてもそれは微量すぎて、おれたち魔術師にさえ通常それを使うことはできない。例えるなら、洗面器にひと雫だけある水分を飲もうとしたとしよう。でも、自分の手ではすくおうにもは上手くはすくえないだろ。体内魔力もそんな感じだと思ってもらいたい。
だけど時折、それを操れる人間が生まれることがあるんだ。そして牙本人もそのひとり。
少ないとはいえその魔力を使い、水の入ったグラス程度のものなら持ち上げられるし、軽い火をおこすこともできるという。体内魔力はほぼ全ての人間が持っているとされているが、その量には極端な個人差があるという。生まれ持った魔力感覚を持つ者たちはほぼ例外なくその量が多いらしく、それ故に体内魔力を操ることができるのではともっぱら噂されている。
先ほどのやじりの呪文が不完全なまま空中分解したのも、牙が横やりを入れたからだ。
呪文とともに組み上げている魔力の渦の中に、牙は自分の魔力の欠片を放り込んだんだ。やじりには扱うことのできない他人の魔力が魔法に紛れ込んだため、せっかく組み上げた魔法は基盤から不具合を起こし、雲散霧消してしまったというわけなんだな。
このような魔法の強制終了を一方的に相手に与えることのできる魔術師の存在は、今までも現在に至っても希少である。もちろん誰に喜ばれるということはないし、むしろ魔術師にとっては天敵だ。疎んじられることの方が多いのが現状だな。
魔力感覚は勉強して習得できる技術じゃないし、それができる者は細かな魔力のコントロールができるようにもなるらしく、牙は得意分野の精霊術に関しては他の追随を許さないくらい精霊の使い方が上手い。
それと比べられたらおれなんかまるで出来損ないみたいに魔力の扱いがド下手なんだよな。先輩としてはまるで面目の立てようがない。
でも牙はそんなことは歯牙にもかけず、魔族の力を借りる際に悪魔どもが喜ぶからってだけで、自分の身体を少し差し出すおれを心底心配してくれる。
本当はそんなことしなくてもいいんだけど、悪魔どもは自分のために大好きなおれが血を流してまで助力を請おうとすると、鼻血を出さんばかりに大興奮して猛り狂うから、針の一本くらいで済むならとおれは出血サービスをしているわけだ。その方がおれとしても心強くもあるし。
さっきもおれの刺し傷を手当てしてくれたのも牙だし、こいつには心配をかけてばかりだな。と、今更ながら牙には頭が上がらない思いでいっぱいになる。
最初は人に懐かない子どものハイエナみたいな目をしていたから、なかなか部にも馴染めないのでは、とおれなりに心配して、世話を焼いたり可愛がったりしていたものだが、案外そうでもなかったようで、今ではこうしてすっかり溶け込んでいる。
やじりとも打ち解けたのか、喧嘩こそ多いがそこはそれ、喧嘩するほど仲がいいってもんなんだろう。
今じゃ立場がすっかり逆転してしまって、なにか物悲しい気持ちになるおれなのであった。
「歪くん、なにぼそぼそ言ってるんですか」
「ぅいっ言ってないです。ハイ。スミマセン!」
ギクリとして正座のまま再び背筋をびしりと伸ばしてみせるおれを、牙はじいっと見つめる。
ヤバイ。知らないうちに思考がだだ漏れになっていたらしい。こっここ、殺される・・・・?
スミマセンスミマセン。先輩面して偉そうなこと言ってスミマセン許してください。
だらだらと冷や汗を流すおれに、牙ははあっとため息をついて一歩近づく。あ、あはは。ダメかな。もうダメかなあ。
身の危険を通り越して、もはや死を覚悟するおれ。思えば短い人生だったなあ。
悪魔を使えば何とかなるかも知れないが、あいつらに任せたら牙が危なくなる。人間が魔力を得て組み上げるのとは根本的に違う類の魔法を、奴らは行使する。
いわばあいつらは魔力以前に(力)の結晶。その悪魔に特化された独自の魔法。そんなものを差し向けたりしたら、いくらおれの身が危ないからって、牙はひとたまりもないだろう。
なんたって、魔法族の扱う魔法に関しては、強制終了が効かないんだから。人間の使う魔法は未だ未熟だから、牙のような魔力感覚の持ち主には強制終了がかけられるのであって、純然たる魔法族の悪魔相手にそれが使えはずもない。よって悪魔に頼るのはおれが却下せざるを得ない。
だからおれは目をつむって、身に覚えのない裁きの鉄槌を受け入れることにする。何故だかやじりと牙が大喧嘩すると、殴られるのはおれだし罵倒されるのもおれだし、あげく二人の呪いを一身に受けるのも、おれということになる。もう慣れた、と言ってはなんだが、もうそろそろヤケである。
・・・目をつむっていると、来ると分かっている恐怖も物凄くゆっくり迫ってくるように感じる。階段から真っ逆さまに転げ落ちた時の、あの無限にも永遠にも感じる、感覚が引き伸ばされたような感覚。
「うう。来るなら来い」
ぶるぶると震えるおれ。
攻撃系の精霊だったら、妥当なのはサラマンダーか。火あぶりかあ。火傷で済むかなあ。怖いなあ。でもなんだかんだで牙のことだから、ちゃんと手加減して、気が済んだら手当もしてくれるはず。おれは信じてる。牙はいい娘。牙はいい娘なんだ。
その時、なにかすごく近くで、牙の声が聞こえた気がした。
「だから、だだ漏れですよ。歪くん」
耳に近い、息のかかりそうな、熱を帯びた声だった。すぐそこにいるのか、迫り来るであろう恐怖とは正反対の属性を含んだ、至近距離の一声。おれは冷や汗とともに、妙な悪寒がしてつばをごくりと飲んだ。
その直後、なにか柔らかいものが頬に当たった気がした。
拳骨より遥かに柔らかく、平手よりは優しく、回し蹴りよりは少し湿っていた。かかと落としにしては上から降ってきていないし、コスモを感じないから廬山昇竜波でもペガサス彗星拳でもない。でももし仮にハートブレイクショットだったとしたら、もしかしたらそうなのかもしれない。ダメージはないのに、心臓が妙に騒いだ気がした。
が、それはすぐ後の衝撃波によって簡単に吹き飛ばされて、おれの記憶には微塵も残らなかった。
「デスクボム! チェアミサイル!」
窓ガラスが叩き割れんばかりのやじりの声が大音量で轟き、ハッとして目を開けたおれの目の前には、残像を残しつつ吹き飛んできた木製の椅子がすぐそこまで迫っていた。
あ・・駄目だ。おれもこれは間に合わねえ・・・。
おれは己の無力を悟って、いっそ思い切って目をくいしばる。
さっきまでそこにいたはずの牙はいつの間にか部室の反対側で、手近にあった椅子を引っつかんで飛んでくる机や椅子を叩き落としているし、やじりは何にそんなに怒っているのか我を失っている。そして初めにいたもう一人は姿が見えない。まあ、そういう魔術師だから仕方が無い。あとで機会があったら紹介するよ。
ゴワン、と鈍い音を立てて衝撃が脳天に突き刺さる。
ううむ、やっぱり目を閉じていると、来ると分かっている痛みもゆっくり来るのかな・・・・
すうっと遠のいて行く意識の中、おれは呑気にそんなことを考えていた。
ああ、遠くでやじりが叫んでる。
よっよよよくも私の前で曲月くんにそっその、あああアレよ。きっきき、キキキ、ムキーッ!絶対に許さない!
・・・なにをそんなに怒っているんだ?
・・・ああ、意識が薄れる。
あれ、牙の声もする。
先輩が奥手決め込んでいるうちに、あたしが貰っちゃいますからって言ってたじゃないですか。やーい。奥手なんか今時流行らないですよ。ッバーカ。聞こえなかったんですか。
歪くんのだだ漏れ思考回路。あたしのこと可愛がってるとか、信じてるとか、おまけに牙はいい娘、だなんて。きゃ。
ッッッッッッッッ ブッッ殺す!
ああ、お前ら本当仲いいよなあ・・・
もうちょっと穏便な友情ってもんを築けたら、もっといいんだけどなあ。
あ、駄目だ。目の前・・・ゆがんで・・・
遠くにはつらつとした声が二つ響くのがずっと聞こえている。
その声をBGMに、おれは真っ暗な闇の中に飲み込まれていった。
・・・・・・
・・・う・・・ん・・?
ガンガンする頭の痛みが遠くから次第に深刻なものへと変わってくる。
「うあ。痛ってえ」
ぎし、と何かがきしむ音を立てておれは寝返りを打つ。
薄ぼんやりする視界を無理やりにこじ開けて、痛む頭でおれが辺りを見回すと、周囲は白いカーテンで仕切られていて完全に外が見えない。だが空気にほのかに混ざる消毒液のにおい、窓の外から響くソフトボール部の掛け声。ああ、大体の想像がつく。おれは保健室に運ばれてきたようだ。
ズキズキするおでこをさすりながらむくりと起き上がると、ちょうど窓の外に練習中のソフトボール部の姿が目に入った。やっぱり。校庭の真ん中にほど近い、一階のベッドのある部屋。間違いない。保健室である。あの後ぶっ倒れてたおれを、牙が運んでくれたのだろうか。ほんと、あいつには迷惑をかける。
まあ、それはお互い様でもあるのだけれど。
「牙には後でお礼を言っとかないとなあ」
ぐぐっと伸びをしながら、おれはつぶやく。
外は夕暮れ。ソフト部もそろそろ片付けにかかっている。
あーあ。おれももう帰るか。結局今日の部活は何だかよく分かんない感じで終わっちゃったなあ。
辺りを見るが鞄までは運んでくれていないようだったので、仕方なくおれはギシッとベッドをきしませつつ立ち上がる。部室が閉まる前に、鞄とってこなきゃ。
「鞄、あるよ」
不意に、後ろから声がした。
「ッ」
びくりとしてバッと振り返ると、そこには先程まではいなかったはずの人間がいた。
「あの二人があんまりすごい剣幕だから、ぼくもお小言言おうと思ってたのに言えなかったよ」
へへ、とそいつはおれに笑いかけて見せる。
ああ、とおれは薄暗い部屋の中で突如現れる人間の心当たりを思い出して、ほっとため息をついた。
そういえば、こいつの紹介がまだだったっけな。
「何をブツブツ言ってるんだ」
「い、いや。何でもない。」
俺ってそんなに思考回路だだ漏れなのかな。まあいい。
突如消えた、部室にいたはずのもう一人の部員。それがこいつだ。確かやじりに続いておれをなじってたような気がする。
学校内では、こいつは「隠密の御影」と呼ばれている。
おれを含め、計五人いる「カオス部」のメンバーの中で、唯一の高等魔法使い。聖遺物(隠者の逆さ十字)を首からお守りと言って下げているので、御影本人からのアプローチを受けないことには認識することもできないという、またもやはた迷惑なスキルを持っている。そしてどうやら、その謎の(隠者の逆さ十字)は御影曰く祖母の形見なのだと言う。祖母の形見が聖遺物。どのようなご家庭で育ったのかしら。謎は深まるばかりである。
ところで、こんな話し方をする御影だが、こいつは正真正銘、女である。おれにはよく分からんのだが、「神に使える身」の呼称として、普通の一人称を捨てて「僕」と名乗ることにしたのだという。
でもだからって、口調まで男口調にしなくともよいのでは、とおれとしては思うのではあるが、そこはまあ御影本人がこうと決めたことだ。無用な口出しは野暮というものなのだろう。
「歪。やっぱりそのブツブツ言うクセ直したほうがいい。お口チャックの魔法、かけてあげようか」
親切そうな笑顔で、御影は提案する。が、おれは全力で首をぶんぶん振って拒絶の意を激しく表明する。
「いや、いい。絶対に、いい。気をつけるから、いい」
何故ならおれは以前、「お口チャックの魔法」なるものを本当にかけてもらったことがあるからだ。だから身をもって経験で分かっている。こいつがマジで他人の口にチャックを融合させる奴だってことは、嫌という程充分に分かってるんだから。
「そう? 遠慮しなくていいのに」
残念そうな顔をする御影。そんな顔をしたって駄目なもんは駄目だ。
「まあ、それはいいとして。お前何でこんなとこにいるんだ?」
話を上手いことすり替えてしまおうと、おれは別の話題をふってみる。こいつとは部活動で一緒になってからの付き合いだし、その上普段は姿形も見えないので、いまいち関わり方が分からない。話してみたら普通にしゃべるのだが、なにぶん接する機会が少ないというのもあって、オドオドしてるうちに「お口チャックの魔法」をまた押し切られてはたまらない。
「おれ、あんまりよく覚えてないんだけど、さっきまで部室でやじりと牙が喧嘩してるのに巻き込まれてて、なんか椅子が飛んできて、頭を打って、それで気がついたらここにいて・・・。ん。あれ、もしかしてお前が運んでくれたのか?」
「何を今更。あったりまえじゃんか。他に誰がいるっていうんだよ。あの状況で歪がぶっ倒れたのに気づいて、わざわざ保健室まで運んで介抱してあげる心優しい人間が、あの部室に何人いた?」
「そうだねえ。多くて二人、少なくともここに一人、かなあ」
「だろう。現実、その優しい人間はぼくだったってことなのだよ。感謝したまえよ」
ふふん、と鼻を鳴らして偉いだろアピールをしながら、御影は持っていた鞄をおれに手渡した。はいはい、と投げやりに感謝することに同意して、おれは手を伸ばして鞄を受け取る。
ちょうどその時、ぼおん、と保健室の掛け時計が午後六時を告げる音を鳴らした。それとほぼ同時に、生徒の下校を促すトロイメライが廊下にとりつけられたスピーカーからも流れ始めた。気がつけば窓の外は夕焼け。本日の部活動も、終了の時刻だ。
はああ、とおれは物悲しく息を吐き出す。
計算機と睨み合っていなきゃいけない地獄のような時間からやっと解放されたと思ったのに。仲間たちと最近ハマってる魔法書の貸し合いっことか、五十分間用の居眠りしながらノートがとれるようになる魔法の研究とか、そういう有意義(?)な時間になるはずだったのになあ・・・。とほほ。
すっかりしょげているおれを、御影は面白そうに眺めていた。
そういえば、こいつはやじりや牙のように好戦的じゃない。人に存在を気づいてもらえないのは、こと学校生活においては好ましいことではあまりないと思われる。友達もできなければ、集団生活に入ってもいけない。それなのに(隠者の逆さ十字)を外すことはなく、どこか飄々とした風なままこいつは生活している。
よく分からないやつだな。やっぱり。
「? なんか嬉しそうじゃない?」
「んふふー。そうかなあ」
ベッドの反対側にあぐらをかいて座って、その膝に頬杖をついてにやけている。嬉しそうな感じじゃないか。見た目に。
「今はやじりちゃんも牙ちゃんもいないからかなあ。あはは」
「え。お前あいつらのこと嫌いなのか」
おれはびっくりして尋ねる。そんなそぶり、見せたこと無かったじゃないか。
しかし御影も驚いたようにかぶりを振る。
「ちがうちがう、そういうことじゃない。ただ、なんというか、普段は二人の勢いがすごくて入っていけないから、今日はちょっとだけ、その、嬉しいというか」
言いにくそうなその感じから、おれはふと何かを感じ取った。そして内容が理解できたような気がして、手をぽんと叩いた。そうかそういうことか。
「ああ、あいつらのこと苦手なのか」
「ーッ!だから違うっつの!何でだよ!ちょっとは察せよこの馬鹿野郎!」
「うえ。ご、ごめん」
御影の人間関係に気を使ったつもりが、馬鹿野郎呼ばわりされる羽目に。何がいけなかった。わ、分からん。
「はあ・・・。やじりちゃんと牙ちゃんの苦労がよく分かるよ。特にやじりちゃんなんかは長年一緒にいるのにこのざまなんだから。歪の馬鹿さ加減も筋金入りだね。まあ、ぼくも言えた立場じゃないんだけどさ」
額をおさえてため息をつく御影。おれとしては苦労してるのはこっちだと思うのだけれど。それを言ってもおそらく共感はされないことだけはなんとなく分かるので、首を傾げる程度で我慢しておく。
「でもあの二人は頑張ってるのに、ぼくがモーションかけちゃいけないなんてことはないよね・・・」
ぼそり、と御影が低いこえでつぶやく。あまりに声が小さかったので、おれには聞き取れないくらいだった。
「ん? なんか言ったか?」
「ううん。なんでも」
ぱっと顔をあげて、御影は何事もなかったかのように笑ってぴょんとベッドから降りる。その動作でおれもつられてベッドから立ち上がる。そこでようやく、そういえば下校時刻をすぎていたのを、おれは今頃になって思い出した。
「ああ、もう帰らないとそろそろマズイよなあ。」
「ああー。そういえばそうだよねえ」
おれは鞄を肩に担ぎ、カーテンをシャッと開け放った。
カーテンの向こう側に光が差し込んだ入口側は、ほのかに闇が溜まっていてしんとした空気を感じる。そんな中だからか、あらぬ空想が不意に頭をよぎったりする。保健室。薄暗い。女子と二人なおれ。
なんだか背筋がぞくりとする。
何やら良からぬ何かしらが起きそうなシチュエーションではあるまいか、と脳内にテロップが流れ出した辺りで、おれはぶんぶんと頭を振ってまとわりつくオトコノコを急いで振り払う。
何を考えているんだ。おれらしくもない。たぶんあれだ。頭を強く打ったから。そう、それだ。きっとそうだ。
うんうん、と半ば強引に自分の中の何かを納得させて、おれは早足に保健室を突っ切った。電気のスイッチが入っていなかったので、引き戸の取っ手を探り当てるのに少し時間がかかったが、そのうちい見つけだしていそいそと外に飛び出した。
「なにをそんなに慌ててるんだ?」
「いや。何でもない。断じてなんでもないから」
何故だかしどろもどろになりつつ、おれは笑顔を作ってシラを切る。まさか本音を言うわけにはいかなからな。
怪しむような目をする御影を尻目に、おれはぎくしゃくと昇降口へ向かって歩き出す。内心は変な汗をかいたりしてもいるが、実際、今教員に見つかると小言をくらう。早くこの場を去るに限るとおれは判断した。
「ほら、早く行くぞ」
「むう。やっぱりなんか変だぞ」
「そーんなことないって」
しゃべりながら歩くおれたちの足音が、パタパタと校舎の中にこだましていく。なんだか複数の足音がついてきているような錯覚に襲われるが、単に音が重複反射しているだけだ。何かの怖い心霊現象の類でもない。恐れることはない。
と、思ったのだが。
カツンカツンカツン、とだんだんに大きくなっていく足音が遠くから響いてきた。次第にそれは早く、大きく、近くなってくる。
おれはチッと舌打ちして、くるりと音のくる方に向き直って御影をかばうように自分の影に隠した。
「えっ・・・・・」
「おれの後ろにいろ」
次第に近づく足音に耳をそばだたせながら、おれは低く言い放つ。
この時間帯に、学校のような(溜まりやすい)場所には集まりやすいんだ。低俗な地縛霊とか浮遊霊の類、それに若い欲求を餌とする、悪魔の眷属どもが。
おれは小さい頃から嫌という程見てきたから、そのへんはよく分かってる。どうせおれのさっきの煩悩の匂いとかを嗅ぎつけて、喰い物にするか、あわよくば取り憑こうとでも考えたのだろう。
そうはいくか。おれは舌舐めずりして待ち構える。
おれがどれだけその手の奴らに困り苦しめられたことか。しかし今ではもう違う。おれは力をつけた。このような奴らを返り討ちにしてなお余りある力を。
おれは右手の薬指すっと持ち上げ、軽く厳かに唇をつける。すると途端に指と唇が触れた部分が光りを放ちはじめた。光は形をなすようにすじを描き、リングの形を成して指の周りを飾った。
「歪・・・・それ、なに?」
眩い輝きに怯えるように、おれの背中にしがみついた御影が目を細めながら尋ねる。太陽のコロナのように時折噴き出す光の柱は、触れたら弾かれそうなほどの魔力を帯びている。
「これはおれを口説きに現れた数えきれない魔法族の中から、おれが不本意ながら愛を受け入れ寵愛と服従を認めた、13体の魔法族の力を編み合わせたもの。魂の欠片、束縛の光。最高位階級の魔法族をも統べる、究極の魔族との約束だ」
おれは光輝く右手を拳にして握り、すっと脇をしめて腕を引いた。
「さーあ。どっからでもかかって来い。」
おれは万全の構えをもって、姿はまだ見えないが相手を迎え撃つ準備を整えた。この光の指輪を発動させている限り、おれは並大抵の者には負け得ない。
契約を結ぶ魔法族の力を寸分違わず全開で使うことができ、おれの受けるダメージはヘヴィな痛みを糧とする悪魔が喜んで肩代わりする。今のおれは最高に鬼畜なんだ。
・・・・のはずだったんだ。
「曲月くうううううううううん!?」
「歪っくうううううううううん!?」
ズシン、とおれの心の揺らぎない自信を根底から叩き壊す声が、聞こえるその瞬間までは。違う。低俗な霊とか悪魔の類じゃない。この底冷えのする声に含まれる荒々しい波動。こいつをおれは知ってる・・・・。
足音が目の前の曲がり角を折れて、ついに足音音の主が可視領域に入った時、おれはすべてを諦めた。ああ。駄目だ。敵わないやつその一と二のお出ましだ。だって実力を行使できないんだもん。勝ち目ないだろ。
「やっっっっと追いついたわよ見つけたわよ探り当てたわよ曲月」
「さっき歪くんを探していたら、校舎の反対側から保健室から出てくる二人を見つけました。ところでつかぬ事をお伺いしますが、こんな時間まで保健室で二人きりで一体何をやっていたんですか?」
鬼のような形相で地獄からの使いのような声のやじりと牙。やばい。相当にお怒りだ。ぼたぼたと滝のように汗が流れる。集中を欠いたからか、薬指の光も力を失って消えかけている。待て。おれは何も悪いことしてない!
「な、何って、お前らが部室で暴れてただろ。おれがそれに巻き込まれて、気を失っちまったもんだから、御影が気を使って保健室に運んで介抱してくれたんだよ。お前らのせいなんだかんな」
「御影が・・運んだ?」
「保健室で・・介抱?」
「へ・・へへへ・・へえ。ちょっとこっちで詳しいお話聞かせてくれない!?」
「こ・・こここ・・事と次第によってはたたたタダじゃおけませんけどね?」
「まっ、待て待て! なんでそこだけピックアップする! 落ち着け、話せば分かる!」
「そうだよ。ぼくはただ保健室に避難させて寝かせただけだもん。それに歪すぐに起きちゃったから、何もできてないもん!」
「っちょ御影さん!? なんで君はこのタイミングでそういう火に油を注ぐような事を言うの!っつか何する気だったの!?」
「い、いや、それは。別に、その、秘密だけど」
「殺す」
「殺す」
「どっから削いでやりましょうか、樋熊さん。腕かしら。脚かしら。それとも精神からがいいかしら?」
「それも魅力的ですけど、まずは自分のしてることをよーっく分かってもらうために、耳とか爪とかからがいいんじゃないですか。歪くん、ちょっとこっちに来てくれませんか。大丈夫、大人しくしててくれればそんなに痛くはしませんから」
ふふふ、と不敵な笑い声をあげながら、二人がゆらゆらと迫ってくる。やじりはワンドを構えて、歩きながら声には出さず空中に魔言語で何かを書き始めたし、牙は手をこちらに差し出して手のひらを広げた。
まずいっーーーッ!
と思ったよりも早く、おれは何かを大きな手に手繰り寄せられるみたいに、ふわりと浮き上がって吸い寄せられていた。
「うわっわわわ」
抵抗しようにも体は見えない万力に締め付けられているかのように微塵も動かせない。迂闊だった。牙の念動力を忘れていたッ。
「歪くんがいけないんですよう。あっちこっちでいい顔ばっかりしてるから」
「これは罰じゃないのよ。曲月くん。これはね。ムチなの。愛ゆえのムチ」
「ひっひいいいい」
恐ろしい表情で恍惚としているやじりの指先で、あっという間に呪文が完成してしまった。詠唱型ではなく、筆記型の呪文。おれは戦慄した。この手の呪文陣はさっきのようには破壊できない。術者を倒すか、術者の魔力がゼロにならない限り、打ち破ることはできないタイプの魔法。
しかも、魔法族と契約をすでに結んでいる以上、やじりの魔力は決してゼロにはならない。魔法族の存在は魔力そのもの。
どんなにお腹が減っても、お腹そのものがなくなったりはしないように、例えどれほどの魔力を浪費しようと、供給される魔力量は減りも変わりもしない。それがより強い魔法族と契約を結びたいとおれたちに願わせる一番の理由であり、最大のメリットでもある。
しかし、もう一つの選択肢、「やじりを攻撃する」のは避けたい。おれは体質上、考えうる限りもっとも階級の高い魔法族としか契約してこなかった。おれのどんな些細な一撃でさえ、やじりに向けることはできない。しかも今は(ロード・オブ・イルミナタス)が発現している最中だ。デコピンでだって校舎が半壊するぞ。
「装填弾数12。属性は光。口径はできるだけ大きく。目標、曲月くん」
おれがじたばたしているうちに、やじりは人差し指を立てておれに狙いを定めた。円状の呪文陣がやじりの指差す方を追うようにこちらを向く。おれはぎょっとする。この距離まで近づいてはじめて、やじりの殺意が直に感じ取れたからだ。
「属性は光・・方角は射手座・・呪文基盤に悪魔払いの真言・・悪の魔を滅せし天上の剛の矢・・・?」
え・・なあ、嘘だろ・・?・・やじ・・
「ファイア!!」
ガオン! と轟音を轟かせながらやじりの呪文陣から眩い光の弾丸が放たれ、おれは抗う隙もなく右の脇腹が吹き飛ぶのを感じた。
「・・・・り・・」
がふ、とおびただしい量の血が口から吹き出される。単に「痛み」などという軽い響きでは到底くくれない苦しみが、脇腹を中心に爆発する。流れ出す血が滝のように脚を伝うが、それでも牙の念動力で締め上げられてのたうちまわることもできない。
「がッ・・・」
「ちょ、ちょっと二人とも、何してるんだよ!いくら歪が馬鹿だからって、(ロード・オブ・イルミナタス)を使ってるから死にはしないからって、これはそんな・・・あんまりにも・・・!」
見るに耐えかねた御影が、走り寄ってきて俺と二人の前に立ちふさがる。その言葉に、おれは違う、頭を振りたかったが、そんな気力はなかった。
これは・・光属性の攻撃で・・その上対悪魔用の必殺級・・・攻撃呪文だ・・・。このタイプの魔法は・・肩代わりされない・・それ見越してやじりはおれにそれを・・撃った・・やじりは本気だ・・どけ・・御影・・今のやじりは・・お前も・・
必死に言葉にして御影に警告しようと試みるが、言葉ではなく確実に削られていく命と血液くらいしか吐き出すことができない。ちくしょう、これじゃ悪魔に命令することもできない。このままじゃおれも御影も・・死ぬ・・!
「どきなさいよ御影。あんたも同じようにするわよ」
冷たく言い放つやじり。その横で、先程とは違いうろたえたように牙はおれとやじりを交互に見ていた。すうっと向けていた人差し指をおれから御影へと移すやじりを見て、見かねるように慌てて牙は口を開いた。
「ちょっと先輩! これ以上は流石に・・」
「うるさいわね。あなたも乗った側でしょう。それともなに?あなたも同じようにしてあげようか」
キッと向き直った牙に対し、冷酷な表情のまま今度は牙に指先を向ける。そのあまりの殺意にビクッとして、牙はひっと飛び退く。強制終了のかけられない魔法に対し、牙は対抗する術を持たないからだ。
「ひっ・・・・」
「や・・・やめ・・・」
おれは死を覚悟するつもりで、必死にやじりに向けて声を放つ。
それを聞きとってか、やじりは目にも止まらぬ早さでおれに銃口を向けた。
「ファイア!!」
ズドン、と再びけたたましい轟音とともに、今度はおれの胸に風穴があく。今度は相当な魔力を込めたのか、さっきよりも大きく。肉がえぐられ、背後の壁までもが爆発した。
「歪っ!」
「いやああああああ!」
二人の悲鳴が立ち込める煙のむこうから聞こえてくる。肺をやられたらしく、呼吸ができない。喉からヒュウヒュウと薄い息が漏れる音がする。
おれは・・・・死にかけているのかもしれない・・・
遠のいてゆく意識の中、ぼんやりとそう思った。
不意に、身体を縛り付けていた感覚が消えた。
と同時に、宙吊りになっていたおれは急に自由になり、空中から床にべしゃりと叩きつけられた。
ばしゃりと血が飛び散り、それを踏み越えて牙が青い顔をして駆け寄ってくるのが見えた。
「歪くん!」
ばしゃん、とおれの周りにできた血の池に座り込み、牙はおれを覗き込む。おれは意識はまだ少し残っているが、その声に答えてやれるだけの体力はなかった。代わりに二回、瞬きをしてゆっくりと牙の顔を見上げた。
「ああ・・ごめんなさい・・・なンで・・こんなこと・・私・・」
ぽたり、とおれの頬に熱いものが降ってきた。ああ、とおれは思った。泣かなくてもいいのに・・・どうせ・・おれは・・
「この後に及んでまだ曲月くんにちょっかいを出す気なの!」
その時、牙の背後からやじりの鋭い怒号が飛んだ。 おびただしい魔力が集められる気配がする。牙は何かを叫びながらおれをかばうようにおれに覆いかぶさり、その向こうでも御影が盾になるように両手を広げて立ち塞がっているのが遠くで見えた。
はは・・まだあったな・・・おれがやらなきゃいけないこと・・
おれはもうほとんどない意識の底で、何故か嬉しかった。こんなにも怒ったり、守ったりしてもらえる自分が、少し嬉しかった。
でも、もういいよ。やじり。もう怒らなくていい。
牙、お前は優しい娘だ。結局はこうしておれを守ってくれてる。
御影は馬鹿正直すぎだ。高等魔法使いなのに、生身で立ち塞がるなよ。危なっかしいんだからさ。馬鹿だな。
ふふ、とおれは血にまみれた口を歪めて、苦笑を漏らす。仕方が無い。おれはおれにできることを、最後までやるとしようか・・。
おれはかろうじて動く目を閉じて、乱雑になった契約種族との意識の通路を手繰る。ついにおれが目を閉じたことで、牙が悲痛な叫び声をあげているのが聞こえる。ごめん、牙。大丈夫だから。
そして探していた意識をおれは探し当てた。
急げ。やじりの魔力が立った今たまり切った。早く。
おれは意識を研ぎ澄ませて、手繰りとった魔法族に全力で語りかける。
(久遠の支配者ルヴィアノーラ。美しき時の女神よ。頼む。何でもいい、ひとつだけ言うことを聞くから、この間違った時間を巻き戻してくれ。やじりに芽生えた悪魔を摘め。この負の連鎖を断ち切れ。おれに力を貸してくれ・・・・!)
「ファイア!!」
ドン、と轟音が迫り来る。おれはしがみつくように魔法族の意識に祈る。
そうして、間髪いれず、その答えは返ってきた。
(おお、歪がわらわに頼みごとを。そして褒美までくれるというのか。そうかそうか。わらわは待っておった。この時この瞬間を。本来は時を逆戻すのは禁忌であるのだが、他ならぬ愛しい歪がそうまでしてわらわの助力を請うておるのだ。いいだろう。喜んでこの力、そなたのために使おうぞ)
包み込むように優しく、雄大な響きを持った声が頭に響き渡る。
(助かった・・・・)
おれは安堵の息を、虫が鳴くようにひゅうと吹いた。
はち切れんばかりに光を凝縮した死の弾丸がはもうすぐそこまで迫ってきていた。そして今、ついに牙の背中に達した・・・・・かに見えた。
その瞬間だった。
辺りの一切のものが一瞬にして光の膜に包まれた。ドゴオン!と鈍い音を立てて牙の背中に光の矢が炸裂したが、間一髪、光の膜がそれを完全に遮断した。
そして光の膜に覆われた壁も、昇降口の下駄箱も、更にはおれたち自身の身体も、淡く発光してほろほろとその形が崩れ始めた。まるで光の羽になって溶けて行くみたいに、少しずつこの時間にいるすべてのものが消去されてゆく。
「なっなに・・?」
「歪か? 歪がやってるのかい!?」
慌てふためく二人の声を遠くに聞きながら、おれはおれで自分がなくなっていく感覚に包まれながら、ついでに痛みも薄らいで行くのに救われる思いで横たわっていた。
ここからはやじりの声までは聞こえないが、おそらくやじりのことはルヴィアノーラが連れて行ったんだろう。人は我を失い、怒りに身を預けると悪魔を生み出すことがある。
さっきまでのやじりは、それに完全に支配されていたんだろう。それを喰い潰してくれるように、あの神族に頼んでおいた。きっと元に戻るだろう。過去にも何度かこういうことはあったから・・・・。
目が覚めたら、みんな部室でバカやってるところだ。
やじりも牙も御影もいて、いつもの退屈な午後の時間に戻るんだ。
ルヴィアノーラに何を要求されるのか、少し怖くもあるが、そんなことは軽いものだ。この日常が戻ってくるのならば。
視界の隅で、牙と御影の身体が最後の光になって散った。ああ、ちゃんと戻って行った。記憶が残っているかは分からないけど、向こうでまた会える。怪我をさせずに済んでよかった。
おれはゆっくりと目をつむる。
高等魔法使いではないおれが高等魔法を使うと、しばらく「神聖な匂い」が染み付いてしまって悪魔から嫉妬される。しばらくはあいつら、不機嫌なんだろうな、と思うと、嫌々ながら恋愛感情に神も悪魔もないのかも知れない、と思ってしまう。
まあ、いい。
疲れてしまった。少し眠ろう。
目が覚めたら、またあの騒がしい日常が待っている。
待ち遠しいけれど、お楽しみは、とっておくタイプなのでね。
おれは何かを見えないものに言い訳しながら、静かに寝息を立て始めた。ルヴィアノーラのあたたかい力の余波に包まれながら、真っ白な光だけの世界で、身体のないおれは夢のない眠りへ落ちていった。
続く




