モヤモヤとか気晴らしだよ!全員集合とか
ジーワジーワ、と夏らしく響き渡る蝉の声。
やはりいつも通り縁側で横になっている歪は、いつもとは違う悩ましい表情を浮かべて、ため息と発作的にやってくる記憶のぶり返しに溺れて、もはや廃人と化していた。
「うう。うううぅぅぅ」
うめき声をあげて、うちわで顔を誰からともなく隠し、唇にのこる甘くて柔らかい感触を忘れようと、ひたすらに無心になろうとしているのだ。
だが、顔に触れるうちわのせいで御影の胸に抱かれたことを思い出してしまい、そしてそこから芋づる式に昨日の記憶がどっと押し寄せてきてしまう。もう何度目か分からない、この痛いような熱いような胸の疼きが、歪の表情を切なそうに歪めていく。
「うあ、うああああああ!! 駄目だダメダメ!! 御影のことしか考えられない・・・!」
おれは飛び上がって、頭をぶんぶん振る。
このままでは御影に本当に惚れてしまう。いや、惚れてはいけないなんてことはないのかも知れない。今のおれとしては、あの三人の中の誰かと結ばれない限り、この狂わしい感情に取り殺されて、精神が壊れてしまう状況なんだから。
でも、おれはまだ、そう簡単に決められないんだ。
この状況を作り出したのは、海での自分の無知からの失態によるものだ。だから、魔法によるこの一種の呪いのようなつながりを解くための、魔法だってあるかもしれない。
伊達に家に引きこもってるわけじゃない。おれは親父に頼み込んで、曲月家の歴史から秘伝の魔法まで、叩き込んでもらうことになった。
あいつらに無理やりな恋愛を強いたくない。
おれはおれで、きちんとあいつらを好きになりたい。
こんな気持ちは初めてだけど、たぶんこれは嘘偽りない本音だと思う。
と、いうわけで、おれはハーフパンツにタンクトップという、ごろごろ部屋着スタイルを脱ぎ捨て、手持ちの服で一番爽やかな服に着替えた。深い青の七分丈のズボンに、胸元の割りと大きく空いた部分に、色とりどりのボタンがきれいに並んでいる白のポロシャツという、なんとも学生らしい出で立ちになって、満足そうに鏡を見つめてみる。
「うっし。あんまり悩んでてもしょうがねえからな。もともとあんまり考えるのは得意じゃないし。それに昔からよく言うもんな、クヨクヨタイムなんて五秒で十分なんだ! 久しぶりに出かけてリフレッシュしよう。なんかこのままだと知恵熱で死ねる気がしてきた!!」
・・・プラスな方向で、現実逃避することにしたらしいですネ。
「ふふ、歪。お主少しは大人になったようじゃの」
「主殿、その発言はいささか馬鹿っぽいのではないか・・・?」
カラ元気で盛り上がろうとする歪の後ろからは、聞き慣れた声が方や嬉しそうに、方や心配そうに響いた。
「おい、魔族。歪は今、懸命に理性を保とうとしておるのだぞ。ちょっとやそっとの馬鹿っぽい発言など、可愛いもんじゃろう。いや、むしろ可愛い。キュンじゃ、胸がテラキュンじゃ!! 今のうちに愛でつくして、まさぐり倒して、わらわのものにしたいッッッッッ!!」
ぅおい、お前仮にも神族だろ。
鏡ごしに映る二体の魔法族のコントに、おれはイラつきと諦めの混じった複雑な眼差しで、じっとりと睨みつけた。
「・・・ハッ!?」
ハッじゃねえよそこ!! 悪魔!!
「そ、そうか。そうだな。その通りだ。その発想はなかった。いい・・・いいぞ神族!! それは最高だぶらっっはがっはああああ!?」
「魔族っ!?」
勝手に俺をダシにして身の毛のよだつ方向ではあはあじゅるりしている魔族と神族が目障りだったので、とりあえず上半身が爆散する程度に手加減してぶん殴ってみた。あれっ。なんかスッキリしたかも?
「主殿!? な、なにをするのだいきなり!!」
爆散後わずか二秒でズルズルグチャリと教育的にはよろしくなさげな復活を遂げた悪魔、ルルゴンドルンは青ざめた表情でおれにすがりつく。チッ、その位置じゃ殴りづらいな。
「主殿からかつてない冷酷な魔力が滲み出している!?」
愕然とするおれの契約魔族だが、殴られた理由はちゃんと分かっているので、これ以上の無用なおふざけは控えている。さすがは最上級悪魔。生命力と学習能力だけはゴキブリ並だな。
「・・・主殿。なにかすごくひどいことを考えていないか?」
「いや。まさか。そんな訳ないだろ。おれが一番信頼していた悪魔を、心の底から軽蔑して幻滅することになって、挙句その無様な様を見て、生命力と学習能力だけはゴキブリ並だなこの疫病神、って吐き気すら覚えてきたなんてこれっぽっちも思ってないから、安心しろ♪」
「隠そうともしない本音がだだ漏れだぞ主殿!?」
ルルゴンドルンはもう涙目になっている。人間化して、褐色の美男子になっているルルゴンドルンに下腹部にしがみつかれて、涙ながらに主殿呼ばわりされるのは、なんていうかヴィジュアル的によろしくない。そろそろ本題に入ろうかな。
「さて、そんなことはどうでもいいとして」
「そんなことッ!?」
とうとうぶわっと泣き出したルルゴンドルン。いやあの、ほんとやめて。誤解を生む。
面倒臭いのでルルゴンドルンをその辺にぺっと投げ捨てて、おれは手を持ち上げて、薬指にそっと口づけする。そして、もう片方の手にも。
チュっという音ともに唇を離すと、左手には光を飲み込むどこまでも黒い闇色の指輪が、右手には燦然と輝く光の指輪が顕現していた。
それを見たルヴィアノーラが、なんとも物珍しそうな表情で面白そうに笑う。
「おほ。歪、どうしたことだ? 珍しく他の魔法族も実体化させるようだの?」
「ん。ああ、騒がしい方が今のおれには気楽だからな。好き勝手やってくれるバカが周りにいるのといないのじゃ、違うもんだな。お前らを呼び出して、その・・・ちょっと助かったからさ。たまにが他のやつらにも絡んでおこうかと思ったんだよ・・・悪いか」
左右の手に、禍々しく、また神々しい純粋な力の塊を宿しながら、希代の魔族使いははにかんだようにそっぽを向く。ルヴィアノーラはそれを見て、嬉しいような、寂しいような笑顔を主に向ける。
(歪は・・・変わったの。わらわと契約したのはわりかし最近だというに、それでも、お前は変わってしまった。あの娘たちを意識する前は、恋を知らず、気持ちというものに無知じゃった。わらわたちの好意はむしろ迷惑でしかなく、それらを退けるために仕方なく下した手下のように思っていたはずだのにのう・・・)
純白の肌と透き通るような白い髪の女神は、自らが守り、導き、行く末を見守るはずの一介の人間風情には、本来抱くはずのない感情を持て余しながら微笑んでいた。
(わらわ達を見る歪の眼差しが、あんなにも柔らかくなるとはの。もしかしたら、歪もどこか共感しているのかも知れぬ。抗えぬ魔力に惹きつけられ、心を縛り付けられるあの感覚を、歪自身味わっているのだからのう・・・)
歪を見つめるルヴィアノーラの瞳に、次第に熱がこもる。
歪に恋愛感情がないことは分かっていた。それが、自分たち魔法族に言い伝えられている最悪の家系、曲月家の宿命として、家長から根本的に消し去られていることも知っていた。だから、せめて使い魔としてでもいい、ルヴィアノーラは歪のそばにいることを願ったのだ。
歪を知ったきっかけなど、ほんの些細なことだ。ただ暇つぶしに人間界を覗いていたら、魔法族は決してその姿を見てはいけないとされている、曲月家の子どもをたまたま見てしまった。
それだけのことだった。
その姿、その魔力、そのにおい。
“異界の鏡”越しに覗いていただけだというのに、それらはルヴィアノーラの全身に突き刺さり、心を揺さぶった。
たったそれだけのことで、ルヴィアノーラは自分の守るべき“時の架け橋”を下級神に押し付け、歪と契約したのだ。
ただ、そばにいられればそれでよかったから。
だが・・・
(あれ? 歪、いつになくデレておらぬか? それに、わらわだって暴走したのに、お仕置きはあの腐れ魔族のみ・・・。おのれ、羨ましい・・・ってそうではなくて、あれ? もしかしてわらわ、女の子扱いされとる?)
チラリ、と赤くなってきた頬で歪を横目で見ると、慣れないことを言ったせいか、まだ照れているみたいにこめかみを掻いている。
ドキュン、とルヴィアノーラの胸が弾む。
(あれっ? まさか、まさかよな? え、なんじゃその顔は。何なのじゃ、この急に甘くなる魔力は・・・。あぅ・・・そ、そういえば歪が恋をしてから、魔力が甘くなったような・・・)
すうすう、と息を整えて、ルヴィアノーラは一旦自分を落ち着かせる。まさか、まさかとは思うが、それでも念の為に、ルヴィアノーラは歪とのリンクを最大にして、供給される魔力を思い切り吸い込んでみる。確認じゃ。これは確認なのじゃ、と謎の言い訳を心の中でしながら・・・吸い込むと・・・、
「ぶふはっっっっ」
・・・・・・ルヴィアノーラは鼻血を盛大に吹いて、腰砕けに倒れこんだ。
「どうしたっ!?」
「何をやっている神族!?」
突然のことに驚いた歪とルルゴンドルンは、慌てて駆け寄ってきた。実力ならほぼ最強クラスの神族がいきなり倒れたのだ。何事かと思うのが、まあ普通だからだろう。
「て、敵襲か!? おい、しっかりしろ、ルヴィアノーラ!!」
「・・・いや、主殿、様子がおかしい。不可知の呪詛でもかけられたのか・・・?」
覗き込む二人の心配そうな顔を見て、ガクガクするルヴィアノーラの脚は余計に震えがひどくなった。が、そんなルヴィアノーラは二人に親指を立てて、白い歯で笑いかける。
「だい・・・じょうぶよ・・・ちょっと・・・甘くて激しいものが全身を駆け巡ったから・・・ビックリしただげぶふはあっっ!!」
「全然だいじょばねえよ!? 標準語喋ってるよ!? その時点で十分異常だけどなんだその吐血レベルの鼻血!?」
「ふむ・・・鼻血は鼻血でも、美人が吹くとそれはそれで美しいのだな・・・意外だ」
「そしてお前はどこに感心してんだ悪魔!?」
「うあぁ・・・ちか・・・近いわ歪・・・ぅん・・・ぶっは!!」
恍惚とした表情のまま、相当量の血を噴き出す女神。女神? お前仮にも女神だよな?
「歪、こ・・・子どもが・・・子どもができるわ・・・そんな近くで・・・甘、あまままままずばぶはっっ!!」
「えええええええ!? 何事!? 何が起きてんだこれ! あああもう手に負えん!!」
おれはもはやこれは自分の手に終える事態を超えたことを悟り、バッ! と両手を天に向けて高く突き上げた。
「我は呼ばん! 我汝らと血の盟約を交わせし者! 呼びかけに答えたまえ、問いに応えたまえ!我の前に姿を現せ! 汝の誓いを果たしまえ!!」
パアン、とおれは文言とともに両の手を大きく打ち鳴らした。
その瞬間、薬指の指輪が爆発した。
片方は闇が、もう片方は光が、核融合爆発のように部屋を覆い尽くして交わり、星が吹き飛ばんばかりの魔力が膨張して一気に収縮した。
そして、はじまりと同じく唐突に混沌の爆発は消失した。
光と闇はそれぞれの粒子になって霧散し、その代わりに、先ほどまではいるはずなのかった、11体の人影が、歪たちを取り囲んでいた。
おれは久しぶりの顔ぶれを見て、思わず安堵して涙が出そうになる。そう、こいつらこそおれの契約した13体の悪魔たち。それらが全員揃ったんだ。
なんだろう、あんなにも毛嫌いしていたのに、こいつらが姿を見せるとやっぱり落ち着く。心を許した相手ってのは、いるだけで安心できるっていうか。
ぱあああ、とおれの魔力が明るく色づくのが分かる。
「よう、よく来てくれたなあ、お前たち! なんかちょっとルヴィアノーラがヤバイことになってるんだけど、どうしてか分からないんだ。助けてくれ! そんでそれが何とかなったら、ちょろっと街にでも遊びに行こうぜ! たまにはその、仲間サービスっていうか・・・まあその、なんだ、奢るからついてこいよな!」
にこやかに両手を広げて提案する俺。
基本見返りがあればこいつら喜ぶしな。おれとしても寂しくなると御影のことばっかり考えちゃうし、しばらくこいつらと一緒にいよう。
おれの言葉に、忠実な魔法族はザザッ、と膝をついた。魔族、神族、精霊族。
各々の最高位達が、膝から崩れ落ちて、ガクガクと全身を震わせ、あるものは鼻血を、あるものはヨダレを噴き出して、皆一様に赤らんだ顔で現れた時とは違う、苦しんでいるようなうっとりしているような目でおれを見つめ出して・・・って、ええ!?
泣く子も黙る魔界神界精霊界のトップは・・・・・・。
・・・大変なことになっていた。
「ぐふぅっ・・・歪様・・・その顔は反則にございますぅ」
「くはっ・・・坊っちゃま・・・ぼっちゃまぼっちゃまぼっちゃまぼっちゃまぼっちゃまぼっちゃまああああっっ」
「落ち着けわたし・・・こんなことでは・・・ひーくんに這いよられた時に失礼になる・・・」
「キャッチ! マーイ! ハーアアアアトッ!!」
「ううぅぅおおおおおおいっただっきまああああす!!!!」
・・・・・・・はい。カオスですね。
「・・・なあ、ルルゴンドルン・・・?」
「ん? なんだ、主殿?」
「なんでだ? なんでこいつらまでこうなっちまったんだ?」
「ああ、それはおそらくだな。主殿が恋をしてから、主殿の気持ちが明るくなると、主殿から供給される魔力が大変甘くなるようになったのだ。これはきっとその影響だろう」
「はあ!? な、なんだそれ。魔力が、甘く? 」
「うむ。それに加えて、我ら魔法族にとってただでさえ中毒性の高すぎる主殿の魔力が、甘く快感の高まりがさらにすごいものとなったのだぞ。ということは、つまるところ・・・」
「つまる・・・ところ・・・?」
「どういうことか、分からぬか?」
「わ、分からん・・・」
ふむ、とルルゴンドルンは悩ましげにぐいっと口を拭うと、おもむろに上着を脱いだ。
「つまりだな」
「つ、つまり?」
「いっただっきまああっす!!」
「うおおおおおっ、お前もかああああ!?」
ルルゴンドルンを筆頭に、我を失ったかのように迫り来る魑魅魍魎、もののけ悪魔精霊に神の類。一体一体ですら強力なのに、こんなのにまとめてかかってこられたら大変なことになるぞ!?
少なくとも、何か大切なものを失う気がする。
おれは困ったようににっこり笑いかけると、もう仕方がないので体に染み付いた親父の教えをここで実践してみることにした。
「しっかたねえなあ。これだけは使いたくなかったけど、親父から教わった対人外用貞操護身術そのいち〜」
おれは曲月流紋章術マル秘魔法陣を解放した拳を、ただまっすぐに突き出した。
効果のほどは、身をもって知れ♪
そんでついでに頭を冷やせ☆
「曲月流、亜空間爆砕疾風迅雷業火剣乱、神を殺し悪魔を消し精霊喰らいの右ストレートパーンチッッ!!!!」
「「「!!!???」」」
ボゴオオオオオオオオオオオオンン!!!!!
その日、確かに人は神の領域を超えた。
続く




