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17. 主犯

 あかりに対する虐め行為の物証探しに進展があったのは、師走の声を聞く少し手前。期末テストが終わった三年以外の生徒たちが、あとは冬休みを待つばかりと浮かれやすい季節のことだった。

『長いこと待たせてしまったね。やっと証拠にできそうなLINEのデータを掴んだぞ』

 柴田がやや興奮気味な声でスマホへ直接連絡をして来たのは、平日の昼近い時間だった。紀代にはメールで簡易な報告を済ませており、返事を待っている状態だと言う。

『あかりちゃんを交えて詳細の報告を、と考えている。紀代さんの退勤の都合が付き次第どこかで落ち合おうと伝えてあるから、彼女と連絡がついた段階でもう一度連絡を入れるよ』

「はい……ありがとうございます。よろしくお願いします」

 スマホの通話を切る指先が、震えた。ユウの持つGIDについて猛勉強していたこれまでは、自分にとって現実逃避に過ぎなかったのでは、という疑念に駆られた。不安が次々とあかりを襲う。

 恐らく保護者会を設けられる事態になる。大勢の保護者を前にして、自分は果たして気丈でいられるのか。加害女子たちは事実をきちんと認めて動機や理由を教えてくれるのだろうか、自分も臆することなく述べられるだろうか――京子に、なぜ直接言って来てくれなかったのかと訴え、彼女の本心を聞き出すことができるだろうか。

 矢面に立つ紀代への罵倒も考えられる。それを聞くのにも耐えられるのか。そのあと自分はあの学校へ問題なく通うことができるのだろうか――。

 震える指が、ユウの連絡先をタップした。何度もタップミスをしながら、膨れ上がっていく不安を吐き出すように、支離滅裂にそこへ綴る。


“柴田さんから物証を得られた、という連絡が来ました”

“クラスメートの親に知られたら、どうなってしまうんでしょう”

“学校へ戻れるのかな”

“お母さん、ひどいこと言われないかな”

“私、京子とちゃんと話せるのかな”

“怖い”

“どうしよう。もうあとになんて退けないのに”


 親へ話す事態になったきっかけは、ユウに虐めの現場を目撃されたことだった。

 ゆがんだ甘えがユウへの憤りに取って代わる。


“あのときユウさんが学校へ迎えになんか来なければ”


 そこまで入力したところでスマホが通話着信を告げた。ユウからだ。

「もしもし」

 応答するあかりの声がか細いながらもわずかに尖った。

『ハニー、俺。今から家に行ってもいい?』

 あかりの応答を受けたユウは、挨拶もそこそこにそう言った。

「でも、ユウさん、今は大学じゃ」

『代返を頼んだ。単位さえ取れていれば問題ないから心配ないよ。それより、後悔しているんじゃないかと思って』

 ずばりと言い当てられて絶句する。いつも以上に優しい声が、あっという間にあかりの御門違いな憤りを元のモノへと戻した。

「ごめん、なさい」

 口を突いて出たのは謝罪だった。彼に責任転嫁し掛けていた罪悪感が唇を噛ませ、続く言葉を紡げない。

『何に対して謝ってんだよ。っていうか、ハニーのメッセを見て、俺のときのことを思い出したからソッコー電話した。耕ちゃんが後なんかつけて来るから余計ガッコへ行きづらくなるようなことにまっちまったんだー、って、すげえ八つ当たりをしたり、酒煙草をやって自分を傷めつけたり。どうなるんだろうって不安だっただけなんだよな、それって』

 何もかもお見通しなユウがそう言って、明るい声でカラカラと笑う。例え一時期そんな想いをしても、ちゃんと通い切れるから、と自身の経験を伝えて来てくれる。笑い飛ばして「大したことじゃない」と教えてくれる――。

「でも、怖い、です」

 あかりがやっと素直な形でユウに今の心境を吐き出すと、彼は焦れた口振りで口早に

『今から行くよ。ちゃんと顔を見て話を聞きたい』

 と言って通話を切った。

 通話を終えてから一時間強しか経っていないのに、玄関のチャイムが鳴った。ドアスコープから覗いてユウであることを確認すると、あかりはもどかしい想いでドアチェーンを外し、急いで玄関の扉を開けた。

「……どう、したんですか」

 思わず尋ねてしまった。

 ユウは余裕のない顔で肩を激しく上下させていた。息を上げている様子から察するに、全速力で階段を駆け上って来たようだ。ゲストパーキングからあかりの住む部屋までの短い距離でも、彼の鼻の頭が赤らむくらいには冷たい木枯らしが吹いている。なのに彼のこめかみや額が汗ばんでいた。眉間に寄せた深い縦皺は苦しげで、どれだけ急いで駆け付けてくれたのかは一目瞭然だった。

「……よかった」

 ユウはそう呟いたかと思うと、あかりを押し込むように玄関のこちら側へ足を踏み入れ、乱暴に扉を閉めた。

「よか……、え?」

 不意に強く抱きしめられる。その腕の力は息苦しいほど強いのに、ブルゾン越しでも伝わって来るくらいに震えていた。あかりは何がなんだかわからないまま反射的にユウの背へ腕を回して抱き返した。

「ユウさん? どうしたんですか?」

 なだめるように背を撫でながら、おずおずともう一度尋ねてみる。

「向かっている間にハニーが何かやらかしていたらどうしよう、って」

 浅い呼吸の合間に呟かれたのは、そんな切羽詰った答え。

 きゅう、と胸の奥が痛くなる。目頭が熱くなって、潤む。

 思い出した。彼に自分の女性性を嫌悪するあまり、自らの身体を傷つけた過去があったことを。

「学校だけがハニーの世界全部じゃないから。だから、俺を置いて行かないで」

 走ったことと乾いた初冬の風が彼の喉を渇かしてしまったのだろう。いつも以上に掠れたか細い声が、あかりの耳元へそう訴えた。

「学校なんかクソ食らえって思えるくらい、俺が、ちゃんと、守るから」

 訴える強い言葉と裏腹に、ユウの声は消え入りそうなほど儚く紡がれた。

 彼自身の抱えているトラウマのせいで、すっかり臆病になっている。黒崎から聞いた話も思い出す。

「……置いて、いきませんよ」

 あかりのこめかみを湿らせる彼の濡れた頬が、あかりにそう言わせた。見えない先の時間に対する恐怖が、別の想いにすり代わる。

「あなたみたいな、強い人の癖に泣き虫さんな人、心配で置いてなんかいけませんよ」

 大丈夫、と告げるあかりの声に、虐めを経験する前まで常にあった覇気が戻っていた。


 お互いの膨らみ切った不安を弾けさせてから少しあと、あかりが少し落ち着いた気持ちで頭の中を整理しながら心配事項を伝えると、ユウは一つずつ丁寧に不安を取り除いてくれた。

「なんだ……個別に、話し合いで、いいんだ」

「うん。学校としても騒ぎにしたくないわけだから、そういう要望を出せば積極的に対応してくれる。ハニーの場合なら、主導的に虐めをしていた女子五人とその保護者に的を絞って、虐めに発展するまでの経緯を保護者に認識してもらうことになるんじゃないかな。それでそれぞれの意識改善を図るとか、スクールカウンセラーの訪問も希望を出せば受けられるから、そういう指導とか。ハニーも話し合いの場に同席するほうがもちろんいいんだけど、カウンセラーから客観的に判断してもらう、というのもアリだと思うよ。最終目的はハニーだけでなく、加害生徒側も学校へ通いづらくならない形で虐めを終わらせることなんだから。あの高校は比較的善処してくれる学校だと思う」

 あかりの在学する高校の卒業生が、それも虐めの被害者という意味でも先輩であるユウが、そう言うのだ。確信を含んで語られたその言葉は心強かった。だが、あかりには、別の不安要素もあった。

「学校生活については、少し安心しました。でも、私の場合は地元の高校だから、地域の生徒の割合が割と多くて。このことを公にして、被害者が私だということがみんなに知られた場合、学校の外へ出てからのことはどうなっちゃうのかな、とか。京子の家はこの地域で代々議員をしている家柄の名士だし、家持ちの人たちはみんな京子の親の顔色を窺うところがある、というか」

「それな……。その辺りは柴田さんが調べてくれているはずだけど、お母さんとだけの話し合いに留めているのかな。俺もあまり聞いていないんだ」

「そう、ですか」

「直接この問題と関係あるのか微妙なんだけど、ちょっと気になる情報があって。俺も柴田さんと連絡を取ろうと思っていたところなんだ」

「そうなんですか。気になる情報って?」

 とあかりが尋ねたところで玄関のチャイムが鳴り、既に開いている玄関の鍵がガチャガチャと鳴った。

「ただいま。あかり、ダメじゃない。玄関の鍵を開けっ放しになん……あら、ユウさん?」

 話はそこで一旦止まり、あかりは帰宅した紀代と柴田を出迎えた。




 あかりがキッチンで人数分の茶を用意している間にも、時を惜しむとばかりに柴田が紀代やユウに話を始めていた。ユウの同席が許されたのは、あかりから彼が紀代へ前もっての連絡もなく家に上がり込んでいる理由を説明したら、「あかりの精神安定剤になってもらえる?」と頼んだことと、ユウにも柴田への報告事項があったからだ。柴田は彼の虐め問題の経験も参考にしながら学校へのアプローチを考えようと言っていた。

「あかりちゃん。ダイレクトに見るのはキツいと思うんだけど、ログのプリントアウトしたものを見る勇気があるかい? 無理はしなくていいよ」

 茶の配膳を終えたあかりに柴田が打診する。数枚にわたるその資料を、今はユウが眉間に深い皺を寄せながら読み込んでいる。

「ニュアンスがはっきり解るから、自分の目で確かめます」

 そう答えてユウの隣に身を落ち着ける。

「ん」

「あ、はい」

 ユウから手渡された一枚目の資料に目を通した。

 そのグループチャットログのグループ名は『パソコンクラブ6-2』、参加メンバーの数は八人になっており、グループの作成主は京子の取り巻きの一人だった。

「田所少年の話によると、小学生のころにガラケーを持っている子たち十数人でこのグループを作ったそうだ。結局中学受験の子は交流どころじゃないと抜けたり放置になったり、そもそも小学生ではモバイルを持っている子が少ないこともあって、知識の乏しさもあったからグループそのものも放置されたままだったらしい。田所少年のガラケーの番号を妹さんが引き継いでいてね。そのアカウントは今、妹さんが使っているらしい。時間がなくて自分のスマホへ引継ぎするまではそのまま温存しておくよう妹さんに言ってあったのでログを見ることができたそうだよ」

 中学、高校へ皆が進学し、その都度クラスや部活、遊び仲間同士のグループ分けでグループが乱立されていく中を、田所と彼の親友の二宮がしらみつぶしに過去ログを辿っていったとのことだった。

 そんな話を漠然と聞きながら、あかりはログの言葉を目で追っていた。

 自分でも次第に表情が抜け落ちていくのが解る。俯瞰で自分を見つめる自分がいるような感覚だった。読み進めていく自分に対する言葉は他人事のようで、すべての感覚が麻痺している気がした。




サユリ@彼氏募集中:

 ここなら京子やあかりにバレなくね?

 小学校ンときの捨てGだし


イツミ(金欠):

 サユリGJ(笑)

 よく取っておいたじゃん


サユリ@彼氏募集中:

 自分でも思うw


アユ(魚じゃない):

 サユ、snks

 てかさー

 何、アイツむかつく

 京子にコビ売り過ぎくね?


チトちゃん:

 招待ありがとー

 やっと入れた


アユ(魚じゃない):

 チト乙


サユリ@彼氏募集中

 チト乙


イツミ(金欠):

 片親なんでしょ?

 イヤミったらしくバイトするのに学校の許可申請とかさー

 何、あの真面目ちゃんアピ

 京子だけじゃなくてセンセにまでコビってやんのw


チトちゃん:

 なに? あかりの話?


サユリ@彼氏募集中

 yes


アユ(魚じゃない):

 あたし、中学のときからムカついてたんだよね

 アイツが来てから京子、付き合い悪くなったじゃん?


イツミ(金欠):

 それな


イツミ(金欠):

 おまえが言うなwww<アユ


アユ(魚じゃない):

 えーなんでー


イツミ(金欠):

 あんたもニノと付き合い出してからこっちの付き合い悪いじゃんw


アユ(魚じゃない):

 パスるの週末だけじゃんw

 それも土日のどっちかだけw

 ニノ、和馬の部活が優先なんだもん

 和馬が部活ある日しか遊べないw


チトちゃん:

 和馬って言えばさあ

 解りやすいよねw

 アイツのことばっか目で追ってんのw


アユ(魚じゃない):

 え、うそ、ガチ?


チトちゃん:

 ガチガチwww

 カワイソウなくらいだよー

 アイツ、全然気付いてないのw

 京子が隣でイガイガしてるのにも和馬の俺カッケーだろアピにも気付いてないw

 いくら勉強ができても人の気持ちに対してあそこまで頭わr(自重w


サユリ@彼氏募集中:

 鈍いwww


イツミ(金欠):

 さすが真面目ちゃんw


アユ(魚じゃない):

 ヤベェwww私アイツのこと言えない気付いてなかったwww


サユリ@彼氏募集中:

 ニノしか見えてない乙w<アユ

 和馬を煽ってみたら何か進展あるかなwww


チトちゃん:

 進展って?


サユリ@彼氏募集中:

 ちょっかい出させて京子とアイツのユージョー()をBONG


イツミ(金欠):

 おー

 アイツ一人で京子の財布ガメてるもんね

 壊せ壊せwww


サユリ@彼氏募集中:

 ちょっとほかの捨てG探してみるわ

 京子呼べる用のヤツね


イツミ(金欠):

 おー

 やっと脱・金欠だ!


チトちゃん:

 りょ


アユ(魚じゃない):

 りょーかい

 あたし、ニノに種仕込んでみるわ

 ニノ→和馬ルートで京子LOVE匂わせたら、和馬って態度が露骨だから

 ――あとは、解るな?w


イツミ(金欠):

 あくどいw

 てか、種wwwww

 おまえが仕込む側かよ逆だろフツーwww(意味深)


チトちゃん:

 あくどいw


イツミ(金欠):

 かぶったw


チトちゃん:

 イツミえろいwww


サユリ@彼氏募集中:

 捨てGあったー

 招待送るわ

 京子にも送ったー

 アイツの件、軽く打診済み<アイツby京子を財布扱い

 バレたとき名前バリ出しだとマズいだろ、って<京子

 アイツの誕生日=82呼び、だって

 Gに残すとヤバいから京子との個人チャット(コチャ)で打ち合わせ&ログ削除済み

 ここも消すわ<立ててたの私だったw

 移動するよー




「京子が私の財布って、どういう意味?」

 それがあかりの第一声だった。それを受けて紀代があかりの手からログの資料を受け取り読み始める。

「自分たちが本田京子とそういう認識で付き合っているから、あかりちゃんもそうに違いないという思い込みで話している、ってことだろ」

 そう答えるユウの声が居間に冷たく響いた。

「でも私、京子に何か買ってもらったり奢ってもらうとか、そんなことをしたことなんかないです」

「事実がどうかなんて関係ないんだよ。目的が果たせればいいんだから」

 ユウがそう言って手にしている二部目の資料に視線を落とした。

「あかりちゃんと京子を引き剥がす自分たちのことを棚に上げて、コイツらは友達面であかりちゃんが京子に絡んで来るのは金回りがいいからだと言っているよ。アマチュアの脚本家くらいにはなれるんじゃないの? ガキがよくここまで面倒くさいシナリオを考えたもんだって、呆れる」

 それを受けて柴田が補足する。

「この子たちの母親が、それぞれ本田妙子、京子の母親とやはり同級生だ。有志の保護者会という名目で、度々本田家に集まっているようだね。子は親の背を見て育つとはよく言ったものだ」

「片親だからなんだと言うの? この子たちの親が日ごろウチのことを家の中でどう話しているのかがよく解るわね」

 読み終えた紀代がそう言って唇を噛んだ。

「田舎の嫌な一面だね。僕や紀代さんと同世代のはずなのに、未だに価値観が昭和というか。だが紀代さん、あかりちゃんたちの世代は、そういう考え方の子のほうが少ないよ。二宮少年が協力する姿勢を見せたのも、そのログを見たからだと言っていた。今そのアユミという子と別れると、学校側にチクったのが自分だとバレるから我慢するしかない、早くケリを付けてくれと訴えられたよ。今メインで使っているグループチャットのログは彼が提供してくれた。それが今古川くんの持っているほうだ」

 柴田が説明を終えると、そのタイミングでユウが紀代に二部目の資料を手渡した。

「私、まだ見てない」

「今は見ないほうがいいよ。多分キャパオーバーになる」

 ユウのその弁を肯定するかのように、二部目の資料を読み進めていた紀代の手が震え出す。

「よくもまあ、これだけあることないことを……あかりがどういう気持ちでデイサロンをバイト先に選んだのか知りもしないくせに」

 紀代がこんなにも顔色を変えるのは初めてだ。あかりは自分の知らないグループチャットで話されている自分のことが気になって仕方がない。

「お母さん、どう言われているの? あることないこととは言っても、京子にそれを信じさせるような態度をしていた、ということでしょう? 私が改めるところがあるとしたら」

「ないわよ!」

 紀代が珍しく声を荒げてあかりの言葉を遮った。

「紀代さん、落ち着いて。保護者サイドの関係も調べてみたんだ。紀代さんと懇意にしている保護者はみんな地元生まれではなく途中から転居して来た人たちばかりだった。君たちが転居して来る前に保護者同士の虐めに近い無視などの被害に頭を悩まされていた人たちだ。本田一派が怖くて表立ったことはできないけれど、陰ながらの協力は可能だと言ってくれた。あかりちゃんの虐めについては一切触れていないけれど、中には子供たちから学校でアンケートが取られたことを知っている人もいた。皆が皆、敵ではない。どの親も親だ、我が子が虐めのターゲットにされることを恐れている。より便利な都市部へ引っ越していく地元の人と入れ替わるように、安い物件ということで転入して来ている人もいるのがこの町の実情のようだ。実際には根っからの土着の住人は半数以下になっている。皆、無関心や無知なだけなんだよ。知れば、中には関心を寄せて善処してくれる親もいるだろう。ここで感情的なるのは得策じゃない。だから学校へ保護者会の要請をするのは、綿密に段取りを済ませて紀代さんが落ち着いてからにしよう」

 嗚咽を漏らし始めた紀代の肩を抱き、柴田は紀代をなだめるようにそう説得した。彼は紀代の肩を抱いたまま、あかりにも「あかりちゃんもそれでいいかな」と言うので無言で頷いた。紀代の乱れ振りを見たら、その資料を見る勇気がなくなった。立ち向かおうとしていた勇気もしぼみ、知らず膝の上で重ねていた手が縋るように、ちゃぶ台の下でユウの手を握らせた。

「柴田さん、保護者の関係がそのまま子供たちに伝播していると推測している、という解釈でいいですか」

 ユウが柴田へそう尋ねながら、あかりの手をきゅっと握り返す。

「可能性でしかないけれどね。何か打開策を思いついたかい?」

 期待に目を輝かせた柴田の態度と、くっと強く握り返されたユウの手が、あかりに気丈さを取り戻させた。伏せた顔を上げ、話に集中する。資料の一部目を見た限り、京子自身の誤解を解けば、少なくても京子との関係は修復できるかもしれない。彼女の誤解が解ければ、周囲の生徒たちも彼女や彼女の親を恐れ、自分への更なる加害行為を慎むかもしれない。そんな期待があかりの中に芽吹いた。

「打開策ではないんですけど、今日、もし柴田さんとコンタクトが取れたら伝えておくべきかな、と気になったことがあったんです。直接関係あるかどうかは分かりませんけど」

「構わないよ。話してくれ」

「前に俺のバイト先がホスクラだという話をしましたよね。うちの店のキャストではないんですけれど、気の合うホスト仲間から、議員の奥さまとかいう中年女性の指名を受けているヤツがいるんです。結構長い付き合いらしくて、それまでは気に留めていなかったんですけれど、本田京子の親が議員と知ってから、なんか妙に引っ掛かって。ほら、この辺りでデカい街と言えばウチの店があるあの辺しかないでしょう? ソイツが田舎の奥さまはチョロイ、みたいなことを言っていたんで、ただの憶測ですけど、本田京子の家庭内ってどうなっているのかな、みたいな」

「金持ちにありがちな、子供を金で黙らせてとか、ネグレクトとか、そう言いたいのかな?」

「まあ、平たく言えば」

 大人の会話についていけないあかりは、取り敢えず初めて聞く“ネグレクト”という言葉をスマホで検索した。雰囲気から察するに、あまりよくない言葉だとは思う。よく解らないながらもユウの口振りやにわかに翳った表情から、京子もまたある面でユウにそんな表情をさせる弱者なのかもしれないと思った。

 あかりの勘に近い憶測は、調べた単語の意味を読んでわずかばかりながらも確信のほうへ傾いた。

(ネグレクト……放置、放棄……あらゆる分野に於ける、義務不履行や怠慢のこと)

 この町へ越して来て間もない中二のころ、誰よりも先にあかりへ声を掛けてくれた京子と話している中で、祖母が亡くなったので古い家を処分して公団住宅へ入居したという話をしたときの反応を思い出す。

『ちょっとあかり、何笑いながら話してるのよ。悲しくないの?』

 京子は「悲しいときは泣けばいいんだ」と言って、あかりの態度にひどく憤慨した。「私はおばあちゃまが亡くなったとき、自分も死んでしまいたいと思うくらい悲しくて、何ヶ月も泣いてばかりいた」とも。

(京子は、両親が揃っていてもいないようなもの、だったのかな)

 目を潤ませてあかりを責めた京子の幼い瞳を思い出した。

「柴田さん、お母さん、ユウさん」

 ユウと柴田の会話に割り込み、あかりは京子と祖母について話したことを三人に伝えた。

「――だからやっぱり、私にも非があったと思います。京子はプライドが高くて自分から弱い部分を見せられない人だと解っていたのに、京子が私にそうしてくれたように、私ももっと京子の話を聞いて寄り添えばよかったんじゃないか、って。そこへいろんなことが重なって、京子に疑いを持たせたのかもしれません」

 可能な限り京子の置かれた状況を知りたい。

 あかりが遠慮がちに要望を伝えると、三人はそれぞれに

「そうか。解った」

「俺もさっき話したホスト仲間から詳しい話をそれとなく聞き出してみるよ。本田妙子、でしたっけ。京子の母親かどうか確認を取ってみる」

「お母さんも、もう少し冷静に考えるよう情報を整理するわ。京子ちゃんが主犯だと思い込んでいたけれど、もっと根深い何かがあるかもね」

 と、あかりの主張を受け容れてくれた。


 それから半月ほど経過した冬休み直前の夕刻、再びあかりの自宅に柴田やユウが訪れた。

 ユウのホスト仲間の上得意の客が京子の母親であったことと、かなり貢いでいるらしいことが知らされた。娘の京子に悪びれもせず、夫に内緒で留守にする口止め料を渡していることも判った。

 柴田の調べから本田夫妻が家庭内別居の状態であるらしいことも判明した。彼はユウからの連絡をあらかじめ受けていたようで、物証となる相手ホストと京子の母親のデート写真も撮っていた。

「じゃあ、打ち合わせたような段取りで、保護者会に臨みましょう。あかりちゃん、今年最後の大掃除だ。年明けからは登校できるといいね。がんばろう」

 柴田は勝算ありと言いたげな表情であかりにそう言った。

「……はい。よろしく、おねがいします」

 深々と頭を下げて支援を乞う。この半月の間に、スクールカウンセラーとの話し合いでユウの同席が許された。事情聴取の対象は、京子とその取り巻きの女子生徒四人の、計五人。年末の多忙を理由に逃げられるほどの人数ではない。

 学校へは冬休み前にと強く要望を出し、それが不可能ならば教育委員会へ直接相談すると伝えるつもりだそうだ。それを避けたい学校としては、一週間内外のうちに段取りをつけるだろうとのことだった。

 あと一週間。

 あかりは未だ怯む弱い自分自身と戦いながら、彼女たちに訴えたいことのメモを繰り返し精査しつつ、来るべき“その日”を待った。

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