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魔獣

 あっという間にビビは人の背丈ぐらいにまで大きくなり、長く伸びた鋭い牙を剥き出しにして赤い目をギラつかせている。

 もうあの可愛らしい子犬の面影など全くなくなってしまっていた。


「ビ、ビビ?」


 私は恐る恐る呼びかけ手を伸ばすと、ビビは腹に響くほどの咆哮をあげた。


「っ!」


 あまりの声に、私は耳を手で塞ぎ顔をしかめる。

 その咆哮は空気を震わせ、窓にひびが入りグラスが次々と割れていく。

 人々は悲鳴をあげながら頭や耳を手で押さえしゃがみこんでいた。


「ビビに一体何が……」


 理性を失くしヨダレを垂らして唸っているビビを呆然と見つめていると、突然ソフィアの笑い声が聞こえてきたのだ。


「あははははは! やっぱりテレジアは悪役令嬢ですわね!」

「え?」


 ソフィアを見ると、私を指差しながら腹を抱えている。

 なぜそんな態度になっているのかわからず戸惑っていると、誰かが私の腕を掴んでビビから引き離された。


「テレジア、危ないからこっちへ」

「フレデリック!?」


 フレデリックは私を背中に庇い険しい表情でビビを見つめていた。


「……あいつが魔獣だったのか」

「え? フレデリック、ビビのあの変貌に心当たりがあるの?」

「……実はお前には話していなかったが、この断罪イベントでは本来のテレジアが逆上し、密かに契約していた魔獣を呼び出してソフィアを襲わせる流れになるんだ」

「その魔獣がビビだってこと!?」


 私は集まってきた騎士に取り囲まれているビビを見る。


「ああ。あの姿は紛れもなくゲームで見た魔獣と同じ姿だ。今思えば初めてビビを見た時、何かを感じていたがこれだったか」

「でもどうして……私、特に契約なんてものしていないわよ?」

「確か城の文献で見たことがあったんだが、魔獣との契約は名を与えることで成立すると書いてあった」

「名前を!? ……あ、だからあの時……」


 ビビに名前をつけた時、なぜか私の胸が温かくなったことを思い出す。


「その様子だと、心当たりがあるようだな」

「確証はないけれど、それらしい現象はあったわ。だけど私、ソフィアを襲わせようなんて少しも思っていないのだけれど……」

「憶測だが、お前がソフィアに傷を負わされたからじゃないか?」

「え?」


 フレデリックはソフィアによって傷がついた私の左手を持ち上げた。


「おそらく主人を傷つけられた怒りで、ビビは魔獣の姿になったんだろう」

「そんな……」


 もう一度ビビを見ると、騎士達をなぎ払っているところだった。


「ビビ!」

「行くな!」


 ビビに駆け寄ろうとしたが、フレデリックに引き止められてしまう。

 幸いなことに倒れた騎士達は呻き声をあげてはいるが、全員生きているようだ。


「フレデリック、離して!」

「ビビは今正気を失っている。近づけばいくら主人のお前でも無事じゃ済まないんだぞ!」

「それでも!」

「駄目だ! なんとかお前を処刑の運命から逃れさせようとしているのに、こんなことで命を落とさせるわけにはいかない!」

「…………え? 処刑?」

「あ……」

「ねぇフレデリック……もしかして本当は私、この断罪イベントによって処刑される

の?」

「っ、それは……」

「本当のことを言って!」

「…………ああそうだ。ゲームでは、魔獣を使役しソフィアを襲わせた罪で処刑されることになっている」

「そう、なのね……」


 もしかしたらと思っていたことが事実だとわかり愕然とする。


(やっぱりこの乙女ゲームも、悪役令嬢には優しくない仕様なのね。……いや、今はそんなことで落ち込んでいる場合じゃない! このままビビを放っておけば、甚大な被害が出てしまうし、ビビも危ない!)


 私は顔を引きしめ、なんとか現状を打破する方法はないか考え始める。

 するとその時、ソフィアが高笑いをしながら右手を掲げた。


「あはは、安心していいわ。ここはヒロインである私がなんとかしてあげる。ゲームの通りに魔獣を、この光の剣で倒してあげるから」


 そう言うと、ソフィアの右手に光輝く短剣が現れそれを握りしめた。


「ちっ、まずいな。あの剣でビビを殺すつもりだ」

「え!?」

「魔獣の姿になったビビの体は、普通の剣では傷を負わすことすらできない。だが唯一、ソフィアだけが作り出せる光の剣でならそれが可能なんだ」

「そんな!」

「確かゲームでは、ソフィアが作り出した光の剣を攻略対象者が使い、魔獣を倒す流れになっていたが……相手がいない今のソフィアは、自分で魔獣を倒しゲームの流れを戻そうとしているのだろう。おそらく魔獣を倒した功績で、俺との結婚を強要するつもりなんだろうな」


 じっとソフィアを険しい表情で見つめながらフレデリックが言った。


「……そんなことさせない」

「テレジア?」

「絶対ソフィアの思い通りになんてさせないから!」


 私はそう言うと、フレデリックの手を振り払いビビに向かって駆け出していった。


「テレジア! 危ない戻れ!!」


 フレデリックが私に向かって叫んでいるが、止まる気など全くなかった。

 私はソフィアよりも先にビビの前に辿り着くと、手を広げて声をあげた。


「ビビ! 落ち着きなさい!」


 しかしビビは私の声など聞こえていないのか、グルグルと唸り声を上げて牙を向いてくる。

 そして前足を上げ私に向かって鋭く尖った爪を振り下ろしてきたのだ。


「テレジア!!」


 フレデリックの悲痛な叫びが聞こえてくるが、私はその場を動かずビビを見ながら大きな声を出した。


「お座り!」


 するとビビの爪が私の顔面すれすれでピタリと止まったのだ。

 私はそれを見て、もう一度ハッキリと声に出した。


「お座り」


 その途端、ビビは前足を引きスッと腰をおろしてお座りをしてくれた。

 ビビの顔を見ると、耳が垂れしゅんとしているのがわかる。

 どうやら正気に戻ってくれたようだ。

 私はホッと胸を撫で下ろすが、周りの人々からのざわつき声が耳に届く。


「あの恐ろしい魔獣を手懐けるなんて……」

「やはりあのソフィア嬢の言う通り、テレジア嬢は悪役令嬢なのでは?」

「きっとあの魔獣を使って我々を脅してくるぞ」


 ちらりと周りに視線を向けると、人々は私を見て恐怖の表情を浮かべていた。


(とりあえずビビは落ち着いたけど、状況は最悪なままね)


 ソフィアの方を見ると、予定とは違ったが私を貶めることには成功したと言わんばかりに笑みを浮かべている。

 私は小さく息を吐くと、ビビの方に顔を向ける。


「ビビは悪くないわ。大丈夫よ。誰がなんと言おうと、あなたは私が必ず守ってあげるから。ビビ、大好きよ」


 そう言って背伸びしながらビビの首に腕を回し、頬にキスをした。

 するとその瞬間、ビビの体が光り輝きだしたのだ。


「っ! な、何が起こったの!?」


 あまりの眩しさにビビから手を離し腕で光を遮りながら戸惑う。

 周りからは人々の恐怖に戦く声が聞こえてくる。

 そうしてだんだんと光が弱まり状況を確認できるようになった私は、腕をおろしそして目を瞪った。


「え?」


 そこにいたのは、全身白く輝くような毛と黄金色の目をした大きな狼だったのだ。

 さっきまでの禍々しさとは正反対の神々しい姿に変わり、呆然とする。

 その時、教会関係者の一人がボソリと呟いた。


「聖獣フェンリル」


 その言葉は一気に周りに広がり、ビビを見る人々の目が恐怖から崇めるモノへと変わっていった。


「ビビ?」


 恐る恐る名を呼びと、尻尾を大きく振り舌を出して嬉しそうに私の顔を舐めてくる。


「ちょっ、さすがに大きいから」


 クスクスと笑いながらビビの顔を押し返すと、ビビは少し考えてからその体を元の子犬サイズに戻してくれた。

 私はその体を抱き上げぎゅっとビビを抱きしめる。


「ふふ、どんな姿になっても私の大好きなビビに変わりないわ」


 そう言って頬擦りすると、ビビも嬉しそうに返してくれた。


「聖獣フェンリルを従えるとは……もしかしてテレジア嬢は、聖女様なのでは?」


 そんな声が聞こえきょとんとしながらそちらを見ると、なぜか同意するように人々がうなずきだしていたのだ。


「な、何を言って……」

「何を言っていますの貴方達は! 聖女は私ですわよ!!」


 私の声に被せるようにソフィアが叫ぶ。

 そしてソフィアは私をキッと睨みつけてきた。


「どうして……」

「え?」

「どうして私の邪魔ばかりしますの! あなたがちゃんと悪役令嬢をしないから、シナリオ通りに進まないじゃない! あ~イライラする。どれもこれも上手くいかないのは全部あなたのせいよ! 目障りだわ。もうここで死んで退場して頂戴!」


 目をギラギラさせながらソフィアは、私に向かって短剣を構え駆け出してきたのだ。


「テレジア逃げてください! その剣には守りの加護が効きません!」


 ノアの叫び声が聞こえたが、私は向かってくるソフィアを見ていることしかできなかった。


「……っ」


 頭では逃げなければとわかっているのだけれど、足がすくんで動いてくれない。

 なぜなら私の脳裏に、ソフィアの持つ短剣とは違う鋭利な刃物で襲われた記憶が甦っていたからだ。


(お、思い出した。私の前世は、通り魔にナイフで刺されて死んだんだ!)


 その時の恐怖と痛み、苦しみが鮮明に思い出され動けなくなっていた。

 しかしその時、腕の中にいるビビが暴れていることに気がつき私は咄嗟にビビを庇って背中を向けた。


(ビビだけは死なせない!)


 背中に襲いくるであろう痛みに耐えるようにぎゅっと目を瞑る。


「きゃぁぁぁ!」


 ソフィアの叫び声と共に、後ろに誰かが立った気配を感じゆっくりと振り返る。

 そこには右手を前にかざして立っているフレデリックがいたのだ。


「フレデリック!?」


 驚きながら名前を呼ぶと、フレデリックは私の方を向きぎゅっと私を抱きしめてきた。

 それも強めの力で。

 さすがにビビは挟まれて苦しかったのか、自分で抜け出して床におりた。


「ちょっ、フレデリック苦しい!」

「……今度は守ることができた」

「え?」

「またお前を失うところだった」

「フレデリック……ありがとう」


 さらに腕の力が強くなるが、同時に自分が生きていることが実感できフレデリックの胸に体を預ける。

 だけどふと助けられたということは、ソフィアはどうなったのか気になり、なんとか身をよじって後ろを覗く。

 するとそこには、手と足を氷漬けにされてもがいているソフィアの姿が。


「……ソフィアに魔法を使ったのね」

「命を奪わなかっただけマシだと思ってくれ」


 フレデリックは私の体を離してはくれたが、しっかりと肩は抱かれたままだった。

 私はこの時になってようやく、大衆の面前でフレデリックに抱きしめられていたことに気がつき顔が熱くなってきた。

 そんな私をソフィアは苦々し気に睨んでくる。


「こんなのおかしいわ! テレジアが悪役令嬢なのよ! ここで断罪されるべきなのはテレジアの方なのよ!」

「……まだ言うか」

「フレデリック様もおかしいわ! だって私がヒロインなのよ! その私がフレデリック様を選んだのだから、私を愛するのが当然なはずなのに!」


 さらにソフィアは次々と、私達に向かって罵声を浴びせ続けてきたのだ。

 しかしフレデリックの怒声がそれを止めた。


「黙れ!!」

「っ!!」


 怒りを露にしているフレデリックに、さすがのソフィアも肩をビクッと震わせ言葉を詰まらす。


「テレジアへのこれ以上の暴言、聞くに耐えられん」

「ですがフレデリック様!」

「そんなに断罪を望むのであれば、今すぐやってやろう。ただしソフィア、お前にだ!」

「え!?」


 そうしてフレデリックは、ソフィアを断罪し始めたのだった。

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