第八十四話 再会 1
手の中の鈴を転がして、マコトは小さく溜め息をつく。
マコトがこの世界に持ち込んだ鉄製の鈴は、少しだけ溶けて歪んでいたが煤を取れば塗装で猫だと分かる程度には無事だった。しかしそれに繋がった――サーディンから貰った木の人形は、真っ黒に焦げて形すら無く、乱暴に触れれば全てが崩れ落ちそうな状態だった。マコトは何度目かの溜息をつき、そっと目の前に置いた柔らかな布の上に横たえた。
(……せっかくサーディンさんに貰ったのに)
『つがいみたいでしょ?』
そう言って無邪気に笑ったサーディンを思い出し、胸が痛くなる。そもそもどうして落としてしまったのだろう。落とさなければ、ナスルにだってあんな火傷を負わせる事も無かったのに。
真っ黒に煤けたナスルの手の平を思い出し、マコトはきゅっと唇を噛んだ。
(ちゃんと治して貰ってるかな……)
止まらない涙にただ俯いていると、優しい雨の様にぽつりぽつりとナスルの声が降ってきた。いつもより口数も多く、その声音は、ぶっきらぼうながら気遣うもので、余計に涙が止まらなくなった。不器用に頭を撫でてくれたその手付きは、今までに無い程優しくて、護衛の範疇からは外れていたように思える。
あれから、ナスルに早く手当をする様に頼んだが、それには返事をしてくれず、漸く泣き止んだマコトの手の中に鈴を握らせると、立つように促して部屋まで送ってくれた。
……挨拶程度の言葉を交わせる様にはなったが、根本的に嫌われていると思っていたナスルが、あそこまで身を呈して鈴を守ってくれるなんて、思っても見なかった。
歩み寄ってくれたのか、ただ主人の命令に従うのが仕事だからか、真面目な彼ならきっと後者だと言うだろう。けれど『そう』させてしまった自分の浅慮が、酷く情けない。母の形見、大事なもの――直前の自分の言葉は、おそらくナスルにとってどうしても守らなければならない『命令』と言う強い言葉に聞こえたのだろうか。
寝台に入ってからも、ナスルの赤黒く腫れ上がった手を思い出しては寝返りを打ち、マコトは眠れない夜を過ごした。
もう一度きちんと謝ろうと思うものの、今朝は早くから南と東の一族の面会があり、部屋から一歩も出ておらず、扉の前で立っているであろうナスルとはまだ顔も合わせられずにいた。
「今日はあと……夕方に来客があるだけですわね。ハスィーブの差し入れは勝手にアクラム様にお渡ししたお詫びを兼ねて干菓子を用意しました。誰かに届けてもらいますか?」
ソファに膝を抱え込みぼうっとしているマコトを気遣ってか、部屋の隅に控えていたサラは明るい口調でそう尋ねてきた。お詫び? と、首を傾げかけて、すぐに思い付く。
昨日、日が落ちる前に鈴を探す為に、サラは機転を利かせてアクラムの相手を引き受けてくれた時の事だ。……むしろ礼を言うのは自分なのに。あのままアクラムと話をしていたら鈴はきっと溶けて跡形も無くなっていただろう。
(それにしてもアクラムさんも……お腹大丈夫かな……)
マコトがナスルに連れられて戻った時には、十人分はあった大きなアップルパイは綺麗に平らげられていた。 護衛が付くアクラムの身分なら王宮にいる以上、マコトが作ったものより格段に美味しいお菓子を口に出来るだろうに、不思議でならない。
サラに聞いた所によると、アクラムは脇目もくれずそれを一人で食べた後、マコトがいないと気付くなり、ふらりと出ていったらしい。
「わざわざ買って来てくれたんですか?」
いえ、人に頼んだんですよ、とサラは苦笑し首を振る。それでも用意してくれた事に感謝しながら、最後に見たアクラムの珍しい表情を思い出していた。
そういえば、あの時アクラムは何か言いかけてはいなかっただろうか。結果的には、話の途中で退室してしまったのだ。きっと気を悪くしているだろう。
(……次何か作る時は、お詫びも兼ねてアクラムさんにも作ろう。……庶民的な味が物珍しいのかもしれないし)
「どうなさいます?」
時計を見上げて、マコトはサラに向かって首を振った。
「余裕があるなら、私行きたいです」
夕方までなら少し時間もある。久しぶりにハスィーブの皆に挨拶をしたいし掃除やお茶の用意、少しの雑用なら手伝えるだろう。
それに。
サハルとは昨日中途半端に挨拶しただけで、あまり話す事も出来なかった。手を握って励ましてくれたお礼と、そして。
(早く、いや、……でも仕事中になるし)
伸ばし伸ばしになっている告白は、日が経つ事に言い辛くなって、あの時の決心を揺るがせる。
せめて改めて二人で会う約束だけでも取り付けてみようか。……けれど、ナスルの事が心に引っ掛かって、そんな浮ついた感情を持つ事に、言い様の無い罪悪感を感じる。
(……ナスルさんにも、もう一回謝った方が……)
そしてまた堂々巡りに戻った事に気付き、マコトは自嘲気味に笑った。
「ではお支度しましょう」
そう言って衣装部屋に向かったサラに、マコトは目の前の布を両端から丁寧にくるんで、ソファから立ち上がると近くにある小物入れの引き出しを開けた。サハルから貰った首飾りの横にそっと並べ、引き出しを閉めかけ、動きを止める。そして少し考える様に口元に手を置いた。
「――あの」
さほど大きく無い声での呼び掛けだったが、サラには届いたらしい。衣裳部屋からひょいっと顔を出し、「なんでしょう」と首を傾げた。
マコトの視線の先は、今仕舞い込んだ鈴ではなく――サハルがくれた首飾りだった。それを掴むと衣装部屋の扉に駆け寄る。
「これ今日つけたいんです……けど。大丈夫ですか」
サラの目の前に差し出して尋ねる。
マコトが、日々身に付けるアクセサリーに口を出すのは、『派手すぎる』という理由以外では、初めての事だった。故に少しの驚きを見せてマコトの手元に視線を落としたサラは、その首飾りをじっと見つめた後、顔を上げた。にっこりと微笑む。
「分かりましたわ。明後日に着て頂くつもりだった衣装が、それにピッタリです。交換致しましょう」
「あ……変えさせちゃってすみません」
(このままでも良かったんだけど……)
自分が今着ているワンピースを見下ろしてそう思うが、やはり女官生活の長いサラから見ると着合わせや何かがあるのだろう。
申し訳無さそうにマコトが頭を下げると、サラはますます笑みを深めて首を振った。
「いえいえ大丈夫ですよ。きっとサハル様も喜ぶと思います」
言葉を詰まらせ頬を染めたマコトに、サラは勢い込んで、胸の前でぐっ、と拳を固く握りこんだ。
「私的にもサハル様が一押しです! 大人で配慮があってマコト様をそれはもう大事に思ってますし、王宮でも一族の中でも地位は高いし、タイスィール様に比べて浮いた噂もありませんし、何より包み込む様な包容力があります! 穏やかながら意外に策略を巡らすタイプと見ましたから、マコト様を勢力争いや煩わしい事には絶対巻き込ませないでしょう。結婚なさるならオススメですわ!」
機関銃の様に一気に吐き出された言葉に、マコトは耳まで真っ赤にさせ、俯いて首飾りを握り締めた。
(サラさん……完璧分かってるよね……)
どうやら自分の気持ちはお見通しらしい。想いを自覚したのはつい最近の事なのに、そんなに自分の行動や態度は分りやすかったのだろうか。
しかし、そうかオススメなのか、と妙に嬉しく思う自分に気付き、火照った頬を冷ます為にネックレスごと両頬に手を置く。冷たい金属が気持ち良かった。
支度を整えたマコトは、干菓子を入れた籠を抱えたサラの後に続き部屋を出た。
マコトは、ナスルの定位置である左側にそっと視線を滑らせた。親衛隊の白い制服はぴくりとも動かず、きっといつものように視線だけで自分を見ているのだろう、と思う。
「マコト様が、ハスィーブに参ります。共をお願いします」
サラか扉の隣に立っているナスルを見上げ、いつもより少し刺々しい口調で宣言する。昨日、瞼を腫らせて戻ってきたマコトを見て、叫んだサラに、きちんと事情を話したのだが、
『どんな事情にせよ! マコト様を泣かせるなんて許せません! それにしてもマコト様の大事なお母様の形見を焼却炉に捨てるなんて! 草の根分けても探し出してやりますわ……!』
と、取り合ってくれなかった。何もかも突っ切った笑顔で、今にも部屋を飛び出さんとしたサラを必死で押し留めた事を思い出しマコトは、心の中で溜息をつく。小さな鈴は、ところどころ剥げていたし、貴人や賓客の多い煌びやかな宮殿ではゴミと間違えられても仕方の無い事だろう。捨てた人が処罰されない様にカイスに言っておいた方がいいかもしれない。
「おはようございます」
マコトの挨拶に、ナスルはゆっくりと頭を下げる。昨日の今日で目は合わせられず、俯いたままその左手を見れば、包帯も何も巻かれていなかった。
影になってよく見る事が出来ず、マコトは目を凝らす。一瞬動きを止めたマコトに気付いたサラがその視線を追い、むっと眉を寄せて口を開いた。
「ナスル。火傷は治療しましたよね?」
「……ああ」
答えの前に一瞬の空白があった。
(やっぱり、行ってないんだ……)
注意深く左手を観察し、腫れた手を見つめる。所々白くなっているのは、水脹れだろうか。
きゅっと眉を寄せますます俯いたマコトに、サラは思いきり 顔を顰めて唇を戦慄かせた後、きっと眉を吊り上げた。
「今すぐ治療へ行って下さい! 何の為に他の護衛がいると思うのです! 貴方一人位いなくても大丈夫です。マコト様にいつまでも心配させたいなんて子供っぽい事思ってないならさっさと行って下さいまし!」
「サラさん……!」
怒鳴るようなサラの言葉に、マコトは慌て、ナスルは俄かに表情を歪めた。ぐっと唇を引き結び、そのままくるりと二人に背を向けると、反対側に立つ護衛の一人に何か耳打ちした。そしてその護衛とすれ違い遠ざかって行った。
(治療してきてくれるのかな……?)
そう思いながら、マコトは遠ざかっていく背中を、複雑な気持ちで見送った。
「……サラさんがいてくれて良かったです」
自分がいくら言葉を重ねてもナスルはきっと治療には向かわなかっただろう。呟く様にそう言ったマコトに、サラは嬉しそうに弛んだ頬を両手で押さえた。
「お任せ下さい! 害虫は片っ端からやっつけますわ!」
――害虫……? って。
爛々と瞳を輝かせ、高らかに宣言したサラに、マコトと、ナスルに耳打ちされ歩み寄ってきた護衛が顔を引き攣らせた。
* * *
「あっ『イール・ダール』!」
久しぶりにハスィーブの扉を潜ったマコトに、まず入口近くにいたシリスが気付いた。子供の様に大きく手を振ると立ち上がって勢いよく駆け寄って来る。
きちんとキリの良い時間を狙って部屋を出たおかげで、皆それぞれ休憩に入るべく机の上を整理している所だった。
「よく来たな」
「お前さんが来ないと寂しいもんじゃ。今日から戻ってきてくれるのかい?」
次々に掛けられる優しい言葉に、マコトは「まだ無理そうです」と 謝りながらも笑顔で挨拶をしていった。正式な一員でも無いのに こうやって温かく迎えてくれる事が嬉しい。
(お菓子配ってもいいかな……? それとも預けた方が良いかな)
シリスの机を見れば、いつもなら顔が見えない位に書類が溜まっているのだが、今日は、『そこそこ』積み重なっているだけだ。シリスの歓迎ぶりからも察するに、干菓子を配って歩いても邪魔にはならないだろう。
「これ差し入れです」
サラから籠を受け取ったシリスは中身を覗き込み、嬉しそうに顔を緩めた。
「わっ嬉しいッス!」
にこにこを笑うシリスに頷いて、マコトはサハルを探すべく周囲を見回した。お茶の用意をする前に、長であるサハルに挨拶するべきだろうと思ったのだが、見える場所に彼の姿は無く、奥の資料室にでもいるのかと首を伸ばして見るが、固く閉じられた扉からは人の気配は感じない。
「サハルさんは……」
さっそく干菓子を一つ口に放り込み、つまみ食いしているシリスに 尋ねると、口をもごもご動かしながら答えてくれた。
「ん。会議中っスよ。……あ、戻ってきちゃった」
「え? ……わ」
シリスの視線を追い、マコトが振り返るとすぐ後ろにサハルが立っていた。脇に書類を抱えた彼は相変わらず忙しそうだが、見上げたマコトと目が合うと、微かに目を眇めてマコトを見つめた。
しかしその違和感に首を傾げる前に、サハルはその表情をいつもと同じ穏やかな微笑に代えて口を開いた。
「いらっしゃい。お待ちしてましたよ。それにしてもシリスは、私に戻って来て欲しくなかった様な口振りですね」
「ぃや……!? とんでも無いッス! あ、そうだ! 『イール・ダール』が差し入れ持ってきてくれたんスよ!」
誤魔化す様にシリスは勢いよく捲し立てて、サラから受け取った籠を楯にする様にサハルに掲げて見せた。
その他愛の無いやりとりに、マコトとサラは顔を見合わせてくすくすと笑う。本気でも無かったのだろうサハルも釣られる様に小さく笑い、シリスに歩み寄りその籠を受け取ると、マコトとサラそれぞれに礼を言った。
「たまには私がお茶を淹れましょうか。マコトさん、手伝って頂いても?」
「……え? あ、はい!」
以前住んでいた集落ならまだしも、長と言う立場であるハスィーブでサハルがお茶の用意をすると言うのは初めてである。意外な申し出に、マコトは驚きつつも素直に頷いて、サハルの後に続いた。サラはおそらく気を利かせたのだろう、そんな二人を微笑んで見送った。
狭い台所に入ると、サハルは少し籠もった匂いに、高い位置にある換気の為に作られた窓を開け、つっかえ棒を挟んだ。昼間には珍しい爽やかな風が吹き抜けてマコトの髪を揺らす。
他愛の無い話をしながらお湯を沸かし、その間にサハルが大きな鉢を数個、上の棚から出して来た。ああ、あの位置は自分はともかくシリスでも手が届かなかっただろう。それを見越してお茶の支度を、と申し出てくれたのかもしれない。ならば。
「あのサハルさん。忙しいんですよね? ここは任せて下さって結構ですよ」
思えば昨日も祭典でマコトに付き合わせてしまっている。いつまでも甘えていてはいけないだろう。
サハルは手にしている鉢を水洗いしながら、ゆっくりと首を振った。
「大丈夫ですよ。先週はちょうど締日と予算会議が被ってましたから忙しかったんですが、ここ暫くは暇なんです」
確かに思い返せば、今日のシリスや老人達も、どこかのんびりとしていた気がする。
とりあえず邪魔はしていなくて良かった、とマコトはほっとしたが。しかし、そうなるとマコトが出来るような雑用の類も無いかもしれない。それが少し残念だ。
サハルは籠を傾けると器用に干菓子を鉢の中へ流し込んでいく。ざらめの砂糖の固まりが微かに音を立てて積み重なっていくのを横目で見ながら、そういえばこんな風に二人で並んで作業するのは、集落の台所以来だという事に気が付いた。
(なんだかんだと楽しかったなぁ……)
サハルとサラと、賑やかに料理をした。ほんの数週間前の事なのに随分昔の事の様に思える。
「あの、昨日は付き添いして頂いて有難うございました」
「いえ、私も久しぶりにマコトさんの顔が見られて嬉しかったです」
にっこりと微笑まれて、マコトの頬に朱が走る。
どうしてこういちいち反応してしまうのか。
……それに言わせて貰えば、サハルが『顔が見られて嬉しかった』なんて恥しい事をさらって口にするのがいけない気がする。
お茶を淹れる事で浮き立った心を落ち着けようと、作業に没頭している振りをする。サハルは知ってか知らずか何も言わない。気まずい沈黙を破ったのはサハルの方だった。
「それ、身につけて下さったんですね」
自分の胸元を指でさし、サハルはマコトの胸元で揺れる首飾りを見つめて微笑んだ。
「ぅ……はい」
いつまでも伝えられない告白の代わり――少しでも自分の気持ちが伝われば良いと思ったのだが、面と向かって尋ねられると、羞恥心にいたたまれなくなる。
「二回目ですね。前見た時も思ったのですが、よくお似合いです」
一回目は、西の頭領が集落にやって来た時だ。もしかしてあの時、ネックレスの事に触れなかったのは、こんな風になる自分を気遣ってくれての事だったのだろうか。
「私……」
口から零れるように言葉が出た。しかし、どうしてもその言葉の続き は出てくる事無く、中途半端な沈黙が二人の間に横たわる。
「いえ、……あの、これ、不思議な色ですよね」
自分のおかしな言動を誤魔化す様に、マコトは自分の胸元に見下ろし、慌てて言葉を続けた。
「ああ。綺麗でしょう? マコトさんの雰囲気によく似ていると思ったんです」
意外な言葉にマコトは目を瞬く。
似ている? ――どちらかと言うと自分は。
「……そうですか? 私、どちらかって言うとサハルさんのイメージでした。……落ち着いていて。吸い込まれるような深い青で、見ていると安心します」
そう、持てなくなった鈴の代わりに持ち歩こうと思う程に、吸い込まれそうな深い青は心を落ち着かせてくれる。
「それは……」
「え?」
マコトが首を傾げると、サハルは作業する手を止め、小さく笑ってマコトを見つめた。
「私が喜ばせて貰う事になるとは思いませんでした」
「え? あ……」
「安心しますか。私の隣は?」
突然の問いにマコトは迷いつつも、素直にこくんと頷く。伏せた顔が余計に熱くなるのを感じた。
最近は落ち着かない事も多々あるが、基本的にサハルの側は落ち着く。自分と似た色合いの外見も確かに安心する材料だが、その中身だ。こうありたいと思えるほど、マコトはサハルを尊敬している。
ふと、間が空いて、サハルはすっかり用意を調えると、お茶を煎れようとしたマコトを止めた。薬缶を火に戻し、マコトは首を傾げる。
「泣きましたか」
ひやりとした手の平が瞼にかかってマコトは驚く。まだ少し火照った瞼に心地良い。
「一人で泣かないで下さい、と。お願いしたのを忘れましたか?」
耳元にふわりと風を感じくすぐったさに身を捩る。見上げたサハルの顔は穏やかながらも真剣な目をしていた。昨日サラが用意してくれた濡れた布で冷やしたのだが、サハルにはお見通しだったらしい。最初に顔を 会わせた時に、感じた違和感はきっとマコトの少し腫れた瞼に気付いたからだったのだろう。
これはただの寝不足で、と言い張ってもきっとサハルは誤魔化されないだろう。
マコトは、少し迷った様に間を空けた後、ぽつりぽつりと昨日の出来事を語った。
「――真面目なナスルにして見れば当然の事でしょう。マコトさんの世界では主従関係は滅多に無いと聞きますが、この世界では主の為に命を捧げる人間もそう珍しくはありません。……常識の違いでしょうね」
全て聞き終えたサハルは、そんな言葉を口にした。
「……私怖いんです。大事な物だって言ったから、ああやってナスルさんは取ってくれた、から」
「彼は不器用で真面目なんでしょうね。けれどマコトさんが気にすれば気にするだけ、ナスルは頑なになります。……貴女の事だからたくさん謝ったんでしょう」
諭す様なサハルの言葉に、マコトは迷いながらも頷く。
「ナスルはね、謝罪よりも『有難う』の一言を待っているのかもしれませんよ」
「……あ」
そう言えば、鈴を取って貰ったと言うのに、結局謝るばかりでお礼を言っていない。
「それにしても妬けますね。ずっと考えていたんでしょう? ナスルの事を」
サハルは緩やかに微笑む。
すっと屈み込むとマコトの胸元に光る石を抓み上げ、その表面を墨で少し黒ずんだ男性らしい太い指先でそっと撫でた。
「ここに、私以外を入れないで下さい、……なんて、タイスィールみたいですね?」
上目遣いに見上げる瞳は眇められ、付け足した言葉の最後で、すっと弾いた。驚くマコトに、サハルは自嘲めいた笑みを浮かべ首を振った。
「――すみません。出過ぎた事を言いました」
気まずそうに、顎を撫でサハルは伺うようにマコトを見て、薄く笑った。らしくない痛そうな微笑みが、どういう意味か、なんて。
胸の奥がきゅっと締め付けられる。
私は、鈍感だったのだろうか。
好きだと言ってくれた相手に、こんな相談を持ちかけて。
お茶を淹れながら、マコトは迷う。言いたい、けれど、その言葉を口にしようとすれば、縫い付けられた様に唇が動かない。人に想いを告げる事がこんなに難しいと思わなかった。
結局、今日の夜も明日の夜もハスィーブでは無く西の一族内での仕事が詰まっていると言うサハルに、約束も取り付ける事も出来ず、あっという間に時間が過ぎていった。
「マコト様。そろそろ来客の時間ですわ」
簡単な雑用をこなしていたマコトはサラに促され、それぞれに挨拶をし、最後にサハルを見た。
目が合ったサハルは、何かを思い出した様に、そうだ、と呟くと、サハルは仰ぎ見る様にバルコニーに視線を向け、静かに笑った。
「今日も、星が綺麗だと思いますよ」
どこか切なさを含んだ微笑みが、優しくて――愛しくて。
胸が音を立てて軋んだ。




