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第八十三話 途切れた音 1


 謁見は思っていた以上に緊張していたらしく、少し休憩しようと寝台に転がったままどうやら眠ってしまったらしい。マコトはぼんやりとしたまま瞼を押し上げ、申し訳程度に掛けられた明かりに日が傾きかけている事を知った。


(……あれからそのまま眠っちゃったんだ……)


 ふわぁ、と小さな欠伸を手の平で押さえて起き上がる。中途半端に眠ってしまったせいか身体がだるい。再び横になってしまいたい衝動を堪えて、マコトは大きく伸びをすると掛かっていた毛布が身体から滑り落ちた。きっとサラがかけてくれたのだろう。簡単にたたんで隅に寄せると、寝台から立ち上がり、応接間に続く扉を開けた。


 寝室から、応接間に向かうと、サラが少し眠たそうな顔で衣装を整理しており、マコトを見ると、笑顔を浮かべて広げていた衣装を手早く畳んで立ち上がった。


「もう起きられましたか」

「すっかり眠っちゃいました。毛布有難うございます」


 礼を言ってから時計を見上げると、いつもなら夕食を取っている時間である。

今日は何だかんだと手持ち無沙汰を慰める為に、色々摘まんだので特にお腹は空いていない。それを見越していたらしいサラは、あっさりとした果物を小さな机に並べマコトに勧めて来た。改めてお礼を言ってサラの食事について尋ねれば、既に他の女官と済ませたらしい。


「そろそろ起こそうかどうか迷っていたんです。ほらナスルとお茶の約束をしてましたし」


 マコトの為に、お茶を入れながらサラは、面白くなさそうに唇を尖らせ、扉の向こうに視線を向ける。その言葉にマコトは首を傾げた。


「護衛の交代の時間ってもっと遅かったですよね?」


 ナスルの勤務時間は自分が眠るまで、と聞いた事があったマコトはそう尋ねる。


「そうですわ。けれど昨日は賓客の入城が多くて人の出入りが激しかったので、休憩を取ってないみたいです。今日の夕方に一度仮眠を取るって言ってました」


(……って、徹夜って事……?)


 この部屋の前で別れた時のナスルの顔を思い起こす。が、いつも変わらなかったように思えたのは訓練の賜物だろうか。しかし徹夜は徹夜である。


 それならばお茶など誘わなければ良かった。思いがけないナスルの歩み寄りに、そのまま頷いてしまったが、お茶を飲むより仮眠を取る方がナスルにとって有難いだろう。


(お茶もういいです、って断った方がいいかな。でもせっかくナスルさんが『仕事が終わったら』って言ってくれたのに……)


 解りきった答えだが、どこか勿体無い気がしてマコトは無言のまま、いるであろう扉の外に意識を傾ける。


「マコト様、着替えた方が良いかもしれませんね」


 どうすべきか、頭を悩ませていたら、サラがふとマコトの姿を見てそう言った。


「あ、……ですね」


 自分の姿を見下ろし苦笑する。上着を脱いだとは言えその下のワンピースの様な衣装は、そのままに眠ってしまったせいで皺になってしまった。 どうせなら湯に浸かって頭をすっきりさせたい所だが、もう少しすればナスルがやってくるだろう。


 簡単に食事を終わらせ、一度寝室に戻り衣装を脱いで、サラが手にしていたワンピースを受け取り腕を通す。柔らかな生地で華美な飾りは無く、それなりの服ではあるが、着心地は良い。昼間装飾が多く重い衣装を身に付けていたマコトにとっては有り難かった。


「さて、と」


 寝台の上に置いた衣装を手に取り、ポケットを探る。


(あれ、……? 鈴が無い……)


 手応えの無さに首を傾げたマコトは、寝台に膝を付け、先程畳んだ毛布を持ち上げた。眠っている間に落ちたのかと寝台の上を隅から隅からまで探して見るが、マコトの鈴も、それにくっついているサーディンの猫の姿もどこにも無い。


「マコト様? 何かお探しですか?」 


 控え目なノックの後、寝室へ入って来たサラは、自然と四つん這いになったマコトを見て、目を丸くした。


「鈴が無くて」


 視線を絨毯に彷徨わせたままマコトが呟くと、サラは慌てた自分も寝台へ駆け寄った。


「私も探しますわ!」


 サラにはポケットがあるドレスを見繕って貰う為に、鈴が形見だと説明してあり、肌身放さずいつも身に付けていることも知っていた。マコト以上に真剣な顔で探し始めたサラにお礼を言ってマコトも再びシーツの上に視線を落とした。


 寝台それから寝室の隅まで探しても鈴は見つからず、二人は応接間まで範囲を広げたが、やはり鈴はどこにも見当たらなかった。一度立ち上がったサラは、部屋を見渡さし眉間に深い皺を刻む。


「謁見の時か、酒宴の時に落としたのかもしれませんね。私ちょっと探してもらえる様に頼んで来ます」


 そう言って出て行ったサラはすぐに戻ってきた。どうやら顔見知りの女官に探してもらう様に頼んだらしい。


「変わった細工物ですし、見つかると思いますわ」


 慰めるようにそう言ったサラに、マコトは、そうですね、と頷く。大袈裟にならないようにこっそりと探す様に頼んでくれたらしい。その気遣いに感謝し、申し訳なくなって、マコトはソファに座ったまま曖昧に頷いた。


(やっぱり首から吊るしておけば良かった……)


 こんな忙しい日に、よりにもよって落とし物だなんて、女官の手を煩わせるに違いない。

 昨日から忙しなくあちらこちらに駆け回っていた女官達を思い出し、小さく溜め息をつく。


(本当、どこにいっちゃったんだろう)


 今日最後に見たのは、緊張を解す前に寄った庭で、朝の事だ。通った場所は覚えている。自分で探しに行く方が早いだろうか。


「庭、かな……」


 マコトの呟きに、サラは困った様に窓の外を見る。直に日も暮れるが、庭に出た時サラはカイスに呼ばれて打ち合わせをしていたので、どこを歩いたのか細かい場所は分からない。


「では一緒に――」


 探しに行きましょう、と続くはずの声がノックも無く勢いよく開いた扉の音にかきけされた。

 驚きに悲鳴を上げたサラは、入って来た人物を見とめると、きりりと眉を吊り上げた。


「アクラム様……ッノック位して下さいませ!」


 噛みつくように叫んだサラを綺麗に無視して、アクラムは真っ直ぐマコトの元へと歩み寄ってきた。そしてぽかんと見上げていたマコトの脇に手を差し入れ、そのままひょいっと持ち上げた。


「アクラムさん……!?」


 下から見上げた後、そのままマコトをソファへと下ろし、自分は向かいあったまま絨毯に膝をつく。乞う様な伺う様な態勢で、 アクラムの手の平がそれぞれソファに置かれたマコトの手を掬う。指の間に差し込まれた指はひやりと冷たく、マコトは驚きに思わず身を捩った。


「お前の先見が出来なかった理由が分かった」


 至近距離でまっすぐ見つめられる。すっぽりと被さったその下の瞳は、仄かに赤く染まっていた。


(先見って……ええっと占いって事だよね)


 心の中で確認して、そういえば誰かに聞いてくると行っていたはずだ。


「ええっと……大神官さんに聞いてきたんですか?」

「いや、あれからすぐに言ったが、答えは出なかった。いろんな神官に会いに行っていた」

「それで……」


「シャーマンが多い南まで言ったが、どんな高名な人間に訪ねても理由は分からなかった」


 淡々と話を続けるアクラムの目が徐々に熱を帯びていく。言葉とは裏腹に、そこには悲壮感は無く、それとは真逆の様な、どこか楽しそうな珍しい空気を纏っていた。


(占い本当に出来なくなっちやったのかな……でも、それにしては元気、だよね?)


 かつてない勢いに押されながら、マコトは、戸惑いつつも相槌を打った。


「しかし今しがた母上に言われた。お前は自分の望む未来しか見たくないからだと。つまり私がお前」

「っアクラムさま!!」


 悲鳴に近いサラの声がアクラムの言葉を遮った。


「……何だ」


 言葉を遮られた事に、むっと眉を顰めたアクラムに、サラは引き攣った笑顔を浮かべながら、いつのまにか手にしていた大きな皿をアクラムに差し出した。


「ここにマコト様が作られた、アップルパイと言う、ほっぺたが落ちてしまうほど甘くて美味しい、向こうの世界のお菓子があります!」

「食う」


 即答だった。アクラムは、すくっと立ち上がり、小部屋の方へ後ずさっていくサラをふらふらと追い掛ける。呆気に取られるマコトの目の前で二人の姿は応接間から消え、すぐにサラだけが部屋から出て来た。


 背中越しに鍵の掛かった音が聞こえ、マコトは一連のサラの行動に首を傾げた。ちなみにアップルパイは、ハスィーブの差し入れとお詫びを兼ねて昨日焼いて置いたものである。サラも手伝ってくれたので、行き先は分かっている筈だが。


 ふぅ、と一仕事終えた様に額の汗を拭ったサラは、マコトに向き直る。不思議なサラの行動を訪ねようとした時に、どこか控えめなノックの音が部屋に響いた。


(あ……ナスルさんかな?)


 マコトが返事をする前に、サラは待ち構えていた様に扉に駆け寄り勢いよく扉を開け、その向こうにいたナスルの目が僅かに驚きに瞠られる。 そんなナスルの戸惑いに気付いているのかそれどころではないのか、サラは「失礼します」とマコトの手を引き、ナスルの前へと少々強引に押しやった。


「え?」

「ナスル! 良い所に来てくれましたわ! マコト様がお探し物です! 中庭に連れて行ってさしあげて下さいませ!」


 ぎゅっと押されて、マコトの顔がナスルの胸へと押し当てられる。驚いたように肩を抱いたナスルの手が一瞬で外され、後ろに引く。その反動でマコトの身体も追いかけるように傾き、後ろでバタン、と締まる音がした。


「ああもうッ油断も隙も無い……ッ」


 扉の向こうから聞こえるのは苛立ちを含んだサラの這うような低い声。


(……いない方が、いいのかな……?)


 そうだ。確かに鈴を探さなければ。

 確かにアクラムの相手をしていたら日が落ちる前に鈴を探せないだろう。


「えっと……何かすみません……?」


 追い出される様に部屋から出たマコトは、後ろを歩くナスルに首を回し、頭を下げた。約束を守ってくれたのに、部屋から出てしまっては、お茶の用意も出来ない。しかも彼は休憩中だ。付き合わせるのは悪いだろう。


「あの、また改めてお茶の用意しますね。ナスルさんはお疲れでしょうし、誘っておいて申し訳無いんですけど部屋に戻って休んで下さい」


 護衛なら、部屋の外に立っている親衛隊の人間がいる。わざわざ休憩中のナスルに着いて来て貰わなければならない事は無い。マコトがそう言うと、表情を変えないまま、ナスルは瞬きを一つ返した。


「頼まれたので付き添います」


 でも、と言いかけたマコトは途中で口を閉じた。


 少し間を空けて考えた後、素直に「有難うございます」と頭を下げた。真面目なナスルの事だ。一度手伝うと言った事は どんなに言っても着いてくるだろう。――他の護衛に頼んで、ナスルの休憩時間を延ばして貰った方が良いかもしれない。



 今日はサハルに引き渡されるまでは、ナスルと行動を共にしていた。行き先は、サラが行った中庭だけで分かったらしい。 ナスルは迷い無く本宮の庭に足を向けると、一歩後ろに引きマコトに先に行くように促した。




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