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第八十話 謁見

 俯いた視界に映るのは、青い糸で縁取られた細かな刺繍。ふわりと膨らんだ裾は、幾重にも生地を重ねられ見た目は軽やかだが、その実結構重い。サラが厳選に厳選を重ねた一枚でマコトに拒否権は無く、あっという間に寝着をはぎとられ着付けられた。ただ、アクセサリーの類はマコトの意向も聞き入れられ、耳のすぐ上に 飾られた白い華が一つあるのみだった。


 緊張に腰元のひだを誤魔化して作ったポケットに入れた鈴に触れようと下ろした手に何かが触れた。


「……ぁ……」


 ただでさえうるさく響いていた心臓がいっそう鼓動を早める。


「サ、ハルさん」


 そっと伺う様に隣に並ぶ彼を見る。廊下に飾られた花がゆっくりと滲み、サハルはゆるりと目を細めて、微笑んだ。


「緊張されてるようですね。少し気が早いですが――手を」


 そのまま攫うように握りこまれて手を取られる。


「周囲は気になさらず、王だけを見ていていれば大丈夫ですよ」


 上擦った自分とは違う落ち着いた声に、マコトはいたたまれなさと、少しの切なさを感じ、そっと俯いた。

 触れている指も、顔も熱い。

 先程まで賑やかだった控え室には、もうマコトとサハル、それに数人しか残っていなかった。


 連日続いた来客の為に、幸か不幸かマコトの足をハスィーブから遠ざけ、とうとう今日は王との謁見の日だ。使者を務めたサハルが、マコトをエスコートし王に紹介する形を取るのだと、カイスから今朝説明を受け、それを聞いたマコトは、驚きもしたが久しぶりにサハルの顔を見る事が出来て嬉しかった。……それまで毎日会っていたと言うのに、こうしてサハルときちんと顔を合わせるのは三日ぶりだ。


 ――想いを伝えようと、決意はしたものの、顔を合わせない日が続いたせいか、すっかりマコトは尻込みしていた。また衆人環視の中での改めての王の謁見を前に、自分の恋愛毎云々で舞い上がるのは些か不謹慎な気もして、マコトはそれを理由にサハルとは差し障りの無い会話しかしていなかった。


(……とりあえず、目の前の謁見に集中しよう)


「第百八代目、『イール・ダール』」


 高らかな呼び声に、マコトは気持ちを引き締め顔を上げる。両側の扉が寸分違わぬタイミングで開け放たれ、玉座まで続く赤い絨毯の長さと、その両脇に居並ぶ人間の数の多さにマコトは眩暈を感じた。


「大丈夫ですよ。胸を張って」


 柔らかな声が耳の奥をくすぐり、繋がれた手が力付ける様に一瞬強く握り締められた。

 さほど高くない踵を滑らせて歩く。


 注がれる視線があまりに多くてそれが好意的なものなのかそれとは真逆なものなのか分からない。ただ鳴らない足音の代わりに響く胸の鼓動だけが嫌に耳に響く。先に向かったイブキが椅子に座ったままマコトを心配そうに見つめている事に気付くが、微笑みを返す余裕も無い。


 まっすぐ見つめた王の傍にはタイスィールの姿があり、マコトを見ると、口の端を微かに吊り上げ、安心させるように頷いた。


 ――大丈夫。

 彼の視線がそう語っていて、マコトは微かに頷いた。


 王座の手前までマコトをエスコートしたサハルは、すっと身体を引いて一礼した後、後ろに下がって、イブキの隣の一つだけ空いている椅子の後ろに滑り込んだ。きっと挨拶が終わった後、マコトはあそこに座る事になるのだろう。


「ようこそ。『イール・ダール』よ」


 しん、と静まり返った王座に、王の声が響く。先日庭で会った時よりも近寄りがたい雰囲気と威圧感が増していた。心持ちその声すら温度が無いように思え、何か失礼な事でもしたのか、と不安になった、が、目が合うと王は微かに唇の端を上げ、目元をほんの少しだけ和らげた。


(あ、良かった……)


 差し出されたタイスィールに手を取られ、立ち上がると長い裾を優雅に捌き静かにマコトな前へと歩み寄る。

 マコトは打ち合わせ通り静かに手を差し出した。


「母なるイールに感謝と、ダールの訪れに幸福を誓います」


 自分と同じ黒髪がさらりと手の甲を撫で、軽く押し当てられる。王が顔を上がると居並ぶ貴族から歓声が上がった。

 そろりと伺えば、王は闇の様に濃い瞳に自分を映し瞬きを一つ落として、小さく口を動かした。


『お互い緊張する』


 眉尻を下げて微笑む姿は、苦笑とも取れた。


(はい)


 タイミングを逃したせいで口には出さなかったが、マコトは微かに微笑んだ。

 王は、静かに踵を返すと、王座に戻っていった。

 それからまたサハルが迎えに来て、用意された席に座る。


「お疲れ様でした」


 背後から囁かれ労わるように肩に手を置かれ、マコトはようやく肩の力を抜いた。





* * *





 謁見は滞りなく進み、最後は広間に場を移し、酒宴となった。先程とは幾分雰囲気も和らぎ、それまで付き添っていてくれたサハルは挨拶回りに行かなくてはならない、と申し訳無さそうにマコトに挨拶をして人ごみの中へ消えた。


 サハルが行ってしまって、ほっとした様な少しがっかりした様な不思議な心地になる。しかしサラが側に戻ってきた事もあり、マコトの緊張も大分解れていった。


 用意された席に座って早々やって来たのは、以前話をした同じ一族の『イール・ダール』であるドーラだった。


「ごきげんよう。マコトさん」

「ドーラさん」


 控え室にいた時には、お互いの周囲に人がいたので、会釈するだけにとどまったのだ。 


「夫のユーグよ」


 腕を組んでいる壮年の男性に視線を向け、にっこりと笑う。 紹介された男はナスルのものとよく似た衣装に身を包み、厳しい顔付きながらドーラ同様優しい目をしていた。


「マコトです」


 立ち上がったマコトが慌てて頭を下げようとすると、ユーグはやんわりとそれを押し止めた。


「ユーグと申します。我が一族を選んで下さって感謝します」

「こちらこそ宜しくお願いします」


 本当に挨拶だけのつもりだったのだろう。

落ち着いたらまたお話しましょう、と、二、三差し障りの無い会話をして来た時と同様、仲良く腕を組んで、中央の人ごみの中へと紛れて込んだ。


 それからも度重なる会談で顔見知りになった何人かの『イール・ダール』に声を掛けられた。マコトを見るとどこか懐かしそうに目を細めては、自分を気遣う優しい言葉を掛けてくれる。そういえば彼女達は隣にいる族長やそれに準じる人々とは違い、あまり言葉を発する事も無かったが、心苦しそうな表情を浮かべていた。彼女達はまるで、年の離れた妹や親子、または孫と言った様な慈愛に満ちた眼差しでマコトを見てくれている。『私たちは家族の様なものだから』と笑ったのは、マコトの母より少し年重の北の『イール・ダール』だったか。


(優しい人達で良かったなぁ……)


 そんな事を思いながら、途切れない客に相槌を打っていると、広い会場を動き回っていたカイスがやってきて、「そろそろ退場してもいい」と言ってくれた。どうやらマコトの年齢が考慮され、途中で席を立つ事を許されたらしい。


 確かに緊張して疲れていたのは事実だったので、マコトはサラと相談し、有難くその申し出を受ける事にした。


「『マコト様』」


 ナスルとサラを伴い、廊下に出ると、ふいに後ろから呼び止められた。


「ラナディア様が少しお話したいようなので、少しお待ち頂けますか」


 息を弾ませて膝を折った女官は、サラと同じかそれよりも若く、上気した頬がほんのりピンクに染まっていた。


「ラナディア様ですか」


 マコトの代わりにサラが答え、どうしますか、と問う様にマコトを見た。


(……やっぱり勝手に花園に入っちゃた事かな?)


「分かりました。あの、一度広間に戻った方が良いですか」

「いえ、すぐ後にいらっしゃいますので、このままお待ち頂ければ結構です」


 どこかほっとした様に女官は胸に手を置き、感謝の意を現す。きっちりと結い上げた淡い金髪が美しい美しい女官の綺麗な所作に、マコトは感嘆の溜息をついた。


(美人な人多いなぁ……そう言えば、前タイスィールさんと一緒に会った人も綺麗だったし)


 それから五分も経たない内に、たくさんの女官を引き連れたラナディアがやってきた。明るいオレンジ色の衣装は、目映く、黒髪は真っ直ぐに下ろされ、レースで飾られた白いケープで覆ってあり、まるで若い花嫁の様な初々しさと愛らしさがあった。


「ああ、良かった。気が付いたらいないのだもの。わたくし、ラナディアというのよ。仲良くしてちょうだいね」


 ふわり、と軽い袖を揺らせてマコトの手を取る。以前と違い、場所が違うせいか以前感じた彼女の不思議な雰囲気は薄れ、きちんとした大人の女性だと知る事が出来る。

 マコトも慌てて名乗った後、少し考えてから口を開いた。


「あの、先日は勝手に温室に入って申し訳ありませんでした」

「いいのよ。花は愛でるべきものだし、こんなに可愛い方なら大歓迎よ」


 サラの言葉通り怒っている様子も無く、それどころか上機嫌で歌うように言葉を紡ぐ。ころころと鈴を転がした様な甘い声は本当に可愛らしい。


 母もよく笑う人だった。顔立ちはそれほど似ていないのに、やはり雰囲気がよく似ている。

 懐かしい気持ちで、ラナディアの他愛の無い言葉に頷いていると、ラナディアの女官が後ろから追いかけてきた。マコトに礼を取り、自分の主人に向き合う。


「ラナディア様、王がお呼びです」

「まぁ王が?」


 そう問うとラナディアは頬を染め、両手を当てた。どこかわざとらしい仕草だったが、恋慕う人に呼び出されたとでもような初々しさに、マコトは微笑ましくなる。しかしそんなマコトに反してサラは、眉を寄せてその会話を聞いていた。


「では失礼しますわ。……あら? 髪飾りが曲がっているわ。イルディ直してさしあげて」

「はい」


 後ろに控えていた女官は、素早く移動しマコトの前に立った。


「あの私が」


 前に出たサラの腕に、ラナディアの細い手が巻きつく。その気安い態度にサラが戸惑っていると、ラナディアがにっこりと笑い安心させるように頷いた。


「イルディは髪を結うのがとても上手なのよ」

「失礼します」


(あ、この人……)


 確かタイスィールと一緒にいる時にいた人ではないだろうか。一度見れば忘れられない華やかな美人。

 前は気付かなかったが、マコトが身を屈める必要すら無いほど背が高く、一度解いた髪をポケットから取り出した櫛で器用に結い上げ、高い位置で括り毛先を散らす。別の女官から差し出された鏡を覗き込めば、崩す前とは全く違う、どちらかと言うと大人っぽい纏め髪だった。


「やっはりそちらの方がいいわ。少し子供っぽいと思ってたのよ」


 ころころと笑ったラナディアの言葉に、サラの表情が強張るのに気付いてマコトは小さく首を振った。

 子供っぽく見えたのは、サラと一族の優しさである。お洒落でセンスの良いサラなら本当なら年相応の髪型だって考えられたのに、 評価を下げてしまったのは自分の我侭だ。


「あの、有難うございます。慣れてないせいか結い上げると頭が痛くなるんで、あの髪型でお願いしたんです」


 あらそうなの、とラナディアは邪気の無い笑顔で頷いて、するりとサラから腕を抜き取った。


「また会いましょうね。そうだ。わたくしの温室にもまたぜひ来て頂戴」


 人懐っこい笑顔を浮かべて、マコトの手を取ると、子供の様に手を振り女官を引き連れ広間へと戻っていった。


「わ、私の仕事ですのにっ」


 呆気に取られていたサラは、ラナディアの女官の背中を睨みながら、うっすら涙ぐむ。そんなサラを宥めながら、マコトは 自分の部屋に戻る。


 部屋に着くなり、予め部屋についていた護衛に代わりナスルが扉の横へと付く。

 今日は彼もいつもの服では無く、少し飾りのついた華やかなものだ。 王の側にいた親衛隊も同じものを着ていたから、きっと制服なのだろう。着替えに戻る事も無く、そのまま真面目な彼らしく本来の仕事である護衛に戻るらしい。


『あの子は不器用で頑固で……一途なのだ。時々哀れになる程に』


 王の言葉が耳に蘇ってくる。確かに彼はそうなのかもしれない。少なくとも王都に来てからは、必要最低限の会話はしてくれるようになったし、ハスィーブの差し入れの時も自ら手伝ってくれた。柵に囚われているだけで本当は、優しい人だと今は分っている。


 優しい――。そういえば彼も自分の事をそう評してくれた事も、意外だった。最初に耳にした時は信じられなかったが、王はそういう類の嘘をつくような人には見えなかった。


 それにクッキーを作った時も間違いを指摘してくれたし、迷子の時は本気で探してくれて、サハルからも庇おうとしてくれた。

 もしそれが彼からの歩み寄りなら。


(ナスルさんとも……あともう少しでお別れ、だし。もう少し頑張ってみるのもいいかもしれない)


『イール・ダール』である以上、どこに住んでも毎年王都に来なければならない。出来るなら、来年もさ来年も笑って彼と挨拶を交わしたい。



 サラが中に入り、いつもならマコトが続く所でマコトは足を止めた。


「……ッナスルさん! あの、部屋でお茶でも飲み……ましょう?」


 少し勢い込んだマコトの言葉に、ナスルが少し驚いたように顔を上げ、マコトを見た。しかし


「護衛中ですので」


 やや戸惑った様に聞こえたのは、マコトの気のせいだろうか。


「そうですか……」


 やはり、唐突だっただろうか。

 けれど真面目な彼らしい言葉だと思う。――彼は命令された方が楽なんだよ――。タイスィールの言葉を思い出し、 少し強要してみたつもりだったが、思いつくのが遅かったせいで変な誘い文句になってしまった。


 しかし。


「……終わってからでもよろしければ」


 思いがけない言葉にマコトは勢いよく振り返り、彼女には珍しい程の笑顔で頷いた。


「待ってます……!」


 それを見たナスルは、微かに眉を顰めてマコトを見つめた後、口を開きかけ、ゆっくり閉じた。そしてくるりと身体を返す。


「……見回りに行ってまいります」

「あ、はい。行ってらっしゃい……?」


 建物の見回りは近衛兵に加え、各『イール・ダール』に一族から派遣された人間がそれこそ数十名用意されている。あえて親衛隊であるナスルが行く事は無く、また、マコトに断る事も無いのだが。

 まるで逃げるようにその場を去ったナスルに、護衛二人もマコトも揃って首を傾げた。


「何ですの! 感じ悪いですわねぇ」 


 扉近く立ったままのサラが、八つ当たりも兼ねた凶悪な視線で小さくなっていくナスルの背中を睨み付けた。





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