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第七十九話 想い(カイス視点) 1


「ぁあ? またかよ」


 護衛の一人が持って来た報告書をひったくるように奪い、カイスは顔を歪めて睨む様に紙面を見下ろす。それに重ねられた便箋を片手に広げ、交互に見比べた。


 最後まで読み進めた後は、頭の後ろを乱暴に掻きながら低い声で毒づく。伺う様に斜め前に座るマコトに視線をやると、少女は苦笑して頷いた。


「お客様ですか?」


 悟い彼女はカイスの態度で気付いたらしい。苦虫を何匹も噛み潰した顔でカイスは頷くと、報告書に当たる様にぐしゃっと丸めて、ゴミ箱に放り投げた。必要以上に力が入ったせいか籠には入らず壁にぶつかり絨毯に落ちたそれを、近くにいたサラが拾い上げ、皺を伸ばして目を滑らせた。


「次は東の方だそうです。ご丁寧にうちの頭領の一筆付きですわ」


 読み上げたサラに、マコトは苦笑しカイスは大きな溜め息をつく。頭領の紹介状付き――つまりそれは断る事の出来ない面会だと言う事だ。


 十年振りに現れた『イール・ダール』に是非挨拶を――判を押した様に同じ文章が並んだ手紙が届き始めた理由は、イブキの部屋にマコトが遊びに行き、東の長老が偶然にその場に現れた事にある。……明らかに故意であることは間違いなく、イブキが怒鳴るその横で、東に一度遊びに来ないかとマコトを延々と口説いたらしい。


 そして一度均衡が破られてしまえば、後に続けとばかりに、窓口となっている次期頭領のカイスを通さず、直接マコトに謁見を申し込んで来る他の一族が殺到したのだった。


 彼らの目的はマコトの身柄である。


 油断も隙も無く言葉巧みに何かしら理由を付け、見目の良い若者や、一族の『イール・ダール』を伴い、マコトをそれぞれの村へ誘い込もうとする。歴代の『イール・ダール』も含め高い身分の人物が多く、その場にいても失礼にあたらない監視役と言えば自分以外におらず、カイスはここ二日ずっとマコトの部屋に詰めていた。


(……せっかく久しぶりだってのに、客ばっかりで喋る暇もねぇ)


 来客時の座り位置である故に、ソファのすぐ隣にはマコトが座っている。


 全く顔を合わせられなかった日々を思えば、今の状況は悪くは無いが、来客に次ぐ来客で話す暇が無い。しかも頭領代理の今まで昼に行なっていた仕事を夜に回しているせいで、一昨日から一時間程度の仮眠しか取っておらず、頭の奥が重く身体中がだるい。


(あー……さすがに今日は寝た方がいいな)


 気を抜くと霞がかって来そうな意識にポケットに手を突っ込んで、常備している眠気醒ましの香草を口に放り込む。その苦さに顔を顰めつつ、ソファにもたれ掛かかった。


 閉じた目蓋は重く、このまま眠ってしまいたい衝動に駆られる。誘惑から逃れるべく慌てて目を押し開けば、顔を覗き込んでいたらしい、マコトと目が合った。


「……っ」


 睫毛の一本一本を数えられる程の距離の近さに、息を飲むと、マコトは慌てて身体を引いた。


「すみません。眠ってらっしゃるのかと思って」

「……いやっ! 俺こそ悪い、ぼーっとしてた」


 飛び起きたカイスが謝ると、マコトは控えめに笑って首を振る。


 真っ直ぐに下ろされた髪は、触れたくなる滑らかで、初めて会った時と比べれば少し伸びた、だろうか。その向こうに見える横顔は少し疲れているように見えた。


(そりゃ疲れるよな……)


 彼女は初対面の人間と気後れなく話せる性格では無く、その上相手の目的はオアシスの利権絡みだと分かっている。ここまで立て続けに来客が続けば、彼女も何かと気疲れしているだろう。


(……あ、サハルにも謝っとかないとな)


 マコトのハスィーブ手伝いは、カイスも了承済みであり、長老達を説得する場ではサハル側に回った一人でもある。集落でも朝食の手伝いを申し出てきた彼女の性格を考えれば、王都でも何かしら仕事を与えた方が緊張も紛れ、落ち着くだろうと思ったのだ。


 以前、ハスィーブを訪れた時、想像以上によくやってくれている、とサハルは満足そうに言っていた。中途半端になってしまった事をサハルがマコトに何か言うとは考えにくいが、責任感の強いマコトは気にしているかもしれない。


「なぁ、ハスィーブの仕事も手伝ってるんだろ? こっちの予定に付き合わせて悪いな。向こうは大丈夫か?」

「あ……それは……」


 言葉を濁したマコトに、カイスは首を傾げる。それを見たマコトは少し慌てた様に首を振った。


「もともと簡単なお手伝いしか出来る事無かったですから」


 何かを誤魔化す様に一息で吐き出した言葉は、どこか軽く明らかに何かの言い訳の様だった。伺う様にマコトの顔を覗き込んでカイスはむっと眉をひそめる。その頬はほんのりと赤く染まっていた。


 何かあったのか――嫌な予感に、カイスの眉間の皺が深くなる。


 そうだ……そう言えば、この前のハスィーブでの休憩の時間での出来事もまだ聞いていなかった。

 飾り棚の上に並んだ時計を見やり、考える。次の約束は夕食後、あと二時間ある。ちょうど良い機会だ。


 咳払いして仕切り直したカイスは横に座るマコトに視線を流した。


「前から気になってたんだけどよ、この前、スェがやって来た時、何か言いた気だったろ」

「え?」

「ほら、ハスィーブの中庭でアイツが調子づいてからかったせいでお前逃げたヤツ」


 マコトの瞳が少し考える様に細まり、暫くしてからああ、と同意する。


「少し伝えたい事があったんですけど、うまく言葉に出来なくて」

「だからそれは何だよ」


 言葉を選ぶ様にはっきりしないマコトにカイスは、体ごとマコトに向き合った。


「えっと……前の『イール・ダール』の事です」


 思っても見ない言葉に、なんだ、とカイスは拍子抜けする。


 まるでスェを意識しているとでも言う様なあまりに思わせ振りな態度に実はずっと気になっていた。しかし、――なぜここで前の『イール・ダール』の名前が出るのか。その前の『イール・ダール』であるイブキならともかく、今はもう禁忌とされたその人物。確かに、ザキであったスェの花嫁だった女だが、その後失踪したスェの気持ちを思えば二度と聞きたく無いはずだろう。人の心の機微に聡いマコトがそんな事に気付かない訳が無いと思うが。


 首を傾げたカイスにマコトは苦笑する。


「スェさん、まだ前の『イール・ダール』の事好きなのかなって……。初めて会った時も、挨拶する時も私というよりは、私を通して『イール・ダール』を見ている気がして。すごく優しい目で、でも、どこか苦しそうだったから……でも、やっぱり私が言うのもおこがましい気もします」


 途切れ途切れに発した自分の言葉に、最後は照れたように笑って首を振る。


(苦しそう? あの飄々としたオッサンが?)


 マコトとスェは顔を合わせる機会は少なかったはずだ。いつそんな込み入った事情を聞く機会があったのか。マコトが野盗に浚われた時もあまり話す機会は無かったと聞いていたのに。


 そもそも、カイスから見ても、スェはいつでも油断出来ない食えないオッサンであるし、苦しそう云々は少し突っ込んでみたい気がする。しかし、他人の事情に首を突っ込むのは野暮だし、マコトもまだ言葉を整理している状態らしいという事はさっきの言葉で十分に分る。……そもそも、二人きりの時にわざわざ食えないおっさんの話なんてするのは時間の無駄だろう。


 分かった、と話を切り上げると、マコトはどこかほっとしたように表情を弛めた。どうやら選択は正しかったらしい。


「それより、お前も疲れてるだろ。晩飯位ゆっくりさせたかったんだけど」


 手紙の内容は、夕食をご一緒したい――との事だった。それを簡単に伝えると、マコトは予想通り素直に頷いた。


「分りました。私は大丈夫ですよ。そもそも私が付き合って貰ってる様なものですし……それにカイスさんの方が疲れてますよね」


 じっと見つめられ、吸い込まれるような深い黒の、久しぶりのその静かな視線に押される様に、ぐっと顎を引く。マコトの深く黒い瞳は、慌てた様な自分を映し出した。


(赤くなるなよ……ッ)


 自分にそう言い聞かせて、ぎくしゃくと視線を外す。思えばこんな風に二人きりになるのは、本当に久し振りなのだ。


「……まぁ大丈夫だ」


 目の下のクマは自覚はしている。ここで否定しても今更だろう。


「少し時間もあるし横になります?」

「あ~……。……いい」


 マコトの言葉に少し迷って首を振る。横になりたいのはヤマヤマだが、せっかくマコトが側にいるのに、眠ってしまうのは勿体無い。


「マコト様に膝枕でもして貰えれば眠れるんじゃないですか」

「……ぅわッ! ……、は?」


 背後から掛けられた声に、カイスは必要以上に肩を揺らし、だらしなくもたれかかっていた背中を起こした。


 ――忘れていた。そう言えばサラもいたのだった。

 しかし思っても見ないサラの言葉。しかし普段の彼女の言動から羞恥心よりも訝しさが勝った。


「膝枕ですか?」

「ええ、最近カイスは忙しくて神経が冴えすぎて眠れないらしいですから」


 ぽん、と両肩を叩かれ兄妹の様な親しさで首に腕を回される。サラがこんなに身を寄せてくるなんて子供の頃以来だ、と意外に思いつつ、カイスは首を回し胡乱な視線を向けた。


「……お前」


 何言ってんだ、と言いかけたカイスの首をサラは強引に捻じ曲げる。


「最近頑張ってますから、ご褒美ですわ。けれど不埒な事を考えれば、候補者全員に密告しますわよ」


 身を屈めマコトが座る反対側の耳にサラがぼそりと囁かれて――カイスは固まった。


「ちなみに『貸し』ですわよ」


 ……低音なのににっこりと愛想の良い顔を浮かべるサラに、昔、カイスの後に鳥の雛の様に着いてきていたあのか弱い少女は居なくなったのだと知った。嘆くべきは時の流れの無情さか、表向きだけはやり手と言われる極悪親父の血統か。なにその上から目線。自分は一応次期頭領だと思っていたが違ったかもしれない。


「では、私は何か軽くつまめるものを厨房に頼んで来ますわ」


 すくっと立ち上がり、先程の低音が嘘の様に、にこやかに微笑んでマコトに頭を下げ、サラは静かに部屋を出て行った。意図を掴めないらしいマコトは首を傾げて自分の膝を暫く見下ろし、カイスを見た。


「カイスさん、膝枕します?」


 寝台の方が寝心地いいと思いますけど、と至極最もな事を言うマコトに、何やらこっちが恥ずかしくなる。


(ったくアイツは……ッ)


 この居たたまれない雰囲気の中、頷ける程、カイスだって図々しく無い。

 しかし「そうですよね」と苦笑したマコトに、少しがっかりしたのは仕方が無い事だろう。


「それにしても膝枕って気持ち良いんでしょうか。……あ、そう言えばハッシュさんは気持ち良さそうに眠ってたなぁ……」


 最後は独り言の様に呟いたマコトの言葉をしっかり聞き付けたカイスは、頭の中で反芻し目を剥いた。


「お前……ハッシュって、あいつに膝枕してやったのか!?」


 怒鳴る様なカイスの叫び声にマコトは驚く。何だあのクソガキ。そんな美味しい展開があったなんて一言も聞いてねぇ。


「え? ……あ、いえ、どっちかって言うと不可抗力? です。こう肩で、眠ちゃってそのままずるずるずれて膝に落ちただけですから」


 その肩で眠っている状態と言うのは、二人仲良く寄り添って座っているのが大前提では無いだろうか。正直タイスィールやサハルに出遅れてる感は感じていたが、まさかハッシュまでとは思いもしなかった。


 害の無い笑顔で首を傾げているマコトに、押さえ切れない苛立ちが湧く。

 分る。これはただの嫉妬だ。サハルに押さえ込まれて告白も出来ない自分がすべき事ではない。


 けれど、悔しい。どうしてこんなに。


 ――マコトを好きなのだろう。




「……気持ち良いんじゃねぇの」


 と、ぶっきらぼうに吐き捨ててから、はっとする。今のは八つ当たりだった ――そう続けるのも言い訳がましく、またその理由を問われれば言葉も無い。 マコトの眉尻が不安そうに下がる前に、カイスは咄嗟に手を伸ばしマコトの頭を掴んだ。――がしっと。


「……え、……? わ……っ」


 そのままぐいっと引っ張り自分の膝に下ろす。すっかり油断していたのだろう、 マコトの上半身はそのままソファに横たわり、少し距離が遠かったせいかカイスの右の太腿の上に小さな頭が乗った。


「あの……」


 戸惑いがちに下から聞こえた声に、カイスは苦し紛れに吐き出した。


「……膝枕、だろ? 気持ちいいだろうが」


 言い訳がましく嘯いて、自己嫌悪に落ちる。


 一体自分は何をやっているのか。男の膝枕なんて硬くて気持ち良い訳が無い。こういうのは柔らかい女の膝だからいいのだ。そう心の中で唸って、またイラッとする。ちくしょうやっぱりあのクソガキ今度会ったら絶対泣かす。


 そろりと視線を下げれば、形の良い小さな耳が見える。散らばった髪は布越しに膝をくすぐり笑い出したい心地にさせる。


 意外な程大人しいマコトに、カイスは頭から右手を外し、そしてどこに置こうか迷った。ちょうど良い場所と言えば横になった事で大きく括れた腰の辺りだ、が、そこはいくらなんでも常識的にも倫理的にも理性的にも駄目だ。少し迷いつつ、結局最初に触れていた頭に手を置く。さらりとした髪は触り心地が良く梳く様に撫でていたら、その下から不安そうな声が上がった。


「……カイスさん」


 傾いた事で斜めに大きく開いた襟ぐりのその向こうに一瞬気を取られていたカイスは、その声にびくっと身体を逸らせて我に返る。


(うわ……ッ)


「わ、悪い……!」


 不躾な視線に対しての謝罪をマコトは子ども扱いした事への謝罪だと受け止めたらしい。明らかに狼狽し頭を下げたカイスに、ふっと表情を緩め、くるりと首を回し、カイスを見た。その瞳は柔らかく細められカイスの複雑な表情を映している。


「膝枕お母さん以外で初めてです。意外と高い、んですね」


 目を細めてくすくす笑う。普段穏やかなマコトに比べれば年相応の笑みで、思わず釣られた様に自分の頬も緩んだのが分った。それは短い雨季のその後に咲く小さな白い花そのものだった。愛らしく、小さく、健気で、守ってやりたい。


 そもそもマコトが声を立てて笑うのは、本当に久しぶりで。

 ――もういっそ。両手を伸ばして、首筋に顔を埋めて、そのまま抱き潰してしまいたい。


 何だこれ、この可愛いの。



「じゃあ存分に堪能しやがれ」


 赤くなった顔を見られないようにカイスは少し掠れた声でそう呟き、上を向いたマコトの目を覆うように押さえて無理矢理横に向ける。


(見るなよ……ッ)


 反対側の手で自分の顔を覆い天井を仰ぐ。閉じた瞼の裏が赤い。

 サラが戻る前に自分でも分るこの顔をどうにかしないと、散々からかわれる事になるだろう。


 時間にして約五分程、カイスは顔と頭を冷やすべく全く関係の無い仕事の事や祭りの段取りの事をぶつぶつ呟いて、未だ膝の上のマコトを困惑させたのだった。




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