第九話 市(カイス視点)1
「妙な事になったな……」
馬の世話をしながら、カイスはそう呟き空を見上げた。
昨晩アクラムの予言どおりに現れた『イール・ダール』が、――想像していた人物像と あまりに違っていたので、カイスは昨夜自棄酒の様に酒を煽ってしまった。気付けば既に朝。 カイスにとっては祖父にあたる長老も既に出発したらしく、昨日まで泊まっていたアクラムのゲルにはいなかった。
結局『イール・ダール』はどうなったのか事情を聞く為に、サハルのゲルに向かうと 件の少女がいたのだ。思い掛けない再会に、カイスは慌てた。元々子供は苦手なのだ。
しかも異世界から来たばかりで右も左も分からない少女。下手な事を言えば、泣かれる 気がしてどう話しかければいいか分からず一瞬逃げようかと思ったのだが。
「……あ~頭いてぇ」
天気は大丈夫だろうかと、空を見渡すと、既に昇りきった太陽の強い日差しが目に眩しく肌に突き刺さる。昨夜大量に飲んだ酒が蒸発しそうだ。
(まぁでも、ちょっと意外、だったよな……)
幼い顔立ちはやはり最初に見た通りだが、小煩いガキという感じでは無く、どちらかと言えば控えめで 落ち着いていた。……特にあの、漆黒の目が妙に静かで――印象に残った。
目が合って暫くして、挨拶と共に気遣わし気にぎこちなく向けられた笑顔に、何故か 逆にこっちが慌ててしまった。
(それにしても、大丈夫なのか。市になんか行っても。……服が欲しいって言ってたよなぁ 。ニムの服で間に合うだろうに、……やっぱりワガママなのか?)
少し話した限りでは、そんな風には見えなかったのに、所詮――見た 目通りの子供だったのか。
サハルの妹のニムが、典型的な我が儘娘なのだ。何かしらつまらない理由で、突っかかってくる。カイスの子供嫌いはニムのせいで悪化したと言っても過言ではない。
女は落ち着いた、出来れば年上の女がいい。凹凸が合って抱き心地も良く、 我が儘を言わない捌けた女がカイスの理想だった。
伴侶としては――はっきり言って今度の『イール・ダール』は範囲外だ。
カイスの亡くなった母も『イール・ダール』であり、カイスの父である一族の頭領と婚姻を結んだ。年を取っても仲が良く、自分の親ながら理想の夫婦だった。
母が亡くなって五年経過した今でも、父は母を想い頭領という重い地位にいながらも、新しい 伴侶を迎えようとしない。それ程母への想いが深いのだろう。
だからこそ、自分も伴侶に『イール・ダール』を得たいと幼い頃から思っていた。 既に十九。この世界の男に適齢期というものは存在しないが、二十歳を超えれば もうそろそろと相手を物色し始める男も増えてくる。
(……あー、十年待って結局子供かよ。なんかどうでも良くなってきた……)
候補を自ら外れると、次の『イール・ダール』が現れた時、優先的に婚約者候補になれる。
(オヤジにくれぐれもって頼まれちまったからなぁ……)
さっさと候補から降り、馴染み深い王都近くの西の一族の村に戻りたいのは山々だが、次期頭領としての 立場もある。
「そろそろ食い終わった頃だよな……」
カイスはそう呟き、再びサハルのゲルに足を向ける。扉の前には既にサハルとマコトの姿があった。
腰を屈ませ、どうやら少女にマントを着せているらしい。留め具を掛けると、最後に背中に垂らしていたフードを目深に被せた。
(甲斐甲斐しい事で……つーか、甘やかし過ぎだろ。だからニムがあんな我儘に なるんじゃねーの)
八つ当たり半分でそんな事を思いながら、カイスは声を掛ける。
「じゃあ宜しくお願いします」
サハルがそう呟き、マコトもぺこりと頭を下げる。
「ほら、あそこに馬が見えるでしょう。先に行ってて下さい」
サハルの言葉に素直に頷き、マコトは「行ってきます」と行ってから歩き出す。続こうとした カイスをサハルが呼び止めた。
「何だよ」
「マコトは控えめな性格みたいですから、欲しそうな物があれば買ってあげて下さいね」
「ぁあ? ……めんどくせぇな、じゃ、お前が行けよ」
眉を顰めてカイスが唸る。
「私もそうしたいのは山々なんですけどね、生憎仕事が残っているのです」
馬の方に駆け出したマコトを、まるで本物の兄の様に優しい目で見つめながら、サハルは残念そうにそう呟き、カイスに自分の財布を握らせた。
「お釣りはいりませんから、宜しくお願いします」
半ば冗談でも無さそうな、サハルにカイスは少し戸惑う。
持たされた財布はかなり重い。
「お前な、馬でも買うつもりかよ」
「買ってあげたい位ですけどね」
呆れたカイスの視線に、サハルは読めない微笑みを浮かべた。
(だから甘やかしすぎだっつーの)
そう思いながらも、カイスは敢えて言葉にしなかった。
(まあ……、サハルは優しいからな。きっと放っとけないんだろう)
カイスは一人でそう結論付け、マコトの後を追った。
小柄なマコトにすぐに追いついたカイスは、早速柱に結んでいた馬の手綱を解いた。
(……馬、乗れる訳ねぇよな……)
『イール・ダール』がいた世界は、とても便利だったと母からよく聞いた。ここでは 普通だが馬など乗れる人間はごく僅からしい。ではどうやって移動するのか、と聞くと、 母は難しそうな顔をして、『何て言ったらいいのかしら……』と首を傾げるだけで、 明確な答えは貰えなかった。
「後ろと、前どっちがいい?」
道すがら話すのもいいかもしれないと、何となく前がいいな、と思っていたら、すぐに『後ろでお願いします』という答えが返って来た。
少し残念に思いつつも、勢いを付けてカイスは馬に乗り込む。
暫く待って、後ろに乗ってくる気配が無い事に首を傾けかけ、はっとした。
『っも~! か弱い女の子が一人で乗れる訳無いでしょ! 手ぇ貸しなさいよっ 気が利かないわねぇ!』
つい最近も怒鳴られたニムの言葉を思い出したのだ。
(しまった……)
ぐるりと首を回し背後を見る。そこには馬の背に両手をついて、必死の形相で飛び跳ねているマコトの姿があった。
「……」
その場で大きくジャンプし、そのまま上がり込もうとするが、――絶対的に、身長が足りな い。
カイスと目が合うと、慌てた様に口を開いた。
「すみません! ちょっと待って下さい! 今乗りますから!」
置いていかれるとでも思ったのだろうか。
あくまでカイスの手を借りるつもりは無いらしく、一生懸命に馬の横をぴょんぴょん跳ねる姿はなかなか笑いを誘うが、このままでは日が暮れそうだ。
(つーか、なんか可愛いな。砂ネズミみてぇ)
本人が聞いたら、気を悪くしそうな事を心の中で呟き、カイスは込み上げて来る 笑いを堪えて、タイミングよくマコトの片手を取ると、軽々と自分の後ろに上らせた。
「す、すみません、……わっ高い」
怖かったのだろうか、目の前にあるカイスの背中にしがみ付いてくる。微かな重さが背中越しに伝わる。分厚いマントが風に靡いて、ばさばさと大きな音を立てて前にいるカイスの身体にも纏わりついた。それを見下ろして、マントも購入、とカイスは頭の中にメモした。




