第七十六話 鈴と楽園
すっかり昇りきった太陽の日差しに目を眇めながら、マコトは白い廊下を足 早に進んでいた。アクラムが帰れば、特にする事は無く身支度も済んでいるし、今から追いかければサラに追い付くのでは無いかと思ったのだ。
部屋を出た時に周囲を探したが生憎ナスルの姿は無く、他の護衛の姿も見えなかった。身分が高いであろうアクラムを部屋まで送っていったのかもしれないと 思ったマコトは、迷いつつもそのままハスィーブに向かう事にしたのだ。
ハスィーブまでは離宮を出て二、三度角を曲がるだけだったので、道は覚えているし、それに今日は時間がずれているせいかすれ違うのは女官ばかりだった。 初日のサハルとシリスの会話を思い返せば、申し送りを兼ねた朝礼をしている時 間かもしれない。何はともあれ人目が無い事にマコトはほっと胸を撫で下ろし、サハルが迷惑で無ければ、明日も少し早目に部屋を出ようと思った。
離宮を出て、渡り廊下に差し掛かった辺りで、ふと庭に目を止める。来賓用の離れは豪奢な作りで至る所に緑が植えられ、砂漠の黄色に目が慣れていたせいか その鮮やかさが眩しいと感じる。
(ここ突っ切れば……もしかして早いのかな?)
大きく開いた渡り廊下は、その横から下に降りられる様に平な石が 階段状に置かれている。生い茂った緑のせいで その向こうを見る事は出来ないが、斜めに突っ切 れば大分時間は短縮されるのでは無いだろうか。
マコトは一旦立ち止まり頭の中で位置を確認してから頷くと、少し戻って階段を降りた。そして砂避けに設置された石畳の上を滑らないように注意しながら歩く。
まだ朝早い時間のせいか薄いサンダルでも足の裏が熱くなる事も無く、マコトは緑を掻き分け奥へと進んでいった。
(あれ……意外に遠い……?)
生い茂る木のおかげで日差しは遮られ涼しいのだが、いつまで歩いても見える であろう廊下の日除けの屋根が見えない。真っ直ぐ歩いていたつもりだが、自然と人が踏みならした地面を選んでしまったのだろうか。
さすがに不安になって引き返した方が良いかと、大きく繁った葉を手で避けたその時、 すぅっと冷たい冷気が肌を刺した。
砂漠では有り得ないその冷たさに違和感を感じマコトは足を止め、顔を上げた。
「……え……?」
戸惑いが口をつく。
見上げた視界いっぱいに、別世界が広がっていた。
劇場の様に丸く切り取られたその中には色とりどりの花が咲き誇っていた。大きな蕾は今が見頃とばかりに花弁を広げ、黄色い花粉を見せている。 大小様々な花が所狭しと植えられそれはマコトがつい先程部屋で見た光景とよく似ていた。――しかし、何かが決定的に違う。
思わず逃げる様に後ずさったせいで、剥き出しの肘がすぐ隣に咲いていた花に当たった。
「きゃ……っ」
その冷たさにぎょっとする。振り返れば、おそらくマコトが 触れた部分――花弁がまるで硝子の様に砕けて砂に散らばっていた。そろりと 手を伸ばしナイフの様に尖った花弁をマコトは指先で撫でて、確信する。
(冷たい。これ、もしかしてサラさんが言ってた……)
第二王妃ラナディアの花園。
恐らく魔法で――花を凍らせてここに置いてあるのだろう。
ひやりとした冷気が肌を刺し、マコトは自分の身体を抱えるように両腕を抱える。そう言えばいつも外出の時 羽織っているショールを忘れて来た事にようやく気付いた。日に焼けると後で、サラに怒られるかもしれない、そう頭の隅で思う。
(なんか……)
昇り切った太陽の下、視界全てを覆うそれら全てが凍った花 だと思えば、体の表面だけで無く感情まで薄ら寒く感じた。焼ける様な日差しの中、風に揺れる事もない 花弁はどこまでも硬く無機質な違和感が居心地の悪さに変わる。
(とりあえず早く出なきゃ……)
駆け出そうとしたマコトのポケットから、鈴が零れ落ち 足元の石に当たってちゃりん、と軽い音がした。
花園の中心が大きく窪んでいる為、階段状に作られた段差を小さな鈴がちゃりんちゃりんと音を立てて勢いよく落ちていく。
「あ、……」
思わず追いかけたマコトから、まるで逃げるように 鈴はどんどん転がっていく。 視界から消えたと同時にぷつりと音が止んだ。
顔を上げたマコトの視線の先にいたのは、小柄で髪の長い女性だった。
「……っすみません」
咄嗟に出たのは謝罪だった。
自分が感じたのは別として、これほど手間を掛けて作り出した庭 ――そう箱庭に入るにはサラが言っていた通り許可がいるだろう。
人影がだんだんと近づき、マコトはそろりと顔を上げて、 その人物を見た。
小柄な体格にゆったりとしたくるぶしまであるドレス。
長い裾が砂漠の青い空を泳ぐヒレのように風に靡いていた。
女性は、少女の様な幼い顔立ちながらも理想的な形で 目鼻立ちを形成しており、またその身体は綺麗な曲線を描き美しかった。
顔を上げたマコトと目が合うと、にっこりと微笑む。
その女性に何か懐かしいものを感じ、マコトはその答えを知ろうと 頭を巡らせる。
「……あ」
答えに辿りつき、思わず息が止まった。
(お母さん、だ……)
こんなに若くもなく、また美人では無かったが、姿 形とその雰囲気がマコトの亡くなった母親に似ていた。真っ直ぐに腰まで伸びた癖の無い髪もよく似ている。
(でも黒髪って事は王族……?)
黒い髪は太陽の光に反射し、艶々と光っている。
女は袂を押さえ、足元に転がった鈴を掬い上げた。猫を象った鈴が珍しかったのか、手の中に落とし細い指で転がすとじっと見つめる。
そのままふわりと体重を感じさせない軽やかな歩みで一歩一歩マコトへと近づいて来る。その間マコトは女の一挙一動をじっと見つめていた。
目の前で立ち止まると、砂の混じったつむじ風が吹き、咲き誇った花――よりきつい何かの匂いが鼻につく。彼女の清楚な外見とは似合わない匂いに、マコトは、一瞬眉を寄せた。
(薬、みたいな……)
女の唇が微かに上がり吐息が零れた。
「はい、これ」
外見に相応しい、まさに鈴を転がした様な愛らしい声だった。
「……ありがとう、ございます。あの、申し訳ありません。勝手に入ってしまって」
ちゃりん、とマコトの手の中に鈴が戻る。鈴もつがいのようなサーディンの人形も割れておらず胸を撫で下ろす。 二つの微かな重さを確かめるようにマコトは自然とそれを握り締めていた。
そんなマコトを見て、女性はふわりと微笑む。
「大事にしてるのね?」
握り込まれた鈴を見つめて女は小首を傾げた。赤い唇が少し尖る。何かを尋ねる時にする彼女の癖かもしれない。
「母の、形見なんです」
内緒にする必要も無いだろう。頷いてから名乗った方が良いのだろうかと思案する。彼女はおそらく第二王妃だろう。以前サハルから聞いた特徴にぴったり当てはまる。王に対する礼儀を尋ねた時に誰にも膝を居る必要は無いと聞いていたが……どうしようか迷いながら、マコトは再び口を開こうとしたその時。
遠くから誰かがマコトを呼ぶ声がした。
「あ……」
「あなた『イール・ダール』よね?」
女は淡々と問い掛ける。その瞳は深い藍色で、角度によってはマコトと同じ黒にも、まだ沈み切らぬ夜の色にも見える。
マコトは少し迷いつつも素直に頷いたが、次第に遠ざかっていく声が、気になった。
あれはナスルではないだろうか。もし探してくれているなら、早く返事をした方が良い。無駄な心配を掛ける事になるだろう。
ここからまだ見えるだろうかと、マコトは振り返り爪先立ちで元来た道を見渡すが、ナスルの姿はここからは見つける事が出来なかった。
しかし、どちらにせよきちんと名乗りを上げて、謝った方が良いだろう。
「あの、私は……」
そう思ったマコトが振り返ると、既にそこに女の姿は無かった。
* * *
(え……)
マコトは驚き周囲を見渡した。
色とりどりに溢れる花のせいで、視界は悪く、あの一瞬で身を隠す事も可能で はあるが、何故彼女にそんな必要があるのか分からない。
「夢じゃない、よね……」
自分に言い聞かせるようにぽつりと呟く。
――でも、似ていた。
異なる世界で亡くした母の面影を見るなんて。
この幻想的な庭の雰囲気が、白昼夢だと言われれば納得してしまう程に、先程 の出来事を酷く曖昧なものにしていた。
(あの人……ううん、ラナディア様)
この花園の主人。思い返してみれば サハルに説明された容姿そのままであるし、間違いないであろう。
とりあえずきちんと謝罪しなければ、とマコトは彼女を追いかけるように花園 の奥に足を踏み入れかけたが、引き止めたのは、だんだん大きくなるナスルの呼び声 だった。どうやらまた引き返してくれたらしい。マコトは何度も後ろを振り返りなが らも、声のする方向に足を向けた。
(後でサラさんに相談してみよう……)
そう思いながら生い茂る木々を抜けて声のした方向に顔を出した。途端、勢い よく振り向いたのは、固い表情をしたナスルで、マコトを見るなりその眉を吊り 上げると、素早く駆け寄ってきた。マコトも合わせる様に駆け出したが三歩も行 かない内にナスルが目の前に来ていた。
近すぎる距離のせいでマコトからは顔が見えない。しかしナスルの胸が大きく 息を吸うように、すぅっと凹んだ。
怒鳴られる――そう思ったマコトは咄嗟に俯いて、それを待った。
が。
予想していた怒声の代わりに呆れたような安堵したような、酷く長い溜め息が 頭上から落ちてきた。 いつまで待っても怒声は落ちてこない。恐る恐る顔を上げ れば、ナスルは苦虫を噛み潰した顔をして、マコトを見下ろしていた。
「……離宮から出ていく時は、仰って頂けないと困ります」
怒りを押し殺した様な低く掠れた声に、マコトは、事の大きさに気付いた。
思えば部屋を出てから、迷ったせいもあって結構な時間が経過している。空っぽの部屋を見て探しに来てくれたのかもしれない。せめて出ていく時に控え室にいる女官に一声掛ければ良かったのに、思い付きもしなかった。
「あ……」
ナスルは自分の護衛が仕事である。自分が一人で行動し、――例えば怪我を追 ったり拐かされたりすれば彼の責任になるのだ。
以前見たスェの一方的な暴力が、脳裏に蘇り背中を寒くさせた。……まさか、 また。自分の行動は浅慮としか言いようが無く。
「……ご、めんなさい」
タイスィールのお陰で少しは話せるようになったのに、今度こそナスルは口もきいてくれなくなるかもしれない――彼の真面目な性格を利用し取り付けた約束だったのだ。騙し討ちとも言える約束に彼は二度と引っ掛からないだろう。
深く頭を下げたまま動かないマコトに、ナスルは眉を顰め何かを堪える様にぐっと拳を握り締めた。刺すような強い日差しの中、ナスルの顔に濃い影が落ちる。
ややあってから。
「……ハスィーブに向かうつもりだったのでしょう。ご案内致します」
抑えるような低い声でナスルはそう言った。ちょうど廊下を渡っていた女官を呼び止め、何か一言二言呟いた後、マコトを促し歩き始めた。
黙ったままマコトがナスルの後に続きハスィーブに入ると、いつも最初に気付いて出迎えるサハルの姿が無かった。
探す様に周囲に視線を巡らせたマコ トに、ちょうど台所から出て来たシリスが呑気に声を掛けた。
「『イール・ダール』! 今日は遅かったスね」
自分用のカップを手に持ったまま、シリスはそのままマコトの側まで歩み寄る。
「あ……おはようございます」
「なンか長も珍しくどっかいっちゃうし、二人でどこかシケこんでじゃないかっ て……すみません超余計なお世話でしたッ! ナスル様、そんな人二、三人殺してきたみたいな目で睨まないで下さいッ」
シリスの軽口にマコトは顔を上げる。
(どっか行っちゃった……って)
マコトは伺う様に後ろに立つナスルを見上げる。
「あの、もしかしてサハルさんも私を探しに行ってくれたんですか?」
「既に見つかったと連絡済みです。もう暫くすれば戻って――」
言葉が終わるよりも先に、出入り口からサハルが顔を出した。その額には汗が 浮いていてこの暑い中駆け回ってくれたのだろう事をマコトに知らしめた。
「サハルさん……」
出入り口近くで立っているマコトを見付けると、ほっとしたように体の力を抜いたのがマコトにも分かった。そしてすぐに表情を和らげ、いつもと同じ穏やかな微笑みを浮かべる。
「おはようございます。……無事で良かった」
どうして――。
彼は自分を責めないのだろう。サハルの多忙振りは想像していた以上で、この三日で心配になるくらい働き通しだった。そんな忙しい人を振り回してしまった のだ。それなのに、彼は責めるどころか労る言葉を掛けてくれた。
申し訳なささが募る。
ああ、どうして自分はこの優しい人に迷惑しか掛けられないのか。
「……サハルさん。心配お掛けしてすみませんでした」
気遣わし気な視線をまっすぐ受け止められず、マコトは俯いたまま再び頭を下 げた。
そう言えばサラがいない。とっくに着いているはずだが、折り返してマコトの 部屋に戻ったのだろう。そこでもしかすると騒ぎになったのかもしれない。自分 より幼いサラの不安気な顔を思い出し、胸が痛む。無事だと伝えに行った方が良 いだろうか。そう思った所で、マコトの心を読んだようにサハルが口を開いた 。
「サラはカイスに見つかったと報告に行って貰っています。彼女も心配していましたよ」
ほっとしたのも一瞬で、思っても見なかったカイスの名前まで出てきた事にマ コトは驚く。頭領代理であるカイスにも連絡が行くなんて想像もしなかった。
「……はい。後で、きちんと謝ります」
マコトは小さくなったまま頷く。
まさかこれほど大事になるとは思わなかった。しかし多分今回マコトに何かあ ればナスルだけでなく、目の前にいるサハルにも何らかのお咎めがあっただろう 。せっかくの好意で仕事を用意して貰ったのに本当に自分の迂闊さを呪う。少し 考えれば分かったのに、穏やかな生活と周囲の優しさに最低限の気遣いすら自分は忘れていた。
「マコトさん、少し奥に行きましょうか」
立ったままも何ですから、と、サハルは汗で張り付いた髪をかきあげ、来客用である奥の小部屋を手で指し示した。
……もしかするとこのハスィーブの仕事も来なくていいと言われるかもしれない。この世界に来て初めて役に立っているかもしれない、と思えたのがこの手伝いだったのに。
俯き唇を噛み締めたマコトの後ろで何故か嬉しそうに「反省室行きっスか。何やらかしたんスか」と、ナスルにまとわりつくシリスに、少しほっとした。どうやら他の文官達には、迷子になっていた事は知られていないらしい。三日間でそ れなりに会話するようになった老人達は皆、『イール・ダール』と言う肩書きを 持つマコトにへりくだる事も無く普通に接してくれた。孫の様に可愛がってくれる彼等に心配を掛けず良かったと、そう思う。
「シリス」
サハルがそちらに顔を向けると、ひっと顔を引き攣らせたシリスは「すみませ んでしたもう見ません聞きません話しません!」と一息で返事をし、その場に直立した。
小さく溜め息をついたサハルは、再びマコトを促す。しかしその後に続こうと したナスルに、「君は結構ですよ」と穏やかな声で押し留めた。
ややあってから、ぽつり、マコトの後ろからナスルの声が響いた。
「……反省はしてると思われますが」
その言葉にマコトは驚いた顔をして ナスルを見た。もしやナスルは、サハルからきつく叱られるのでは、と心配してくれていれているのか。
サハルも同様に少し驚いた様に目を瞬いたが、すぐににっこりと微笑んだ。
「分かってますよ」
心得た様に頷き立ち止まったマコトを再び促した。
小部屋に入ったマコトはサハルに勧められ、ソファに座る。何度か掃除の為に入 った場所なのでそう珍しくも無い。座り心地の良い低めのソファと机が置かれて いるだけで、最初に過ごしたゲルの部屋によく似ていた。
さて、と言葉を途切らせたサハルは机の下に手を突っ込み、中にある棚から木箱を取り出した。そして机を挟んだ向かい側で無くマコトの隣に腰掛ける。不意打ちの近さにマコトは少し緊張した様に身体を強張らせたが、サハルは苦笑しただけで何も言わなかった。
手にしていた木箱を机の上に置き、かちり、と金具の音をさせ、サハルは次々と小瓶を取り出した。アクラムのゲルによく似た匂いだ……そう思ってそれが薬の類いだと分かった。
「怪我の手当をします」
「怪我?」
思っても見なかった言葉にサハルの視線を追い、マコトは自分の腕に行き着く。
「あ……」
夢中で気付かなかったが、よく見れば剥き出しだった腕や足が擦り傷だらけで ある。
ピンセットらしきものでガーゼを摘み、丁寧に薬をつけながら、サハルはゆっくり と口を開いた。
「反省してらっしゃると思いますので、敢えて言う事もありませんね?」
サハルの落ち着いた声に、マコトはぐっと唇を噛み締め、そしてややあってから唇を開いた。
「……すみませんでした」
マコトの髪がさらりと流れて表情を隠す。サハルは一度手を止め、マコトの頭に手を置いた。
「あまり落ち込み過ぎないように」
ぽん、ぽんと軽く撫でられ、サハルは労わる様な優しい声で囁く。
(……っ)
ふいに目頭が熱くなって、必死に堪える。……反則だ。怒られなければならない場面で、優しい言葉を掛けないで欲しい。
「仕事に影響するようでしたら、すぐにクビにしますよ?」
マコトの気持ちを知ってか知らずか、サハルらしくない軽い口調で続けられた言葉に、マコトは今度こそ本当に泣きたくなった。影響するようならクビにする。つまりは、まだハスィーブの手伝いを続けてもいいと言う事だ。
「有難うございます……」
マコトの言葉にサハルは苦笑し、頭に置いていた手を、膝に揃えていたマコトの手に滑らせた。掬い上げる様に手を握り真っ直ぐ伸ばす。
「失礼します」
腕を取られてようやくマコトは我に返った。
「あ、じ、自分で出来ます……っ」
何も忙しいサハルに手当をさせる必要も無い。照れくささと申し訳なさで上擦ったマコトの声にサハルは微笑んだ。滑るように手の平が動き剥き出しの肩に向かう。
「手が届きませんよ」
そのまま近付いてきたサハルにすっぽりと身体が包まれる。肩甲骨の辺りをそっと撫でられ、ぴくっとマコトの身体が大きく跳ねた。耳元でくすくすと笑われ てマコトの頬に朱が走る。そしてそれをサハルは見逃してはくれなかった。
「おや、耳が赤いですね」
耳元でそっと囁かれて、ますますマコトの顔が熱くなる。しかし身体を強張らせるよりも前に、サハルはすっと身体を引いた。
――間違いなくからかわれている。
その絶妙なタイミングに、マコトは確信する。また同じだ。一人で焦って真っ赤になって。もしやこれは心配をかけた仕返しなのだろうか。
「……分かっててやってますよね……」
からかわないで下さい、とじとりと睨んでサハルを見れば、彼は、小さく噴出して「はい」と頷いた。その焦げ茶色の 目は柔らかく細まって嬉しそうにマコトを見ている。
……なぜか、最近サハルの言動がタイスィールに似てきた気がする。マコトにとっては有難くない現象である。
ふいに部屋に沈黙が落ち、それを破ったのはサハルだった。
「意識して貰ってるのが嬉しいのです」
それは間違いなく初日の一件も指していた。お互い触れる事も無かったし、三日が過ぎていたので、もうこの話題は出ないだろうとほっとしていたのに。
サハルの口から初めて出た話題に、マコトはどう返事をすべきか分からず、ただサハルの顔を見つめて口をパクパクさせていた。
(なんで今になって、)
ますます顔を赤くしたマコトに、サハルは蕩けそうな程、甘い表情で微笑んだ。――衝撃だった。胸が痛くなる程。甘やかす様な全てを絡め取る様なこんな視線を向け られた自分は一体どうすればいいのか。
「……そ、んな顔で笑わないで下さい……」
心臓が壊れる。
空いた手で自然と胸を押さえる。身体中の血が逆流したかと思う程、顔が熱か った。
取られた手をふいに強く握られた気がして、マコトは顔を上げた。目が合うと サハルは口を閉じ、「失礼」と一言呟く。その声すら酷く甘い。
差し出した腕に白い綿が滑る。傷薬を塗られても痛みは感じ無かった。そして 。
「……あまり無防備にならないで下さいね」
身体が離される刹那、サハルはマコトの耳元に囁き、自分の上着を脱いで 華奢な肩に被せた。
サハルの匂いがする。
ふいに触れた手は花園で冷えた肩に温かかった。




