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第七十四話 意地悪(スェ視点)

 中庭に小さな姿を見つけたスェは、後ろに立つスィナーンに視線を送った。

 それだけで察したらしいスィナーンは、ゆっくりと空を仰ぐ様に 同じ方向を見て、どうぞ、と肩を竦ませた。


「ハスィーブは、特に立ち入りを禁止されている区域ではありません。……あまり行きたい場所ではありませんがね」


 苦笑いをしたスィナーンに、スェは一瞬きょとんとした顔をしてから吹き出した。


「何だよ。相変わらず予算キツイのか」

「練習用の剣は錆だらけですよ」


 懐かしむように目を眇めた後、スェはわざとらしい程軽い口調で声を掛けた。振り向いたマコトは、摘んだ焼き菓子もそのままに、自分の姿を認めて目を丸くする。


(ンまそーに菓子なんか食って)


 平和だなぁ、と年寄りじみた一言を呟きながら、その幼い仕草にスェは頬を緩ませた。


「視線が犯罪者です」と真横から余計な一言を呟いたラジを肘鉄で黙らせてマコトの元へゆっくりと歩み寄る。

 マコトの隣に座っているサハルは、まずスェの後ろにいるスィナーンに視線を向けた。スィナーンはその探るような 視線を真っ直ぐに受け止め一言だけ返す。


「古い友人でな」


 どうやら面識はあるらしい二人に、スェはほっとして胸を撫で下ろす。思えば親衛隊隊長とハスィーブの長なら定例会議で顔を合わせる事もあるだろう。


 自分の時もよく顔を合わせたハスィーブの、もうとっくに引退したであろう厳しい老人の顔を思い出して一人納得する。しかし、そうですか、と一見 穏やかに頷いたサハルが警戒を緩めていない事は一目瞭然だった。


 お茶を置き自然な仕草で立ち上がるとスェの前……即ちマコトとスェとの間に入り、丁寧に頭を下げた。


「スェ殿。お久しぶりです。取引も滞りなく進んでいて何よりです。意外な所でお会いしますね」


 言葉程その目は友好的では無く、言外に「なんでこんな所にいるんだ」と言う含みを感じ、スェはうんざりした様に溜め息をつく。


 西の一族の取引相手――スェの位置付けはそれ以上でもそれ以下でも無い。頭領からの命令でもあり、サハルもカイスも一貫してスェを同族として扱わない。 それは自分の正体を他の一族に隠す為には必要不可欠な事だった。今、露見すればお互いにとって不利益にしかならない事は分かっているから、スェ本人もその扱いに不満は無い、が、ここまで敵意剥き出しなのはいささか面白くない。


「わざわざ髪まで染めてここまで?」

「あ? あ~……アレだ。イ……イメチェンつったか?」


 スェはサハルからマコトに視線を向けてそう尋ねる。カイスが、は? と眉を顰める一方で、マコトはその微妙なアクセントの違いに吹き出した。


「お、合ってたか」


 カナの置き土産である向こうの言葉。自然に出てきた それにスェも思わず苦笑し、マコトも笑みの残った顔で頷いた。


 ……懐かしい。

 スェの胸の奥を少女の柔らかく優しい声がそっと撫でていく。

 感傷に引きずられそうになる意識を我に返らせたのは、 西の次期頭領――カイスの不機嫌な声だった。


「で! 何の用だよ」


 行儀悪くテーブルに肘を置き、睨むように下から見上げる、と。


「これ、良かったらどうぞ」


 その鼻先すれすれに、それまで黙っていたラジが抱えていた籠を どん、と置いた。あぶね……っと、椅子ごと仰け反ったカイスを無視し、マコトと目が合うと、どうも、と表情も変えず挨拶する。


「南の『イール・ダール』が伝えたと言われるお菓子 です。あまり日持ちはしませんが、お口に合うかと思って」


『イール・ダール』が伝えた、の辺りでマコトの顔が分かりやすく輝いた。 よし、と心の中だけで拳を握り締めたのは、サハルの眉が一瞬微かに顰められたからに他ならない。 分かりやすい次期頭領はともかく、商談の際必ず同席しては 詰めの甘い場所を突いてくるサハルは何だか可愛く無いからだ。


「ベビーカステラ……」


 布を取り中を覗き込んだマコトは、驚いたように 目を見開きぽつりと呟いた。そしてマコトが手にするよりも早く両脇からぬっと手が伸び高く 積まれたその一つを手に取った。


「少し待って下さいね」


 カイスとサハルはそれぞれ手に取り、注意深く端を少し齧る。

 ゆっくりと咀嚼してからお互い顔を合わせ頷き、それからようやく 全てを口に放り込んだ。


 その様子に毒味を兼ねているのだと、マコトは気付いたらしい。

 再びラジに促され、マコトは伺う様にサハルを見た。


「召し上がって下さい」


 頷いたサハルにマコトは「いただきます」とラジとスェに頭を 下げてそっと手を伸ばす。白い手の中に収まったそれは 鈴の様にころん、と転がり少女の小さな手の上で踊った。


 ある意味失礼極まりない二人の行動を気にすることなく 、相変わらず表情も変えないラジに促され、 マコトは手の中のそれをそっと口に入れた。小さな口に一口では大き過ぎたのか、 口を押さえて暫くもごもごと動かし、ごくりと飲み込んだ。


「……おいしー……」


 スェも食べた事があるが、砂漠の民が食べるには少々甘味が足りない。 しかしその控え目な甘さは彼女の口には合ったらしく、 そう呟いたマコトは、ほにゃっと表情を崩した。


「……可愛いなー嬢ちゃん」


 砂ネズミみたいで、と実はかつてのカイスと思じ感想を述べれば、 二つの殺気が飛んで来た。

 当の本人はと言えば全く気にしていない様子で、美味しいです、と丁寧に頭を下げて来た。……自分が、これっぽちも意識されない事も微妙に傷ついたが、 過保護すぎる保護者の方が鼻に掛かる。


 マコトの表情を見て、小さく溜め息をついたサハルは、自分の隣の椅子を引いた。


「良かったらどうぞ?」


 ホントは良くないだろ、と突っ込むのは些か大人気ないだろう。


「それにしても本当に何の用でいらっしゃったんです? 今は大事な時期で忙しいでしょうに」

「あー息抜きに昔の友人に会いに来たんだよ」


 表面上は穏やかに、しかし問い詰める気満々のサ ハルにあくまで久しぶりの祭見学だと煙に巻いていると、時々伺う様な視線を向けてくるマコトに気が付く。サハルとの 会話を一方的に切り上げ、スェはマコトに顔を向けた。


「俺の顔に何かついてるか?」


 突然話し掛けられ、マコトは驚いた様に顔を上げる。


「えと……その、別に大した用事でも無いんですけど」


 しかし誤魔化す様に曖昧に笑うと、ちらりと両隣に視線を流した。


「えっと……」


 何か伝えたい事があるのは確かだが、ここでは言いにくいのか言えないのか。

 しかし、その恥じらうような行動はまるで……そう、告白前の少女そのものだった。 明らかに挙動不審になっているカイスを見て、一人ごちる。……おもしれ~、と。


(にしても、俺もまだまだ現役ってか?)


「……愛の告白なら大歓迎だぜ?」


 そう揶揄しながらも違うだろうな、と思う。とりあえず若者共をやきもきさせるのは割合気持ちが良い。 一見すれば穏やかに見守ってるサハルも、マコトのこの思わせぶりな 態度は、内心気が気では無いだろう。


「ち、違います。……あの、お茶淹れて来ますね」


 赤くなって首を振ったマコトに、スェは……にしても可愛い。と、しみじみ頷きながらその背中を見送った。サハルが目配せし、中で様子を見ていたらしい青年が席を立ちマコトを追い掛けた。


 それも全て視界に納めながら、自然に緩む頬を引き締めて 椅子に深くもたれ掛かると、案の定ラジが自分の胸を押さえて口を開いた。


「今、きゅん、としませんでしたか」

「うわっキモ! イイ年したおっさんがきゅんとか言うな」


 ラジに突っ込む前に西の次期頭領が両腕を擦りつつ嫌そうに顔を歪めた。

 心外とばかりに肩を竦めラジは身体毎カイスに向き合う。その表情 は長年の付き合いの自分には分かる嬉しそうな顔だ。どうやら矛先は、自分以上に反応が面白そうなカイスに向かったらしい。


「でも、ま、可愛いよな」

「年を考えた方がいいですよ」


 ぽつりと呟けば、すぐ横でお茶を啜っていたサハルが、カップ越しに冷たく言い放つ。


 マコトがいないせいか、彼には珍しくストレートにキツイ。……覚えてやがれ。


「そうだ! マコトはまだ十四なんだぞ。サーディンと同じ嗜好だと思われたくないなら妙なちょっかい掛けるな」


 ラジを相手していた勢いのままカイスは二人の会話に参加したが、 それを聞いたスェは、大きく目を瞬いた。


「十四? 嘘だろ」

「いえ?」


「……ああ成る程、そういう事か。分かった分かった」


 訳知り顔で頷いたスェに、サハル、カイスの目が鋭く眇められ、自分が少し失敗した事を知る。

 誤魔化す様に手をひらひらと振った後も、まだ警戒を解かない二人に、わざとらしい程、大きな溜め息をついた。


「分かったっつたぞ? ガキども」


 がたん、とカイスが立ち上がり、サハルがその腕を押さえる。 一瞬即発の空気を破ったのは、少々下品なほど大きなラジ のお茶を啜る音だった。


「……お前は」


 スェはそのまま机に突っ伏す。

 しかもそれ誰の茶だよ。

 こめかみを押さえ、はーっと長い溜息をついた。


 もうこの男は一体何を考えているのか、出会って十年経つというのに 未だに掴み切れない。


「でも、ま。嬢ちゃんの顔も見たし。茶飲んだら帰るから」


 脱力した空気の中で、スェはそれぞれ二人を見渡し大袈裟に溜息をついた。が。


「……何を知ってんのか知らねぇけどよ。オッサンに資格は無いからな!」

「カイス。今更でしょう。ここまで年齢が離れてるんです。スェ殿だってもうすぐ四十に手が届くご老体です。そんな夢の様な図々しい事は考えておられませんよ」


 今にも飛び掛って来そうなカイスよりも、穏やかに微笑むサハルの方が 明らかに酷い。そうそう最近体力が落ちて……って。


「馬鹿野郎。男は四十からだ。……お前らその暴言、後で後悔しても知らんぞ」


 ――恐らく、これ位の意地悪なら許容範囲だろう。

 にやっと笑ったスェにカイスは「はぁ?」と鼻で笑い、サハルは何か考える様に黙り込んだ。




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