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第七十話 王城


 それから程なくして屋敷から出たマコトは、西の一族に見送られ村を後にした。留守番役は長老が務め、頭領とカイスは既に夜が明ける前に出発したらしい。

 相乗りして貰ったサハルとは、久し振りだったせいか会話は弾み、また両隣に馬を並べたニムとサラが話し掛けてくれるので、四時間弱と言う道程は、それほど長いとも感じなかった。


 二度目の休憩を取り、一時間程経った所で、微かに見える白い壁らしきものに気付き、マコトは首を回しサハルを見た。


「はい。あれが王都です」


 マコトの視線を追い、サハルは頷いて肯定する。そして手綱を引き馬の歩みを止めると、続く一団に止まる様に指示を送った。


 そして「慣習ですから」と、いつのまにか後ろで組み立てられていた輿にマコトを乗せた。

 麻布で囲まれた輿の中にはクッションが並べられ居心地は悪くない。少ししてからそっと人差し指で隙間を作り覗き込む。


 黄色い砂に埋もれる様に点在する緑。

 王都シェラザラ-ルは、白い城壁に守られた緑豊かな街だった。


 一年に一度の祭り故に、続々と人々が入都する中で、マコトが入ったのは、また別の関所だった。 サハルの説明によると王族や一部の特級階級の人間が使う門らしく、『イール・ダール』も通る事が出来るらしい。 しかし布で仕切られた輿からは、喧騒しか聞こえず、またその気配の多さにその布を捲る気にもなれず結局街の様子を伺う事は出来なかった。


 輿を下ろされ案内された城内は、西の一族が宴を開いてくれた場所によく似ていた。下ろされた石畳の階段の広さに圧倒され、立ちすくんだマコトの肩にサハルの手が乗った。


「確かに大きな建物ですが、毎日見れば馴れますよ」


 私の様にね、とわざとだろう軽い口調で励まされ、マコトはサハルを見上げ、こっくりと頷く。


(でも、本当にまっしろ……)


 それにしてもどこもかしこも真っ白である。集落の集会場も『イール・ダール』の住まいも、この色だった事を考えれば、この地に住む人々にとって、『白』と言うのはきっと特別な色なのだろう。


 ……そう言えば目の前の彼も、有事の時の正装は純白だった。穏やかな彼によく似合っていた祭りの衣装を思い出す。


「何か……?」


 無意識にじっと見つめてしまっていたらしい。サハルに少し困った様に微笑まれて、マコトは慌てて首を振った。




* * *




 マコトに与えられたのは、離宮の一階だった。今大陸にいる全ての、と言ってもマコトを合わせて、十三人しかいない『イール・ダール』が、祭りの間滞在するらしい。しかし、部屋と部屋との間はかなり広く、その間にそれぞれ女官達の控えの間が入っているので、偶然に顔を合わせる事は難しそうだ。


 西の一族以上の豪華な、そしてただっ広い部屋で落ち着ける筈もなく、隅にある補助用らしき小さなソファに座り、ようやく一息つくと、マコトはサンダルを脱ぎそっと足を投げ出した。

乗馬で固まった太ももの筋肉を解していると、控え目なノックがし、マコトは慌ててサンダルを履き居住まいを正した。


 部屋の支度を整えた後、挨拶に回ってきますと出ていったサラに違いないが、彼女の前で足を揉んだりすると、 自分がやると言い出すのだ。確かに慣れたサラの手は気持ちがいいし楽になるのだが、年下の女の子にそんな事をさせるのは抵抗があった。


「失礼します」


 サラの後に続いてやって来たのは、「少し用事があるので」と、城の入り口で別れたサハルだった。ちなみにニムは王都にある友達の家で祭りの間過ごすらしく、城門に入る前に一団とサハルが付けた護衛一人と共に離れた。王都と言えども若い女の子の一人歩きは危険らしい。


「落ち着かれましたか?」


 肯定するように微笑みを浮かべたマコトに、サハルは良かった、と言うように目を細めると、サラに促されるままソファに座りマコトもその前へと移動した。


「残念ながら、東の『イール・ダール』――イブキさんはまだこちらには来てらっしゃらないみたいです」

「え……あ、わざわざ調べて下さったんですか」


「調べたと言う程の事ではありませんよ。ああ、けれど初日にお話した王都に住んでいる西の『イール・ダール』であるドーラ様と連絡は付きました。良ければ午後にでもお会いしたいと仰っていました」

「本当ですか!」


 名前からしても日本人では無い事は確かだが、同郷の人間と会えるのは嬉しい。


「サハルさん、本当に有り難うございます」


 もしかしなくとも、わざわざイブキの部屋の様子を見て、またドーラにも予定を聞いてくれたのだろう。

 やはり彼は優しい。

 彼の側は居心地が良すぎて依存してしまいそうだ。けれど、母を亡くした時のあの気持ちを思い出すと不安になる。


「いえ、喜んで貰えて嬉しいです」

 穏やかに微笑んだサハルに、自分はどれ程のものを返す事が出来るのか。


(もう返せる量なんてとっくに超えたような気がする……)


 その優しさに慣れるのが少し怖くて、でもやはり――嬉しかった。




* * *




 昼食を取り暫くした所で、護衛らしき若者を一人連れ、部屋を訪ねて来たのは五十代半ば程の上品な婦人だった。 


「初めまして。マコトさん……と、仰ったかしら。私はドーラよ。宜しくね」


 マコトが部屋の中に促すと、ドーラは後ろを振り返り若者にドアの外で待つように促した。素直に従い、部屋から出ていった所でドーラは、にっこりと微笑んだ。


「ごめんなさいね。主人が心配性なのよ」


 閉じた扉を指差し肩を竦める。思っていたよりも随分気さくな人らしく、その朗らかな顔にほっとしつつ、ドーラが座るのを待ってマコトも腰掛けた。



 ソファに深く座り直したドーラに、気を利かせたサラが膝掛けを広げそっと膝 に置く。


「ありがとう」


 目元の皺を深くさせたドーラに、少し緊張していたらしいサラは、少し驚い た様に間を置いた後、いいえ、と微笑む。雰囲気と髪色が似てるせいか祖母と孫の様なやり取りに自然と雰囲 気が和らいだ。


(素敵な人だなぁ……)


 イブキといい、目の前のドーラと言い出会う『イール・ダール』は魅力的な人 が多いと思う。うっかり自分を省みるには辛い所ではあるが、こうなりたい、と 目標に思える理想像がそばにいると言うのは、いい事だと思う。


「……まだ、こちらに来て日は浅いと聞いたのだけれど、もう慣れたかしら」


 その目は心からマコトを心配しており、マコトは素直に頷く事が出来た。


「はい。皆さんよくして下さってますから、……大丈夫です」


 マコトの答えにドーラは安心した様に、そう、と頷く。ドーラは意外な程、元 の世界の、例えば学校や家族の話などに触れる事は無く、その事がマコトをほっ とさせた。


 しばらく当たり障りの無い話をして、目の前に温かな紅茶が差し出された後、 ドーラは静かに自分の事を語った。 


「私がこちらに来たのは、1940年の四月だったわ。ドイツに住んでいたの 。まだあるかしらね?」


 懐かしい国名に、こくり、と頷くとドーラは、小さく微笑んで「良かった」と 溜め息を漏らした。

 1940年……確か第二次世界対戦のあたりでは無いだろうか。いくら捻って も教科書どころか、覚えた筈の単語すら朧気にしか思い出せない。


「あの、すみません。不勉強で、その頃のドイツの事ってあんまり覚えてないんです」


 ポーランドに進行したのがそのきっかけだったか――そんな曖昧な知識しか無 い。受験組ならまだしもマコトは就職組だったので、授業で習っただけの知識は とっくに新しい知識に上書きされてしまっている。


「――優しい子ね」


 マコトの言葉にドーラは、やんわりと目を細めて、微笑んだ。


「大丈夫よ。私の世界の事は大体、先の『イール・ダール』……イブキさんに聞 いてるの。彼女留学した事があるんですって。こっちが驚く位細かく答えてくれたわ」


 確かに彼女なら歴史にも精通してそうだ。ちっとも役に立たない自分が少し情 けない。


「そうですか……」


 表情を曇らせたマコトに気遣ったのか、ドーラが一口カップに口を付けた後、 穏やかな声で続けた。


「普通は覚えてなくて当たり前よ。私なんて自分の国の歴史すら自信が無いわ」


 大きく肩を竦めてそうぼやいた後、一呼吸置いてドーラは話題を変えた。


「でも、本当にマコトさんが来てくれて良かった。西の『イール・ダール』は他 の一族と比べても数が少ないから」

「そう、みたいですね」


 確か二人だったか。そういえば以前、野盗の一人がそんな事を言っていた気が する。確か若い『イール・ダール』がいないとも。


「ええ、東に三人、北に四人、南に三人、西は私を合わせて二人よ。私は五十三 歳のおばあちゃんだし、リタ様はもう七十二歳。一日中伏せってる事も多いしね 。西の一族の村にいるなら、会う機会もあると思うわ」


「そうですね。ドーラさんは王都に住んでらっしゃるって聞きましたが」

「ええ、主人が城で働いてるの」


 その言葉をきっかけに一つずつ、ここに来た経緯、二人の候補者との出逢い。今の伴侶を選 んだ決め手など――ドーラは懐かしそうに目を眇め、時々そのふっくらした頬を少女の様に赤く染めながら、語ってくれた。


「――私はとても幸せよ」


 そして、ドーラは最後にそう締めくくった。


「……歴代の『イール・ダール』は女神の祝福により幸せになる方が多いといいますわ」


 サラがマコトを伺い、控えめながら後押しするようにそう付け足す。


(……歴代の『イール・ダール』は幸せ……)


 少しの違和感にマコトは首を傾げた。

 しかしその答えが出るよりも先に、それを察したらしいドーラが静かに口を開いた。


「先の、『イール・ダール』の事は聞いているのね。あいにく私は顔を合わせる 機会も無かったけれど可愛い女性だったと聞くわ。……彼女の事は、色々言う人 もいるけれど」


 確かに騒ぎの大きさと、十年の代償、そして人々の不安を思えば、責められる のがナスルの兄……スェだけでは無く、『イール・ダール』であった本人にもそ の感情は向けられただろう。


「幸せか幸せじゃないか、なんて自分が決める事よ。……私は、一概に不幸だ ったとは思えないわ」


 ドーラの穏やかな表情に、窓から射し込んだ光が落ち、三人はそれぞれ白い地平 線に沈みゆく太陽に視線を向けた。


 幸せの形はそれぞれ違う。

 マコト自身、母と二人で小さなアパートに住み切り詰めた生活をしていたが、 笑顔も笑い声も多く、自分が不幸だなんて思う事は無かった。そう、それも、他 人から見れば二人きりの余裕の無い生活は不幸に見えたかもしれない。


 ……母が倒れてからも『不幸』と言うよりも『不安』だった。頑張れたのは母 が大好きだったから。……ああ、分かった。大好きな人間が一人でもいる状態は きっと『不幸』では無い。少なくとも自分はそうは思わない。


 先の『イール・ダール』も、もしかしたら、そうなのかもしれない。


 何故か脳裏に、スェの顔が思い浮かんだ。優しい彼が今も先の『イール・ダー ル』を愛しているのは、端々に見せる表情から何となくだが察する事が出来る。


 ……これを彼にうまく伝える事は出来ないだろうか。しかし、十二分に傷付き 、そして乗り越えた彼には不要かもしれず、塞がった傷を再び広げる事になるか もしれない……そう思う。けれど、どこかで彼が必要以上に罪悪感を抱えている 気がして。


「あら、もうこんな時間だわ……おばさんの長い話に付き合ってくれて有り難う。またお会いしましょうね」


 時計を見上げた後、そう言って席を立ったドーラに、マコトは深く頭を下げ、 彼女を見送った。

 






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