第六十九話 使者
村に到着してから丁度十日目。
祭りの主賓となる『イール・ダール』の入都期限まで二日を切り、西の集落に いる間マコトは屋敷から殆ど外出する事は無かった。
結局のんびりできたのは最初の二日だけで、北のヨル兄弟が訪れた次の日から 、朝から晩まで『イール・ダール』に一目会いたいと、集落に住む人々が押し寄 せたからだ。
ただバルコニーに出て顔を見せ、その後に控える一族の中でも高い地位にいる 人物と面会する。その内容はと言えば、一族を選んでくれた事に対するお礼と、 大抵その脇に控えた息子を紹介――と言うのが大体の流れだった。
その度に、カイスのこめかみに青筋が浮かぶので、そういう事に疎いマコトに も、彼らの思惑は分かった。『イール・ダール』の伴侶と言う立場は、一族の中 でも相当な価値があるらしい――と再確認させられた場面でもあった。
毎日の様に繰り返されるその会談に、疲れを感じつつも、放り出したいと思う 程嫌気が差さなかったのは、常に気遣ってくれるサラの存在、そして、そんな急 ごしらえのお見合い相手を一瞥し「役者不足」と一刀両断してくれたニムのおか げだろう。
村に残ったカイスやタイスィールは、気分転換にと、ここでは珍しい花束や、 美味しいお菓子を差し入れてくれたりと色々気遣ってくれる。また学院に戻った ハッシュからも、長い手紙とこちらの世界の事が書かれた読みやすい本を送って くれた。きっと彼等の方が、お見合いの様な面会に挑むマコトの現状を憂いてく れている。そして、その事がマコトの心を軽くさせた。
しかしそんな日々の中、少し気にかかる事があった。
(……結局戻って来なかったなぁ)
祭りまでに一度は戻ります――と、約束してくれたサハルの、少し疲れた顔を 思い出しながら、ソファにもたれかかる。
真面目な彼が故意に約束を違える事は考えられず、きっと王都で溜まっていた 業務に忙殺されているのだろう。そして多分それは、八割方自分のせいに違い無 く。
(……集落にいる間、色々付き合わせちゃったもんなぁ。役に立ちたい……と、 まではいかなくても、せめて迷惑掛けないようにしなきゃ)
部屋の壁一面に積み上げられた、『イール・ダール』への贈り物を見つめ、マ コトは溜め息をつく。その中に彼――サハルからの贈り物は無く、故にそれこそ が自分に対する気遣いなのだと分かっていた。
「もうすぐ王都から使者の方が、いらっしゃるそうですわ」
再度溜め息をついた後、そう言いながら部屋に入って来たのは、身支度を整え たサラだった。長い髪は綺麗に編み込まれ高い位置で一つに纏められていて、 しっかりと化粧をしたその姿は、まだ十四歳だとは思えない程、大人っぽくまた堂々としていて頼もしい。
大人しく慎ましい、そんな最初の印象ががらりと変わったのはいつだったか。
そんな事を徒然考えながら、頷いたマコトの方も、既に支度を終えており、丁寧に梳られた前髪の上に薄い紫のケープを被り、それを飾り紐で結んでいる。
その 下はと言えばしっかりと首から足元まで覆われた衣装で、前回と違い肌の露出は少なめで、乳白色の柔らかな色をベースに青と緑の目立つ色が使われていた。その少し派手な色合いは、彼女の愛らしさを引き立て、まっすぐに下ろした前髪と 二つに分けて編み込まれた髪型が相乗し合い、普段以上に彼女を幼く見せていた。
結われた直後は、可愛いらしすぎで気恥ずかしかったが、すぐに敢えてこうしたのだろうと思い付き、納得する。あまり身体の線が出ない衣装も、きっと偽った十四歳相応の姿に見える様に、考えてくれたのだろう。
そうですか、と、頷いたマコトに、ぴたっと動きを止めたサラは、小首を傾げ腰に回していた小さな鞄から櫛を取り出した。
「髪が崩れてましたわね。少し直しますわ」
「あ、さっき椅子にもたれちゃったんですよね……すみません」
「いえ、少し緩かったんだと思います」
そのままマコトの後ろに回ったサラが、飾りを抜き手早く形を整え始めたその 時、来客を告げる門番の鈴が鳴った。
サラはその音に一瞬だけ手を止め、すぐにまた動かし始めた。
さほど長く無いマコトの髪を器用に編んでいく。来客の対応は門番の仕事だが、最終的にマコトの元 まで案内するのは、サラの仕事である。いつもなら玄関に向かっているはずの彼 女を鏡越しに見つめれば、すぐに気付いたサラはにっこりと微笑み首を振った 。
「大丈夫です。忙しいでしょうから、お迎えは良いって言われてますの」
「そうなんですか?」
随分と謙虚な使者である。王からの遣いなら、使者自身もそれ相応の身分では無いのだろうか。
「まぁ、使者と言いましても……」
サラの言葉を遮る様に部屋にノックが鳴った。
「来ましたわね」
言葉の途中で引き上げ、扉に向かったサラに首を傾げる。髪はあの短い時間に きちんと結われ胸元で揺れていた。
そして開け放たれた扉の向こう側――顔を見せたのは、先程頭の中で微笑んで いた相手だった。
「サハルさん!」
驚いたマコトが立ち上がり、サハルに歩み寄る。約十日振りに見る彼は、別れた時と同じく穏やかな微笑みを浮かべていた。
「お久しぶりです。色々大変だったみたいですが、体調は崩されてませんか」
開口一番に相手を気遣うサハルの優しさに、マコトは胸の中があったかくなるのを感じ、深く頷く。
「はい。あのサハルさんは?」
「ええ、大丈夫ですよ」
じっと注意深く観察しても、確かにサハルの顔色は別れた時よりも悪くない。ほっと胸を撫で下ろし、どうして彼がここにいるのかに思い当たり、サラに視線を流した後、再びサハルに戻し首を傾げた。
「もしかして、使者ってサハルさんですか?」
多分、このタイミングなら間違いないだろう。気遣い屋の彼なら先程サラが言った言葉も納得出来る。
「はい。王が見知った者の迎えの方が良いだろうと」
案の定、サハルは頷いた。
確かに初対面の相手より、人となりを知っているサハルの方が良い。毎日見知らぬ人間と顔を合わせていたマコトと しては、有り難くまだ見ぬ王の采配に感謝する。
「しかしまだ出発まで時間がありますので、私もこちらで休憩させて頂いてもいいですか?」
もちろん、と頷いたマコトにサラは「お茶を用意しますね」と、部屋から出ていった。
サハルにソファを勧め、自分も真向かいに腰掛ける。ここ数日のこちらでの生 活やサハルの仕事の事など、とりとめの無い事を話した後、サハルは、そうだ、 と思い出した様に顔を上げた。
「マコトさん。王の事はご存知ですか」
突然の問い掛けにマコトは、少し驚きつつも、考える様に間を置いて曖昧に首を振る。
(……えっと……確か黒髪で……)
まだ集落にいた頃、サラやハッシュ、それからナスルからも聞いた王の姿を思 い出し、なぞる様に呟く。
「立派な方だと聞いてます。えっと……全てを統べる存在では無く、女神の調停者、でしたよね」
確かこの世界で過ごした初めての夜に、目の前にいるサハルに聞いた事を思い 出す。首を傾げて確認する様にサハルを見れば、彼は優秀な教え子を前にした教師の様に満足そうに頷き肯定した。
「ええ。一月に一度は、会議の場で顔を合わせますが人徳者ですよ。王の始祖は 初代『イール・ダール』の最初の夫と言われているんです。血が濃いとされてま すから、王家は唯一『イール・ダール』と婚姻出来ない一族である故に、調停者 と言う立場にあります」
へぇ、と、マコトが頷いた所で、茶器を手にサラが戻って来た。サハルは一旦話を止め、喉を湿らせると再び口を開いた。
「祭りの間滞在する事になる王宮ですが、色んな方がいらっしゃいます。もう少 し説明しておきますね」
確かに、失礼の無い様に最低限の知識は身につけておくべきだろう。サラからは黒髪である事しか聞いていないし、 ナスルの話からは抽象的な王の姿しか想像出来ない。サハルの気遣いに感謝しながら、マコトは「お願いします」と頭を下げた。
「まず現王……気性も穏やかな方なのでそれほど心配せずとも 大丈夫でしょう。そして彼の妃は二人。カーラ様とラナディア様です。公式の場 にいらっしゃるのは第一王妃のカーラ様になります。王との間に十六歳と十四歳の王子が二人おられます」
一瞬、妃が二人――と聞いて、口を挟みかけたマコトだっが。ここで自分の常 識を基準にしてはいけない。元の世界でも一昔前は、一夫多妻制の国も多かった 。世襲制なのだがら、後継者は多い方が良いに決まっている。
「えっと……カーラ様と、ラナディア、様」
丁寧に名前を繰り返し、頭の中に叩き込む。先日も思ったが聞き慣れない名前は覚えにくい。 が、もし間違って呼びかけでもしたら大変な事になるに違いない。
「ラナディア様は、私もあまりお会いした事が無いのですが……王とも年齢が近く、小柄な少女の様な方ですね」
「王様ってそんなに若いんですか?」
若い、とは聞いていたが、何となく王と言えば立派な口髭を讃えた老人を想像してしまう。
「ええ、即位したのがまだ十歳でしたから。今年で三十歳になられますね」
「三十歳……」
確かに若い。十六の子供がいるのに、と思って――止まった。十六? 逆算す れば十四歳の時の子供であり、マコトの感覚で言えばまだ中学生だ。この世界に 来てから一番のカルチャーショックである。そうか子供ってそんな時分から出来 るのか、と一瞬思考が明後日な方向に流れた。
「まぁ、でもラナディア様が前面に出てくる事はありませんから、皆が揃う公の場で挨拶する順番を間 違えなければ大丈夫です」
マコトとの沈黙を緊張の為だと思ったらしいサハルが、力付ける様に言葉を重 ねる。我に返ったマコトは、分かりました、と頷いた所で、ふと思い付いた疑問 を投げた。
「あの、挨拶ってどんな風にすればいいんでしょうか?」
女神祭での挨拶の様に何か特別な作法でもあるのだろうか。そう言えば目の前 の彼にも頬に――と、連想するように口付けされた事も思い出し、慌てて打ち消 した。
(っていうか、今全然関係無いから……!)
微かに赤くなったであろう顔を見られたくなくて、さりげなく俯く。
「ああ、大丈夫です。『イール・ダール』は、形式上は王と対等の立場にありま すから、膝をつく必要もありません。そのままお話して下されば」
「分かりました」
どうやら自分の挙動不振ぶりを緊張の為だと思ってくれたらしい。
マコトは胸を撫で下ろし、考えてみる。頷いたものの不安は隠せない。いっそ、顔を伏せたままで返事だけすればいいと言ってくれる方が楽だ。
「大丈夫ですよ」
そんなマコトを安心させる様にサハルは穏やかに微笑み、手を伸ばした。暖かい手が頭に乗せられ、撫でられる。私が側にいますから、そう付け加えられ、マ コトは面映ゆい気持ちで頷いた。
「そうそう、あと一つ。マコトさんさえ宜しければ、城に着いたら私の仕事を手伝って貰えませんか」
「……え……?」
暫くの間、驚いたように固まっていたマコトは、いいんですか、と顔を輝かせた。しかしそんなマコトとは対照的に、 後ろに控えていたサラが戸惑った様な表情でサハルを伺う。そんなサラの反応を予想していたのだろうサハルは安心させる ような穏やかな笑みを彼女に向けた。
「大丈夫ですよ。既に王にも長老にも許可を頂いてます。それにマコトさんの性格を 良く知る貴女なら、傅かれてじっとしていろ、なんて無理な話だと思うで しょう」
思い当たる事があるのだろう。サラは表情を緩め、確かに、と苦笑し頷いた。
「マコトさんの能力も、勿体無いですからね。結婚してからも差し支えが無かったら働いて貰えたら大助かりですけど、これは実際仕事をしてから話し合いましょう」
サハルの仕事を手伝った時に、ちらりとだけ聞いたがずっと気になっていた。こんな自分でも働ける場所があるなら、どんな場所でもやっていこうと 思った。それが、少しでも恩を返せたら――と常々思っているサハルと同じ場所なら、願っても無い。
「……有り難うございます。頑張ります」
しみじみとした口調で頭を下げたマコトに、サハルも後ろに控えていたサラも苦笑する。これ程働く事に固執する『イール・ダール』も珍しい。その地位あれば、例え一生遊 んで暮らしても誰も文句は言わないのに。
「――喜んで貰えて嬉しいです」
壁際の贈り物にちらりと視線を向け、サハルはまた小さく微笑んだ。




