表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/135

第八話 暖かな戸惑い


(あったかい……)


 マコトは覚醒したばかりのぼんやりとした頭でそう思い、猫のように丸まった。

 暖かいものに包み込まれている感触。

 随分と久しぶりな感覚だったけれども、それが何だったか、いつの事だったのか思い出せない。


(もう少しだけ……)


 心地よい暖かさに頬を摺り寄せ、そう思った瞬間、急にその『暖かいもの』 がもぞりと動いた。


「……っ!」

 慌てて瞼を限界まで押し上げると、目の前に男のものらしき尖った顎があった。男だと分ったのは大きくせり出した喉仏とぽつぽつと 固そうな――いわゆる無精髭が同時に目に飛び込んできたからだ。


 驚き、そのまま視線を上げると、少し眠そうな しかし穏やかな茶色い瞳とかち合った。


(サ、ハルさんだっけ……!?)


「起きましたか」


 目が合うと、サハルは昨晩と同じ優しい微笑みをその顔に浮かべ、 おはようございます、と挨拶を口にした。


「えっあ……」

 一体どうなっているのか、とマコトが状況を理解できず、目を白黒させていると、それを察したらしいサハルが、ゆっくりと説 明を始めた。


「申し訳ありません。昨晩話をしたまま マコトさんが眠ってしまいまして…… 服をですね、離してくれなかった ものですから、――そのまま私も眠 ってしまいました」

 そういえばさっきから何か掴んでい る右手を見下ろし、マコトは顔色を変える。

 それは間違いなくサハルの服だった。


「ご、ごめんなさい……!」


 慌てて手を外し謝罪の言葉を口にすると、 ようやく 頭に血が巡ったのか、まざまざと昨夜 の自分の行動言動全て脳裏に蘇って来た。


(私……っよく知らない人に……!)

 思わずマコトは声にならない悲鳴を上げる。


(あ、あれ夢じゃないよね……っ!?)

 もう眠たくて眠たくて、随分と僻みっぽい 愚痴を言ってしまっ た気がする……しかもその後、 サハルの胸に縋り付き――泣いて、しまった。 あのまま眠って しまったというのだろうか。確かにそこからすっぽり 記憶が無い。なんて迷惑な。


(ちょっと、待って……)

 ……しかも、サハルは昨夜徹夜で仕事をしなければならないと言って いた筈だ。自分が服を離さなかったせいで、ここから動けなかった、という事 だろう。もしかしなくても、きっと。


「あの、お仕事……」


 恐る恐る問いを口にしたマコトにサハルは、微笑を浮かべながらゆっくりと首を振る。


「大丈夫ですよ。今日中に終わらせれば間に合いますから」


(……や、やっぱり……)


「ごめん、なさい」

「そんなに謝らないで下さい。おかげで私も久しぶりに眠れました」


 恥ずかしい、どれだけ出来た人なのだろう。……こんなに迷惑ばかり掛けても 嫌な顔一つしない。


 寝床の上でしょぼんと肩を落とし、 俯いているマコトの様子を眺めていたサハルは、 笑みを深めてゆっくりと口を開いた。

 それは、マコトの寝顔を見ながら考えていた事だ。


「マコトさん。私の事、兄だと思ってくれませんか?」

「え?」


 突然の言葉に、マコトは意味を掴みかねて、 サハルを見上げた。

 サハルはマコトの前にしゃがみ込むと、子供に聞かせるように きちんと目線を合わせて、言葉を続けた。


「同じ年頃の妹もいますし、ほら、他の候補よりは 親しみやすい外見をしてるでしょう? 兄――、 家族だと、この世界に一人位そう思える人がいて もいいと思うのです。貴女さえお嫌じゃなけ ればずっと私のゲルに泊まって下さっても構いま せんし。兄妹なら当然でしょう?」


「……お兄さん、ですか……」


 言い出された提案があまりにも突拍子の無いもので、 マコトは呆気に取られたままサハルの顔を凝視していた。


「はい。お嫌ですか?」

「っいえ! そんな事は……ッ」


 ぶんぶん首を振って否定する。

 嫌、なんてそんな訳は無い。ただ驚いただけで。

 こんな――サハルの様な優しい 兄なんて、あまりに理想的だ。


(……でも、突然、どうしたんだろう……)


 昨日、あまりよく覚えてはいないが、亡くなった 母の話もした気がする。

 兄弟もおらず一人だと――それで、気遣ってくれたのだろうか?



 どう返事をするべきか迷ったマコトが黙り込んでいると、 サハルは沈黙を肯定と受け取ったらしく、じゃあ宜しくお願いしますね、と 片手を差し出した。

 引き寄せられるように差し出した手を強く握り込まれる。その手は寝起きのせいか温かく、胸の奥まで 浸透していく様で、離し難いとすら思った。


(お兄ちゃん、か……)

 心の中で呟くと、どこかくすぐったい様な心地になる。

 同情だと分かっていたけれども、マコトはサハルの優しい申し出を断る事 など出来なかった。


「じゃあ、朝食にしましょうか。簡単な物しか出来ませんが、ゲルの中で待ってて下さいね」

「わ、私も手伝います」


 勢い込んで叫んだマコトにサハルは、一瞬じっとマコトの姿を見る。

 大きく肩が開いたサハルの服。開いた襟ぐりを少し覗き込めば、柔らかそうな 二つの膨らみが見えてしまいそうだ。


 こんな危なっかしい格好で、男達の前に 出るなんて心配で気が気じゃない。

 心配性の兄の様に……実際には同じ気持ちでサハルは首を振って断る。しゅんと肩を 落としたマコトにサハルは片目を瞑って応えた。


「兄はね、妹を甘やかすものなのです」


 サハルはそう言って立ち上がり、少し寝癖のついたマコトの頭を優しく撫でる。

 照れた様にはにかんだ笑顔を見せたマコトに、 サハルの口元が緩んだ。





* * *




(お兄ちゃん、だって……)


 先程のやりとりを思い出したマコトは、 一人残されたゲルの中で、くすくすと笑う。

 初めて使うその呼び名は、どこか照れくさくてくすぐったい。

 小さい頃から預けられていた保育園では、片親しかいないなど 似たような境遇の子供が多かったが、その中でも寄り添うように 遊ぶ兄妹の存在はとても羨ましいものだった。


(あんな感じなのかな……)


 サハルは少し、自分には甘い様に思う。

 慣れない優しさに困惑する事も多いが、それは決して嫌では無い。ただ少しくすぐったいのだ。


(いつ、戻ってくるのかな)


 寝床を簡単に綺麗にして、マコトはサハル が出て行った扉に視線を向けた。

 それから大きく伸びをして、 少し外の空気は吸いたいな、と思う。


「あ、制服……」


 そういえば昨日、着替えた時に丸めて隅に置いた ままだ。

 マコトはとりあえず簡単に外で砂を落とそうと、制服を抱え、立ち上がると扉の取っ手に手を掛けた。


「わ……」

 扉の向こうには、ただ空があった。


「青い……」

 空が青いなんて勿論当たり前の事だ。

 だが、しかしマコトが今までいた世界よりも、その 青が深くて濃い。濁りの無い空は、それだけで芸術品の様に美しく、マコトは思わず食い入るように見つめてしまった。


 暫く眺めていたマコトだったが、はっと我に返り、慌てて本来の目的を思い出す。丸めていた制服を 勢いよく広げ、ぱんぱんと何度もはたいて砂を落とした。


(あれ、そういえばコートどこ行ったんだろ。昨日の、え……っと、 ……タイスィールさんの所かな)

 家へ帰る途中だったから着ていた筈だ。最初のゲルで寝かせてくれた時に脱がせてくれたのだろうか。

 くるりと見渡すと、周囲には白いドーム状のゲルが並んでいる他には何も無い。 少し離れた所で白い煙が昇っている事に気付き、サハルはあそこにいるのだろうかと、マコトは目を凝らしてその先を見つめるが、幾つものゲルに邪魔されて姿は見えなかった。


(大人しく戻った方がいいよね……)


 一瞬探検したいという想いが胸を横切ったが、居候の身で、しかも昨晩 迷惑を掛けてしまっている。余計な行動は控えるべきだと、マコトは それを我慢して手早く制服をたたむと、ゲルに戻ろうとした。

 開けっ放しだった扉を潜ろうとしたその時、後ろから声が掛かった。


「よぅサハル! ってあれ……、うぉぅ! お前かよ……」


 突然の大声に、マコトの肩が大きく震えた。 振り向いたその先にいたのは、 銀色の髪の男だった。


(え……っと、誰、っていうか……)

 口調から察するに自分の事を知っている様だ。


「……おはようございます」

 戸惑いつつもマコトは、ぎこちない笑顔と共にそう返した。 と、言うかそれ以外に言葉が見付からなかったのである。


「あ……、お、おはよう。その、……昨夜はよく眠れたか?」


 銀の髪を持つ男――カイスは明らかにマコトを見て 戸惑っている。しかしそれでもきちんと挨拶を返して くれた事が嬉しかった。


(眠れたって言えば眠れたような……)

 この上なくぐっすりと。何なら元の世界よりも眠りは深かった様な気さえする。


(異世界初日で熟睡なんて、案外私図太いのかもしれない)

 苦笑いしながらそう思いマコトは、 はい、と頷こうとしたが。


「いや、待てっ! 眠れる訳無いよな……っ 悪い、無神経な事聞いた」


 慌てたように続けられたカイスの声に掻き消された。


「え?」

 どうやら相当、自分と会う事が想定外だったみたいだ。

 自分以上に焦っている男が妙に微笑ましくて、マコトは小さく笑みを浮かべた。

 派手な銀髪と大柄な身体に驚いてしまったが、どうやら優しい人物の様だ。


「大丈夫です、よく眠れましたよ」

 マコトがそう言うと、カイスは「そうか」と何度も頷き、それから 何かを探す様にきょろきょろと視線を動かした。


「あの、サハルさんは食事の用意をして下さっていて……、すぐ戻るって仰って ました」

 多分間違っていないだろうと、マコトはカイスにそう説明する。

 カイスはやっぱり少し迷うように再び視線を彷徨わせて、遠慮がちに マコトに聞いた。

「あー……じゃ、待たせて、貰ってもいいか?」


 勿論、と頷くと、カイスはほっとした様な顔をする。

 やはり異世界人というのは、この世界の人にとって異質なのだろうか。

 カイスの反応にそんな考えがちらりと頭に過ぎる。

 ふと、朝日にきらきらと輝くカイルの銀色の髪を見上げ、マコトはほうっと小さく溜息をついた。


(それにしてもここの世界の人って、綺麗な髪の色の人が多いな……)


 自然に見えるので、染めているのでは無く地毛なのだろうと思う。

 そんな中で、染める事もましてや手入れすらもしていない自分の黒い髪は、さぞ貧相に見えるだろう、とマコトは風に靡く自分の髪を見下ろし、少し恥しく思った。


 二人して部屋に入り、暫く沈黙が続いた後、あ、と小さく声を上げてカイスが口を開いた。


「なぁお前さ、結局幾つなんだ?」


 長老は昨日、この男の元にはいかなかったのだろうか。迎えに来たサハルは既に自分の 年齢を知っていた。


(あ、じゃあ、この人は候補者じゃないのね、きっと)


 少しほっとして、マコトは男を観察する。タイスィールやサハルとよりも幼い感じがするから、自分とさほど歳は変わらないかもしれない。


 それにしても『イール・ダール』の年齢は相当重要らしい。


「十四です」


 微かに良心が咎めたが、マコトはやはり昨日と同じ言葉を口にした。


「あ~……やっぱりか……」

 カイスはそう唸ってそれきり黙り込む。


(あれ……もしかしてこの人も、花婿候補の一人なのかな)

 呟きを拾って、マコトは顔を曇らせる。十年ぶりに訪れた 『イール・ダール』が自分みたいな貧相な少女で、しかも成人していないとくれば、 きっとがっかりしたのだろう。

 考え事をする様に胡坐をかいて唸っているカイスに、マコトはぺこりと頭を下げた。


「あの、ごめんなさい」

「あ? なんで謝るんだよ」

「その……せっかく来た『イール・ダール』がこんなので」


 頭を下げたマコトに、カイスは大きく目を見開き、ぶんぶんと首を振った。


「っなんでお前が謝るんだよっ! 期待しすぎた俺が悪いんだから、その、気にするな……っ!」


 怒鳴るようにそう言ったカイスだったが、自分の失言に気付いたらしい。

 それでは、目の前の少女が期待外れだったと言っている様なものだ。


「……うわ、っじゃなくて……っ! ……悪いっ、そんな意味じゃ無かったんだ」

「……」

(この人って……)


 一人で話し、一人で自滅している。わたわたと慌てるカイスに、 マコトは今度こそ笑いを堪える事が出来なかった。噴出すように笑い出したマコトに、カイスは一瞬怪訝そうに眉を顰めたが、邪気の 無い笑顔にすぐに表情を和らげる。


「……まぁ、いいか、笑っててくれて良かった」

「え?」


 言葉の意味を聞こうとして笑いを収めたその時、タイミングよく部屋にノックが鳴り響いた。

 マコトが返事をしてから、ゆっくりと扉が開く。中にいるカイスを見て、サハルは 驚いた様に声を上げた。


「カイス……来ていたのですね」


 カイスを見てそう呟いた彼の声は、どこか固い。


「よぉ。俺の分は?」


 ニヤリと笑って手を差し出したカイスの横を素通りし、 マコトの前の床に湯気が上がったスープとパンを 置いた。


「ありませんよ。ご自分で用意なさい」

「あの。良かったら半分個しますか?」

「お、悪いな。……っていてぇよサハル!」

「自分で、用意なさい」


 持って来た盆らしきものでカイスの頭を殴りつけ、最初の言葉を強調しサハルはマコトに 気にしないで下さい、と笑顔を向ける。

 遠慮の無いやりとりに、二人は仲がいいのだろうと、マコトは笑顔を浮かべながら推察した。

 薦められるまま目の前に差し出されたスープに木のスプーンを沈め、口に運ぶ。


(あ、おいしい……)

 そういえば昨夜から何も食べていない。

 シンプルな味付けのスープは、空っぽだった胃に優しい。パンも、どうやってこんな場所で 焼いたのだろうか、小さな白いパンは香ばしく美味しかった。


 味わうようにゆっくりと口に運ぶマコトの様子を優しく眺めつつ、 サハルは思い出した様に、カイスに声を掛けた。


「カイス、今日はお暇ですか」

「ん? 暇っちゃあ、暇だな」


 サハルは満足したように笑って、口直しにと持っていた果物をカイスに向かって投げる。それを受け取った カイスが小気味良い音を立てて齧ったのを確認してから、言葉を続けた。


「サラのオアシスで市が立つそうです。女性物の服を買ってきて頂けませんか」

「……汚ぇぞサハル。そもそも服ってなんだよ? そこの嬢ちゃんの服ならニムの服があるだろ? ……あれ、そういやそれサハルの服か」


 今更気付いたらしいサハルは、首を伸ばしてマコトを見る。

 それをさりげなく遮ったサハルは、理由は言わずにっこりと笑って、お願いします、と言い添えた。


「でもなぁ、女の好みなんか分かんねぇ」

 カイスの言葉に、サハルは少し考える様に押し黙る。


「あの、一緒に行っちゃ駄目ですか?」

 それまで黙っていたマコトは、おずおずと口を挟んだ。

 その言葉にサハルとカイスはお互いの顔を見る。


 確かに、男では買い辛い類――下着やら肌着も買ってこさせるつもりでいたのだ。 渋るカイスが行くより本人が行って、自分が気にいるものを購入した方がいいだろう。

 サハルはそう結論付け、マコトに問いかける。


「行きたいですか?」


 今日は何となく一日ここで過ごすのだろうと思い込んでいたので、 マコトは大きく頷いた。

 今までいた世界とどれだけ違うのが、自分の目で確かめたいと思ったのだ。

 もともと家にじっとしている事が極端に少なかった為、時間を潰すのが苦手である。

それに、自分がゲルにいたままでは、きっと気が散ってサハルの仕事も進まないだろう。


「分かりました。でもなるべく目立たない様にして下さいね」

「じゃあ、決まりだな」


 二人のやりとりを見ていたカイスは、最後の一口を口に放り込むと、指についた果物の汁をズボンで拭い、 勢いよく立ち上がった。

「お願いします」 

「じゃあ俺は馬に餌やっとく。それ食ったら出発な」


 カイスはそう言い残すと、足早にゲルを出て行った。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ