第六十五話 宴
賑やかな話し声と、時々沸き上がる歓声。色とりどりの布で飾られた広い部屋の一番奥で、マコトは座り心地の良さそうなクッションに凭れる事もなく、姿勢を正したまま、薄幕越しに宴の様子を観察していた。
宴が始まって既に二時間が経過しており、集落に到着した時、出迎えた観衆の多さと、沸き上がった歓声の大きさはマコトの想像以上だった。タイスィールやカイスが先導してくれたおかげで何とか無事にやりすごす事が出来たが、もし、一人だったなら――あの視線の中を一人で歩けたかどうかも怪しい。
……つくづく、自分は人前に出る事に向いていないと思う。
直前にタイスィールと話し、大分気も紛れていたと言うのに、いざ大人数を前にしたら、自然と膝が笑っていた。
(そもそも、村って感じじゃなかったもんね……)
西の一族の村――それは、思っていた以上に大きく、住居もゲルでは無く、しっかりとした建物が軒を連ねていた。
(えっと……こういうの何て言うんだっけ……お城じゃなくて、……宮殿だ)
イメージだけで言えば、古代ローマに近い感じだろうか。宴があるからと案内されたのは、その中でも一際大きく立派な建物で、大理石の壁や柱、屋根や階段に至るまで、全てが白く鏡の様に磨きこまれていて その塵一つ無い完璧さがより一層、緊張感を高めた。
目の前に並べられたご馳走は美味しそうだと思うものの、胸が一杯で喉を通りそうに無い。挨拶に来る人間も後を立たず結局十人を越した所で、名前を覚える事を諦めた。聞き慣れない名前は、思っていた以上に覚えにくかった。
「――マコト様」
後ろからそっと掛けられた声に、マコトは、自然と俯いていた顔を上げ、表情を和らげた。
「サラさん」
微かな呟きが、紅を塗った赤い唇から零れ落ちる。
「遅くなりました。お食事する時間を取って貰いましたから、暫くは誰も来ませんわ。何かお取りしましょう」
前に回り込んだサラは、素早く小皿を手に取りにっこりと微笑む。きっと頭領に伝えてくれたのだろう、その気遣いに感謝しながら、マコトは、ほっと肩の力を抜いた。
「あまり食欲が無さそうですから、果物にしておきますわね」
少し離れた場所にあるマコトの世界で言うとメロンの様な果物を綺麗に取り分け、マコトに差し出した。
「有り難うございます。……来てくれて、ほっとしました」
照れた様に小さな声で呟いたマコトに、サラは嬉しそうに表情を弛めたが、すぐに、はっとしたように引き締めた。あちこちから投げられてくる視線から、庇う様にマコトの左手前に陣取ると、お茶の用意を始めた。
「あの、サラさんは食べないんですか?」
マコトは両手に皿を持ったまま、一度視線を落とし尋ねてみる。思いがけないマコトの、しかし彼女らしい問いにサラは苦笑し首を振った。
「残念ですけど、ご一緒出来ませんわ」
困った様なサラの表情に、マコトはすぐにその理由を察する。
形式上自分とサラは主従関係にあたる。二人きりならともかくこんな衆人環視の中で、友人の様に食事を共にする事は出来ないのであろう。
思慮が足りなかったと、謝罪の言葉を紡ごうとしたが、それを察したサラが遮る様に口を開いた。
「ですがもし、宴が終わった後、夜食が必要でしたら、ご一緒しましょう」
その言葉にマコトの表情に笑顔が浮かび、それを見たサラもお茶を淹れる手を止め、微笑んだ。
それから間もなくして日も傾き、宴もたけなわと言う所で、サハルとタイスィール、それにハッシュがマコトの前へとやって来た。 いつの間にか三人は祭りの時の様な白い衣装に着替えており、その目映さにマコトは目を細めてそれぞれの名を呼んだ。
「マコトさん、お疲れではありませんか?」
開口一番、体調を気遣ってくれたのは、移動中は殆ど話す機会の無かったサハルである。次期頭領であるカイスの補佐的な立場にいるサハルは、今回の旅で護衛を纏め、指示を飛ばし、また自身もそれ以上に走り回っていた。必要以上に焚かれた広間の明かりのせいで、顔色を伺う事は出来ないが、やはり少し疲れているように思えた。
「いえ、私はずっとタイスィールさんに乗せて貰ってましたから。サハルさんこそお疲れ様でした」
何の不自由も何事も無く、村まで来れたのは頭領や長老は勿論の事、カイスやサハル、タイスィールの苦労と気遣いのおかげだろう。マコトはサハルを労い、頭を下げると、サハルは、表情を和らげて「いえ」と、ゆっくり首を振った。
「私は役得だったかな? 君とずっと一緒に過ごす事が出来たからね」
片目を瞑りマコトに合図するように口を挟んだタイスィールに、マコトは返事に困り、膝の上に置いたままの皿に視線を落とした。
「タイスィール。マコトさんが困ってますよ。自重しなさい」
「何だい。やきもちかい?」
億劫そうに長い髪の毛先を弄り、タイスィールは、くいっと片眉を吊り上げた。
「ええ。そうですね」
素直に頷いたサハルに、一瞬沈黙が落ちる。面白そうに口の端を吊り上げたのは、タイスィールとサラで、悲壮な顔をしたのがハッシュである。ちなみに言われた張本人であるマコトは、俯いたままその動きを止めていた。
「君こそ、マコトを困らせているよ」
「そうですね。マコトさん申し訳ありませんでした」
タイスィールの口調は、明らかにからかいを含んでいる。それに気付いているのであろうサハルは、一言マコトに謝罪すると、がらりと話題を変えた。
「実は、明日の夜にはここを出て王宮に戻ろうと思ってます」
「え……!」
思っても見なかった報告に、マコトは思わず、声を上げていた。あまり感情を出さない珍しいマコトの反応に、小さな笑みを浮かべたサハルは小さく頷き言葉を重ねた。
「私が休んでいる間に、髄分仕事が溜まってしまったようです。残念ですがここからなら王都は近いですし、祭りまでに一度は顔を見せに来ますね」
「そうなんですか……」
確かサハルは王宮で文官をしており経理のような……ハスィーブと言う部署の責任者だったはずだ。
向こうの世界で言うなら今までは、盆休みの様なもので期限が過ぎれば職場に戻らなければならないのだろう。サハルの役職や、集落に持ち込んでいた仕事の量から考えても、普段から多忙に違いない。
「ああ、私も一旦報告に王都に行くけど、すぐに戻る予定だから安心して。……同じく仕事が溜まってるだろうね。……本当に宮仕えは辛い」
大きく肩を竦めたタイスィールの言葉にもマコトは驚きつつも、頷いた。
そして最後に言い辛そうに口を開いたハッシュもまた、休みが終わったので学院に戻らなければならない、と、少し緊張した面持ちで話した。
「まぁ、じゃあ皆戻られるんですわね」
新しく三人の為にお茶を淹れていたサラが、それぞれの目の前にカップを置いた。
「みんな、ですか?」
その言葉に首を傾げると、サラは、ああ、と頷いて口を開いた。
「アクラム様とナスル様は、こちらには寄らずに既に王都入りしてますし、サーディンは頭領にオアシスの復興作業を 命令されてましたから、今頃は準備してるんじゃないでしょうか」
そう言えばアクラムとナスルの二人の姿を見る事は無かった。しかし、当然の様に二人も一緒だと思っていたので、マコトは意外な気持ちで聞いていた。
それにしても。
「みんな、ここからいなくなっちゃうんですか……」
ぽつりと思わず呟いてしまった言葉は、意外な程、響いた。マコトははっとして慌てて口元を押さえる。
我ながら……何と言うか、拗ねた子供の様な口調だった。
「み、皆さん忙しいですもんね。気をつけて下さい……っ」
誤魔化す様に言葉を重ねたマコトの頬は真っ赤で、それを隠そうと俯いて両手で頬を押さえた。
しかし、そんなマコトとは対照的に頬を緩めたのは、報告に来た三人だ。
――会えなくなるのが寂しい、と、本音を漏らしてくれた事もまたその内容も嬉しい。
特にハッシュは、明らかに嬉しそうな笑顔で浮かべ「すぐに戻ります」と、頬を染めてマコトに約束した。




