第六十四話 なすべきこと
村の大多数が集まる中、先触れとマコトの滞在する住居の最終確認の為に、一足早くカイスと共に戻っていたサラは、広場に集まった群衆の最前列でマコト達を待っていた。
ざわめきとそれよりも大きな歓声の中、待ち構えていたカイスが、タイスィールと共に馬に乗っているマコトに手を差し出す。
それに躊躇する様に手を伸ばしたマコトは、そのままカイスに身を預け馬から降り、集まった群衆に会釈をする様に小さく頭を下げた。サラがいる一帯で歓声が上がり、カイスが急かす様に腕を引く。
その不躾さに眉を顰めたサラは『落ち着いたら、しなければならない諸々事の頭のメモ』に、カイスの『女性に対しての振る舞い』と、書き加えておいた。全くあの配慮の無さは血の繋がった従兄弟だとは思いたくない。
次いでタイスィールが馬を降り、近くの護衛に手綱を渡すと、カイスに何やら一言二言呟き、その反対側に回ると、カイスは先導するように一歩前に出た。
改めてマコトと……その横に並ぶタイスィールを見つめて、サラは夢見る様に両手を合わせてほうっと溜め息をついた。
(お似合いですわね……)
人混みに混じる様に分厚いフードで顔を隠し、サラは自然と緩む頬に手を添え、ほうっと熱い溜め息を漏らす。
差し出されたタイスィールの手の上に遠慮がちに同じものをそっと重ね、頭領のゲルへ向かうマコトは、この日の為にサラが厳選した衣装と砂漠ではあまり見かけないクリーム色の淡い柔らかそうな肌が、 雲一つない砂漠の青い空に映え、小柄な彼女を優しく そして初々しく見せていた。
愛らしく、守ってあげたくなくるような女神の愛娘。
年頃の異性なら、近頃は珍しいそんなマコトのたおやかさや控えめな態度に、庇護欲をそそられない訳が無い。しかし彼女の本質はそれ以上に魅力的だと 言う事を知っているのは、自分を含めたほんの一部で――それが無性に誇らしいと思う。
また、そんなマコトの横に立ち、優しくエスコートしているのは見目の良いタイスィールである。
特にサラは、最低基準をクリアした候補者ならば、特定の誰かを応援している訳でも無いが、こういう場面を見れば、やはり見目が美しいのも良いと思う。もちろん、マコトが頼り、甘えられる様な包容力のある男性が絶対条件でその次は安定した収入、見た目はその次位になる。
(マコト様がタイスィール様の赤ちゃんをお生みになったら……)
きっと物凄く可愛いはずで、それはそれで楽しみが増えると言うもの。
女の子でも男の子でもいいですわねぇ……、と、ニムが聞けば笑い出すような少し先の未来を思い、これから山程残っている仕事を思い出して、はっと我に返る。
いけない、いけない。
マコトの晴れ姿は網膜に焼き付けた。一族の絵師達もきっとこぞって二人の絵姿を描くに違いない。
それは片っ端から買い上げるとして、サラは、とりあえず、と小さな声で呟いた。
(マコト様の側へ戻らなくちゃ)
きっと見知らぬ土地で不安に思われているに違いない。
口には出さないものの、さりげなく視線を動かし自分を探すマコトの姿が思い浮かび、また頬が緩む。
野盗騒ぎから一ヶ月、着々と築き上げた友情とちょぴりの主従関係。信頼されている実感はあった。
スカーフを深く被り、人ごみを抜けた所で、サラは小さく息を吐き出し、マコトが滞在するゲルへ向かおうとした。旅用の重たいブーツの踵をそちらに向けたその時、不穏な会話が耳に飛び込んで来た。
「――あれが『イール・ダール』様?」
「本当にまだ子供じゃない」
ぴたっと足を止め、サラは視線だけ動かして、その声の主を確認する。
(あれは……)
群衆から離れ、既に使われていない古井戸の淵に腰掛け、健康的に焼けた足を惜し気も無く晒した若い女性が二人。
ぼってりとした唇より赤い派手なスカーフが風に靡き、その肢体と気だる気な態度が色気となり周囲の若い男達の視線を集めていた。
「タイスィール様もお可哀想に。あんな子供が婚約者だなんて」
眉間に皺を寄せ、忌々し気にマコトを睨むきつい横顔には見覚えがある。
(ラナディア様の……お付きの女官だったがしら……)
各部族の使者が滞在の時に使う貴賓室で仕事するサラとは、あまり面識は無いが、王族、貴族が一同に介する、年に一度の女神祭の宴の時に何度か見かけた事があった。
王の第二夫人にあたるラナディアの嗜好か、取り巻く女官は華やかな容貌の者が多く、集まりがあればその一帯はよく目立っていた。
(それにしたって、何て失礼な)
マコトの素晴らしさを分かっていない女達に、怒りのまま怒鳴りたいのはヤマヤマだが、ここで時間を取られる訳にはいかない。
悔しさに唇を噛み締め、はっきりしない名前の代わりに容姿、顔立ちをしっかり記憶する。
もちろん、頭領に伝える為だ。
それに、内容から察するに簡単に言えば、嫉妬なのである。相手なのであろうタイスィールにも注意も踏まえて伝えねばなるまい。
(直接害を加えようとする馬鹿な人はいないと思いますけど、気をつけなければ)
『イール・ダール』は世界が待っていた稀人であり、それが一族に入るとなれば、両手を上げて歓迎するのが当然である。現に、その存在の稀有さともたらされる有難みに、年を重ねた者はその姿を見て、涙する者も多い。
そんな存在を、こんな場所で貶めるなどと、一族の恥である。むしろその事が火種となりマコトが別の部族へと移る事になれば、どうなるか――分かっているのだろうか。
厳しく処罰してもらわなければ、そう思いながらも、一向に収まらないマコトへの非難に足が縫い止められる。
敬愛している主への暴言に、唇を噛み締め耐えていたサラが、もう限界、とばかりに戦慄く唇を開きかけた所で、聞き慣れた声が、二人の会話を切らせた。
「ちょと、そこのオバサン達」
刺のある声は、少女らしい潔癖さで、二人を貫く。
意外な人物の登場に、サラは大きく目を見開いて、腕を組み足音高く近付いて来たニムを見た。
「こんなトコで『イール・ダール』の悪口なんて、あったま悪いんじゃないの?」
呆れた様な視線で二人を見ているニムは、雑踏の中に紛れているサラに気付いていないらしい。
微かに唇を上げ、薄い笑みを浮かべる。完全に目が笑っていないその表情は、彼女の兄が、時々浮かべるその表情にそっくりである。
さすが兄妹、と妙な所で感心したサラは、暫く様子を見る事にした。……あの手の表情を浮かべている時は、兄妹 揃って最強なのである。むしろ自分がいては足手纏いだ。
「一体何なの! 失礼な子供ね!」
突然現れた見知らぬ少女に痛烈に批判され、半ば呆然としていた女は、はっと我に返り、赤く染めた目元を吊り上げた。
「本当に……って、……ぁッ」
残る一人も同意しかけて息を飲む。不自然に言葉を途切らせた女に、ニムは鼻で笑い、腰に手を当てた。
「サハル様の……ッ」
「『サハル様の妹』じゃないわよ。ニムよニム。それにしてもお兄ちゃんにからきし相手にされないからって、次はタイスィール様? 身の程を知りなさいよ」
「なんですって! ……っタイスィール様は私に優しいのよ。とても良くして下さってるの」
最後は勝ち誇った様に唇を歪ませて、赤毛の女はニムを睨むが、しかし彼女は、ゆっくりとその隣を指さした。
「あら、お友達の顔色が随分悪いみたいですけど」
「あんた……っ」
「……ミャンこそ酷いわ! 言ってくれなかったじゃない!」
「随分と『良く』してもらってるの、アンタだけじゃないみたいね」
青ざめた二人の顔を見渡してニムは、止めを刺す。二人は唇を噛み締めて、それぞれ別の方向に駆けて行った。
ふぅ、小さく溜め息を漏らしたニムに、サラはようやく声を掛けた。
「やだ、サラ。いつからいたの」
くるりと振り返ったニムは、目を見開き自分より背の低いサラを見下ろして、そう呟く。
「私こそびっくりしました。怒鳴ろうとして口を開いた途端、現れるんですもの」
「……さっさと出てきなさいよ」
眉尻を上げ、口を尖らせたニムに、サラは微笑んで言葉を続けた。
「なんだかんだ言って、ニムもマコト様の事好きなんですわね」
「ちょっ……止めてよ! アンタじゃあるまいし!」
少しからかう口調のサラに、ニムは顔を引き攣らせ首を振った。
しかし、無言のまま笑みを深めるサラに、ほんのり頬を染めてぽつりぽつりと言い訳めいた言葉を紡ぎ始める。
「だって……まぁ、命の恩人だし。頑固で時々想像もつかない位無茶な事やらかす癖に、やったらとドンクサイとこもあって……ほっとけないじゃない」
(それって好きって事じゃ無いですか)
口にすると、物凄い勢いで否定しそうなので、心の中だけで突っ込む。
「それに、マコトはカイスの事何とも思ってないしね。婚約者候補ってだけで別に嫌う理由も無いし」
一ヶ月前は確実に正反対の事を思っていたはずだが。
しかし、サラは黙って頷き、ニムの言葉を肯定する。
ちなみに、カイスは元々サラの審美眼には適わっていない。地位、収入、その容姿は問題が無いが、一番大事な包容力の部分でかなりのマイナス査定だ。
従兄弟だからって容赦はしないし、マコトの立場上、同年代の同姓の友人を作る機会はあまり無い以上、ニムの存在は有り難く、また、味方は多い方が良い。
万が一にもマコトがカイスを選ぶなら、それはどうしようも無いが、出来ればカイスはニムとくっついて欲しいと思うだけの友情はある。
どんくさいのでは無く、物腰が穏やかなんです、と譲れない一線は訂正してから、サラは呆れたように溜息をついたニムを誘い歩き出した。
「相手にしない分、お兄ちゃんの方が誠実って分からないのかしら」
まだ憤怒収まらない感情を持て余す様に砂を蹴り上げたニムは、苛々と爪を噛む。
「中途半端な情けが一番厄介ですわ。これはタイスィール様に厳しく言っておく必要がありますわね」
女の情念は侮れない。
女官生活が長いサラは、ある意味その年齢以上にその事を分かっていた。
そう、彼女を傷付ける者は容赦しない。マコトが野盗に攫われた時、何も出来ずただ帰りを待つだけだったサラは、その時に誓ったのだ。
そう、例え相手が候補者であろうとも。
(マコト様を幸せに出来るのは私だけですわ……!)
胸元に光るネックレスを握り締め、サラはほんの少しズレた使命感に燃えながら、だらだら歩くニムを引っ張り足早にマコトの元へと向かった。




