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第六十三話 猫双つ


 集落までの短い旅は、順調に進み、あと一時間程で到着する――と言う所で、マコトの支度を整える為に一旦休憩を取る事になった。


 タイスィールに手みずから下ろして貰い、周囲を見渡すと、斜め前方に緑が砂の大地と青い空に挟まれうっすらと建物が見えた。


「あれが一族の?」

「ああ、私達の村だよ」


 目を凝らし人差し指を向けて尋ねれば、タイスィールはにっこりと笑い、穏やかにマコトの言葉を訂正する。


「……ですね」


 わざわざ言い換えたその意図に気付き、マコトは、はにかんでタイスィールを見る。そんなマコトに満足そうな笑みを返したタイスィールは近付いて来た護衛の一人に馬の手綱を預けると、マコトの手を取り歩き出した。


(送ってくれるのかな?)


「マコト様、お衣装お持ちしますから、先に行って休んでいて下さい」


 後ろから追い掛ける様なサラの声が響き、マコトは振り返って「分かりました」と会釈する。そしてすぐに傍らにいるタイスィールを見上げて、その手をやんわりと外した。


「あそこですよね。タイスィールさんお忙しいでしょうし、一人で大丈夫ですよ」


 そう遠慮したマコトに、タイスィールは少し困ったように苦笑して、手持ち無沙汰を慰めるように空いた手で纏めていた髪を解いた。

 砂漠の強い風によく手入れされた艶やかな髪が靡く。


「サハルと違って私は君の護衛以外何も仕事が無いからね。マコトが嫌で無ければ、移動以外でも最後までお相手を務めさせて貰えたら嬉しいんだけど」


 駄目かい? と、柔らかく眇られた瞳を向け小首を傾げるタイスィールに、マコトは慌てて首を振る。    

 確かに最初よりはタイスィールとも大分打ち解け、気まぐれな誘いも流せるようになったので、それほど一緒にいても疲れなくなった。けれど、やはり要職に着いているらしい彼をずっと独占しているのは気が引けた。


 しかしこう言われれば面と向かって断る理由も無い。

 じゃあ、お願いします、と言えば再び手を取られた。


 見た目とは想像出来ないほど固い手を、少し気まずい沈黙を打破しようと話題を探してる間に、マコトはふと、思考を止めた。


(あ、でも今、ちょうどいいかも……)


 周囲に人影は無い。

 あの事を聞くにはいい機会かもしれない。


「あの……」


 少し言い辛そうに言葉を濁した呼びかけに、タイスィールは首を傾げた。


「どうかした?」

「あの、変な事聞いてもいいですか」

「答えられる事ならなんでも」


「あの、村の入り口まで皆さん迎えに来て下さるんですよね。その時にどんな顔すればいいのかなって」


 思いつくまま口に出したせいで、意図の掴みづらい質問になってしまった。

 しまった、と思うが、タイスィールは先を急かす事無く耳を傾けてくれている。


「えっと……皆さんの『イール・ダール』像ってどんなのかなって。やっぱり堂々としてた方がいいんですよね」


 この世のものとは思えない程、美しい――とか望まれても、それはもうどうしようも無いが、自分の 努力次第で出来うる事なら、出来るだけその理想像に近付きたいとは思っている。


 しかし、返ってきたのは意外な言葉だった。


「そのままでいいよ。緊張してる姿も可愛いし魅力的だしね。最初に考えすぎると疲れるよ。自然体が一番だ」

「……でも」


「君は君らしくだよ。君は『イール・ダール』だけど、マコトでもある。そしてこの西の一族を選んでくれたのは、他でも無い君なんだから」


 思わず足を止め言い淀んだマコトに、タイスィールは繋がったままの手にほんの少し力を込めた。


(ああ、そっか……。うん、私は私なんだし……下手に猫被ってもきっとすぐに剥がれちゃうだろうし)


「有り難うございます……何だかほっとしました」


 自然と気負っていたらしい。肩から力が抜けるのが分った。


 タイスィールが先に立ち、天幕の入り口を捲って中に促す。屈んで中に足を踏み入れたその瞬間、ふわり、と身体が浮いた。


 くるりと景色が一巡し、その後ぎゅうっと力任せに抱き込まれる。

 顔を見るよりも、ある意味慣れてしまったその感覚に、正体は分かった。


「……サーディンさん……」


 胸を押し、作ったその隙間から顔を上げる。にんまりと猫の様に目を細めて笑うその姿は、やはりサーディンだった。

 ようやく満足したのか、絨毯に下ろされたマコトは、改めてサーディンを見る。その間に入るようにタイスィールが、 少し呆れたように溜息をついた。


「サーディン。マコトから離れて。……君、いないと思ったら一体どこに隠れていたんだい」

「だってさ~、頭領に会いたくないんだもん」


 サーディンは後ろ頭を掻きながら、子供の様に口を尖らせる。


「君が逃げ回るからだろう」


 確かにここしばらく姿は見なかったが、常に神出鬼没が代名詞とも言える彼だからこそ、 あまり誰も気にしていないようだったし、マコトも敢えて誰にも聞かなかったのだが、もしかしなくとも頭領とは仲が悪いのだろうか。


「どうせ、ボヤ騒ぎの事だし。それよりさ! 今日はコレが出来たから会いに来たんだ!」


 ポケットに手を突っ込みごそごそと探った後、何かをマコトの目の前に差し出した。


「はい」


 にょっと伸びたその手の平には、小さな木彫りの動物が載っていた。耳に紐がついていてキーホルダーのようだった。しかし大きさにすれば指先の第一関節あるかないかで、目や鼻やら細かく掘りこまれたその細工に、マコトは感嘆の声を上げた。


「すごい……可愛いですね」


 受け取った猫を指先で突っつくと、こてん、と転ぶ。愛嬌のある目元には黒子の様な点があった。


(汚れ、……って言うには、なんか見覚えがある様な)


 ふと、至近距離にあるサーディンを見上げて、小さく吹き出す。


 多分、いや間違いない。

 どことなく愛嬌のある顔立ちに、釣り目、そして口元のホクロは目の前の彼がモデルなのだろうか。


「ほら、マコトの鈴出してみて」


 マコトが気付いた事に気を良くしたサーディンが弾んだ口調で畳み掛ける。

 その勢いに押されながらも、マコトはズボンのポケットに忍ばせていた、猫のキーホルダーを取り出した。

 二つ手の平に乗せて、少し驚く。

 猫達は、まるでつがいの様に違和感無く、並んでいた。

 ひょいとその両方を掴み上げると、サーディンは指先をちょこちょこと動かす。


「これを、こーして……」


 子供の様に無邪気に笑いながら、サーディンは手の中のそれを見つめ満足そうに頷くと、再びマコトの目の前にそれを差し出した。

 ちゃりん、と猫同士がぶつかる。


「一人は寂しそうだから、つがい」


 はい、とマコトの手を取り握り込ませた。


(うわ……なんか、嬉しい……)


 もしかしなくとも、きっとサーディンがわざわざ作ってくれたのだろう。

 確か先日ゲルの前で何か作業していた彼は確かに木片と彫刻刀を握っていた。


(もしかして、あの時から作っててくれてたのかな?)


「ありがとうございます……あの、凄く嬉しいです。大事にしますね」


 サーディンと手の中の人形を交互に見つめ、マコトは柔らかな笑みを浮かべ、優しくそれを握り締め胸に当てた。

 それを見たサーディンも「うん」と頷いて幸せそうに笑う。

 ふいに伸びた手はマコトの頭を壊れ物を扱うようにそうっと優しく撫でて、静かに離れていった。

 サーディンにしてはあっさりしたスキンシップだったが、本人は至極満足そうに目を細めて人差し指でちょんちょんと猫をつっついているマコトを見つめている。


 それからすぐに衣装を手にしたサラが現れ、サーディンの姿を見るやタイスィールが止める間もなく、 一団に響き渡る様な悲鳴を上げた。


「どうしてこんな所にいるんだ! サーディン! ボヤ騒ぎの尻拭いはキッチリやらせるからな!」


 そしてすぐにやって来た頭領自らの手により、サーディンは捕縛され連行されたのである。




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