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第五十五話 頭領


 遠くで、馬の嘶きが聞こえて、マコトは顔を上げる。同じタイミングで気付いたサラは、すぐに立ち上がると、少し開けられた窓の隙間から外を伺い、眩しそうに目を細めた。


「お着きになられたようですわね」


 慌てて立ち上がりかけたマコトに、サラは振り向いて首を振り押し止める。


「マコト様はこちらでお待ち下さいませ」

「え……」


 マコト様の方が立場が上ですから、と、さらりと続いた言葉に驚き、思わず問い返したマコトは、にこにこと邪気無く微笑むサラに困った様に眉を寄せた。


 この世界では命の源であるオアシスを生んだ『イール・ダール』とはいえ、マコト自身は所詮何の能力も無い小娘だ。朝食の支度をしているとはいえ、衣食住一方的に世話になっている。そんな自分が一族の中でも一番偉い人物に、わざわざここまで足を運ばせるなどと考えられなかった。


「いいんじゃないの? 偉そうにふんぞり返って待ってろって言ったって出来る性格じゃないし」


 口を挟んだのは、少し離れた場所で肘を付いてのんびりと寝そべっていたニムだ。

 育った環境なのか本来の性格なのか、どちらかと言えばニムの方がマコトに近い感覚を持っており、こんな場面では助けられる事が度々ある。


 こうなってしまえば余程の事で無い限り、多数決でサラが折れる。数分間の押し問答の末、そしてやはり今回も。



「……そうですわね。優しさと親しみやすさも、マコト様の美徳ですし」


 渋々と言った口調で、頷いたサラに、マコトはほっと胸を撫で下ろした。

 そんなマコトの様子にため息をつき、サラは手入れしたばかりのスカーフをマコトの頭に被せた。そして棚の引き出しから、小さな銀細工の飾りがついたピンで弛く首元で止めて、形を整える。


「可愛いですね。えっとお借りしてもいいんですか?」


 細かな花の細工を撫でながら、マコトは自分より少し低いサラに向かって首を傾げた。


「ええ、よろしければそのまま貰って下さいませ。本当はもう少し華やかなものにしたいんですけど……マコト様はこれ位のものがお好きなんですよね?」


 ささやかな復讐なのだろう、少し拗ねた様なその口調に、苦笑いしつつ、マコトはしっかりと頷いた。


「けれど、やはり胸元が寂しいですわね……ニム。何かいいネックレス持ってません? 出来れば……そうですわね、少し濃い色がいいんですけど」


「また突然、……ちょっと待ってて」

「あ」


 よいしょ、と身体を起こしかけたニムをマコトは慌てて引き止める。

 思い当たる物があったのだ。


(無くしたり傷付けたくなかったから、しまっておいたんだけど……)


「あの、これはどうですか」


 マコトは衣装箱の中に腕を突っ込むと、小さな箱を取り出した。傷つけないように包んでいた布を広げて、サラに差し出す。いつのまにか立ち上がっていたニムは手の中のネックレスを覗き込み、納得した様に頷いた。


「ああ! それお兄ちゃんが渡したやつよね。あたしとお揃いの」


 そこまで言って、はっと口を押さえたが、既に遅く、マコトのすぐそばにいたサラは頬を膨らませ、じとりと恨めしげな視線をニムに向けていた。


「ずるいですわ! 私もマコト様とお揃い欲しいです!」


 思い切り頬を膨らませたサラに、ニムは、小さく溜め息をついてから呆れた様に肩を竦めた。


「あーもうウルサイ。欲しけりゃ市にでも行きなさいよ。似たようなの売ってるでしょ」

「そうしますわ! マコト様よく見せて下さいませ」


 勢いに押されつつ、どうぞ、と差し出されたマコトからネックレスを受け取ったサラは、慎重に手のひらに乗せ、じっと観察する。


「同じものがあればいいんですけど……後でサハル様にどこで買ったか聞いてみますわ」


 溜息まじりでそう呟くと、サラは鎖の止め具を外し、「失礼します」と断ってから、マコトの首に掛けた。ややあってぽつりと呟く。


「……マコト様は青もお似合いになられますわね」

「そうですか?」


 一歩下がり、足元から全体をまんべんなく見渡したサラは、感心した様にそしてどこか悔し気に頷いた。その複雑な表情に首を傾げながら、胸元を飾るその深い蒼を見下ろす。


(青が似合うって初めて言われたかも……)


 元の世界で服を買う事時は、着回しがきく無難な色が多かった。そう言えば、ここに来てからは、 カイスが買ってくれたワンピースや、サラが用意してくれるものを着ているので、華やかな色を纏う事が増えたな、と思う。


 最初はその慣れない色がどうにも浮いて見えて恥ずかしかったが、やはり明るい色を纏うと気分も華やいだ。 それはこの世界に来て初めて知った感覚だ。


(青が似合うって……サハルさんも、そう思ってくれたのかな)


 砂漠の明るい空とは少し違う。それは自分よりもいつも穏やかなサハルに似合っていると思う。

 どちらかと言えば日が沈む前の落ち着いた空の色を持つ石は、柔らかな光を反射し鈍く光沢を放ち、 マコトはそっとその石を指先で撫でた。


 ……サハルが許してくれて良かった、と思う。

 このネックレスを含め、自分は彼に与えて貰ってばかりだ。その上、想い、まで。


(明日、出発するって事は……明日までに決めなきゃいけないんだよね……)


 昨日からずっと考えて来たが、多分このまま行けば、きっと自分は明日サハルの名前を口にするだろう。

 いくら考えても他の候補達には迷惑を掛ける事になる。今はともかく、これから先、彼らに想う人が現れた時、自分の存在は障害になるだろう。それなら「元々結婚する気は無かった」と、最初に自ら申し出てくれたサハルが一番頼みやすい。


 ……けれど、それで本当にいいのか。

 ――サハルは自分の事を想ってくれている。ならばいつかは同じだけの気持ちを返せなければがっかりさせる事になる のは恋愛ごとに疎いマコトにだって分かる。期待させて裏切る、ようなものだ。ならば、やはりここで誰かを選ぶべきでは無い。


 けれど。


 きっとオアシスの所有権が絡んでいる以上、それは許されない事なのだろう。

 ……正直に言ってしまえば、こんな自分でいいなら誰と結婚してもいい。

 しかし、それで果たして選ばれてしまった相手――は、幸せになれるのだろうか。


(どうしよう……)


 サハルが、と言うよりは、マコトには『恋愛』と言う感情が未だによく分からない。

 サハル以外の候補達も皆、優しい人で、傍にいれば落ち着くし、お喋りするのも楽しいし、状況によっては時々緊張もする。


 けれど、元の世界で友人達が言っていたように、四六時中一緒にいたい、とか、会えなければ寂しい、とか、ましてや誰かに嫉妬するなど 考えられなかった。


「じゃあ、そろそろ行きましょう」


 扉を開けたサラの言葉にマコトははっとして顔を上げた。

 サラを先頭にしニムも含めた三人でゲルを出る。


 入口近くまで歩いた所で、少しのざわめきと、見慣れぬ男が数人忙しく働いてお り、その中心に立って指示を飛ばしている男が自然と目に入った。


 光を鈍く反射させる銀髪にカイスかと目を凝らせば、纏う服装が明らかに違う。金糸で纏られた長い裾は砂を孕んだ風に吹かれて、大きく膨らんでいた。


 一度だけ見た祭りの正装の様な、いつも薄着で動きやすい格好しているカイスとは正反対の格好である。


(えっと……頭領だって言うカイスさんのお父さんかな)


 一族の中で最も高い地位にいる人物。

 カイスの父親なら四十は超えているはずだが、纏う雰囲気は若々しく、遠目からでは三十代前半に見える。


(初めまして……だよね。それからお世話になってます、とか)


 マコトは少し緊張しつつも、失礼の無い挨拶を考える。

 忙しなく視線を動かすと、その近くには、サハルとタイスィ-ルの姿がある事に気づいた。見慣れた彼らに緊張して強張っていた身体から自然と力が抜ける。


(十人くらい? 護衛の人も結構いる……)


 野盗が存在する世界だ。一族でも地位のある人物の移動となれば、それ相応の人数が護衛につくのかもしれない。


 様子を伺おうとマコトが目を眇めた瞬間、ふいに銀の髪の男が振り返り、マコトと目が合った。薄く唇が開かれ、離れた場所にいるマコトには届かなかったが、何か指示したらしく、周囲にいた男達が一斉にマコトの方向を見たかと思うとその場に膝をつき、顔を伏せた。


「え……」

「は~凄いわねぇ」


 思わず足を止めたマコトのすぐ後ろで、ニムが感嘆の声を上げる。そんなニムを小さな声でたしなめたサラは、さり気無くマコトの手を取り促すように歩き始めた。


(この人達って、やっぱり)


 誰に膝をついているのか、考えなくとも分かる。

 皆が皆、腕に自信のあるそうな屈強な男達で、当然ながら自分よりも遥かに年上だろう。自分のような平凡な人間に頭を下げるなんて嫌では無いのだろうか、と気になったが、 男達は一切無駄口を利かず、低く頭を垂れていてその表情を見る事は出来なかった。


 戸惑ったまま側近くまで歩み寄ると、サハルは小さく頭を下げ、タイスィ-ルは片手を上げた。 頭を下げて挨拶を返し普段通りの彼らにやはりほっとし、この場にいてくれて良かったと、心から思う。 マコトは気合を入れるようにぐっと拳を握り締めると、歩み寄ってきた銀髪の男に視線を向けた。



「これは『イ―ル・ダ―ル』。わざわざお出迎え頂き恐縮です」


 カイスと同じ、しかしそれよりも長い髪をそのまま後ろに流し、朗々としたよく響く声で男は丁寧に頭を下げた。周囲の男達は顔を上げる気配も無い事に居心地の悪さを感じながら、マコトは黙って次の言葉を待った。


「西の一族の長を務めるイージです。愚息がご迷惑お掛けしてませんかな」

「いえ、そんな事は」


 マコトは慌てて首を振る。そして一呼吸置いた後、両手を前に組み丁寧に頭を下げた。


「初めまして。佐々木真と申します。カイスさんにも皆さんにも十分良くして頂いてます」


 静かに顔を上げたマコトにイージはカイスとよく似た笑顔で微笑んで、右手を差し出す。握った手は硬くひんやりと冷たかった。


「お聞きしていた通り、可愛いお嬢さんだ。西を選んでくれて有難う。出来るだけ君の願いは聞き届けたいと思ってる。何でもカイスに申し付けてくれて構わないよ」


 砕けた口調と表情にマコトは今度こそ肩の力を抜いた。


「……はい、有難うございます」


 しかし、次の瞬間。


「なんで俺限定なんだよ。オヤジ」


 握り締められた時間の長さに違和感を感じる前に、背後から不機嫌な声が飛んだ。


「……相変わらず口が悪い。育て方を間違えたかな」


 小さく溜息をつき、イージはマコトから視線をずらし、その向こうにいる息子を軽く睨む。しかしその口ぶりは完全に砕けていて険は無い。

 つられるように振り向いたマコトは、カイスの後ろに控えていた老人を見て、小さく声を上げた。


「……あ……長老、様」


 名前は確か――ムルシドと、言っただろうか。

 マコトがこの世界で始めて目覚めた時、 世界について説明してくれた老人だった。

 その長い髭が特徴的だったので、間違い無いだろう。


 マコトの視線に気づいたのか、長老は真っ白い長い髭を揺らせて、 目元の皺を深くした。


「嬢ちゃん。久しぶりじゃな」


 長老はマコトのそばによると、 最後に別れた時と同じ様にすっと右手を上げた。

その行動を察して少し屈んだマコトはくすぐったそうにそれを受けた後、「お久しぶりです」と挨拶を口にした。


「……すまなかったな」


 謝罪は、オアシスの占有権の事なのだろう。

 マコトは静かに首を振った。


「私こそ申し訳ありませんでした」


 返ってきた謝罪に長老は眩しそうに一瞬目を眇めた。 そして吐息のような長く細い息を吐き出したかと思うと、 髭で埋もれた唇を再び動かした。


「西を選んでくれて感謝する」


 いえ、と首を振る。

 受け入れてもらったのは自分なのだ。


 それにマコトは二度目となるこの老人が好きだと思った。どこか懐かしい 穏やかな優しさを持っている。初めてこの世界に来た時に頭を 撫でてくれ――それはこの世界に来てから初めての抱擁だった。暖かで 優しい手は自分と同じものだと知らしめて安心させてくれたように思える。


 この気持ちをどうにか言葉で表せないだろうか、と躊躇いながら口を開きかけた所で、少し離れた場所から鋭い声が掛かった。


「――頭領、誰かこちらに来ます」


 入り口近くに立っていた男が、さして大きくない、しかしよく通る声を上げ、和やかだった空気が一瞬にしてかき消える。


 目を眇めて指差した方向を見ていたタイスィールは、視線を固定したまま呟いた。


「ナスルと、あと一人、ですね」

「アレか」


 イージはさして驚いた様子も無くちらりと視線を投げる。


「おそらく。――約束は正午だったと追い返しますか」


 少し厳しい声でそう言ったタイスィールにゆっくりと首を振った。


「構わん。単身で来るとは相変わらずな男だな。……『イール・ダール』わざわざ迎えに来てくれたのにすまないが、ゲルに戻っていてくれるか。また改めて挨拶に寄らせて貰うよ」

「分かりました。あの、……すみません」


 やはり、ここまで迎えたのはまずかったらしい。

 素直にサラの言葉を聞いておけば良かったと後悔しながら、マコトはぺこりと頭を下げ、サラに促されてその後に続いた。



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