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第五十四話 内緒


 ふっきったものの、さすがに同じ日にゲルを訪ねる勇気は持てず、気持ち的にすっきりしない夜を過ごしたマコトは、早朝、サラと共に台所に向かっていた。


「あら、サハル様でしょうか」


 他愛ない会話の途中で目を瞬かせたサラの言葉に、心臓が跳ねる。マコトは曖昧に相槌を打ちながらそれとなく俯き、自分の爪先を見ながら一晩中考えていた事をお浚いした。


(……うん、とりあえず、二人きりになれたら、ちゃんと謝って……)


 少しでも気を抜けば、昨日の出来事を思い出し、顔が赤くなる。昨夜ニムとサラに幾度となく突っ込まれたマコトは、平常心、 平常心と自分に言い聞かせながら思い切って顔を上げた。


 しかし、台所に立つ人影は二つ。誰か珍しく早起きでもしたのだろうかと、じっと目を凝らして、その意外な人物に少し驚く。


「おはようございます」


 昨日の事などまるで嘘の様に、穏やかに挨拶をしたのは、勿論サハル。


「やぁ、おはよう」


 その横で朝の雰囲気に似つかわしく無い視線を流し、気だるく髪をかきあげたのは、タイスィ―ルだった。


 気まずい二人を交互に見やったマコトは、ふと我に返り慌てて頭を下げる。

 自然と顔が赤くなっている事に気付き、逃げ出したい気持ちになったが、ここで逃げればきっと二人を傷付けてしまうに違いない。多少恥をかいてもそれだけは避けたかった。


 気遣う様なサラの視線にも気付き、マコトはさり気無い振りをして挨拶を返す。

 サラもそれに続き挨拶した後、何となく気まずい雰囲気を和ませる為か、タイスィ―ルに向かって遠慮がちに尋ねた。


「……あの、タイスィ―ル様がこんな時間にいらっしゃるのも珍しいですね」


 そう? と、タイスィ―ルは小さく肩を竦めて、マコトに場所を譲るべくテーブルに移動する。すぐ近くに立つマコトに視線を向けると、意味有り気に口の端を吊り上げた。


「一日の始まりに、愛しい人の顔を見たくてね」


 言葉と共に添えられた艶やかな微笑みに、マコトの意識が数秒遠のき、代わりにサラが両手を頬に当て、まぁあ、っと悲鳴の様な声を上げて頬をピンク色に染めた。残るサハルは一瞬だけピクリと眉を動かしたが、口を開く事は無かった。


(空耳、じゃないよね……。じゃあ)


 タイスィ―ルのあの告白は、やはり嘘では無かったと言う事なのだろうか。


(有り得ない……)


 羞恥心以上に、タイスィ―ルの『愛しい』発言に衝撃と落胆を覚える。

 そもそも確かタイスィ―ルは、イブキが好きだった筈だ。先の『イール・ダール』である彼女は美人で明るく社交的。

何故対極にいる様な自分が好意を持たれるのか、理解出来ない。


 本気ですか、と思わず問いかけた言葉を慌てて飲み込みマコトは、気まずく視線を泳がせる。ここで言葉にしてしまっては昨日の過ちを 再び繰り返す事になる。


「タイスィ―ルも、その位にしてあげて下さい。他にも伝える事があったんでしょう?」


 気まずい沈黙が落ちる前に助け船を出したのは、やはりサハルだった。マコトは感謝しようとして視線を向けて、その途中で思い直し結局俯く。そんなマコトを見下ろし、 サハルは少し寂しそうに笑った。


「ふふっまぁね。今日の朝方、長老と頭領がこちらに向かっていると連絡があったんだ」

「まぁ、随分早いんですのね」


 まだうっすらと赤みを残したサラの目が驚いた様に何度も瞬く。

 昨日の話では、ニ、三日中に、という話だった筈だ。マコトも戸惑った視線をタイスィ―ルに向けると、同意する様に小さく頷いた。


「この場所にマコトがいるって各部族に知られてしまったからね。ここの結界も古いし一度破られている以上、迎えは早ければ早いに越した方がいいって頭領が決めたみたいだ」


(随分急な話だよね。……何かあったのかな)


 タイスィ―ルの説明は既に戻った時点で分かっていた事ばかりだ。なのにこうも突然、となると何かあったとしか考えられない。


 疑問を口にしようかマコトは悩む。伏せたその横顔を見つめていたサハルは、くすりと笑い、口を開いた。


「お察しの通りですよ。各部族の使者がそれぞれここの様子を伺ってるんですよ。隙あらばマコトさんと接触しようという魂胆でしょうね」


 知らない内に顔に出ていたらしい。マコトは見透かされた恥ずかしさにほんの少し頬を染めた。本当にサハルには自分の心の声が聞こえているのでは無いかと、本気で思う。


「まぁ結界の向こうだからね。こちらも手の出しようが無い」

「では出発は……」


「そうだね。準備が出来れば明日にでもここを離れる。私もこれから荷造だ。女の子の方が支度も多いだろうし、ニムにも伝えておいてくれるかい?」

「分かりましたわ」


 頷いたものの、かすかに眉を寄せたサラに気付く。


(ニムさんもサラさんも荷物多かったもんね……)


 きっと間に合うかどうか心配しているのだろう。


「あの、サラさん。今日は朝食の準備はいいですから、荷造りして来て下さい」

「……でも」


 躊躇する様に作業台に視線を向けたサラにマコトは優しく微笑む。


「サラさんはともかく、ニムさんの荷物多かったし、早く伝えて置かないと。あ、早く終わったら私の荷造りも手伝って貰いたいんです」


 お願いします、と重ねて付け足したマコトに、サラはようやく納得したように頷いて、 後ろを気にしつつ元来た道を戻って行った。


 それを見送る途中で、マコトは振っていた手をピタリと止める。

 サラを送り出してしまえば、残るのは自分とタイスィ―ルとサハルである。

 ……気まずい事この上無い。


(……うん、朝食の準備しよう)


 とりあえず動いていれば、気も紛れるだろう。いつものように材料を取り出し、作業台に置けば、サハルはその内の一つ二つを手にし、マコトの隣に並ぶ。タイスィ―ルは作業台に肘を付き、どこか面白そうな顔をして二人の後ろ姿を見ていた。


「今日は何を?」

「シチューです。お肉使わなきゃいけないんで」


 それだけ言えばサハルは頷き、器用にナイフを使い芋の皮を剥いていく。その手付きはマコトより堂に入ったもので、次々に水を張ったボールに芋を投げ入れていった。


(上手だなぁ……私向こうでピーラ―ばっかり使ってたし)


 手を動かしながらも、サハルの手元を見て、感心する。そもそも性格も穏やかで顔もいい。人当りも良く何でもこなせる器用なサハル。


 ……一体自分のどこが良かったのだろう。

 昨日と同じ疑問にぶつかり、首を捻っていると、そんなマコトの心を知ってか知らずか、ふいにタイスィ―ルが口を開いた。


「そうそう。それからそのまま聞いてくれて構わないんだけど。今日の昼過ぎにザキ様……いや、野盗の頭領がここにやってくる」

「え……」


 考えずとも、名前だけですぐに顔が思い浮かんだ。

 マコトを攫った野盗の頭領であり、助けてくれた人でもある――スェ。


「うちの頭領と話がしたいとナスルを通じて申し入れがあってね。もう、ここには長居出来ないから、早めて貰ったんだ」

「……そうなんですか」


 野盗に拐われた時……まだ三日前の話だが、もっと何ヵ月も先の出来事の様だ。 状況が状況だったので怖かったのは確かだが、何かしらの思惑はあったものの、 それでも助け出してくれたスェの印象は決して悪いものでは無い。


(……助けてくれたのに、怖がってばっかりだったし)


 差し出された手に躊躇して、避けてしまった。 お付きらしきもう一人の傷の男との掛け合いを思い出せば、何となく悪い人では無い事が分かる。


 それに、正直に言えばスェよりも気掛かりなのはナスルの方だった。あれだけ嫌っていてもなお、助けに来てくれた事実。 お礼と、それから――八つ当たりした詫びもまだ伝えていなかった。


 思い返せば返す程、あの時の自分は冷静さを欠いていて、自分の事は理由にならないと、ニムとサラの名前をわざわざ出して、少しでも傷付けばいいと、――きっと思っていた。


 憎くなかったと言えば、嘘になる。けれど、ずっとそういう負の感情をいつまでも抱き続けられる訳では無い。時間が経てば 経つほどその感情を持て余し、苦しくなってくるのだ。


(ケンカしてる訳じゃないけど、仲直りって言うか――もう少し歩み寄れたらいいなぁとか)


 しかし、謝りたい、というのも結局はただの自己満足だ。ナスルにしてみれば、このままずっと顔を合わせない方がいいと思っているかもしれない。


「それでね。我々としては、君には会談の間、出来るだけ外に出ない様にして欲しいんだ」

「……そうですね……」


 タイスィールに気づかれない様に小さく溜息をついてから、マコトは頷いて了承する。確かにスェは同族だが、今や野盗の頭領だ。そんな立場にいる以上、タイスィールや長老達が警戒するのは当然だった。

 少し考えてから、マコトは慎重に口を開く。


「……あの、じゃあスェさんにお礼言っておいて下さいませんか」


 意外な申し出にタイスィールは首を傾げ、二人のやりとりを聞いていたサハルは静かに振り返る。


「何故だい?」

「あの、……優しくして貰ったんです」


 複雑な状況に一から説明すべきか悩んで、結局マコトは、一言だけ付け足した。

 タイスィ―ルはそんなマコトを見下ろし、今までとは違う類の穏やかな笑みを浮かべる。手を伸ばして、マコトの頭を撫でると、ゆっくりと立ち上がった。


「このまま見ていたいんだけど。私も荷造りしなくてはいけないから、失礼させてもらうよ」


 立ち上がったタイスィ―ルにマコトは小さく頷き、切ったばかりの材料を見てから、遠慮がちに問いかけた。


「食事はどうします? 出来上がったら呼びに行ってもいいですか? あ、お持ちしましょうか」


 小首を傾げたマコトに少し驚いた様にタイスィ―ルは一瞬動きを止めた。そして自然と浮かんだ微笑みを隠す為か口許を手で覆う。その一連の行動にマコトはますます首を傾げた。


「どうかしたんですか?」


 まじまじとマコトを見下ろしていたタイスィ―ルは、はっと我に返った様に顔を上げ、苦笑した。


「いや……君と結婚出来れば、毎日こんな言葉が聞けるんだろうなぁって思ってね。うん、実にいい」

「……何を」


 言ってるんですか、と言いかけたマコトの顎を男らしい筋ばった指が触れ、子猫をあやす様な仕草でくすぐる。



「――私を、選んでくれたら」


 思わずきゅっと首を竦めた初々しい反応に微笑みタイスィ―ルは、身体を屈めてマコトの耳元で囁いた。


「優しくしてあげるよ……?」


 ゾクゾクする程艶やかな声が耳の浅い場所を撫でて、瞬時にマコトの顔が真っ赤になる。 一つに纏めた髪を撫でようとしたタイスィ―ルの指にパチンと音を立てて誰かの手の平が落ちた。


「はい。そこまで。私も求婚している事を忘れないで下さいね」


 にっこりと形だけの笑みを乗せてサハルはマコトの腕を引き、タイスィ―ルから距離を置く。 固まったままのマコトは、はっと我に返り、自分を間にして微笑みを浮かべあう二人を交互に見上げた。……明らかに 胡乱な空気が漂っている。


「分かってるよ。今度は君のいない所でね」

「そういう事を言っている訳ではありませんが?」


 口の端を吊り上げたサハルに、タイスィ―ルは大袈裟に首を竦める。


「ああ、マコト。サハルにだって気をつけてね。意外に熱い男だから」


 付け足す様に掛けられた言葉に、マコトの身体が一瞬強張る。勿論、タイスィ―ルもその反応に気付き、 サハルとマコトを交互に見やり、すぅっと目を眇めた。


「今の反応を私は突っ込むべきなのかな」


 ゲルに向かっていた足を止め、タイスィ―ルは再び作業台に戻る。 そして、今度は座らず少しもたれかかって両腕を組む。まるで二人を見張るような体勢である。


「戻らないのですか」

「いやいや、君、サーディン以上に危険人物みたいだからね」


「……貴方でもあるまいし、昨日の今日で何かある訳が無いでしょう? さぁ、準備ににかかりましょう」


(ええっと……)


 呆れたような口調で呟き、ポンっと軽く肩を叩かれて、マコトは頬を染めたまま頷く。 タイスィ―ルに背中を向けて、包丁を取った所で隣をそっと伺うと、こちらを見ていたサハルと目があった。


 慌てて目を剃らそうとして、その口許が動いている事に気付く。 そして首を傾げるよりも早く、サハルの手が動き唇の前で人差し指が置かれた。


 柔らかくなる目元。

 唇の両端がゆっくりと持ち上がる。


(……内緒、って事よね。ううん、それより。もう、怒ってない……?)

 許してくれたと言う事なのだろうか。


「あの……有難うございます。私、……っその、ちゃんと真面目に、考えます」


 自然とそんな言葉が口に出た。

 抑えすぎて掠れた声だったが、すぐ傍に立つサハルにはちゃんと聞こえたらしい。サハル笑みを深めると包丁を置いて、マコトの 頭をポンポン軽く撫でた。


(……良かった……)


 人に嫌われる事がこれ程怖いと思った事は無かった。

 しかしほっとしたのと同時に、言葉に出来ない曖昧な奇妙な不安がその喜びに影を差す。


(……?)


 曖昧すぎてその尻尾すら掴み切れない疑問に、マコトは作業に戻ったサハルの手元を静かに見つめていた。





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