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第五十二話 その、真意

注!ちょっとだけ大人向け表現?


「で、マコト様はどうなさいますの?」


 あのサハルの告白から一時間程過ぎ、ゲルに戻ったマコトは早速サラに詰め寄られていた。

 確かサラはあの場にいなかった筈だ。誰から聞いてのだろうと不思議に思いながらも、 マコトは軽く痛む頭を押さえた。


「……どうするって言われても」


 じりじり詰めてくるその勢いに押されたマコトは後ろに下がりながら、そう呟く。サラの問いは自分こそが誰かに尋ねたい事だった。


 一体どうしたものか――。


(サハルさんもタイスィ―ルさんも何も言ってくれなかったしなぁ……)


 きっと後から何か話があるのだろうと思っていたのに、タイスィ―ルは食事が終わると早々にゲルに戻り、サハルは二人きりの時間が あったにも関わらずその話題には触れず、結局差し障りの無い会話をして別れてしまった。


(……ああ、もう分かんない)


 いっその事、サハルのゲルに押し掛けてその真意を聞くべきだろうか。こんな所でいくら考えていたって答えなど出る訳が無い。


「ニムさん、サハルさんって今お忙しい仕事とか抱えてました?」

「んーあれだけ、台所にしょっちゅう顔出してて、忙しくは無いでしょ。で、アンタいつまでそのかたっくるしい喋り方するつもり?」


 年頃の娘らしく鏡に向かって肌の手入れをしていたニムが、鏡越しにじとりとマコトを睨みつける。思わぬ言葉に、え、と小さく呟いたマコトは、慌てて口元 を押さえた。実はニムがこっちのゲルに戻って来た時から、言われ続けている事だった。


「……あの、一度使うとなかなか敬語って消えなくて、えと、ちょっと ずつ直していけたらなぁ、とか」


 視線を泳がせて言い訳を口にすれば、ニムはくるりと首を回し、少し顎を上げてマコトを睨む。


「それ。昨日も聞いたけど」

「もうっニムったら! マコト様は謙虚なんです。あ、でも私の事はどうかサラと呼び捨てになさって下さいね」


 間に入り軽くニムを睨んだサラは、両手を胸の前で組み合わせ、祈る様にマコトを見上げる。その熱っぽい視線にニムが嫌そうに小鼻を動かした。


「サラ。アンタこの前から発言が気持ち悪いわよ。……ぅわっ! 見てこの鳥肌」


 じゃらじゃらと飾りのついた腕を突き出し、大袈裟に肌を擦って見せる。確かにその表面には鳥肌が立っている。


「まぁ私の忠誠心を気持ち悪いだなんて!」


 頬を膨らませてニムを睨んだサラを宥めつつ、マコトも気付かれない様にこっそりと溜め息をつく。 確かに一途に慕ってくれるサラは、嬉しい反面その忠誠心の強さに困惑している部分も多かった。


 幾分落ち着いたらしいニムはふん、と鼻を鳴らし再び鏡に向き直る。

 化粧水らしい液体をピタピタと頬に叩き込むその姿は慣れたものだ。


 自分より年下の女の子のスキンケアを見ると、何となく居た堪れない気持ちになるが、 マコトも一日に二回サラによって半ば強制的に行わされている。

アクラムに貰った日焼け止めと組み合わせているおかげで、日焼けで赤くなる事も無く、ある意味向こうの世界よりも肌の状態はすごぶる良好だ。


「で、お兄ちゃんのゲルに行くって事は、もう仮初めの婚約者選んだって事なの?」

「選……ち、違います!」


 サラが知っているのだ。もちろんニムもとっくに耳に入っているのだろう。

 ……もしかするとあの後、早々にいなくなったハッシュに聞いたのだろうか。この二人に詰め寄られるハッシュも、また哀れだったかもしれない。


 何気ない口調で尋ねられた内容に、慌てて首を振ればニムはふぅん、と頷いて手早く広げていた化粧道具を片付ける。かちっと蓋を締めてから、マコトに向き直り細い顎に指を置き少し考える様に間を置いた。


「じゃ、他に気になる人でもいる訳? 言っとくけど、あの七人って一族じゃ選りすぐりなんだからね。あの通り美形だから一族以外の女の子からも人気あるし、将来性だってばっちり。あれ以上の候補者はあんまりいないわよ」


「いえ、そう言う訳じゃ……皆さん素敵過ぎて私には勿体無いって言うか」


 否定したマコトに、ニムは行儀悪く膝を崩すとぴしっと人差し指を向けた。


「謙虚過ぎるのも却って嫌味。……まぁ、相応しい相応しくない置いといてさぁ、ちょっとでもいいなぁって思うのは?」

「ちょっとでも、って……。……だから、皆さん優しいし、恐れ多くて選べないと言うか」


 同じ言葉を繰り返したマコトに、ニムとサラは顔を合わせる。同じ仕草でニムを見たサラと頷き合うと、 猫の様にイタズラっぽく笑い塗りたてのつやつや光る唇を開いた。その女の子らしい唇に少し見とれてしまっていたマコトは、 ニムの口から発せられた言葉に反応が遅れた。


「もしかしてさぁ、マコトって男の子と付き合った事無いの?」


 思わず黙り込んだマコトにニムは納得した様頷く。

 ふふん、とどこか得意げに鼻を鳴らし、どこか芝居がかった口調で尋ねた。


「――初恋も、まだとか?」

「はつ……」


 何だか耳慣れない、しかしやたらと照れが入る単語にマコトは顔を真っ赤にさせ、所在なさげに視線を彷徨わせた。

 その様子にニムは笑いを噛み殺し、わざと呆れの混じった口調で呟いた。


「どんだけお子様なの。……お兄ちゃん達も可哀想に」

「……可哀想……? ニムさんもしかしてサハルさんの、アレ本気にしてるんですか」


 俯いていたマコトはそう言って首を傾げる。それを見たニムは、さっきまでの上機嫌が嘘の様に、ぎゅっと眉を寄せ、信じられないものを 見る様な目つきでマコトを見た。


「本気? ……え、ちょっと。何言ってんのよあんたは! どんだけ鈍いの! どう聞いたって本気でしょ!?」

「まさか、だって」


 突然怒鳴られ、マコトは驚きに目を丸くする。その反応に、ニムは再度怒鳴ろうとして、途中で止めた。ため息を付き、くるりとマコトに背中をその表情を見えなくする。


「じゃ、どういう意図だったからお兄ちゃんに今すぐ聞きに行きなさいよ。教えて貰えるだろうから」


 心底呆れた、と言いたげな、投げやりな口調に、ぐっと詰まってマコトは唇を引き結ぶ。

 そう。このままニムと言い争っていても、仕方が無いのだ。


(……もうこの際、ハッキリさせに行こう。思い悩んでも仕方無いし)


「じゃ、行って来ます」


 マコトは珍しくむっとした表情のまま立ち上がり、の勢いのまま扉を開ける。

日除けにして下さい、と慌ててスカーフを差し出したサラに短くお礼を言ってゲルから出ていった。



 暫く経ってから、サラは小さく溜息を漏らし、宥めるようにニムの肩に軽く手を置いた。


「……ニム、あんな言い方では、マコト様を追い詰めるだけですわ。それにちょっとサハル様に加担しすぎです」


「だってあの鈍さいい加減見てるとイライラするわ! 元々あたしはお兄ちゃんの味方だし、ちょっと位痛い目見た方がいいわよあの子は。 ……その相手としてはお兄ちゃんがぴったりでしょ。暴走して傷つけたりしないだけの理性はあるだろうし」


「まぁそれはそうですけど」


 サラは気遣わしげな視線を窓の外に向けて、再度溜息を漏らす。

 そう、確かに彼女の主は、他人の事には人一番敏感なのに、 自分に向けられる恋愛感情については、有り得ないほど鈍感なのである。


 そちらに話題を振っても、自信が無い故に 候補者達と恋愛なんて有り得ない、と即座に否定される。一日でも早く伴侶を得てこの世界に馴染んで欲しい、と願う サラとしては、どうにかしたいものだと常々考えてはいたが。


 黙り込んだサラに、今度はニムが口を開いた。


「……あんたこそ、親戚になりたいからってこっそりカイスを応援してるけど、させないからね?」


 サハルは上手くやるだろうか、と考えていたサラは、ニムが放った宣戦布告に我に返り、顔を上げる。

 ああ、そういえば嬉しい事もあったのだと、思い出し、表情を和らげた。


「あ、その事ならお構いなく。私正式にマコト様付きになれましたし、もう今更縁戚関係にこだわらなくてもよくなりました」


 にこにこと邪気の無い笑顔で嬉しそうに頬を染めたサラに、ニムは顔を引き攣らせた。


「……あんた、こっち来てから性格変わったわよね」

「マコト様のおかげですわ」


 きっぱりそう言って自信満々に微笑んだサラは、呆れるニムを尻目に中断していたマコトの衣装を手配すべく、部屋の奥に入って行った。




* * *




 勢いのまま出て来たものの、サハルのゲルに辿り着いたマコトは、いつになってもその扉をノック出来ないでいた。


(何て切り出そう……)


 ノックをするために作った拳は中途半端な位置に浮いたまま。

 責める様なニムに追い立てられる様に出てきてしまったが、どう訪ねればいいものか。


 冗談、だったのならば、図々しく本気にしたと思われたくは無いし、何か意図する事があるなら、 自分で察するべきなのかもしれない。


(朝食のあの申し出って冗談ですよね、とか……)


 こう出来れば自然の流れで、そうそうそういえば、みたいなさりげない雰囲気で切り出したい。


(別に今すぐじゃなくても……そうだ。お菓子作ってお裾分けに来ようかな)


 少し早いが、あと一時間もすればアクラムのおやつ作りを始める時間だ。サハルにはア クラムの様に毎日と言う訳ではないが、上手に出来たものは持っていくようにしている。 今日差し入れを持っていったとしても不自然ではないだろう。


 いい口実が見つかったと、マコトはくるりと身体を返す。

 歩き出そうと足を上げたその瞬間、背後から、ぎぃっと扉が開く音がした。


「おや、訪ねて来てくれたんですか」


 背中に掛かった声に、マコトの心臓が大きく跳ねる。恐る恐る振り向いて見れば、 サハルは別れた時と全く変わらない穏やかな笑みを浮かべてマコトを優しく見つめていた。


「え、ぁ……その、えーっと」


 必死で考えるものの、咄嗟に上手い言い訳は見つからず、マコトは自分の機転の利かなさを呪う。忙しなく視線を動かしたマコトに、サハルは苦笑したかと思うと、何か思い出した様に手を打った。


「そうだ。少し手伝って頂きたい事があるのですが。……今大丈夫ですか?」

「あ……、はい。私が出来る事なら」


 願っても見ない申し出だったが、気を効かせてくれたのだな、とすぐに思い付き、何だか申し訳無い気持ちになる。大きく扉を開け放ったサハルに促され、マコトはゲルに足を踏み入れた。


 サハルの部屋はいつ訪ねてもきちんと整理整頓されている。几帳面なサハルらしい部屋だと思う。


「隣に来て頂けますか?」


 手持ち無沙汰に部屋を見渡していたマコトにサハルは手招きする。

 言われた通りいつも書き物をしている机の前に座ると、サハルは分厚い書類を取り出し、マコトに差し出した。


「これ、右下の番号順に並べて下さいますか」


 男性らしい太い指が紙の端を指差す。頼まれた内容が簡単な事にほっとし、頷いてそれを受け取り、マコトは机の上に並べていった。


 たくさんの数字の羅列。

 何かの明細書らしきものだ。ふと、その内一枚を抜き出し、マコトはじっとそれを見下ろしてから遠慮がちに口を開いた。


「あの……これ計算間違ってると思うんですけど」


 大体三桁から四桁の数字の羅列。何となく下一桁だけ、暗算していて気付いた事だった。

 マコトの言葉にサハルは、少し驚いた様な顔をし、すぐにマコトが差し出したものを受け取り視線を落とす。視線が紙の中ほどまで落ちた所で、そのこめかみがぴくりと動いた。


「本当ですね……。有難うございます。もし他にもあったら教えて下さいますか」

「分かりました」 


 差し出がましい事をしたかも、と不安だったマコトはほっとし、一度全ての向きを揃えてから、一枚一枚チェックしていく。住んでいたアパートの大家が珠算教室を開いており、小学校の六年間通っていたので暗算は得意な方だった。


 ……そういえば、項目名は違うものの手にした書類は、就職クラスでは、必須科目だった簿記で学んだ残高試算表に似ている。


(もしかして同じだったりするのかな……?)


 慎重に下二桁ずつ暗算する頭の片隅で、そんな事を思う。

 電卓、それが無理なら算盤が欲しい。マコトは間違えることの無い様、慎重に数字を指で押さえ、一つずつチェックしていった。






「――本当に、何をやっているのやら」


 マコトがチェックした数十枚を差し出すと、サハルは珍しく疲れた顔をし、溜め息を漏らした。

 サハルがこんな表情を見せるなんて珍しく、思わずまじまじと見つめてしまう。


 その事に気づいたサハルが、ほんの少し首を傾げると、マコトは慌てて視線を外し、誤魔化すように口を開いた。


「…あの、部署って経理の事ですか? サハルさんのお仕事って」


 サハルが文官をしているとは聞いていたが、マコトの世界でいう経理の様な部署に所属しているのだろうか。 マコトもこの世界に来なければ、四月にはアルバイト先の店長に紹介して貰った小さな会社の経理事務として働く筈だった。


「そうですね。財政を司る……こちらはハスィーブと言うんですが、 文官達に人気が無くてね、万年人手不足なんですよ」


 へぇと頷いたマコトにサハルは手元の書類を片付け始めた。


「それにしても、マコトさんは計算がお早い。さぞ高名な方に師事して貰ったんでしょうね」

「いえ、その、卒業した学校で教えて貰ったんです。あとはその、就職先が小さな会社……あ、お店って言うか、その経理 でしたから、計算位なら出来ます」


「そうなんですか。君にハスィーブに来て頂けたら助かりますね」


 実は、と前置いてサハルは、にこやかに続けた。


「いえ、実は王都にいる間もその後も、仕事の補佐をして頂けたらなぁと思っていたんです。でもこれでは私の補佐なんて勿体無いですね」


 思わぬ言葉に、マコトは驚いた様に顔を上げサハルを見つめた。胸に生まれた小さな希望に鼓動が早まる。

 いくら西にいると決めたと言っても、自分の衣食住くらい自分で賄いたい。マコトにとってそれは願っても見ない申し出だった。


「そんな事無いですけど……あの、私出来ればどこかで働きたいんです。王宮じゃなくても、どこかで働きたいって言えば通るんでしょうか」


 自分自身に価値は無くとも、『イール・ダール』である以上、責任がある。そう尋ねたマコトにサハルは少し微笑んで答えた。


「そうですね。個人的な気持ちを言わせて貰えば優秀な人材は喉から手が出る程欲しいです。実力さえあれば 身分問わず採用する事になっています。ただマコトさんの場合、王から許可が出ても一族から反対されると思います」


「……どうしてですか」


 そう上手くはいかないか、とがっかりしながらも、マコトは珍しく食い下がる。


「独身の『イ―ル・ダ―ル』を王宮内に残すなんて、狼の群れの中に羊を投げ込む様なものですから」

「……私、大丈夫です。ちゃんと西にいる……っていうか西の一員だってカイスさんも言ってくれたし」


「回避するには、誰かと結婚すればいいんですよ」


 にっこり笑ってそう言われて、マコトの動きが止まる。

 これは朝と同じ流れだった。

 サハルの顔を見る。とくに不機嫌な様子も無く、いつも通りだ。

 どう返事をすればいいのか、慎重に考え、マコトは少しわざとらしい笑顔を貼り付けた。


「サハルさん。あの、さっきの話なんですけど、……何か、あるんですよね?」


 しかし指示語だらけの中途半端な言葉しか言葉に出来ず、マコトは自分自身に呆れながらも、サハルの様子を伺う。しかしサハルは何も言わず黙ったままだった。その沈黙がいたたまれず、マコトは慌てて言葉を重ねた。それが切欠になるとは思わず。


「あ、はは……、その、冗談ですよね。大丈夫です。私本気にしてませんし」


 空笑いが空しく静まり返った部屋に響く。

 そしてやはり何も言おうとしないサハルを伺い見て、マコトは一瞬息を止めた。


「――では貴女は、あの告白が嘘だと?」


 どこか冷たい響きを含ませ、サハルの唇が動く。


「……え?」


 優しい顔、けれどどこか悲しそうな顔だと思った。書類の上に置いていた手を大きな掌で包まれ、マコトは顔を上げた。


「サハルさ、ん?」


 奇妙な沈黙。潤った大地を思わせる優しい焦茶色の瞳の奥に燻る何かに吸い寄せられるように、マコトは視線を逸らす事が出来ない。その何かが静かな熱を孕みマコトの体を縛った。


「冗談にして欲しいですか?」

「……え」

「あの、告白が嘘だと、何か裏があって私がそう切り出したと、そう思いたいですか?」


 畳み掛けるようにサハルが言葉を紡ぐ。


「逃がしてあげませんよ」


 ぎしり、と床が鳴る。マコトのすぐ傍に置かれた手は腰を掠め、サハルはゆっくりとその距離を縮めていく。


「貴女は人の心の機微には確かに敏感です。けれど、今回は残念ながら外れです。そんな風に自分の中だけで推し量ってしまうのはマコトさんの悪い癖ですよ」


 それは決して責める口調ではなかった。淡々とした事務的な話し方。その視線の熱さとの温度差が違和感になって 気持ちを落ち着かなくさせる。


「それに生憎、恋愛感情まで絡めて人の気持ちを弄ぶ程、私は悪趣味ではありません」


 無理矢理何かを抑えるような、低く押し殺した声音に、自分が勘違いをしていたことを思い知る。


「……ぁ……」


 相手の言葉を素直に受け止めず、何か裏があるのではと勘繰る。自分の心の裡を見透かされた様で 羞恥心と同時に、目の前のサハルへの罪悪感に気づく。かつては自己防衛の手段で、それで決して強くない自分の心を ずっと守って来た。けれど、だからと言って人を傷つけていい訳が無い。


(どうし、よう……)


 けれども、やはり頭の片隅で、もう一人の自分が差し出された気持ちを疑う。


(だって、サハルさんが私なんか好きになるわけ……)


「……すみません」


 確かに自分の悪い癖だ。反射の様に謝罪が口をついた。

 自分はサハルの言葉を疑ったのだ、傷つけたのだから謝るのは当然だった。しかし、 その言葉は今安易に口に出すべきではなかった。


 俯いたマコトの頤を指先で持ち上げて、サハルは息が触れ合うほど近くまで近づく。 その瞳がすぅっと細く眇められ、それは穏やかなサハルの印象を一瞬にしてかき消した。


「ほら、またそんな表情をする。……どうしてやりましょうか」


 触れていた手が伸び、マコトの頬に触れる。流れた髪を掬い上げ耳に掛ける仕草で指先が髪の中を泳いだ。サハルは奇妙なほど寂びた静かな目をして顔を少し傾ける。


 そのまま唇が触れ合い、マコトの瞳が大きく見開かれた。


「……っ!」


 ごく軽く触れるだけのそれは、すぐに離され、髪を梳り肩に落ちた指がまた耳朶に戻り、柔らかなそれを撫でる様にそっと触れた。 慈しむような優しい手。静かすぎるその瞳の奥が陽炎にように熱を帯びていくのが分かった。 ――怒っている、のだと、マコトはようやく思い至った。


「……ッん……」


 体を強張らせた初々しい反応にサハルは、口の端を吊り上げて至近距離で囁く。


「私は、本気です」


 強調する様に切った、その言葉自身が熱い息になって身体に溶けていく。

 再び唇が合わさり、今度はさすがに我に返ったマコトはサハルの胸を押そうと手を動かした。 その拍子に耳たぶから首筋に掛けてサハルの指が這う。


「……っ……ぁ」


 唇が離れる合間に苦しい息が鼻から抜けて、甘ったるい声が漏れた。その隙に差し込まれた舌が、歯茎を撫でて口腔内に侵入する。全てを堪能するように柔らかな場所に舌が這わされ、貪られる。力の抜けたマコトの腰を反対側の手で支えたサハルは、そのままマコトの身体を傾けて、ようやく唇を離した。


「まだ、足りませんか」


 サハルは抱きしめたまま、マコトの顔を覗き込む。指先が耳たぶを優しく撫で、未だどこか焦点の合わないマコトの瞳を見ると、小さく笑って、今度は首筋に顔を埋めた。


「ひ、ゃ、ぁ……ッ」


 耳たぶの裏を唇を這わされマコトの体が大きく跳ね肌が粟立った。マコトは大きく首を振り、必死で逃げよう体を捩る――前に、サハルはマコトの体を引き上げ、座らせると、静かに体を離した。


「サ……、ハルさん」


 まだ熱を持ったままの首筋に手をやり、マコトは怯えたように、眉を寄せサハルを見つめる。

 その視線を受けて、サハルはどこか悲しげに笑って見せた。


「――本気にして頂けましたか?」


 その言葉に、マコトははっと我に返った様に、濡れた唇を掌で覆い壊れた人形の様にこくこくと頷く。赤く潤んだ瞳に滲んだ涙を親指で掬い取りサハルはゆっくりとした動きでぺろりと舌を出してそれを舐めた。

「それは良かった」


 ふ、とサハルはいつもと同じ様に穏やかに笑い、マコトから視線を外した。


「……酷い事をしました。けれど謝りません。本当に貴方の事が好きです。――嫌われてしまったかもしれませんが、それでも選んで貰えることを祈ってますよ」


 どこか縋る様な呟きに、マコトは、唇をかみ締めて俯く。そして何も言わずゲルから飛び出した。




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