第五十話 告白
タイスィールと我に返ったマコトが取り成したおかげで、とりあえず広場の騒ぎも収まり、タイスィールは 食事がてら一族の重鎮達の意向と今後の事を話し始め、マコト以外のメンバーも真面目な顔をして耳を傾けていた。
そんな中、お披露目の、のくだりで戸惑ったマコトの表情に気付いたタイスィ―ルは苦笑し、湯気の立つスープ皿を机の上に置いた。
「気が進まないのは分かるけど、君は世界が待ち望んだ存在だからね。その姿を見せて、みんなを安心させてやって欲しいんだ」
少し芝居がかった様な軽い口調にタイスィ―ルの気遣いを感じ、マコトは自然に俯いてしまった顔を上げて曖昧ながらも頷いて見せる。
(……大袈裟、でも無いんだよね。私はともかく、オアシスがそれ位大事って事だし)
不相応すぎる扱いだと感じる度に、なんの取り柄も無い自分が『イ―ル・ダ―ル』で良いのだろうかと不安になる。
そして黙り込んだマコトの代わりに、隣に座っていたサハルが口を開いた。
「お披露目の日時はもう決定しているんですか?」
「来月の十日。王都の感謝祭の初日になる」
「二週間もありませんわね」
サラが指を折り日にちを数え、困った様に眉を寄せた事に気付き、マコトは首を傾げる。
(準備が掛かるって事? 感謝祭……って、この前、祠に行ったのとはまた違うお祭りなのかな……)
マコトが遠慮がちに疑問を口にすると、今度はサハルが、納得した様に頷き、説明を始めた。
「そういえば女神祭の日程までは詳しく説明してませんでしたね。内容だけで言えば、同じものですよ。ただ、時期が違うだけなんです。王都には大陸中の人間 の半数が住んでますが、我々と同じく部族出身の者も多いのです。だから一月の内の最初の二週間はそれぞれの一族が管理する祠で女神を讃え儀式を行い、それから王都に戻り、また改めて感謝と祈りを捧げるんです」
「……そうなんですか」
一ヶ月もの長い祭り……しかし、この世界唯一の神だと教えて貰った事を思い出す。自分は無神論者だったが、何か不思議な力が働いてこの世界に召喚された のは事実である。魔法だって使える不思議な世界なら神だって存在するかもしれない。
「長老と頭領も仕事が片付き次第こちらに向かうと言っていた。……用事を済ませてから出発するらしいけど、 いつでも出発出来るように荷造りを済ませておいて欲しい。一度村に寄ってそこで暫く過ごし一週間前に王都入りだそうだ」
「随分ギリギリに都に入るんですね」
それまで黙っていたハッシュが遠慮がちに呟く。それを拾ったカイスは既に空っぽになった皿を持ったまま眉間に皺を寄せた。
「他の一族がマコトにちょっかいかけてくるからだろ。村ン中いたらとりあえず商売人以外の余所者は長の承認が無いと入れねぇからな」
立ち上がり鍋の方へと足を向ける。お代わりなら、と反射的に立ち上がろうとしたマコトにカイスは、顰め面を幾らか和らげ首を振った。
「よそう位、自分で出来るって。それよりお前こそ進んでねぇぞ」
すっかり止まってしまっているマコトの手元を指差し、カイスは笑う。
「そうですよ。しっかり食べて下さい」
サハルが言い添え、マコトは抱え込んだままだったスープを見下ろす。お代わりをよそいにいったカイスと違い、サハルはじっと見守る様にマコトの手元を見ていた。慌ててスープを掬い口に運ぶと、サハルは表情を緩め褒めるようにマコトに頷いたのを横目で確認し お母さんみたいだなぁと、本人が聞けば気を悪くしてしまいそうな事を思ってしまう。
一口、二口口に運んだ後、マコトはまた遠慮がちに口を開いた。
「……あの、お披露目って何をすればいいんでしょうか」
「歴代の『イ―ル・ダ―ル』もみんな集まって、国民の前で、王と共にバルコニーに立つんだ」
「歴代のって……イブキさんもですか?」
もしかして、と問えばタイスィ―ルは微笑んで肯定する。
(……会えるんだ! イブキさん元気かな)
妊娠中なのに、王都まで行くのは負担では無いだろうか。しかし、そう思うものの、最後に笑顔で見送ってくれた彼女の明るい笑顔を思い出して、少しだけ心が軽くなる。それに、時間差はあるものの同じ世界から来た人達とも話してみたい。
お披露目、と言う言葉に驚いてしまったが、歴代の『イ―ル・ダ―ル』の端に並ぶだけなら自分にだって出来るだろう。何より、西に、いや、この世界に残る と決めた以上、この世界で与えられた仕事なら積極的に受け入れるべきだ。
「分かりました」
決意を込めてマコトは頷くと、その後ろで成り行きを見守っていたサラがおずおずと手を上げた。
「タイスィ―ル様、あの、感謝祭のマコト様のお支度ですけど」
サラが遠慮がちにタイスィールに問い掛けると、タイスィールは心得た様ににっこり笑って頷く。
「もちろん君にお任せするよ。君は正式にマコト付きの女官に認定されてるしね」
「わ、私頑張りますわっ! そうと決まったら早速注文しなくては。ここでは揃うものも揃いませんし」
サラはそう言い、きらきらとした目を一度マコトに向け、一目散に自分のゲルに駆け足で戻っていた。その勢いに押され気味だったマコトは、もしかして自 分の服の事だろうか、と思い当たる。
(なるべく地味な服にして貰えるように頼んでみよう……)
出来れば目立たずに、こっそりと端の方で立っていたい。
「……で、マコト。君にお願いがあるんだけど」
すっかり話は終わったと思い、少し冷めてしまったスープを口に運んでいたマコトは、 改めてタイスィ―ルに声を掛けられ、慌てて顔を上げた。
「西に残るという君の決意を長老を含め村の重鎮達は感謝していた。しかし、他の一族を納得させる材料としてはまだ弱い。 成人まで猶予がある分付け込まれやすいからね。そこでだ。とりあえずでいいから候補の中から仮初めの相手を選んではくれないかい。好いた相手がいる方が手も出しにくいだろうしね」
(え……)
もう一度タイスィールの言葉を頭で復唱して、固まる。
仮初めの、結婚相手……?
(選べって言われても、どうしよう。……だって、そんな、候補者っていうだけで、迷惑掛けてるのに)
ちらりと候補者達の顔を伺い見れば、それぞれ少し緊張した面持ちで自分を見ている。きっと選ばれてしまったら、と不安に思っているに違い無い。最後に真横にいたサハルまで視線を戻せば、同じ様にこっちを見ていたらしくかちりと目が合った。
「――マコトさん」
そしてその唇が自分の名前を呼んだ事に驚き、心臓が跳ね上がる。
「今、貴女には特に想う方はいらっしゃらないんですよね」
改めて問われて、ええ、まぁと曖昧に頷く。カイスとハッシュはがっかりした様な安心した様な複雑な表情をしたが、サハルに見つめられたまま視線を逸らせず固っているマコトは気付く事は無かった。
最初に話には聞いていたものの、この世界に馴染む事に必死で、こう改めて結婚の事を持ち出されても、彼等と恋愛なんてピンと来ない。それに帰還した時に 、年齢の事を黙ってくれると言っていたから、少なくとも成人である二年後まではそんな話とは無縁でいられると思っていた。
「……あの、皆さん私には勿体無いって言うか」
言い訳めいたマコトの言葉を遮る様に、サハルにしては強い口調できっぱりと言い切った。
「では私にしておきなさい」
「……え?」
戸惑いが思わず口から零れた。真っ直ぐに真面目な顔で見つめられてその視線の強さにマコトの動きが止まる。
「私は貴女が好きです。一生一緒にいて、側にいて支えて下さい。貴女の事を大事にします。貴女以外見ません。だから私を選んで下さい」
「サ、ハルさん……?」
何の冗談だろう。一体何の事なのか。いつでも自分を気遣い優しくフォローしてくれるサハルの事だ。何かあるのだろうか。と勘繰っては見るが、今のはどこ からどう聞いても告白であり、プロポーズである。
「ちょっ! ちょっと待てよ! なんだよ突然!」
言われている事が理解出来ず、固まったまま呆けているマコトに代わり慌てたのはカイスだった。
「カイス? 何か貴方に不都合な事でも?」
立ち上がって思わず怒鳴ったカイスに、サハルは涼しい顔のままカイスに視線を移す。
「ふ、不都合っていうか……ッ俺だって……ッ」
静かに注がれるサハルの視線にカイスは慌てた様に立ち上がる。そしてその剣幕に驚くマコトを見下ろし、中途半端に言葉を途切らせた。
「お、俺、だって……その、……ッじ、次期頭領だしな! そういう事ならちゃんと言っといて貰わねぇと!」
……この場にサラがいたなら間違いなく、彼は『へたれ』とののしられているだろう。タイスィールはやれやれ、と言う様に首を竦めつつも 二人のやりとりをどこか面白そうに見ていた。
「どうして貴方に言う必要があるんです」
「そりゃそうだけどよ……っああ! そうだ! サーディンっ! お前はマコトの事気に入ってたよな! さっきからなんで黙って……っ」
そういえば、と一同の視線が先程から静かなサーディンの元へ向けられる。こんな展開で黙っている彼では無いはずだ。しかし向けられた視線の先――サ ーディンは、すっかり冷めたスープの隣で静かに机に突っ伏し、規則正しい寝息を立てていた。
「――寝てますね」
唖然とするカイスに、サハルはサーディンの顔を覗き込んで、静かに報告した。
「お前は……ッ肝心な時に使えねぇのか!」
顔を真っ赤にさせ怒鳴り散らすものの、サーディンは規則正しい寝息を立てたまま一向に起きる様子は無い。そして、その不自然さに カイスには気付く余裕は欠片も無かった。
「カイス。さっきから何を言いたいんですか」
穏やかな笑みを浮かべたまま鋭く見据えられ、カイスは怯むように後ずさる。何度か口を開き掛け、結局。
「なんでもねぇよっ」
と、怒鳴って最後は拗ねる様にそっぽを向き、行儀悪く地面に座り込んだ。
「マコトさん。仮初めの婚約者としては、私が一番この中で適任です。お付き合 いしている女性もいませんし、元々生涯独身を貫くつもりでしたしね」
今度は声を落とし、すぐ隣にいるマコトに聞こえる程の声で囁く。その近さを今更意識し、ようやく頭に血が巡って来た とでも言う様に顔を赤くさせたマコトは、忙しなく視線を彷徨わせた。
(どうしよう)
……ここは、やはりサハルの申し出を有難く受けるべきなのだろうか。
好き云々が冗談だとして、思えばここでサハルを断ったとしても、結局他の誰かを選ばなければならないのだ。
とりあえず、ここにいるメンバーには、嫌われてはいないと……思いたい、が。 カイスは戻って来た時から妙に余所余所しいし、今朝触れただけで突き飛ばされた事を考えれば、もしかしたら自分が知らない間に何かしてしまったのかもしれない。その隣にいるハッシュと言えば、自分と四つも離れている以上、そういう相手として見ていないだろうし、そもそも将来有望な少年に自分は相応しく無い。
ここにいないアクラムを選べば明らかに面倒がられそうだし、タイスィ―ルなんて選ぼうものなら周囲の嫉妬が恐ろしい。
(……サーディンさんなら)
最初の印象こそ良くはなかったが、唯一自分の事を「好き」と言ってくれた人 物だ。しかし掴み所の無い性格故に、その気持ちが本心かどうか分からない。ナスルは自分 を嫌っている以上論外。……そう考えれば、サハルの提案は無難だが。
(だって他にいないし……)
言い訳を心の中で呟く。候補者達にとって重荷になってる自分が何だか妙に切ない。
マコトは再びサハルを見上げる。目が合うとサハルは優しく笑ってくれた。
(……サハルさんから申し出てくれたんだし、……甘えてもいい、かな……?)
じゃあ、お願いしてもいいですか、と口を開き掛けたマコトを遮ったのは、それまで黙って サハルとマコトのやりとりを見ていたタイスィ―ルだった。くるくる変わるマコトの表情を楽しんでいた彼は、くすりと笑い、組んだ膝の上で頬杖をついたまま、ほんの少し首を傾げ、艶やかな甘い声を響かせた。
「ああ、待ちたまえ。マコト。私も立候補させて貰いたいんだ」
サハルの時以上に広場の空気が固まったが、それすら楽しむ様にタイスィールは微笑みを崩さずマコトをまっすぐ見つめる。
「私も君が気に入ってる。二番目なんて締まらない告白だけどね? この気持ちは本当だ」
突然の告白にカイスはうんざりした様に盛大に眉を顰める。ただただ驚くハッシュは目を見開いたまま、ごくりと息を飲んだ。
しかし、肝心のサハルは片眉をぴくりと上げただけで、表情も崩さずただ真っ直ぐにタイスィールを見据えていた。
「は……い……?」
(……タイスィールさんまで……。やっぱり冗談か、もしくはきっと何か思惑があるんだ)
そうでなければ、サハルに引き続きタイスィ―ルまで自分が好きなどと、有り得るはずが無い。
きっと後で、何らかの話があるだろう。
(それにしても二人共、タチが悪い冗談……本気にしたらどうするんだろ)
疲労感を感じながら溜め息をついて、サハルとタイスィールを交互に見つめる。サハルはいつになく真 面目な顔をしているが、タイスィ―ルはいつも通り読めない笑顔を張り付かせて 笑っていて、やはり冗談なのだとマコトは確信を深めた。
「今すぐなんて決められないだろうし。出発の朝にまた聞く事にするよ。サハル 、君もそれでいいね?」
(あ……でも、結局は決めなきゃいけないんだよね?)
一同が見守る中、サハルは小さく溜め息をついて同意し、マコトは少しの猶予が出来た事にほっと胸を撫で下ろした。




